八:たったひとりを守るための、第一撃
「……り、りお……?」
暦の言葉に璃桜は返答しない。苦しそうな息だけが、暦の耳に届いた。やけに重たい璃桜を抱き起こそうとして、暦は手を伝うぬるい液体に気づいた。
鮮やかな赤い液体が、 自分の手を汚していた。
「……な、にこれ」
自分の血ではない。これは璃桜の血だ。改めて璃桜を伺う。背中に深い穴が空いていた。
ひゅっ、と暦の息がのまれる。鉄の臭いが鼻を刺激する。心臓の鼓動が早鐘を打ち始める。さあっと血の気が引いて来た。体が冷える。手が小刻みに震えている。
璃桜が、あのロボに刺されたんだ。それを理解した途端、暦はこの上ない恐怖に支配された。
そしてその恐怖が、もうすぐこちらに向かってくることも、わかっていた。
(どうしよう……。動けない、あんなの倒せない。刃物なんてかわせない……。何で、どうやって、こわい、こわい、こわいこわい!!)
右手にはかろうじて拳銃が握られていた。でも引き金を引く力がするりと抜けて行く。立ち上がる気力もなければ、璃桜の腕から抜け出す力もない。
恐怖に涙がこぼれてきた。歯の根が合わずがちがちとぶつかり合う。あんなの勝てない。ただの高校生に、あんなおかしな機械を壊せるわけがない!!
「こよみ」
「……っ?」
璃桜が再び暦を読んだ。目を覚ましたわけではなかった。ただのうわごとに過ぎなかった。
そのうわごとでさえ、璃桜は暦のことを思っている。璃桜の掠れた声が、暦の耳に届いた。
――にげろ
暦は、強烈な既視感に襲われた。似たような経験がある。
自分を抱きしめて、暴走したロボから守ってくれたひとがいる。
その人も今と同じように、暦を最後まで心配してくれていた。
(母様)
暦の母は、暦を庇って死んだ。暦は庇われて生き残った。
その時の、旧式ロボへの恐怖心と、母親の温かさの記憶が鮮明によみがえった。
暦の瞳が揺れる。手は相変わらず震えている。
また同じように、自分を守ってくれたひとを、失うんだろうか。暴動事件の時の母と同じように。そして自分も甲斐なく死んでいくんだろうか。ここに父はいない。頼れるのは、たった一丁の拳銃と、一振りの採取用ナイフだけ。
また同じように奪われるのか? ロボに殺された母と同じく、璃桜をロボに奪われるのか?
それを許すのか? できるのか? 頭の中で、もう一人の自分にぐるぐると問われ続ける。
「……ない」
暦の声は、もう震えていなかった。
「いいわけがない!!」
暦は勢いよく起き上がり、片手だけでロボに向かって発砲した。今更ながら、肩への反動は本当に軽い。これなら片手でも撃てる。より正確に撃つには、両手でなければならないだろうけど。
片目のロボと、目が合った。たったひとつの眼球に睨まれているだけなのに、暦の中に恐怖はまだ残っていた。
逃走を邪魔した小さな球体ロボたちは、幸いにしてもうまともに動けない。
足元に転がった球の残骸をひとつ拾う。小さな鉄球を持ち上げたような重量だ。
(これ、使えるか?)
暦は璃桜をそっと道の隅っこに避難させる。見たところ刺し傷は貫通していない。傷口を塞ぐ蓋がないから出血がひどい。スカートのポケットからタオル地のハンカチを引っ張りだして、傷口に押し付ける。応急手当には程遠い気休めだが、何もしないよりはましだろう。
拳銃を左手に、右手には鉄球を。
四番ロボの右手には、血を滴らす刃物が握られていた。うかつに近づいたら斬られる。ならば切っ先の届かない距離を保っていればいい。
ロボはタイヤをぎゅるぎゅる唸らせた。アクセルを踏み潰そうとしているこちらへ来られる前に、動きを止めるか、車の形を解除させるかしなければならない。
暦は鉄球をおもいっきりロボに投げつけた。運良くいい部分に命中するとは思っていない。とにかく何でもいいから、ロボを破壊するのが最優先だ。そのためならどんな物体だって罠だって使ってやる。
鉄球はロボのフロントガラスにぶつかった。小さな罅が広がる。ロボが怯んでアクセルから足(あるのだとしたらそれに通ずる部位)を離したようだ。タイヤのけたたましい音がやむ。
(もう動くな!)
すかさずタイヤめがけて発砲する。軽快な音が空に飛び散った。運良く二発当たったが、それでも車は動き続ける。幸運だったのは、相手が明らかにひるんでいるところだろう。むやみやたらと突っ込んでは来なくなった。
それなら、と暦は狙いを車の持つ刃物に向ける。刃物を無力化させれば、それだけ危険もぐっと薄くなる。
次はよく狙って。拳銃が唯一ともいえる武器だ、弾を切らしたらおしまいなのだ。
一瞬だけ息を止めて、精神を落ち着かせる。激情を抑えこんで、とにかく敵の武装解除に集中した。
暦はもう一度引き金を引く。刃物の切っ先をかすめた。狙いを少しだけ下げる。怯んでいるうちに二発目を!
(ここだ)
暦は迷いなく撃った。幸運にも弾丸はロボの手に命中した。弾を受けたそれは衝撃により思わず武器を手放す。
刃物は回転しながら虚空を舞う。その刃は空で姿を消した。ぶつんと何かが切れた音がして、存在そのものが魔窟の空間からなくなった。あの刃は電子データだったのか。暦は確信した。
武器や術式データというものは、データの一部を壊されると形を保てなくなって一時的に消去される。四番ロボの刃物は電子データだった。この事実が、暦の頭の片隅に引っかかった。




