7話 尋問
「人間がなぜここにいる?」
人間と答えた瞬間に明らかに強張った雰囲気と、痛いほどに力の入った方に乗せられた大きな手、後ろから低く唸るように吐き出された声にびっくりして振り向くと、赤髪の男の鋭い視線にぶつかった。
―――私、何かした?
その鋭い視線が激しい敵意によるものだと見てすぐに気が付いたが、何が原因で自分がこのように憎しみを込めた激しい感情を向けられているのかはさっぱり分からない。このような強い視線に曝されるのには生まれて初めてで、その鋭さに気圧され自分の視線がとまどうように揺れるのが分かった。その揺れた視線は、戸惑いを多分に含みながら他の二人、つまり飼育係と美女の上で止まったが、赤髪の男ほど強いものではないが間違っても好意的とは解釈できない二人の視線とぶつかり、思わず逸らしてしまった。あまりの豹変ぶりに、敵意のこもった視線に対峙する気力が湧かず本能的に目を合わせることを避けたのだ。この一週間は精霊たちには自分に心地良い好意しか示されてこなかったので、それに慣れきった心は悪意や害意の類に簡単に折れそうになる。
「人間がなぜここにいる?」
繰り返された赤髪の男の言葉が強い感情に曝され麻痺した頭にゆるゆると入ってくるが、思わぬ展開に頭の処理能力が追いつかない。
―――なぜここにいるっていう質問だっけ?
パニックを起こし始めている自分を宥めるために、頭のなかで努めてゆっくりと男の言葉を反芻する。
質問の内容を理解した途端、自分の状況を思い出して言葉に詰まる。なぜ自分がここにいるのかはこちらが聞きたいことだ。というか、ここがいったいどこなのかもさっぱり見当がつかない。
「答えぬならば、少々手荒な方法に出ることになるが」
逡巡による沈黙を黙秘と判断したのか、赤髪の男の言葉がさらに低いものとなり空間に響いた。その声に、ぶるりと怯えたように震えてしまった自分を心の中で奮い立たせ、何とか口を開こうと唾を飲む。
「痛い目に遭いたくなかったら、知っていることを話すんだ」
しかし、発しようとした言葉は襲ってきた衝撃に最後まで口から出ることはなかった。
目の前の後ろに立った赤髪の男により自分の右腕を強い力で捻り上げられていることに気が付いたのは、ミシミシとありえない音が聞こえてからだった。
「あ…ぐっ…」
ギリギリと軋む肩と遅れて襲ってきた痛みに何とか痛みから逃れようとがむしゃらに暴れたが、男の手はまったく緩む気配もない。
「さぁ、どうしてここにいる?何が目的だ?」
他者を痛めつけるのに慣れている手だ、と頭の片隅で思った。耳元で低く囁かれるその言葉は先ほどまでと同様のものだが、赤い髪の男の手は一切躊躇いがない。
「し…らな……ぐっ…」
腕の痛みから逃れたい一心で搾り出した言葉は、爪を立てたかのように強くつかまれた肩の痛みより、最後まで口にすることができなかった。
「ふざけるな、人間風情が!!…お前らが、何の思惑もなくここに来ることなどありえないだろう」
履き捨てるような赤髪の男の言葉と同時に、つかまれた肩口から背中にかけて熱い何かが走った。
「あぁっ…」
自分の背中に何が起こったのか確かめようと、自由な左手で背中に触れるとぬるりとした生暖かい液体に触れた。ズボンの生地を伝ってその生暖かく粘度の高い液体がぽとぽとと床に流れ落ちていく感覚がする。
のろのろと振り返った視線の先には、赤髪の男の憎しみに満ちた眼差しがぶつかった。その緑がかった銀色の瞳孔は縦長に開き、爛爛と輝いている。もちろん、振り返ったところで腕の拘束が緩むわけがなく、背中がどうなっているかは分からない。が、次の瞬間燃えるような痛みが背中全体に走り、ようやく分かった。
背中を何かで深く傷つけられたのだ。
「う…あ…ぁ…」
転がりまわって痛みをなんとか紛らしたいが、未だに腕は捻り上げられたままで動くことができない。声も出せないほどの激しい痛みにただ呻く私の耳に、ため息が聞こえてきた。
「困りましたね」
なんとか声のしたほうに視線を向けると、青髪の美女が困ったように微笑んでいた。その横では金髪の男が汚いものを見るかのように眉を潜めている。
「あまり汚さないで欲しいのですが」
続いて聞こえてくる涼やかな声に、本能的に怒りと吐き気を覚えた。
―――なにコレ?
この人たちおかしい。
なんで、こんなことをするの?
なんで、止めないの?
なんで、笑って見ているの?
なんで、こんなことになってるの?
なんの権利があって、こんなことをするの?
なんで、抵抗できないの?
なんで振りほどけないの?
なんで、わたしには力がないの?
なんで、なんで、なんでと疑問がぐるぐると頭の中を回り続けながら混乱した心を不条理なものに対する怒りや憤りという激しい感情へと染め上げていく。そして、途中から彼らに対する怒りや憤りは理解しあえなかった悲しみや自分自身への憐憫、嘲りをも含んで大きく膨張し……そして不意にストンと心が穏やかになった。
出血の為か、ひどく寒くて体の震えを抑えることができなかったが、頭は今までにないほど冴え渡っている気がする。しかし、実際に何かを考えようとすると思考は鈍くなり、浮かんできた何かさえうまくまとまらない。まるで夢の中でプレゼンの質問に答えているようなふわふわとした感覚だ。
「女、正直に話せば助けてやらんでもないぞ」
すでに首を持ち上げる力もなく項垂れた私の顎を掴みながら、金髪の男が顔を寄せて威圧的に声を掛けてきた。その尊大な態度とは反対に、霞む目に映る男の黄金の瞳は何かに怯えるように不安げに揺れている。
目の前の男が不安そうにしている理由は分かる気がするのに、質問の内容をうまく咀嚼できない。身体はほとんど動かせないままになんとかゆっくりと首を傾げると、目の前の男はその金色の目を見張り息を呑んだ。
同時につかまれた腕が捻りあげられ、自分の左肩がゴキリと嫌な音を立てたのが他人事のように遠くに感じられた。見る間に全てが遠いもの感じられ、それまで霞みがかった視界はあやふやなものとなり、白い光の中に呑み込まれていく。
―――…死ぬのかな…
ぼんやりと頭の片隅でそう思ったが、心の中は悟りでも開いたかのように穏やかなものだった。