53話 シオンの未来
「あら、『ぼったくり・ドラゴンタクシー』の社長様が当家に何のご用かしら?」
探りのジャブに対し、赤い鱗の雌竜は、「何のじゃないわ」と小さく吼えた。代々グロウサリア家の花嫁に引き継がれる極光石の首飾りを、豊満な胸元に光らせながら。
「アタシのところから社員を引き抜こうだなんて、良い度胸じゃないの?」
どうやら「エメル流リクルート:引き抜き計画」を、ボロネロ経由で知ったらしい。
それで喧嘩を売りにきたわけか――。
「お客様から不当な料金をぼったくるだけではなく、社員に過酷な労働を強いるなんて……許せませんわ!」
元の世界のブラック企業どころか、外部監査が入ったら一発アウトの所業だ。
「ふんっ、お生憎様! ウチの社員たちはどこぞのリゾート施設と違って、生半可な覚悟で勤めていないのよ」
忠誠心の高い竜が、そんな作戦に引っかかるわけない――そう堂々と胸を張ると、ゲルダは赤い炎を吐き出した。
「それは……」
言い返せない。
労働環境の改善ばかりに意識を奪われ、ドラゴンたちがシオンのカリスマである彼女を「裏切らない可能性」について考えていなかった。
気晴らしも兼ねて、圧倒的言葉の殴り合いでゲルダを追い返すつもりでいたのに――口が開かない。
「そ・れ・に。何なの、この惨状! 引きこもりの暴走で、ホテルが半壊になったって聞いて来てみれば……畑までボロボロじゃないの!」
ムカつく言い方ではあるが、ゲルダの指摘は事実。目を背けたくなるような惨状を改めて口にされると、「これからどうしよう」という気持ちが膨らんでいく。
反論を許さず、ゲルダはさらに赤い炎を吐き出した。
「こんな状況じゃあ、私たちノクサリア家に統治権が移るのも時間の問題ねぇ!」
あり得なくもない未来予想に、また言葉が出てこない。
ちびドラ監査官が宣言した領査定まで、もう1週間もないのに――。
頼みの綱の『エメル村』は半壊。ゲルダのぼったくり運送会社の解体もできていない。
本当にこのままでは、ゲルダに領主の座を奪われてしまう――。
必死に反論を探していると、ゲルダのヘビのような目がスッと細くなった。
「今日はご提案に来たのよ。このままじゃあウチが圧倒的に有利だから……正々堂々と勝負してあげようじゃない」
「勝負……?」
誇り高き竜人同士、領主の座をかけて戦う――胸を張って宣言するゲルダに、思わず足が前へ出た。
「真の領主に必要なものは、『力』ではありません!」
異種族同士が協力して、住みよい環境を作ること。
それこそが、私の目指すシオン領の未来像だ。
こんな状況になったって、それだけは揺らがない。
「力と恐怖で支配される領ではなく、『シオンのみんなが幸せになれる領を作る』――それこそが、領主家の使命なのです!」
精一杯の声で、そう言い切ると。ゲルダは余裕の笑みを消した。
口を閉じたゲルダの代わりに、今度は横で大人しくしていたロードンが近づいてくる。
「……っ」
やはり黄金筋肉ドラゴンが正面に立つと、以前風穴を開けられた腹が疼いてしまう。
それでも、きちんと向き合わなければ――今は不安定なドラグを守るためにも、私が前を向いていないと。
「力あるヤツがナンバーワン! それこそがシオンの掟だぜ」
「……そんな掟、過去の因習ですわ」
震えを誤魔化しながら、そうはっきり告げると。「黙れ」と吼えるロードンの筋肉が隆起した。さらに彼は、丘から見下ろせる瓦礫の山に目を向ける。
「あの情けねぇ引きこもりの力は衰えちゃいなかった! ガキの頃に、たった一度でもこの俺様を負かしたんだ。『あの頃のテメーを見せてみやがれ!』って伝えとけ」
「え……一度負かした?」
そんなの、これまで聞いたことがない――。
目を丸くしていると、ロードンは「うおっと」と、こぼして口を閉じた。
急に焦り出したロードンに、ゲルダは「行くわよ」と低く言う。
「とにかく、あの引きこもりに言っておけ! 『テメーの息の根止めてやる』ってな」
正式に領主の座をかけた決闘――それを一方的にドラグへ申し込んで、彼らは丘から去っていった。
「決闘って……」
ドラグは今、あの危険なスキル【異形の翼】と向き合っている最中だというのに。
なにより気弱――争いを望まない優しい夫が、肉弾戦なんてできるはずがない。
「なーんか厄介なことになったねぇ」
背後で透明化していたレヴィンは、いつの間にか私の頭上を漂っていた。
「シオンの連中もたいがい野蛮だなぁ」
それに対しては、特大のため息で応えるしかない。
「ですが……力で領主の座を求めて、本当にシオンのためになるのでしょうか?」
ここはドラゴンが統治する、美しい田舎領。
実力主義の魔族たちが支配する隣領ブルームーン・トロイカとは違い、すべての種族が対等に共存できるはずの場所だ。
自分自身で確認するように、そう呟くと。レヴィンはメイド服のスカートを翻しながら、私の前に降り立った。
「でもさぁ、他にどうやってアイツらを大人しくさせるわけ?」
「それは……」
竜人族を納得させるには、純粋な力が必要――そんなことは痛いほど分かっている。
私だって、最初は彼らに対抗するため、用心棒を誘致するギルドを創ったのだから。
「じゃあアンタの旦那に、あの筋肉竜とタイマン張らせるわけ?」
「……いえ」
そんなことはさせない。
でも、これ以上どうしたら――。
とにかく今夜、夫へ会いに行ってみよう。
夜になると、瓦礫の片付けに追われていたオークたちはみんな寝静まった。
損害を負った『エメル村』が落ち着いたところで、ドラグの部屋の扉を叩いたのだが――返事はない。
「ドラグ様……失礼しますわ」
家具の少ない部屋の中は、青白い月明かりで満ちていた。
カーテンが空いたまま――きっと昼間から一度も起きずに寝ているのだろう。
巨大なベッドの上で、大きな影が静かに上下している。濃く長いまつ毛が、クマをより濃くするように目元へ影を落としていた。
「これから、どうしたら……」
胸の中からこぼれた言葉。
それに対し、一瞬まつ毛が揺れた。
気のせいだろうか。
白い頬に手を伸ばし、そっと撫でると――冷たい。いつも以上に、身体が冷えている。
「……ドラグ」
スキルを暴走させて施設を破壊したのは彼だが、意図したことではなかったのだ。責められるはずがない。むしろ妙なスキルのことを知りながら、ずっと黙っていた私にも非がある――。
せめて身体を温めようと、横たわる背中に寄り添った、その時。
「わっ!」
心臓が止まるかと思った。
眠っていたはずのドラグの手が、突然私の手を握り返したのだ。
「えっ、起きて……?」
「エメル……」
消えそうな呼び声とともに、腕の中へ引き寄せられた。
密着した身体がさっきより熱い――頭が沸騰寸前で、どちらの熱が上がったのか分からない。
私がドラグの上にいたはずなのに、いつの間にかドラグが私を見下ろす体勢になっていた。
「会いに来てくれたんだ……」
あんなことをしてしまったのに――そう言って影を落とすドラグの顔を、まじまじと見つめる。
「い、いつから起きていたのですか?」
「……眠れないんだ。自分のしたことが、恐ろしくて」
夫竜が、今にも泣きそうな顔でこちらを見下ろしている。
でも――かける言葉が、今は見つからない。
代わりに、色のない頬へ手を添えると。意外とたくましい腕が腰と背に回り、身体を持ち上げられた。
抱きしめる時に体重をかけて潰さないよう、気遣っているらしい。
「ちょっと、そんなに動いては傷が!」
「大丈夫……ご先祖様のおかげで、身体の調子はいいから」
「はぁ」、とため息混じりに力を抜くと。金の瞳を揺らした夫は、「ごめん」と呟いた。
「僕のせいで、せっかく君が積み上げたものを……」
壊してしまった――震える声でそうこぼし、ドラグは頭を垂れた。
硬く冷たいツノが、胸元に触れる。
「そんな、謝らないでください」
壊れてしまった施設は、またシカクたちゴーレムの会社に頼んで復旧すればいい。ワチにもらった現金があれば、すぐにでも依頼できるだろう。
冷えたツノをそっと撫で、「それよりも」と続けた。
今は、厄介な案件について話し合わなければ――ロードンが申し込んできた、「領主の座を賭けた決闘」について。
「そっか……そんなことが」
ベッドの淵に並んで腰掛け、今日の午後に起こったことを話すと。しばらく俯いていたドラグは、深く長いため息を吐きだした。
きっと以前の彼ならば、このことを聞いただけで震え上がっていたことだろう。しかし今の彼は、冷静な瞳を窓辺に向けている。
「受ける必要なんてありませんわ」
「……でも、どうやってゲルダ達を大人しくさせるの?」
力を認めさせない限り、これからもずっと彼らは突っかかってくる――的確な言葉に、口を閉じるしかない。
「本当に、力で示すしかないのでしょうか?」
『エメル村』のホテルを半壊させたスキル【異形の翼】、あれを使えば、ドラグはロードンといい勝負になりそうな気がする。
でも――未知の危険なスキルを、これ以上使わせるわけにはいかない。いくら初代が力の制御方法を教えてくれるとしても。
それに。
力で解決したら、結局シオンは「力こそがすべて」という根本が変わらなくなってしまう。ここを、種族同士が手を取り合う領地にしたいのに。
「うーん……」
ダメだ。口を開けば、唸り声しか出てこない。
「エメル、ちょっと」
「はい? なんでしょ……わっ!」
いきなり抱え上げられたかと思えば、ドラグはバルコニーの方へ歩いていった。
「待ってください! 決闘についてのお話はどうなったのです?」
「……その前に、君に話しておきたいことがあるんだ」
ドラグは何かを決心したように目を伏せ、表に繋がる窓を開けた。
夜空の下、何度ここで一緒に過ごしただろうか――懐かしむ間もなく、月明かりの照らす白い石床の上に降ろされる。
「ドラグ様……?」
慣れない笑みを浮かべた夫は、バルコニーの手すりへ軽々と飛び乗った。
そして。
巨大な月を背にした身体が、暗い森に向かってゆっくりと倒れていく。
「えええドラグさま!?」
とっさに手すりへ駆け寄り、手を伸ばした瞬間。
目を開けていられない風圧とともに、控えめな咆哮が響いた。
「わぁ……」
翼をはばたかせながら、黄金の瞳でこちらを見つめる巨大な黒竜――。
何度見ても、目を奪われてしまう。
『ちょっと散歩に付き合ってくれないかな……?』
推し――いや、「人生の推し」のあまりに神々しい姿に、声が出ない。
『……やっぱり。この姿だと僕が怖い、かな?』
言葉が出ない代わりに、精一杯首を横に振った。
日中の惨劇を見たあとだって、ドラグが怖いとは思わない。
本当は気弱で、優しくて、温かい――そんな彼の芯を知っているから。
「いいえ……ドラグ様、お付き合いいたしますわ」
巨大な星々の瞬く夜空の下へ、美しい竜が誘い出してくれる。
そんな光景に見惚れたまま、頭を垂れた彼のツノへ手を伸ばした。
次回:語られる夫竜の過去。翼に残る、傷の正体とは?
そして転生後妻に歩み寄る、忘れかけていた世界の記憶――。
『娘はまだ生きているんですよ!?』




