尿、かな?
誰しも経験あるとは思いますが、私も小さな頃は、よくお風呂で潜水とかしてました。おばあちゃんには、落ち着きがない、とか言われて怒られてたんだけど、やっぱりね、楽しかったよ、というか今でも、たまにするんだけどね……でも、これは別、これは、そんなんじゃないよ、全然違うよ。
「ぶくっ、もがぐっ、ご、こぼっ! ごぼっ! 」
ああっ、慌てて気管に入れちゃった! 貴重な酸素が……く、苦しい、これ、ほんとダメ、怖い、お風呂で息止めるのが楽しいなんて、それは、あくまで『いつでも呼吸できる』からなのだ。そういえば、どこかで聞いたことがある、最も苦しい死に方は、焼死、そして、その次が溺死だと。
決して上がれぬ風呂の代わりにか、そんな考えだけが、次から次へと脳内に浮き上がり、その、あまりの恐怖に、じわり、と温かな液体が漏れ出してくる……恐い、怖い、こわい。まるで、自分の死がカウントダウンされているような感覚、これ、何分もつんだろう……いや、何十秒? というか、今、何秒くらい経過してんの? 分からない、こわい。
ばくばくと早鐘を鳴らす私の心臓は、今も大量の酸素を消費しているだろう、いかん、落ち着かなきゃ、じっと、耐えて……耐えて、それで……どうなる、の? ……こわい、よぅ。
「ぶぐぐぅ」
少しだけ、みっともないとは思ったのですが、私は、目の前にあるロボ君の身体に、がっちりと、しがみ付いてしまったのです。彼の温もりに、僅かでも縋りたいと考えたのです、それで、この不安が拭えるならと、少しでも早く、この恐怖が終わるならばと、そう思っていたのです。
正直、終わったと思いました。だから、ロボ君が、私のあごを、くいっ、と持ち上げたときにも、ゆっくりと、その顔を寄せてきたときにも、ああ、彼も同じ考えなのだな、としか理解していなかったのです。
……まぁ、仕方ないよね、今生のお別れだもん、こんな非常時にアレだけど、どうせ死ぬなら……その、なんだ、少しでも、こう、良い感じにさ……うう、やだよう、こんな事なら、もっと……もっと? ……なんだろう。
端っこに傷の入ったロボ君の唇でしたが、それは、意外な程に柔らかくて、温かくて……嫌なのです。
やだ、やだよ、やっぱり死にたくない! ばかばか、ロボ君の馬鹿! なんでだよ、なんで今更こんなことするんだよ、余計に苦しくなっちゃうじゃん、こんなのやだ! 私、まだ、もっと一緒に……私は、わ、わたしは、ロボ君のこと。
にゅるん。
「もごっ!?」
な、なんだ? これ、なに? 舌? 舌入れたの? おいこら、調子のんな、誰がそこまでやれっつった! 思い出づくりにも程があんぞ、野球場の砂か! 雰囲気ぶち壊しやろ! ……う、うえ? なに、なに? 今度はなんだ? 息?
しゅごう、と、ロボ君は、私の肺にダイレクト、息を吹き込んできました。一瞬だけ、胸が膨らんだかと思った程の圧力なのです、このやろう、屋台の風船マシーンか、破裂したらどうすんのさ、あのね、ロボ君には一度ね、女の子の扱い方ってやつをね、本気で指導して……あ、あれ? ……苦しくない、なにこれすごい、人間ボンベか。
ぽんぽん、とロボ君に背中を叩かれた。彼は顔の前で、人差し指をぴんと立て、それを私の口に押し付けるのです。あ、吐き出すなって事? ……う、うん、分かった、貝になる、トコブシからアワビにランクアップするよ、だから大丈夫、もう少し頑張れるよ……ありがとう、ロボ君も頑張って! あ、ハナコさんはいいです、何するつもりか分かってますからね、がっちりガードやぞ!
「……なかなか、面白い見世物だったけど、それでどうするんだい? 何か打開策でも見つかったのかな? こっちはいくらでも待つつもりなんだし、まぁ、色々と試してみるといいよ」
くそう、なんか腹立つ、余裕かましちゃってさ、というか、何が腹立つかっていうと、私の初……ぐぐ、よく考えたら、全部見られてたのか……ぐわー、恥ずかしい! なんか納得いかない……やり直し! やり直しを要求します! こんなアレじゃなくて! もっとこう、ムードのある感じで! 夜景とかお願いします。
にゅぽん、と、ロボ君と私を繋ぐスライムが千切れ、彼はケンに向かって歩いて行きます。うぅん、任せとけ、とは言われたけれど、どうするつもりなんだろ、このスライムがある以上、いくら騎士でも素早く動けないし、切っても跳ね返されちゃうよ……ロボ君、どうすんの。
ゆっくりと太刀を持ち上げ、ロボ君は切っ先をケンに向けるのですが、当然ながら、相手は余裕綽々なのです。ちくしょう、ムカつく、殴りたい……あんなのを大人だとか思ってた、自分自身をね。
「ううん、正解には近いかな? 這い寄る水はね、急激な負荷には反発するけれど、そうやって、ゆっくり動けば、普通の水と変わりない……でも、それじゃあ斬れないかなぁ、私だって、案山子じゃないんだから……」
ぱんっ。
突然、何か、風船が割れたような破裂音。いや、今の比喩は正しいだろうか、何故ならば、ロボ君の身体を覆っていた水風船が、跡形も無く霧散してしまったのだから。ありゃりゃ、ケンってば目を剥いてるよ、いい気味だ、でも、うん、私も剥いてるから五分五分だな、ちくしょう、なんか悔しい。
「なん……だと……今のは、なんだ……まさか『金剛』? いや、しかし……そんな」
しかし、ケンが驚くのも無理はないだろうか、だって、金剛なら私も知ってるけどさ、あのスライム、全身にまとわりついてたんだよ? あんな風にはじくなんて……指先どころか、耳の中から、それこそ髪の毛の先まで超振動させなきゃいけないじゃん、普通は腕だけでしょ? 違った? いや、ハナコさんもビックリしてるから、そうなんだろね。
「さ、終わりだぞ、色男」
ちゃきっ、と太刀を構えたロボ君に、ビーチボールが飛んできたのですが、やはりそれも、彼の目の前で消滅してしまうのです。
「ち、違う……こんな未来は、認めない……私は、アンネと、添い遂げる、これは運命だ……だった筈だ! 神は、そう、言っていたんだ! 」
「お前も知ってるだろう……神さまは今、休業中だ」
ぷん、と一閃。
貝になった私は見てなかったけれど、ごてんっ、と何かが落下した音と同時に、この忌まわしいスライム達は、ただの水に戻ってしまったものか、じゃばじゃばと流れ落ちていきました。
「……ぶはぁーっ! お、おいし、空気が、美味しいよぅー」
はしたなくも地面に大の字の私は、ずぶ濡れのままに、この甘露なる酸素を胸いっぱい吸い込むのです。早速に血槍を抜き取り、ぎゅうぎゅうと、私の傷口を縛るハナコさんは、でも、少しだけ不満顔でしょうか……いや! これはフェイントだ!
「そうは! させないよ! 」
第六感の発動した私が、重ねた手の平で、がっちり唇を守ると、短く舌打ちするハナコさんはしかし、構わずにそれを押し付けてくるのです。なんやこいつ、加減知らずの大型犬か! えぇい、離れろ! ハウスハウス!
「何故ですか! わたくしにも権利はあるはずです! いいえ、あるに決まっております、これは浄化、そう、お清めですわ! あのけだものの不浄な唇から、サクラさんの魂をお守りする為の! 儀式を! 」
「いいから離れろ、先に手当てと片付けだ」
ハナコさんの襟首を掴み、ロボ君は片手で彼女を吊り上げてしまいました。やったぜ、助かったよ、なんなら今のが、一番危なかったまであるからね。
それでも、じたじたと暴れるハナコさんであったのですが、そこは、こう見えて良識ある彼女のこと、最後に一度、大きく溜め息を吐き出すと、仕方ありませんわね、と立ち上がり、その濡れた灰金髪をかき上げるのです。うぅん、相変わらず色っぽい……水も滴る良い女だね、制服もぴったり張り付いちゃって……なんという、ぼいんぼいん……おのれ。
「……ちなみに、これは興味本位、ええ、あくまでそう、興味本位の質問なのですが、辛島さま……どのような、お味がしたのでしょう、サクラさんのくちびるは? 」
おい、しばくぞハナコ。というかやめろ恥ずかしいから、せっかく考えないようにしてたのに! うわ、うわわ、いけない、顔が、かおが! こんなことしてる場合じゃないから、早くオーセン先輩を保健室に連れて行かなきゃ! はい、やめやめ! みんな動いて、もたもたしてらんないからね!
「味? そうだな……」
こらーっ! 考えるな! 思い出すな、やめ、やめろ! やめてってば! 決まってんだろ! 初キッスやぞ! レモンとか柑橘系や! 決まってんだろ、もしくは甘い感じや! フローラルでスウィーティーに……決まってるよね?
「尿、かな? 」
は?
え、は? なに、なに……言って……え?
い、嫌ああああァーッ!!!!!




