領主代理の休日:3 お約束の展開?
『手厚い支援に感謝してやろう、領主代理』
紫のクリスタル――パープル博士は、封筒を白衣のポケットへしまい込んだ。
「これで新しいフラスコが購入できますね」
『あぁ、本格的に研究再開だ』
博士のコアが淡く光る。澄ました口調の割に、嬉しそうだ。
「シオンの未来を創る研究、期待していますわ!」
『安心しろ。もう300回は検証を繰り返し、まぐれではないと証明済みだ』
パープル博士を門前まで見送り、丘の傍らにそびえる鉱山を見上げた。
あそこで虹の結晶石を生む研究が成功してから、2週間が経とうとしている。最初は断られたものだが、今日ついに博士が支援金を受け取ってくれたのだ。
偽ブラックこと、レヴィンに盗まれた結晶石は取り返せていないが――。
「とにかく今はゆっくりしよう……あ」
アレのことを思い出し、グロウサリア家のお屋敷に隣接する、古い図書館を訪れた。
蜘蛛の巣やホコリが最低限取り払われたテーブルに、アンティーク調の大判本――ギルド創設の時に役立った、『シオンの書』を広げる。中には黄ばんだ羊皮紙があるだけで、どの頁も白紙のままだ。
「調べるとき、『お願い』って声をかけるんだっけ」
これをうまく使えば、シオン領に関する情報をいろいろと知ることができる。
『幻想国家シビュラ』でいえば、人口や種族について把握できる「データ一覧」のようなものだ。
「『お願いシオンの書』。領内に今いる、レヴナント族の数は?」
個人について調べることはできない。とりあえず、そう訊ねると。
「ゼロ……」
結晶石と魔性ツリー、シオン特産の貴重な資源を持ち去った彼女は、やはりもうシオンにいないらしい。
「レヴィン……」
彼女も、シンシアやシカク同様、『シビュラ』には登場しなかった。
「『幻想国家シビュラ』……なんか懐かしいな」
アプリ全盛期に、あえてのブラウザゲー。画面越しに推しと領地経営していたが――今、彼は現実にいる。
「2次元と3次元じゃ、やっぱり違うかな……」
彼らはもう、私の選択次第で動くキャラじゃない。それぞれの意思で生きている。
「私、どうなるんだろう……」
同じ人間でも、イオとは違う。エメルレッテというこの世界の人間に、「匡花」という自我が宿った私――誰にも言えない秘密を抱え、この世界で人生を終えるのだろうか。ドラグにさえ、このことを言えないまま――。
熱くなった目を擦り、白紙になった書へ手を添える。
「……『お願いシオンの書』。シオンの中で、私の中身が『匡花』だって知っている人の数を教えて」
これは気休めだ。そんな質問に対して、シオンの書は文句を言うことなく働いてくれた。
すぐに「ゼロ」と文字が浮かび上がると思っていたのだが――なかなか結果が出ない。
しびれを切らし、「やっぱりいいよ」と口にしかけた瞬間。
「……2?」
見間違いかと思い、目を擦った。しかし羊皮紙には、確かにそう記されている。
『匡花』
去り際にそう呼んだレヴィンは、もういない。それでも「2」とは――。
「……どうかした?」
頁の上に降りた影を振り返ると。掃除道具を翼や尻尾に引っ掛けた夫が、エプロン姿で立っていた。
「ドラグ様……お掃除、お疲れ様です」
そういえば、今日は図書館の掃除をするとも言っていた。潤んだ目を隠そうと、さりげなく顔を逸らしたところ。
「……エメルレッテさん、何かあった?」
やはり、この人は他人の変化に鋭い。
話を逸らすように、「シオンの書の調子が悪いみたいで」、と大判を差し出したところ。ドラグは書を点検すると申し出てくれた。
「うん……『領地スキャン』の精度が鈍るような破損は見当たらないかな。魔力も保たれてるし……まぁ彼も、絶対に正確ってわけじゃないから」
大目に見てほしい、というドラグにとりあえず頷いた。魔法でのスキャンも、ネット情報と同程度の信憑性くらいに思っておこう――私の正体を知る者が、ここに2人もいるはずがない。
「さっき掃除中にこれ見つけたから、更新したいんだけど……」
ドラグが抱えているのは、彼の手にも余るほどの分厚い本だった。革製の黒い表紙に、グロウサリア家の紋章入りの錠が掛けられている。
「これは家系図、ですか?」
「うん……本家筋だけのね」
厚い紙に刻まれた系譜の最上には、『ドラグマン』の名がある。
「僕の名前……初代当主から取られたんだって」
「まぁ、そうだったのですね!」
そして1番新しい頁には、先代と同じ『ドラグマン』の名があった。
「歴代の奥様は、竜人族の方だけですね」
「うん。『正妻』として記録に残されるのは、竜人だけなんだ。竜は『純血至上主義』だから……」
「え……」
もしかすると私、「正妻」ではないのだろうか――思いもしなかった事実に、心臓が嫌な音を立てた。以前ならば、そんなことを知ったところで受け流していただろう。しかし今は、不安で胸が締め付けられる。
「エメル……」
かすかに震える手に、黒い手が重なった。そっと掴まれた手を、ドラグの名前が記された場所へかざすと――彼の名前の隣に、「エメルレッテ」と名のついた葉が現れる。
「僕には君だけ、だから……」
ドラグの真っ直ぐな目に射抜かれ、重ねた手の熱が増した。
「今、名前を……」
「えっ、うん。みんな『エメル』って呼んでるし……ダメ、かな?」
先日の夜に「遠慮しない」と宣言されてから、確実に押しが強くなった気がする。視線を逸らしつつ、「構いません」と答えると。熱をもった黄金の瞳が、静かに近づいてきた。
「あっ……」
いつの間にか、指同士が絡んでいる。溶けそうなほどに熱くなった手を引き寄せられ、国宝級の顔面とほぼゼロの距離まで近づいた。
「ええと、ちっ、ちか……」
いけない。こんな中途半端な心と身体で、彼の気持ちに応えるわけには――しかし竜の力に抗えるはずもなく、緊張した吐息が頬にかかる。
もうダメだ――瞼を強く閉じ、衝撃に備えた直後。
「奥方殿! おやつのスコーンが焼けたぞ!」
どこからともなく現れたアレスターに、しばらく頭が追い付かなかった。先に動いたドラグは、何事もなかったかのように箒を握っている。
「あ、アレスター……?」
それにしても、図ったかのようなタイミングだ。まだ熱い頬をさすりながら、図書館を出るアレスターに続いた。
「『胸騒ぎ』がしてのう……ん? 何か言いたいことでもあるのか?」
「い、いえ」
偶然に違いない。その時は、そう思ったのだが――夕飯前の廊下で、ドラグとばったり顔を合わせた時。
「エメル……」
窓越しに夕日の町を眺めながら、再びそれらしい雰囲気になった。肩を引き寄せられ、唇が重なる直前――。
「奥方殿! 夕飯ができたぞ!」
天井から現れたアレスターに、再びドラグは素早く離れていった。
「アレスター……」
これは偶然ではない。
顔を見合わせたドラグも、それを察しているのだろう。
ついに夕飯後、「部屋で星を見よう」と誘われた後。ドラグは「今度こそ」と呟きつつ、部屋に鍵をかけていた。
「ドラグ様……」
もはや意地になっているのでは、と心配になる。
バルコニーへ出た後、ドラグは上下左右の暗闇を念入りに見回していた。やがて邪魔者はいないと確信したのか、期待の目とともにこちらを振り返る。
「ええと……ダメ、かな?」
「『もう二度と手の届く距離に近づかない』って、前におっしゃっていませんでした?」
いつか思い詰めた彼に襲われた時のことを思い出し、意地悪を言うと。ドラグは「ごめん」と手を離した。
こういうところは変わっていないのだと、心から安心する。
「冗談です。このくらいなら良いですよ」
今できる、私の最低限――顔を見ずに、硬い身体へしがみついた。
無理をしつつも、これまで私を守ってくれた夫――彼への感謝を込めて、腕に力を入れる。するとドラグも、全身を包むように抱きしめてくれた。
「……はぁ。やっぱり足りない」
「え?」
言葉の意味を尋ねる前に、身体が宙に浮いた。
「……っ!」
冷たい指先が首筋を撫で、耳に触れ、あごのラインを滑っていく。
「エメルから、してほしい」
「なっ……!」
吐息が感じられる距離まで唇が近づくのに、触れそうになると離れていく――口付けを誘うもどかしい触れ方に、ダメと分かっていても、したくなる。
「……でも」
この身体は私のものではない――腕を張り、離れようとした瞬間。
「もう待てない」
「えっ、待っ……!」
この男、顔とツノが良すぎる――見惚れる間にも、鋭い牙が迫る。
「奥方殿! 夜食のプリンができたぞ!」
やはり、と言うべきか。
ベランダの下から飛んで現れたアレスターに、ホッとした反面、少し残念に思ってしまった。
「…………アレスター」
ドラグは私の身体を下ろすと、肩を落として部屋の中へと消えていった。
ここまで寸止めも、可哀想な気がしてくる――。
「アレスター、貴方は……」
「少し話さんか?」
いつもの笑みを浮かべたアレスターに、最近馴染んできた自室へと導かれた。ローテーブルの上には、白湯とミルクプリンが乗っている。
どうやら、夜食は本当に用意してくれていたらしいが――。
「今日のあれ、全部わざとですよね?」
「なんのことじゃ?」、と首を傾げる少年執事を睨みつけると。
「だってお主、嫌だったんじゃろ?」
あっさりとした口調で言われ、思わず口をつぐんだ。嫌とまでは思っていないが、困っていたのは確かだ。
「気弱だった夫から強引に迫られるようになり、奥方殿が戸惑っていると感じたのじゃが……じいの気のせいか?」
まさに図星だ。
「てか、それ以前に覗き見はやめてください!」
「誤解じゃ! ワシはちびっこ同士のじゃれ合いに興味などないわ」
何百年も生きる彼から見れば、たしかにそうかもしれないが――では、なぜ私の戸惑いを知ることができたのか。
「お主との繋がりが、動揺をありありと伝えてくるのでな」
「繋がりって……あ」
アレスターが私の首につけた印――噛み跡がすっかり目立たなくなり、存在を忘れていた。
「これ、解除とかできないんですか?」
この印のおかげで助かったといえ、このままではプライバシーの侵害どころではない。
「ドラグがのう、『目の届かないところにいる間は怖いから』、と言っておってな」
「え……?」
これはアレスターの意思ではなく、ドラグが付けさせた印ということか。
「『お主を失うのが怖い』。そう思うほど、あやつはお主に深く心を傾けている……奥方殿はどうじゃ?」
「私は……」
ドラグへの想いについて考えると、頭がぎゅっと締め付けられた。
「私はエメルレッテではなく『匡花』だから」――そんなこと、言えるはずがない。当分はエメルレッテとして生きようと努力してきたが、いくら時間が経とうと私は私。彼女に成り代わることなど、やはりできなかった。
「私は……だれ?」
頬を伝う涙を自覚すると同時に、目の前の吸血鬼が小さな腕を広げていた。いつの間にか、幼児のような大きさにまで縮んでいる。
「この姿ならば抵抗ないじゃろ、ほれ」
「……っ」
小さな胸へ飛び込み、ベッドにもたれる。小さな手が頭を撫でる感覚に、これまで堰き止めていた想いが一気にあふれ出した。
「わたし……どうなっちゃうのかなって……ずっと、不安……でっ」
「お主は本当によくやっている」
誰にも吐露できなかった不安、葛藤。それらが口を滑るたび、小さな手が頭を撫でてくれる。
「知らぬ土地へ嫁ぎ、出会って間もない男との関係に翻弄され……それでも己にできることを見極め、ここまで成し遂げてきた」
アレスターの優しい声が、頭の中に溶けていく。やがてウトウトしてきたところで、ベッドに降ろされ、もう一度頭を撫でられた。
「お主が寝つくまで、側におるからな」
匡花――夢見心地の中、そう呼ばれた気がした。そんなわけないのに。きっと誰かに私を見つけてほしい願望が、幻を聞かせただけだろう。
「……エメルレッテさんは?」
「しっ、今寝ついたところじゃ。嫁いできて以来、ずっと気が張っておったからのう」
これは夢だろうか。
微睡の中、まったく違う2つの低音が響く。
「僕、やりすぎ?」
「ああ、盛りすぎじゃな」
「うぅ……やっぱり。嫌われたかな?」
「おっと。最初から好かれた気でおったのか?」
深いため息の後に、小さな笑い声が響いた。
「僕からは何度か伝えたけど……彼女は好きって言ってくれたこと、1回もない」
ひどい女だ。
他人事のように思ったが――私は、このままでいいのだろうか。
いよいよ次回より、4章「週末農業体験リゾート:エメル村」始動!
1章のノリから更にパワーアップし、「領地経営」×「ラブコメ」盛りだくさんの章になっております。
ぜひご覧ください!




