いっそ殺してくださいまし!
人間、自分が疲れてる事には、案外気付かないものです。ふと、目を覚ませば、空が明るくなっていた、なんて事も良くある話なのです。
身体が資本だもんね、無理は良くないよね、おっけおっけ。
はい、目を覚ましたら二日も経過していました、佐倉サクラです、またよろしくね。
ううん、でも、この快適装置から足抜けするのは無理かもしんないね……もうね、お外出たくないの、このまんまプカプカとマンボウの如く生きてゆきたいの、クラゲが主食で構わない。
そんな事を考えながら、ぼんやり水面を下から見上げていると、浴槽の縁に黒い人影が現れたのです。……ふむ、釣り人を見上げるお魚は、こんな感じなのかな? ふふ、でもね、私は手強いぞ? そう簡単に釣り上げられると思ったら、大間違いなのさ。
ざばっ。
「サクラ、いい加減に起きろ、治療費が億を超えたぞ」
ぐわーやられたー……あ、ロボ君か、おはよう。おのれ、しかしなんて奴だ、こんなか弱い乙姫を、強引に水揚げするなん……んん?……いま、なんて!?
「あ、あばっ! あばばばっ! 」
え、えらいこっちゃ! えらいこっちゃで! 億? いま、億って言ったよね? あわわ、働かにゃ、いやいや、そんな金額、返せるわけないじゃない! マジか、どうする、お風呂からお風呂へか、身売りか、ドナドナするしかないんか、やだよ、私、お嫁には綺麗な身体で行きたいよ。
ばちゃばちゃと、全裸で溺れる私は、先日聞いた説明にも、自分の口座の膨大な預金額にも、バスタオルを差し出しながら、目の前で微かに笑うロボ君の顔にも、まるで気が回らなかったのです。
「……良かったな、今回の騒ぎの口止め料で、支払いは学園持ちだそうだぞ」
「は! へあっ!?あ、そ、そう、だった……うう、もぅ、脅かさないでよ……もぅっ、わた、し、いま、本気で……ほん、き、で……」
あれ、ちょっと待って、なんかおかしいぞ?
ワタシ、ゼンラ、ロボクン、ダンシ。
……おかしいよね、これ。
おかしいよね! おかしいってば! いやいや、何してんの! 嫁入り前やぞ! 柔肌やぞ! あ、こら、へんなとこ触るな! くすぐったい!
「こら、じっとしてろ、このまま定着機に入るからな、それと、折れたところは後で固定するから、まだ動かすな……ん、よし、うしろ向け」
「あ、え? う、うん……あり、がと? 」
……あれれー? これ、ひょっとして、私がおかしいのかなぁ? そうかな? まぁ、治療だし? 手当てだし? 恥ずかしがる方が、おかしいのかな? そ、そうかな、そうかも、なんだ、良かった、ノーカンだね、セーフセーフ。
「おかしいでしょう!!」
そのとき、どがん、と滅菌ドアを蹴破り、ハナコさんが現れた。目にも止まらぬ速さで治療機に駆け寄ると、ロボ君からバスタオルを奪い取るのだ。
「辛島さま! おかしいでしょう! 何故、あなたが! ここに居るのですか! サクラさんはお疲れの様子だと言ったでしょう! もうしばらくそっとしておこうと、わたくしは、言いました、えぇ、確かに言いましたとも! 信じられません! 女性の、それもサクラさんの柔肌を、舐めるように嫌らしく、ああ、汚らわしい! わたくしに内緒で堪能しようなどと! 許せません! この、変態性倒錯者!!」
そ、そうだよね! やっぱおかしいよね? そうだそうだ! もっと言ってやれ! だがなハナコよ、その台詞はロボ君の方を向いて言おうね、荒げた息がキモいから、というかタオルよこせ! マッパやぞ! ちくしょう、恥ずかしがるタイミングを逃しちゃったよ、リアクションに困るだろ。
「相変わらず煩い奴め、どうせ見るんだ、後か先かの違いだろうに……そもそも、華村は、サクラを甘やかし過ぎだ、金は無限じゃないんだぞ、教育に悪いから、すっこんでろよ」
オカンか! いいから出てけ、というかちょっとくらい照れたりしろよ! なんやこいつ、ノーエロスか! もう少しガツガツこいよ! 逆に傷付くわ!
「……やはり、辛島さまとは、協力できません……わたくし達は、相容れぬ存在……水と油……牛丼とカツ丼ですわ……」
なんだその例え、おかしいぞ、相容れるだろ、仲良くしろよ、どっちも美味しいんだからさ……ん? カツ丼? いつ食べたの? まさか、私を置いて丸家に行ったのか! ずるい! なんやコイツら、ホントは仲良いだろ。
「いいか華村、よく聞け、これは、お前に対する罰だ……今回のお前の失態はな、腹を切った程度で許される事じゃないからな」
「な、なんですって!?」
あ、なんか分かった、もう分かった、これ、ハナコさんが騙されるパターンだよ。
「お前は、怪我が完治するまで、サクラの世話する事を禁止する、それが罰だ、ほら、分かったらタオルよこせ」
「な、なな……がっ、ぐうぅぅっ! 」
あ、崩れ落ちた。そこまでか、泣く程のことか、まぁ、腹切りよりはマシだけどね、うーん、ロボ君なりに気を遣ったのかな? けど、ちょっとかわいそうな気もするよ……あ、バンザイですか、はいはい、もういいや、なんか諦めた、マンボウからのマグロやぞ。
バスタオルで巻かれた私は、いつものようにロボ君に抱えられ、ドナドナしてゆくのです。最後にちらりと見えたハナコさんは、床に崩折れ涙を流し、その背中を震わせていました。
その長い灰金髪は涙の河よ、負けるなハナコ、明日があるさ、でも、もう少し自重してもいいんだよ? というかしようね?
「いっそ殺してくださいまし!」
悲痛な彼女の叫びは、夕暮れの校舎にこだまするのでした。
いま何時かは知らないけどね。
ワハハ。




