追われた地位と守ってくれる場所1
侍女専用の食堂で、私はいくつもの冷たい目に晒されていた。
「あの、食事を」
ここに来てから何度目か分からない言葉を、何人もの料理人に掛ける。
だがその誰もが、私の事を拒絶した。
「王子様の婚約者に合う食事じゃないよ」
食事をよそっている女性が、私の顔を見てにやにやと笑っている。
今まで上の位にいた人間が自分より下の立場になったのを見れば、さぞかし嗜虐心をくすぐられるのだろう。
「もう婚約者じゃないです」
そう言いながら、私は浴びせられる屈辱に耐える。
何日か前に剥奪された称号に未練はない。
だがその恩恵に関しては、認識が甘かったと考え直さざるを得なかった。
(もう敬われる事はないと思っていたけれど、こうも虐められるなんて)
今までの私は何の主張もしない王子の婚約者で、役に立つ事はないものの邪魔にはなってなかったはずだ。
だから腫物扱いにはなるかもしれないとは思っていたが、虐げられるとは想定していなかった。
それとも、自分が気づいていないだけで何かしてしまったのだろうか。
(カーレクティオン様の威光をここで使ってしまってもいいけれど)
もちろんそれも考えなかった訳ではない。
だがそれの影響力が読めず、未だに奮う事はできていないのが現状だ。
(食事はもらえるだろうけど、フィーカに眼を付けられる可能性があるし)
何よりその程度で彼の威光を使うのはリスクが大きい気がした。
気性の荒い主でもあるし、面倒事は起こるにしても最低限で済ませたい。
「なんにせよフィーカ様から与えるなと言われてるんでね、ここにいても無駄だよ。さっさと帰んな」
(やっぱり、聖女の手がまわっているのね)
女性の言葉を聞いて、これ以上ごねていても仕方ないと空腹のまま外に出る。
追放されてから、もうそれなりの時間食事を取っていない。
(けれど、お店で購入するのは難しいわ)
王城からの出入りは警備の問題上、複雑な手続きを踏まなければならない。
いっそ戻らないつもりなら、問題ないだろう。
だが倉庫番に雇われてしまった今は、倉庫に戻る時間が掛かる方法は避けたい。
だからせめて策を練ろうと、宛てがわれた部屋に行ってみるものの。
(部屋も滅茶苦茶ね)
食堂で起きた事から想定はしていたが、自室は人為的に荒らされていた。
ベッドや服は切り裂かれ、壁には絵の具が撒き散らされ、絨毯は水浸しになっている。
(もう倉庫で寝泊まりした方がいいかもしれないわ)
食事のあてはないけれど、それは後で考えよう。
もうこれ以上、今は考えたくない。
それにもしかしたら倉庫に何かあるかもしれないし。
(元々食料庫じゃないから期待はできないけど、魔物の肉とかならくれるかもしれない)
この際、お腹に入るならゲテモノでも多少状態が悪くても構わない。
給料日はあるがだいぶ先なのだし、信用のない状態での前借りは可能なら避けたい所だ。
とりあえず従順に倉庫掃除とかをして、タイミングを見計らって切り出せばいい。
そう考えて、私は倉庫へと足を向けた。
「腹が減ってるのか」
(やってしまった)
気を紛らわせる為に倉庫の掃除をしていたら、確かに気は紛れたが体は正直だった。
要はお腹がなってしまったのだ。
(言い出すタイミングが掴めなかったのよね)
倉庫にカーレクティオン様はいたものの、元とはいえ王族である彼に食事の事を聞くのはいかがなものかと直前で思い至ってしまった。
おかげでお腹が空のまま、とりあえず掃除を始めてしまったのだが。
「食堂には行っていないのか。侍女の食事はそこで摂るはずだが」
腕組みしながら頭をひねっている彼の疑問は最もだ。
城の侍女がそこで食事をしているのは、見た事がなくても知識として知っていたのだろう。
だから仕方なく、私は白状する。
「手が回されて使えませんでした」
「なるほど、あの聖女か」
私の主人は察しが良い。
一応立場上、フィーカの悪口を直接言うのは避けたいので正しく勘づいてくれるのは助かる所だ。
「あの、もし倉庫に古い食べ物があったら」
「ちょっと待ってろ」
最後まで私が言う前に、カーレクティオン様が倉庫の奥へと姿を消す。
(これは、何か貰えるチャンス!?)
ようやく寂しくなったお腹を満たせる事に、はしたなく期待してしまう。
人間、原始的な欲求を満たす為なら恥など簡単に捨てるのだ。
「あの、これ本当に私食べていいんですか」
「くどい、その為に作った」
倉庫にある何かお腹を下さない程度の食べ物があればいいくらいに考えていたのに、偉くまともな食事が出てきた。
「俺が料理できるのが意外、という顔をしているな」
「いや、あの」
彼が敏いのか、私が分かりやすいのか。
私はあまり自分の表情に感情が乗らないと思っていたが、どうやら違ったようだ。
けれどカーレクティオン様は現在虫の居所が悪くないのか、怒る事もなく答えてくれる。
「錬金術ができる奴は大概できる、それに貴族の食事は毒が入る事もあるしな」
「なるほど、自分で作れる方が安心ですね」
確かに貴族、まして王族であれば毒殺の機会は十分あり得る。
ならば材料から自分で確認して作った方が安全なのは確かだろう。
「そういう事だ。他の王族は外面を気にして料理などしないがな」
(でも、彼は実利を取ったのね)
王位継承権を放棄したとはいえ、彼に関する噂は王族のものとして扱われる。
それでも彼は身の安全をとった。
そういう意味では、彼も私に近いのかもしれない。
「で、俺に雇われて良かっただろう?」
「そう、ですね」
ずいっと近づいてきた美しい顔に、食事の為に動いていた腕を一旦止めて頷く。
今の所、否定ができない。
「あ、じゃあ福利厚生ついでにここで寝ていいですか?」
お腹がいっぱいになって心が欲を出し始めた。
飢えている時は目の前の危機にしか目がいかないが、満たされてしまえば別の欠けた部分を満たしたくなる。
「おい待て、いくら身分を落とされたと言っても部屋はあるだろう。……まさか荒らされたのか」
「察しが良くて助かります」
私に問う前に、また彼は自分で答えを出してしまった。
それはやはり正しいものだ。
(けれど、随分自分で出した答えに顔をしかめているわね)
先程から考え込んでいるカーレクティオン様の表情は随分と険しい。
思えば、自分の住んでいる場所で迫害があったと知るのは気分が良くないだろう。
まして女性的な陰湿さを伴っているのならば、尚更。
(部屋は諦めたほうがいいかしら)
そこまで考えが至っていなかったが、ここは元とは言え王子が住む場所。
困っているとはいえ、部屋がある倉庫番が言うのは良くなかったかもしれない。
そう思うと、気分と同じように顔も沈んでいく。
けれどカーレクティオン様は、しばらくの沈黙の後に許可を出した。
「まあいい、好きな場所で寝ろ。俺も楽しめるかもしれないしな」
主人の言葉に、私は顔を上げる。
するとずっとこちらを見ていたらしいカーレクティオン様と目が合った。
「楽しめる所なんてありました?」
私を泊めた所で、彼に面白味などない。
本人の顔を持ってすれば女の子など掃いて捨てるほど食いつくだろうし。
むしろ厄介なものを背負わされた、という方が正しい気がする。
だが彼は自分の言葉通り、楽しげに笑っていた。
「夜になれば分かる、とりあえず食べ終わったら布団代わりの物を探しておけ」
「分かりました」
そう答えた後、私は大人しく食事に戻った。
今の私は、衣食住を保証してくれる人に盾突く気など毛頭なかったから。