豚は、はんぶん殺す
悪い事は重なって起こる、なんて良く言いますよね。ですが、それは間違いなのです、人間というものは、悪い事だけ記憶に残るものなのです、たとえ良い事が続けて起こっても『ああ良かった』くらいで済ませてしまっているから、記憶に残っていないから、同じ頻度で体験しているはずなのに、悪い記憶だけが、いつまでも残っているのです。
……いやいや、そんな事ないよ! あり得ないから! これちょっとおかしいよ! どんだけ重なるのさ! しまいにゃハードラックと踊っちゃうから! 勘弁してよぅ。
「充電と、損傷の回復、終了、節電解除……戦闘行動、可能、充分に可能」
のしのし、とこちらに向かってくるのは、見まごう筈もない、先日出会った先頭なんとか執行官だ。黒い戦闘鎧に鬼の面、両肩の四角い箱も健在で、シャーリーくんとの戦いの痕跡は、全くに見られない、ぴっかぴかの新品同様なのである。
「は、ハロッくん! 逃げるよ! こっち! 」
「え、なんで? 大丈夫だよ、はんぶん殺すよ? 」
ええい、なんて自信過剰な子だ! いいから来なさい、私は無理矢理にハロッくんのリードを引くと、ラーズさん達から離れる方向へと走り出す、とにかく、正面に立つのは駄目だ、もし、あのナット弾を撃ち込まれでもしたならば、私達なんて、絞ったら千切れるくらいのヴィンテージボロ雑巾にされちゃうよ。
「サクラ様! 」
ずしゃっ、と前方にラーズさんが現れる。ぐわ、何してんの、なんでこっちに来るんだよ! あんたが逃げ道塞いでどうすんのさ、こっちはいいから、お願いだから目の前の敵に集中してください。
「余所見をするな、それは強者の振る舞いだぞ」
ゴツッ、と嫌な音を立て、ダレンスが長剣の柄頭で、ラーズさんのこめかみを叩く。ほら、言わんこっちゃない、吹っ飛ばされちゃったよ、ぐぬぬ、方向転換だ、後戻りになるけど、山の方へ……ん、あれ? 執行官が止まってる……なんだ、電池切れか? それとも動作不良か?
「ぐっ、ダレンス、貴様、何のつもりだ、剣に手心を加えるなど」
いや、違うな、こっちを向いた……なんだろう、動きがすんごいモッサリしてる……シャーリーくんに受けたダメージが、何か影響してるのかな? そういえば、シャーリーくんは無事だったんだろうか、いやいや、今は考えるな、ちくしょう、私も混乱してるな。
「分からぬか、これが、強者の振る舞いだ、余裕だよ、中京の田舎騎士相手に本気を出すなどと、バラン家筆頭騎士……そしてテンプル騎士の名が泣くわ」
「ぐうぅっ! 舐めるな! 」
がつがつ、と激しく剣を打ち合わせるものの、ダレンスの方には、確かに余裕が見て取れるだろうか。
ヤバい、こっちも押されてる、ぐぬぬ、あのゲス野郎、ゲスのくせに、とんでもなく強そうだよ、ラーズさんだって、腕の良い騎士のはずなのに、怪我してるとはいえ、こうも一方的になるなんて……どうしよう、考えがまとまらないよ、執行官の調子が悪いなら、今がチャンスなんだけど……こうなったら、仕方ない。
「は、ハロッくん、バラバラに逃げよう、私は山に向かうから、多分、あいつらはこっちに来るから、その隙に、きみは町の方に走って、分かる? 町だよ? 華村ハナコって人を呼んで来て、有名人だからすぐに……え、ち、ちょっと! 」
な、なに、何する気? なんでそっちに行くの? 危ないったら、ハロッくん! その黒いのに近づいちゃダメ! 穴だらけにされちゃうから!
いったい、何を考えているのか、ハロッくんは、てくてくと、執行官の方に歩いて行くのです。当然に、私は止めようとしたのですが、踏み出す瞬間に、背後から衝撃を受けてしまい、つんのめって転がり、顔面を強打してしまいました。
「あの執行官、何をやっている、故障しているのか? ふん、所詮は機械人形か、小娘を押さえさせるつもりだったが……役立たずめ」
突然、腹部に強烈な圧迫感、口から内臓が飛び出たような気がして、一瞬、背中に怖気が走ったのですが……どうやらお腹を蹴られて、朝ご飯を吐き出しただけのようです。うぐぅ、悪口言ってたのが聞こえてたのか? おのれ、食べ物を粗末にするなんて、こいつだけは許さへんぞ。
「さくら、さくら、大丈夫だよ、はんぶんにするから、殺すから、ぼく、上手にやるよ」
え? ……ハロッくん? だから、何を……して……る、の?
てくてくと歩き続けたハロッくんは、ついに、執行官の目の前に辿り着いていたのです、彼が手を伸ばすと、鬼の様な、まさに鬼の様な、その黒い鎧は膝を付き、まるで従順なしもべか、それとも臣下の礼をとる騎士か。
「生体部品の認証、走査……正規搭乗員の確認、確認完了」
「……そ、そんな、まさ、か……だ、ダメ! ハロッくん! そっちに行っちゃ、駄目! 」
ぷしっ、と蒸気を漏らし、口を開いた黒鬼は、その鎧の中へと、ハロッくんを迎え入れたのです。嘘、うそだ、アレの中身が……もしかして、あの時も? 最初から、きみが、入ってたの?
執行官の異常に気付いたものか、戦闘中の二人も距離を置いていた、おそらく、ハロッくんが敵か味方か、見極めがつかないのだろう。無理もない、私だってそうだよ、ラーズさんだって、まさかハロッくんが中身だとは思わなかっただろうし、ダレンスゲスだって、そういった執行官の仕組みは、知らない様子だったのだから。
「……人は奉公、騎士も奉公、そんなことも出来ぬならば、それは豚だ」
ゆっくりと立ち上がった『それ』は、なんとも平坦な、ややもすれば機械音にも聞こえるほどの、無情無機質な声音にて、宣言するのです。
「豚は、はんぶん殺す」
ああ、どうしよう。
これ、ハロッくんだよ。




