ぜんぶつぶそう
しゃわしゃわと、先程まで景気良く鳴いていた合成セミ達が、そのコンサートをピタリと中止する。おそらく、昆虫なりに理解したのだ、関われば殺されてしまうだろうと。
「ラーズ! ごめん! 次はちゃんとする、早く逃げて! 」
この重圧感、この殺気、蛇口を開きっぱなしの水道から、遠慮なく垂れ流され、足元に池でも作りそうな程の、悪意という名の、どろりとした黒い液体。
「よせ! こいつは執行官だ、指導官とは訳が違う、俺が行く、俺が止める! イムエはサクラ様を頼む」
あ、そうか、思い出した、この黒づくめの男は、最初に私を襲ってきた、あの二人の仲間なんだ。奉公基準監督署の……執行官? 何それ、なんか違うの?
「人は豚になる、簡単になる、だが、豚は人になれるのか、否だ、豚は豚、肉にしか成り得ない」
いや、見た目は全然違うけどね、最初は分かんなかったし、だって、共通点なんて、黒いって事だけだもん、よく見れば胸元から僅かに覗く、白いワイシャツの襟とネクタイだけが……なんなんだろこいつら、なんのこだわりなの? ……あくまで、お役人だと主張をしてるのかな? でも、全身にガッチガチでゴッテゴテな黒い戦闘鎧と、肩のは何だ? 四角い箱? 何かの火器だろうか、あと、ヘルメットにはサングラスみたいな黒いバイザーの代わりに、なんとも恐ろしげな鬼の面。うぅん、変態チックな格好には違いないけど、なんだろ、この学園島には似つかわしくないよ……ひとりだけ、いくさ気分というか、場違いというか。
ぽいん、と放り投げられた私は、そんな事を考えながら、大人しく丸まるしかなかったのです。シャーリーくんの事は気になるけど、がっちりとイムエさんに抱えられ、どうする事も出来ないのです。
「ゆえに、屠畜を、執行する」
がぱん、と執行官の肩の箱が、その口を開け、中から何かが、大量高速にて撃ち出された。
「うっぐうっ! 」
あれは、そうか、電磁本締装置だ、芯棒に刺さった超硬ステンレスのボルトナットを、超高速で撃ち出す日常兵器……でもあんなの、映画でも見たことないよ。
「ラーズ! 」
「気にするな! 」
ああ、痛そう、両腕にナットが沢山めり込んでる……でも、あれを全部弾いたのか、並みの戦者なら穴だらけになってるよ、シャーリーくんは雑魚とか言ってたけれど、みたところラーズさんはかなりの腕前だよ? ひょっとしたらロボ君並みかも、でも、何で抜刀しないんだろ……あ、位置がバレちゃうとか? でも、このままじゃジリ貧だよ、あんなの続けられたら腕がもたないよ。
「誘導圧が強い、逃げ道を封じられてる、サクラ様を抱えたままじゃ、振り切れない……戦う方が、いいの? 」
イムエさんの独り言には、焦りの色がありありと窺える。ラーズさんの方は、第二射を受けて、もう腕がグズグズになってしまってるよ、どうするの、戦うの? 逃げるの? ……いや、いま決めるのは私だ。
「い、イムエさん、戦って、あのままじゃ、ラーズさんがやられちゃうよ! わ、私は逃げないから、話なら後で聞くから、約束するから! 」
ぐいっと一度、唇を噛み締めたイムエさんは、私を地面に降ろすと、後ろに退がれと言わんばかりに、ひらひらと手を振って……ん? いや、これ先端呪術だ、準備動作か。
「ラーズ! 抜刀して! 」
イムエさんが、執行官に向けて手を突き出すと、街路の石畳がめくれ上がり、黒づくめの目標に向かって飛んでいく。石弾は簡単な呪術で、大した効果は無いだろうけど、これは彼女が言うように、ただの牽制で、ラーズさんに抜刀させるのが狙いだろう。
「あっ! 」
しかしね、それを口にしてしまうのはどうかと思うよ、いや、それすらも作戦の内で、高度な駆け引きってんなら凄いけどね、ほら、黒づくめさんは間合いを詰めちゃったよ、ラーズさんに抜刀させないつもりだよ……あかん、なんかイムエさんは戦い慣れてないっぽいよ、そういえば執行官もこっちは気にしてないっぽいし……ぐぬぬ、こうなれば私が距離をとって、イムエさんに抜刀してもらわねば。とにかく、どちらかが抜刀してしまえば有利になるだろう、執行官が何者なのかは分からないけど、お役人なら騎士じゃなくて戦者のはずだもんね。
ぱたぱた、と私は戦場に背を向け、とりあえず近場の街路樹に身を隠そうと走るのです。イムエさんの腕前は知らないけれど、ロボ君みたいに静かな抜刀なんて出来る筈もない、彼のは特別だもん、至近距離で巻き込まれたら、普通に吹っ飛ばされちゃうよ。
「はい、確保っと」
「え、ふわっ!?」
突然に私は担ぎ上げられる。え、なんだ、誰だコイツ! 逃げ込もうとした街路樹の後ろから、なんで、いや、こいつ、この黒いぴっちりスーツにヘルメットは!や、やられた、こいつら、最初から、こうするつもりだったのか、あばば、まずいよ、ヤバイよ、これどうすんの、た、助けてロボ君!
「執行官どのァ! あとはお任せしますんで、よろしく……あれ? 」
「あれ? じゃありませんよ、ああ、あれですか、あの黒いのと知り合いでしたか、なら諦めてください、運が無かったんですよ、あと、イラつくんで、汚い悲鳴はあげないでくださいね」
ん? あ、あれ? 私、新ぴっちりに抱えられて……あれ、なんで? こっちに抱えられてんの?
「し、シャーリー、くん! だ、だいじょうぶむっ」
「イラつくんで、黙っててください、僕はね、今ね、どうやって、あの黒いのをね、擦り潰そうかと、悩んでるんですよ、忙しいんです、分かりますか、分からないでしょ、サクラ先輩は馬鹿だから」
あ、良かった、なんか大丈夫そうだ。
「あ、あれ? なんで、なんでオイラの胸に、あな、穴、空いてんの? あれ? ……ひ、ひ……」
「お前じゃないです、紛らわしいから消えてください、あとうるさい」
いや、まだうるさくはないよ? なんかせっかちになってない? ……でも、なにか微妙にキャラの変わったシャーリー君が、そのたおやかな指を振ると……いや、たぶん振ったのだろうけど、全然見えないんだよね、私には……どんっ、と、新ぴっちり君は弾き飛ばされてしまったのです……頭だけ。
なにそれこわい、もしかして百歩神拳? あわわ、ばーちゃんの得意技だよぅ。
「……あー、頭痛いから、考えがまとまらない……もう、いいや」
う、うん、凄い血ぃ出てるもんね、シャーリーくん、ほんとに大丈夫? あのね、もうね、ゆっくり休んでてもいいよ? ほら、可愛い顔が台無しだよ、べっとりだよ、変なとこ割れたスイカみたいになってるからね、うん、だからちょっと落ち着いて。
「ぜんぶつぶそう」
……あの、シャーリー先生、私はぜんぶに入りますか?




