退避
三人と一機は、提供された小ぶりのパトロール車両に乗り込み現場から離れる。
運転席にセレン、助手席にキリヒ、後部座席にサナエとローラ。
コンバットスーツを着込んだ男とトークンが乗り込んだためか、席も後ろに下げる必要がり車内は、かなり窮屈になる。
しかし、背に腹は代えられない。
車両は、進んでいく。 丘向こうの2番区画へ向かう長い上り坂を走り始めた。 もしこれを徒歩で登っていたら、体力を使い果たして夜間移動になっていたかもしれない。
車移動のありがたみが身に染みると同時に、戦闘に参加した甲斐があったものだ。 死線を乗り越えた安堵感が広がるはずの車内だったが――会話は完全に途絶えていた。
車窓の外に広がる光景が、あまりにも無残で、凄惨極まりなかったからだ。
「……なんてこと……」
サナエが絶句する。
路上には、巻き込まれた一般住民たちの遺体が文字通り転がっていた。瓦礫の下で血を流し、弱々しく助けを求めて手を伸ばす者。
壊れた家を、半ば錯乱したように探し回る者。
本来なら、車を止めて手を差し伸べるべき惨状だ。
だが、彼らは車を止めない。 見捨てるしかないのだ。 救えるだけの余裕も資材もここにはなく、何より護衛任務を優先するキリヒがそれを許さない。
日が沈みかけていた。 空は群青色から、|ウェヌス≪金星≫特有の深い薄暮へと溶けていく。
そんな中会話らしき会話を始めたのは、やはりトークンからであった。
『キリヒ。コンバットスーツの表層装甲が微融解していますね。自己修復機能が停止しています』
運転席のセレンが、助手席に座っているキリヒに話しかける。
「エレクトロン弾の余熱を至近距離で浴びたからな。……まあ、あの化け物を沈められた代償としては安いもんさ」
丘の頂上付近に差し掛かり、アーサ・ブカブ街を一望できるポイントへと至る。
その時だった。
車内のルームミラーが、遥か後方の空を染める「異質な光」を捉えた。
薄暮の空を切り裂くように、赤白い狂暴な火花が夜の訪れを押し返して咲き誇っている。
「……!」
キリヒが車を止めさせ、外へ躍り出た。セレンも車内からその光を見つめる。
サナエとローラも窓に張り付くように後ろを振り返った。
『……白燐弾、あるいはエレクトロン弾ですね』
セレンが無機質に告げる。
光が上がっているのは、第三区画と第四区画の境界あたり――先ほど別れた都市防衛隊が向かった戦域の真っ只中だ。
『あの周辺は今頃、完全な地獄と化しているでしょう。 このエリアも掃討が終わったとはいえ残党が潜んでいる可能性があります。 夜間の滞留は危険です。 先を急ぎましょう』
キリヒが静かに車内へ戻り、パトロール車は再び暗がりの中を走り始めた。
車内でサナエは、キリヒがこれほど完璧なタイミングで救助に現れた理由を尋ねた。
彼によれば、昼頃に本部から「テロの兆候あり」との報を受け、回転翼機でディルバト地区から急遽引き抜かれてアーサ・ブカブ街へ移送されてきたのだという。
もっとも、途中でセレンの緊急信号を受け取り急遽、第三区画への前線招集を取りやめ、サナエさん達の救助に切り替えたとのこと。
なお、ディルバト地区への攻勢も考慮され、ブラウニーは、現地で防衛の対応をしている。
「遅くなったけれど……助けに来てくれて、本当にありがとう」
サナエが、改めて後部座席から感謝の言葉が送られる。
「気にするな。あんたは“最上級クラス”だからな。 どんな作戦行動よりも最優先される重要人物だ。 緊急信号が上がれば、俺の任務が切り替わるのは当然の帰結さ」
「さっきから気になってたんだけど……その“最上級クラス”って、一体何なの?」
サナエさんが、首をかしげる。
「最初に説明したと思うんですけど……招請研究員など特別な人間に与えられる最高ランクのライセンスですよ。 あーそこらへん詳細説明していませんでしたっけ?」
ローラが話に加わってくる。
「ごめんなさい。もしかしたら、適当に聞き流していたかも」
サナエさんが応じる。
「別に聞き流しても問題ないさ。 要するに『一番偉い』ってことだ」
キリヒが悪気もなく応じてくる。
「……」
正面に、擁壁で守られた建物が見えてくる。
「そろそろ到着するぞ! 」
久しぶりの第二区画。 車両は厳重に封鎖された2番区画のゲートへと到達した。
激しい内戦の最中ということもあり、アプローチした瞬間、守衛兵士が、一斉に車体へ銃口を向けてきた。
だが、サナエさんが窓から“最上級クラス”のIDカードを提示した瞬間、銃口は速やかに下げられ、厳粛な誘導のもとで内部へと迎え入れられた。
「……」
敷地内の移動する車両の中でキリヒは続ける。
「そのカードはな、銃口を向けた兵士を一瞬で平伏させる力がある。 周囲を見てみろ。 住民なんかいないだろ? 住民が立ち入れないシェルターに無条件で避難できる特権だ」
「ちょっと……もう少し言い方ってものがあるでしょう?」
ローラが諫めるが、キリヒは肩をすくめるだけだった。
「事実を言ったまでさ。 あんたが自分をどう評価していようと、このカードの威力は絶大だ。 理不尽な世界で生き残るための、絶対的な力だよ」
キリヒからの発言にサナエは何も答えられなかった。
―― 2番区画・不動産部門シェルター ――
案内されたのは、堅牢な防護施設を兼ねた不動産部門の個室だった。
部屋に入ると、サナエはそのまま泥のようにベッドへ倒れ込んだ。昼食を食べてから長い時間が経っていたが、空腹など微塵も感じない。
ベッドに仰向けになり、天井の無機質なライトを見つめ続けた。
セレンはサナエの指示に従い、部屋の外で護衛として直立している。
窓のない密室の中、サナエはたった一人、虚空に沈んでいた。
これまでの人生で、最大の衝撃だった。
目の前で吹き飛ぶ肉体。街中に転がる無数の死体。助けを求めて伸ばされた手を見捨てて走り去った自分の無力さ。
(なんで……なんでこんなことに……)
ドアが静かにノックされた。
『サナエ。ディルバト地区責任者のメトワ氏がお見えです。お通ししますか?』
ここで断るのは容易だ。 しかし、居候の身である以上、出迎えるのが筋である。
「……いいわ。通して」
ドアが開き、疲れを滲ませたメトワが入ってきた。
「……顔色がひどいわね」
「当然でしょ。こんな時に何のご用?」
「テロリストの情報よ。あなたも一応、このプロジェクトの筆頭の役員クラス。そして当事者として巻き込まれた以上、知っておく権利があるわ」
「……話して」
「彼らの組織名は『明星の解放』」
「……」
「先住民に対するアーサ・ブカブ社の苛烈な弾圧と不当な排除に対する、大規模な武装反乱よ。
例のクレンジング作戦……不法侵入者の一斉清掃で、あまりにも多くの同胞が理不尽に命を落とした。その復讐が主たる動機ね」
サナエの胸が凍りつく。自分たちがコールドスリープの犠牲者を救った裏で起きた粛清。 それがめぐり巡って、この地獄を引き起こしたのだ。
「……あの第二世代ジャガーノートは? なんでテロリストが持っていたのよ」
「……工場内部の手引きか、あるいは奪取された初期試作機ね。詳しい経路は内乱が鎮圧された後の検証課題よ。
現状、31部隊のベレギニア地区分隊が最新型のコンバットスーツを投入して掃討戦に入ったわ。あなたの『006案件』の資産は強固に保護されているから安心していいわ」
「……ディルバト地区は?」
「平穏そのものよ。あちらには工作用とはいえ第二世代機が配備されているし、何よりブラウニーがいるわ。
あの戦力があれば、都市防衛隊クラスが攻めてきても返り討ちにできる。 テロリストごときに破られることはないわ。安心しなさい」
「……そう」
「ローラは隣の部屋で待機させているわ。キリヒは少し休んだ後、明朝には第一区画の清掃作戦へ向かう予定よ。……シャワーでも浴びて体を清潔にしなさい。
少しは気が紛れるわ」
メトワはそう言い残すと、静かに部屋を去っていった。
それから、数日の月日が流れた。
報道は連日、反乱の顛末を淡々と伝えていた。
「明星の解放」は、初期の電撃的な奇襲こそ成功させたものの、アーサ・ブカブ社の圧倒的な軍事力と31部隊の投入によって徐々に勢力を削ぎ落とされていった。
決定打となったのは、テロ組織の首魁が治安隊によって拘束されたことだった。
指導者を失った反乱軍は急速に瓦解し、各地区で潰走。大規模蜂起はあっけなく沈静化へと向かっていった。
その間、サナエはあてがわれた部屋のベッドからほとんど起き上がらず、天井を見つめて過ごした。
食事はセレンの手によって部屋へ運ばれてきたが、喉を通る量はごくわずかだった。誰も責めないが、誰もが死んでいった。
己の開発した技術が、殺戮の道具として街を焼き払ったという事実が、彼女の精神を深く削り取っていた。
会話相手のセレンに対しても、最小限の生返答しか返せない日々。
ノックの音が響く。
『サナエ。 ローラさんです』
「……入ってもらって」
扉が開き、ローラが顔を覗かせた。
「サナエさん……体調はどうですか?」
「……最悪よ。それで?」
「『明星の解放』の鎮圧作戦が完全に終了したそうです。街の警戒レベルが下がり、私達の住まいへの帰宅許可が出ました。……どうしますか?」
サナエはゆっくりと身体を起こし、深く長い息を吐き出した。
「そうね……帰りましょうか」
蜂起が始まってから、十日と数日。
血と硝煙に塗れた戦火が収まり、彼女たちは失われた日常へと戻ることになった。




