第11章 「レッド・ベルベット」
リファルは、いまだ止む気配のない雨を避けるため、人けのない高架下へと歩き続けた。
歩きながら、彼は自分のジャケットの左袖を乱暴に引き裂き、それを左腕の傷に巻きつける。
「はぁ……最悪だ……。これでどうやって家に帰れっていうんだよ……。こんな傷を見たら、母さん、きっと泣きながら説教してくるに決まってる……」
リファルはそうぼやきながら、刻まれた左腕の傷へと視線を落とした。
「おい、そこの君!」
突然、耳を震わせるほどはっきりとした女の声が響き、リファルは思わず足を止めた。
「ん?」
彼はすぐに視線を後ろへ向ける。
「あなた、どの部隊のスターダスト使用者?」
そう問いかけてきた女は、赤い髪を鳥の尾のように見える低い位置の団子に結い、左右の頬には前髪が自然に垂れていた。
紫色の瞳は、まるでアメジストのように妖しく輝いている。
その女の姿を認めると、リファルは一度大きく息を吸い、そして深く吐いた。
「はぁ……俺はこの街の住民だよ。今はただ家に帰りたいだけだ」
気だるげな口調で、そう答える。
「ん? 怪我してるじゃない。腕を出して。出血を止めてあげるわ」
女はそう言うと、リファルの方へ歩み寄ってきた。
「……もし、あんたにこの傷を治療させたら、あの出来事について質問されるのか?」
「ええ」
短く、即答だった。
「なら、帰ってくれ。俺はあんたたちの仕事に関わる気はない」
そう言い残し、リファルは背を向けて再び歩き出す。
「もう遅いわ。あなたが自分のスターダストを起動した時点で、すでに私の案件に首を突っ込んでるのよ」
女は、そう言い放った。
女のその言葉を聞いた瞬間、リファルは足を止め、振り返って怒鳴りつけた。
「はぁ!? 今なんて言った!?
あんたたちスターダスターズがもっと早く来ていれば、俺はこんな物を使わずに済んだんだ!
分からないのか!? あの時――」
その瞬間、脳裏に焼きついた光景が蘇る。
我が子の死を嘆き、泣き崩れる親。
倒れた親の遺体を揺さぶりながら、必死に名前を呼び続ける子供。
逃げ遅れた恋人を救えなかったことに怒り、絶望する者。
――そして、他にも数え切れないほどの光景。
「……あんたたちが間に合わなかったせいで!
俺はまた、これを使うしかなかったんだ!」
リファルはそう叫び、片方の頬を涙が伝い落ちた。
その頃、同じ場所。
黒い戦闘服と装甲に身を包んだ武装部隊が、高架の柱の影に身を潜め、すでにリファルを包囲していた。
「ターゲット、包囲完了。
中央本部からの次の指示を待ちます」
部隊の指揮官が、耳元に装着したワイヤレス越しに報告する。
『目標を引き続き観察しろ。
マヤからの合図があるまで、動くな』
中央本部にいる年配の男が、低く答えた。
その頃――リファルと女が向かい合っている、その場所で。
女は、リファルの怒号を浴びても微動だにしなかった。
まるで、いつでも獲物に飛びかかれる捕食者のように、ただ静かに立っている。
「……答えなさい。
そのスターダスト、どこで手に入れた?」
女は、冷え切った声でそう問いかけた。
「……」
「さあな。あんたたちに教えるつもりはない」
そう言いながら、リファルは右手をズボンのポケットへと差し入れる。
「動くな!
それ以上動けば、後悔するわよ!」
女が鋭く警告する。
「後悔?
遅いさ。俺はもう、とっくに後悔してる。
あいつらを救うために、これを使わなきゃならなかった時からな」
リファルはそう言い捨てると、女に背を向け、その場を立ち去ろうとした。
『撃て!
スターダストを起動される前に、今すぐ撃て!』
マヤのワイヤレス越しに、年老いた男の声が響き渡る。
その命令を聞いた瞬間、女を含む全員が一瞬、動揺と困惑を見せた。
しかし、彼らは訓練された兵士だった。
即座に感情を押し殺し、一斉に引き金を引く。
「何!? 本部!
今の命令は何よ!?
撃つな! 全員、撃つのをやめなさい!!」
女は耳元のワイヤレスに向かって叫ぶ。
だが――すでに遅かった。
突撃銃から放たれた無数の弾丸は、凄まじい速度で標的へと向かっていた。
「ジュウ……ジュウ……ジュウ……」
それは、まるで溶けた熱い金属が水面に滴り落ちる音。
放たれた弾丸はすべて、リファルの足元の濡れた地面に落ち、溶けていった。
その光景を目にした者たちは、言葉を失った。
リファルの身体の周囲には、燃え盛る炎の羽根がいくつも舞い、旋回していたのだ。
まるで、それらが主を守る意思を持つ存在であるかのように。
「なっ……!?
どういうこと!?
起動動作なしで、スターダストを……!」
「……いや、待って。そんなはずは……。
もしかして、最初から……?」
女は愕然とする。
赤髪の女は思い出していた。
リファルは最初から、スターダストを《スタンバイ》状態にしていただけだということを。
そして、先ほどから彼が使っていた言葉――
「“あんたたち”……」
「くそ……危険すぎる……!
まさか、最初から全員の存在に気づいていた!?
……それに、この人けのない場所……!」
その瞬間、女はようやく理解した。
罠にかかっていたのは、リファルではない。
――彼女たちの方だったのだ。
《スターダスト・アクティベーション・コンプリート》
振り返り、鋭い視線で女を射抜きながら、リファルは低く告げる。
「いいか。
俺は、お前が俺と同じスターダスト使用者だって分かってる。
だから、絶対に起動するな。
それから、全員に命じろ。俺につきまとうのをやめろ」
巨大な剣の切っ先を、女の顔へと突きつける。
「もう……十分だ。
これは、俺がこの武器を使う最後だ」
女は一瞬、リファルの瞳を見つめ、そして目の前に突きつけられた、燃え盛る剣の刃先へと視線を移した。
「……熱い」
女は、かすかにそう呟いた。
「チッ……全隊、武器を下ろせ。
作戦失敗だ。ミッション・アボーテッド!」
女はそう告げると、両手をゆっくりと頭上に上げた。
「で、ですが……」
女の背後に潜んでいた隊員の一人が、思わず声を上げる。
「“だが”はない!
まだ分からないの!?
あいつは最初から、私たち全員の存在に気づいていたのよ!
この待ち伏せ作戦は、開始した時点ですでに失敗していた……
私たちは、彼を甘く見すぎた!」
女はそう怒鳴り、背後へと振り返った。
「……」
その沈黙の中、別の隊員が女のワイヤレスに向かって報告する。
「えっと……目標、消失。
次の指示を待ちます」
目前にいたはずの青年の姿が消えていることに気づき、女はしばし言葉を失った。
そして、視線を上げ、次第に弱まり始めた雨を見つめる。
「……今は全員、中央本部へ帰投して。
上には伝えなさい。
通信が何者かに傍受、あるいは乗っ取られている可能性がある、と」
そう命じながら、女はスマートフォンを取り出し、素早く何かを打ち込んだ。




