0016 市場 #01
* * *
「ここは閉じた世界なのよ」
大きなパンをちぎりながらレグが言う。
両手で抱えるくらいのサイズのパンの、パリッとした皮が音を立てて裂かれ、練り込んであるナッツの香ばしい匂いが周囲に広がった。
晴佳は唐突な言葉の意味を捉えきれずに、目をしばたたかせる。
「閉じてるって? 何が?」
「ハルは『ソト』の世界の人らしいから、あたしたちの歴史とは違うんでしょうけど、ここは――あの太陽を見てもわかる通り、世界が閉じているの」
レグはうなずきながらそう説明すると、更にひと口大にちぎったパンを、美味しそうに頬張った。
「いや、あの」
――まてまて、太陽を見ただけで何故、閉じてるだの開いてるだのと理解できると思ってんだ? そもそもなんの喩えだよ。ゆとり教育で育った現役高校生なめんなよ?
「なに? ソースいる? 多めが好みだったかしら」
レグは小さく細長い瓶を晴佳に取ってよこす。
照り焼きのタレに似た甘い匂いがするソースは、肉料理に掛けるものらしい。
先ほど、晴佳の皿にもジェラーノが掛けてくれていた。
晴佳はソースを受け取ったが、首を横に振った。
「――すまん、そこじゃなくて。レグが何を言いたいのか、俺には全然わからないんだけど」
「え? どうしてわからないのよ? どこから?」
レグが困惑する。
「どこからって……最初から?」
「どうしてわからないのよ?」
レグはもう一度繰り返し、心底不思議そうな表情になった。
晴佳たちはゆうべと同じ席で朝食を摂っている。
宿の朝食は、大小のパンが数個と、500グラムはありそうなハムステーキのような肉の塊、それから芋と塩漬け干し肉と木の実のスープだった。
飲み物はこのスープと、あとは水らしい。
量はともかくとしてメニュー的には、これに加えて牛乳や卵料理のひとつも欲しいところだった。
だがこの世界では果たして乳牛や食用の卵というものがあるのかどうかは、まだわからないのである。
食堂兼酒場のホールは、昨夜と打って変わりしんとしていた。ゆうべ、大勢の男たちで賑わっていたホールの中央付近は、テーブルも椅子も端の方へ片付けられ、あとは掃除を待つのみといった様子になっている。
大きめの窓から光が刺し込み、窓際で埃がキラキラと漂っている。
その中で、晴佳たちの使う食器の音ばかりが響いていた。
レグ曰く、地元の住民の朝食は、自宅か市場で摂ることが多いらしい。
そして泊り客のほとんどは先を急ぐため、もっと早い時間に朝食を済ませるのだという。
レグたち『第十二の領主付きの騎士団』には幼女がいるために、市場では滅多に朝食を摂らないらしい。そして、他の旅人たちよりもゆったりとした日程で動いている、ということだった。
だから今ここは、ほぼ晴佳たちの貸し切り状態になっている、というわけだ。
「例えばね?」
晴佳の向かいに座っているジェラーノが、バターロールのようなパンをひとつ手に取った。
「童話の絵本に出て来る『ソト』の世界っていうのは、こう――」
ロールパンの表面をくるりと指先でなぞる。
「こっち側に人とか動物とか森があって、みんなここで暮らしているの」
「うん」
地球はそんな感じだよな、と考えながら晴佳はうなずく。
どうやら、ここではその形を『ソトの世界』と呼ぶらしい。
――じゃあ、『閉じてる』って?
「ちょっと待ってね」
そう言うと、ジェラーノはロールパンの側面をちぎり始め、中身の部分をほじくり始めた。
――それ、俺も小さい頃食パンとかでやったけど、ぜってー叱られるパターンだよなぁ。
皿の上に一回り小さい白いパンの塊を落とすと、ジェラーノは満足気に微笑みながら、ロールパンの穴を晴佳の方へ向けた。
「これが、今あたしたちが住んでいる『ナカ』の世界、の形」
「……んん?」
どうやら、ただ遊んでいたわけじゃなかったようだ。
ジェラーノは皿に落ちたナッツの欠片を細いピックで刺し、パンの空洞の真ん中でくるくると回す。
「あたしたちはこのパンの中にいて、中心にあるのが、ここの太陽なの。だからこの世界は閉じてるの」
そう言ってジェラーノはにっこりする。
「ってことはあれか、ここってスペースコロニーみたいなもんなのか」
晴佳の頭では早速、宇宙を舞台にしたSFロボットアニメのオープニングが流れ始める。今思い出しても非常に燃え上がるアニメだ。
ついでに名場面などを思い出し、その勢いで鼻歌を鼻ずさみそうにもなった。
「すぺーすころ……?」
ジェラーノの遠慮がちなツッコミ、もとい素朴な疑問のつぶやきで、晴佳は我を取り戻す。
「あ、いやなんでもない。今のは独り言ってことにしといて――とりあえずなんとなく理解した」
――おにぎりで例えるなら梅干しが太陽か……にしても、なんであれが落ちて来ないのかは謎のままなんだけど。
まぁ、少しずつ覚えて行けばいいさ。
今更焦ったところで、なんの足しにもならないんだ――少なくとも、俺はレグたちに拾われてラッキーだったに違いない。
そう考えながら、晴佳は大きめに切り分けたハムステーキにかぶりつく。
「このパンにはリンゴのジャムが合うのよね」と言いながら、ジェラーノは白い陶器の入れ物を取り、ひとすくい取った塊をパンの空洞に塗り込んだ。
「リンゴがあるんだ」
実は自分が知っているリンゴとは違うかも知れないが、それでも似たような果物なのだろう、と晴佳は考える。
「あたしもリンゴジャムほしい」
ウィーテに催促されてレグがジャムの入れ物を渡すと、ラフィが受け取りパンに塗り始めた。
どうやら人型になったラフィは、ウィーテの世話をする係らしい。
かいがいしくも、今度はハムステーキを小さくひと口大に切り分けている。器用にナイフを使う姿は、昨日のモップと同一人物には見えなかった。
ウィーテとはまるで双児のような外見だが、実際はラフィの方が年上なのかも知れない、と二人の様子を眺めながら晴佳は考える。
しかしラフィの口数はウィーテよりもずっと少なく、愛想もあまりなかった。
おまけに、どうやら晴佳はラフィに好かれていないようである。むしろ少し嫌われているような気さえして来る。
初めのうちは、一瞬でも裸を見てしまったせいかと考えたが、ここの常識ではそれは恥じ入ることにはならないのだった。とすると、他に晴佳が嫌われる要素というのは、昨日の約半日の間のできごとのどれか、ということになる。
――ローブを借りちゃったからかなぁ……でも、ラフィがこの姿で旅を続けるんだったら、俺はこれからはどうしたらいいんだろう。
ローブの生地は、それ自体が温度や湿度の調整をしてくれる、特殊なものらしいのだ。そう言われて思い返せば、歩いていた時よりも森にいた時の方が、蒸し暑さが酷く感じられていた。
つまりローブを着用していないと、あっという間に熱中症になるかも知れないということになる。




