二:物騒な話をタネにした強引すぎるドライブ
できることならこの男からも隙をついて逃げたいのが暦の本心である。だが今はそれができない。
暦が車に押し込まれて数十分後、車は高速道路を通ってしまった。何の考えもなしに車から飛び出したら別の車に轢き殺されかねない。サービスエリアへ止まる気配もなさそうだ。ここは大人しくしているしかない。幸いにして、端末や本を入れた鞄は手元にある。暦は今のところ諦めていた。
「さて、何から話そう」
男がしれっと言った。
「何から、って……。まずあなたは誰なの!? 何で私の父様の名前知ってるの!」
「大きな声を出さなくても聞こえている」
「怒ってるから声がでっかくなるんだよ! っていうか人の目を見て話してよ」
「走行中のよそ見は命とりだ。運転中でなければいくらでも目を見てやる」
(こういうところは常識的か……!!)
暦は腹の底で煮えたぎる憤怒を抑え込み、今ようやく、自分がシートベルトを着用していなかったことに気づいた。
「まずは自己紹介か。私は璃桜という。璃桜・ルブラン」
「りおう……? 東洋の人? それとも西洋?」
「生まれは東だ」
暦は遠慮がちに璃桜と名乗った男の顔を伺ってみる。目鼻立ちの整ったその顔の彫は浅い方だった。東、と国名をはっきり言わないあたり、生まれは日本ではなく近隣国なのかもしれない。だが言語に訛りはなく、流暢に喋っている。
「ご丁寧にどうも……。私は霧島の暦。知ってるだろうけど」
「ああ、きみのことは要からよく聞いていた。実際に会うのは初めてだが、少々驚いた」
「どうして?」
「思った以上に要によく似ていたから。要が髪を伸ばしたらそっくりきみになるだろう」
「いやいや、そんなまさか……。あ、でもそうかもね。父様って、年の割には結構童顔だから、実年齢よりかなり低く見られるって言ってたなぁ」
「だろうな」
「……で、その璃桜さんは、父様とはどんな関係? お仕事仲間?」
「その通り。立場上は要の部下だ」
男は暦の問いに淡々と答えていく。
「それで、どうして私を誘拐したの?」
「誘拐ではない。多少強引なドライブだ」
「それが誘拐だ! っていうか、私は父様とほとんど面識ないんだよ? 最後に会ったのだって確か……中等部の修了式の時で、ちょっとお話したくらいなのに」
「それを話すとなると少し長くなる。……順を追って説明する。それを信用してはくれないか」
男の声が柔らかくなる。その視線は前方に向かれたままだが、暦の感情的な問いにはきちんと答えてくれる。少なくとも逆上して暦を傷つけることはなかった。
それだけで信用、とまではいかないが、ひとまず暦は璃桜の話を聞くことにした。あの優男よりはだいぶ紳士的である――車に連れ込んだ一件だけは許せないとして。
「あっ、その前に一つ聞いていい?」
「何だ」
「さっきさ、おっきな男二人に、黄色っていうかオレンジ? の光みたいのを飛ばしてたけど、あれはなに?」
「電子術式の一種だ。簡単な発電術を起動して目くらましに使った。……きみには少し珍しいものだったか」
「ぁ……なるほど……。いや、学校の授業で聞いてたけど、実際には見る機会なかったから……」
暦は気恥ずかしげに言う。この時代、あらゆるものが電子化され、ある程度は気軽にダウンロードすることができる。電子化されたのは書籍や家具だけでなく、自然現象も例に漏れない。この電子化自然現象は、いわゆる魔法や呪術にも見えることから、電子術式と俗に呼ばれていた。
「……ほかに質問があるなら答えるが」
「ん、いや、今はいい。……あなたの話をまずは聞かせて」
「ありがとう」
さて、と切り替えて璃桜は続ける。
「説明する前に、暦。一つ私からも聞くが」
「何?」
「きみは、旧式ロボットの大規模暴動事件を知っているか?」
暦の息が詰まった。胸が締めつけられて、はいかいいえで済むその問いに即答することができなかった。
日本という国が成立して2700年以上経ったその時代。
暦や璃桜が生まれた年から半世紀ほど前から、日本の環境は良くも悪くも激変した。
紙幣、衣服、書物、食糧に自然現象生活必需品に武器などなど、この世に存在するあらゆるものが、電子化された『情報』として深く浸透した。
五十年ほど前から政府は、スマートフォン的機能を持つ電子端末を、全国民に無料で支給した。その端末は電話とメール、インターネットや電卓、アラーム、手帳機能、料金支払いだけでなく、端末内に国民一人一人それぞれに国民番号が登録され、納税や学歴職歴、いくつかの身分証明書をその端末一つにおさめることができるようになった。
電子書籍や代金支払いなどは古くから存在していたが、実際の紙媒体や硬貨を用いることがむしろ珍しくなったのはここ数十年のことである。
暦と璃桜の世代は、電子端末一つを携帯すれば欲しい物はいくらでも手に入る世界に育っている。紙の書籍は今や図書館や古書店でしか見かけなくなった。財布から小銭やらポイントカードやらを取り出す人間も珍しい。情報も新聞やテレビ、ラジオといったものは旧メディアとくくられ、近年ではそれらの流す情報の価値は薄れていっている。
端末一つあれば、銀行口座の開設や預金引き出し、身分証、電話にメール、定期券にチャージ、インターネットに各店舗への注文取り寄せ、行政サービスなどを受け取ることができる。
そして激変したもう一つが、ロボットの普及である。災害救助や介護補助、工場などで活躍するロボットはもちろんもともと存在していた。
しかしここ数十年の時をかけて、ロボットという存在は人々の日常に深く溶け込んでいた。
特定の場所や事態に活躍するロボットはよりその存在感を強めた。災害で生き埋めになった人を助けたり、人の手では伸ばせない火中の人間を救い出したり、津波に呑まれた誰かを受け止めたりと、活躍の場所は変わらないがそれがほぼ当たり前のようになっている。
そして日常ではデパート内の受付嬢などと一緒に、利用客に店内を道案内したり、はぐれた子供の面倒を見たり(これは保育所や子持ちの家庭に人気のロボであり、これらを利用するおかげで保育所の空きを待つ必要がなくなったと評判であった)、退屈な時は端末内に埋め込まれたコンシェルジュが話し相手になってくれたりする。いわば日常にロボットが共存する時代が迎えられたのである。
興味深いのが、日本人とロボットは理想的な共存ができているという点と、革新的な技術の集大成であるロボットにすべてを頼るわけではなく、古代から守られてきた伝統文化も残してきている点にある。
日本人はロボットという機械仕掛けの命との生活に抵抗を持たない。またロボたちを下に見ることはなく、彼らの助力あってこそ今の生活を享受できるという感謝の念が強い。
そして神社仏閣、舞踊に武道などの伝統文化は細々と、しかし着実に受け継がれ、誰も捨てられることはなかった。昔からこの国には八百万の数の神々が住んで、人間と共生している。人間とは違う種族の住人が増えたと、神々は喜んでいた。
――しかし、時代を経るにつれて様々な試行錯誤を繰り返した結果、過去の物として忘れ去られる技術もあった。
その技術というのもロボットだった。日本が歩んだ半世紀は、数えきれない失敗を繰り返して今の技術を編み出してきた。
そのいしずえとなった古いロボットたちはどうなったか――その歴史を、暦は身をもって知っていた。
「……使われなくなった旧式ロボは、その部品一つ一つを再利用するために解体するのが一番安全だった」
暦は助手席の窓から外を眺めつつ、そう話した。
「でも旧式ロボの数はかなり膨大だし、一口に解体するっていってもその時間は気が遠くなるくらい長い。トドメは、たくさんの人手とお金が必要だったってことだよね」
解体作業を提唱したのは主にロボ開発に携わる企業と政府である。短い時間ではあったが、自分たちを支えてきてくれたロボたちの最後の感謝の気持ちとして、ネジ一本ガラスひとかけらさえ無駄にせず、今の世代のロボ技術に活かそうとした職人の念からである。またそれが一番安全だとして、国民の安全を預かる政府は支援した。他には、たとえロボットという機械であっても命や魂は宿るものと認識している宗教関係者もその案には賛成していた。
反対したのは旧式メディアと、それに踊らされた国民だった。
「……で、当時の国民は旧メディアに煽られたんだよね。昔はテレビや新聞が幅を利かせてたって言うけど、本当なのかな」
「本当だよ。荒廃の一途をたどる旧メディアを見ている君には実感がわかないだろうがね」
「いや、だってテレビとか新聞ってさ、天気予報さえウソつくじゃん。……まあいいや。その旧メディアは旧式ロボ解体のためにかかる費用がどれくらいかっていうのを、もうこれでもかってくらい煽りに煽って、国民の不安を駆り立てた。たとえば一体のロボ解体であなたの生活がどれだけ圧迫されるか、とか、解体に関わる人たちはどれほど危険な作業を強いられるか、とか……。本当は国民に負担がかからないよう、政府はめいっぱい考えてくれてたし、技術者たちの安全確保も最優先して議論してた。でも国民はそういうの見なかった。ただ旧メディアのいうことをすっかり信じこんじゃって、解体作業は一度も行われなかった」
璃桜が車のラジオを切った。自動車に内蔵されている音楽・番組再生機器も進化し、今やラジオは完全に珍しいものになっている。
「そう。それで、結局強行された手段は何だったか覚えているか?」
璃桜は車道に視線を向けたまま、暦にたずねる。暦は一瞬目を伏せて、模範解答を言った。
「旧式ロボは……廃棄。ゴミ捨て場に捨てられた」
旧式ロボたちの末路はというと、今までのささやかな活躍の恩を仇で返されるようなものだった。
もともとあった廃棄物処理場を無理やりこじ開け、そこに無造作に投げ捨てられる始末であった。
これには政府や技術者たちが激怒した。今まで自分たちを支えてくれたロボに何という扱いだと。だが旧メディアと国民は、そんな言葉に耳を貸すことなどなかった。生活を便利にしてくれたとしても所詮ロボはロボ。それに命や心は存在しないとたかをくくって、これで生活は守られたと本気で安堵していた。
それが甘い認識だと気づいたのは、そう遅くなかった。
「で、そのツケは結構早く来ちゃった。旧式ロボに心が生まれたんだよね。運悪く」
「……」
璃桜は運転席と助手席の窓を少しだけ開ける。吹き込む強風が、暦の長い髪をはためかす。
「そのツケっていうのが、旧式ロボットの大規模暴動事件……。日本各地で、旧式ロボットが暴れまわった」
「そう……。地震や火山噴火、大嵐などの自然災害を受けてもそのたびに立ち上がってきた日本も……さすがにこれには対処が遅れた」
「うんうん。捨てられたロボットは瘴気に充てられて、負の感情が生まれてしまった。日本にはロボットのほかにも、昔から住んでいた妖怪とか幽霊とか、神様とかも普通に暮らしてる。私たちには視えないだけで。……その中には良いものもあれば悪いものもいて、処理場には悪い方のものが住み着いていて、捨てられたロボに取りついた。そして、捨てられたことに絶望したロボたちは……!」
暦の手がスカートの裾をぎゅっと握りしめる。小刻みに震えたそれに、璃桜の手が触れた。
「それ以上無理に言わなくていい」
「……。ごめんなさい」
「謝ることは何もない」
「うん……。でも言う」
璃桜の手が離れた。
「旧式ロボは怒りと憎しみに心を支配されて、誰彼かまわずおそいはじめた。熱線とか電気ショックとか、火炎放射器に圧殺その他もろもろ……。自衛隊の出動も遅れて、消防隊とか警察とか機動隊も当てにならず、民間人は暴走した旧式ロボに殺されまくった」
暦の声は淡々としている。目線は窓の外。璃桜の方や前方に向きはしなかった。
「私の母様は、私を庇ってロボに殺された。それを助けてくれたのが父様だった。……うーん、ここは蛇足かな」
「そんなことはないさ」
「ありがとう。……で、その旧式ロボの暴走は現在も続いてて、ロボを人々の暮らす街にいれないようにすることで一応安全は確保された」
その安全確保というのが鳥居という結界である。鳥居を街と街の境界あちこちに建て、旧式ロボットたちの侵入をふせがせた。
鳥居を配置したことで、神々の恩恵を借りることができ、暴走した旧式ロボと人間たちを完全に隔離させることに成功した。数年間、日本を恐怖のどん底に陥れた脅威を完全隔離するのにまた数年の期間と膨大な資金を費やした。誰も好き好んで鳥居の外を出たがらない。出るとしたら、その旧式ロボを破壊するもの好きくらいである。
鳥居の一歩外は、『魔窟』と称されるようになった。旧式ロボのほかに、昔から住み着く魔物が蔓延っており、一歩踏み出せば彼らに食われるか壊されるかの二択しかないのだから。この魔物は神々の時代から存在しており、血や汚染、負の感情といったマイナス要素――これを俗に穢れと呼ぶ。これらを好み、廃棄された憎悪に取りつかれた旧式ロボのうごめく場所に自ら乗り込んだ。魔物たちは『異形』と呼ばれ、魔窟で息をひそめて穢れを求め彷徨っている。
この歴史を暦は初等部と中等部の近代史で学んでいた。また同時に、その暴動に巻き込まれた経験もあって、少なくともその部分だけは完璧に答えられる。
「……あなたの言っていたロボ暴動の事件、こんな感じで合ってる?」
「上出来だ。近代史の成績は心配なかろう」
璃桜は淡々と答える。車が道路から一旦外れる。
「一度休憩するぞ」
そうして、暦はようやく車から出ることができた。