鉛
どうやって帰ったのか覚えていない。
気がついたら里の部屋のベッドに寝かされていた。
お布団に入らず私の枕の横で丸くなって眠る涼風に、そっと掛け物をかける。
窓の外は全ての気配が消え、真夜中特有の音のない闇が広がっていた。
鉛を飲んだ様な不快な吐き気がある。
涼風に擦り寄ると小さい子供特有の熱と、お日様と風だけでできたみたいな匂いがする。
陽だまりに干したシーツのような優しい匂いにやっと少し力が抜けた様な気がした。
——悠君も、桜子もここに来る。
月宗様はどうするんだろう。
プレゼントも、桜子に0だったわけじゃない。
私に特別優しくしてくれていたのも、そう思いたかっただけかもしれない。
境目屋敷の様に桜子のエスコートをする笹音さんや恭さんはここにはいない。
じゃあ月宗様がするの?
答えの出ない問いばかりがグルグルと頭をめぐる。
その夜、私はまんじりともせずに朝が来るまでただ時が過ぎるのを待つ事しか出来なかった。
◇◆◇
控えめなノックの音をさせて私の侍女二人が入室してくる頃には、私も涼風も着替えを済ませていた。
「お嬢様…………」
「ん、二人ともおはよ」
瑠璃色の小紋は雪の結晶の柄が入っていて可愛いけれど、小紋だから普段着用。このクローゼットの物の中では一番地味だ。
それでいい。今日は桜子の嫁渡りだ。私が目立っても仕方ない。
「月宗様は?」
「その……桜子様を……お迎えに」
マキノさんが言いづらそうに報告し、レレさんまでしゅんとする。
「そっか…………」
嫁渡りは夜なのに、お迎えは早いんだな。
「お嬢様、髪を……」
「今日は、このままで大丈夫」
毎日どこかしらに付けてもらっていた八咫烏のマークが入ったリボン。
レレさんがリボンのボックスを持つけれど、今日は断った。頭も痛いし、今日は無い方がいい。
ゆっくり涼風と朝ごはんを食べて、食べ終わる頃に類君がやってくる、いつもの朝。
下げた神饌を類くんが飲み干すまでがセット。
「今日は、何をして遊ぼうか?」
類君まですまなそうな顔で私を見るので努めて明るい声を出す。
「その……今日はお部屋におられた方が……」
そうなんだろうか。この部屋に閉じこもって、風に乗って聞こえてくる嫁渡りの宴会の声を聞くのが正解なんだろうか。
「類くん、図々しいお願いなんだけど、類くんのお母様の所にお茶をしにいけないかな?」
あそこなら、屋敷からかなり離れている。どんな声も届かないだろう。
それに今度はちゃんと手土産を持って行きたいから。
「大賛成です!あそこなら何時間でも、お泊まりでも構いません!!」
いや流石に泊まりはと思ったけれど、夜にある嫁渡りのその時に避難場所があるのは嬉しい。
昼過ぎにお邪魔しようとおもっていたら、類くんがもう行きましょうとしきりに誘う。
レレさん達からも手土産のお菓子を渡されて、いってらっしゃいませと言われてしまい、気は進まないながらも庭に出た。
◇◆◇
いくらも歩かないうちに、小道の奥に淡雪さんとルーラさんが見えた。
「あれ?淡雪さんだ」
「?ほんとですね。散歩でしょうか?」
お母様が見えた途端に人型に変化した類君が言う。
きっと辛い記憶を思い出さないでいられるように人型になるのだろう。
六歳の子が母親から忘れられ、忘れたままでいさせてあげる努力をするなんて言葉にならない。
「こんにちは奥様!ご機嫌いかがでしょうか!」
————「お祭りのはずよ!!!私はメイド達の話を聞いたもの!!!お祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭り」
壊れた機械のようにお祭りと叫ぶ淡雪さんの目は吊り上がり、焦点が完全に合ってない。
ルーラさんが私を見て焦った様に見えた。
それも一瞬ですぐまた淡雪さんに寄り添い、問いに答える。
「……お祭り、ですね……奥様……」
「お祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭りお祭り」
「その通りです奥様!!お祭りです!!」
蒼白な顔をした類君が叫び、何とか宥めようとする。
「お祭り?お祭りがあるのよ。お祭りお祭りお祭り…………あら、あなた達は?」
「私はメイドの子です!こちらは結衣様と涼風様でございます!」
「こんにちは、奥様」
私の事もきっともう覚えてはいないのだろう。
名前など、瑣末な事なのかもしれない。
その時その時が、大切なのだから。
「結衣と申します。奥様のお友達の。」
「その小さなくまさんは結衣ちゃんの子かしら」
「はい、私の子です奥様」
腕の中のくまさんがぺこりと頭を下げる。
ご挨拶ができて偉いねと耳元で囁くとスリと私におでこを寄せた。
「あなた達も行きましょう。お祭りがあるのよ?子供達に綿あめを買ってあげる。神事の補佐に夜臣が就いてるはずだわ?息子の働いている所を見に行くの。自慢の息子なのよ」
「はい奥様、是非」
ルーラさんと類君がまた焦った顔をしたけれど、淡雪さんがどんどん歩いていってしまうので慌てて追いかけた。




