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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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三十二 捜索

 あまりにも多くのことが起こった一日だった。

 それは、三人の王国軍士官と一人のアフマド族の少女、いずれにも当てはまることだが、特にプリシラの疲労は激しかった。


 彼女はオシロ村での前日祭で舞台に立ち、そして思いがけずにマグス大佐と遭遇してしまった。

 どうにか村を脱出したはいいが、シルヴィアが狼煙を上げていたことで、帝国側に隠れ家が知られてしまう。

 逃走の果てにシルヴィアに合流したが、そこで聞かされたのは、エイナが吸血鬼の生贄になったという、とんでもない話であった。

 彼女たちは夜間に吸血鬼の本拠地に侵入し、いきなりの戦闘を経て、伯爵との交渉の結果、エイナを取り戻すことに成功した。


 これだけのことが、わずか半日あまりの間に起きたのである。

 プリシラが心身ともに疲弊したのは無理のない話であった。


 彼女は伯爵が用意した客用寝室に案内されると、物も言わずにベッドに倒れ込み、そのまま寝息を立ててしまった。

 タケミカヅチが主人の軍服を脱がし、柔らかなベッドに仰向けに寝かせて羽根布団をかけたが、プリシラはなすがままで一度も目を覚まさなかった。


 取り残された恰好になったエイナとシルヴィアは、交渉役を一身に引き受けてくれたプリシラを起こすわけにはいかず、二人で今後の方針を相談することにした。

 まずシルヴィアが心配したのは、アフマド族の少女、アリマのことだった。


 エイナにはアリマが気を失っている原因が分かっていたが、まずそこからシルヴィアに説明しなくてはならなかった。

 吸血鬼はアリマを連れてくるのに、闇の通路を利用したのだろう。

 彼女は館からそれほど離れていない場所に隠れていたのだが、火山の噴火によって、いつ噴石が降ってくるか分からない状況である。

 偵察に出た吸血鬼が危険な地表を避けたのは、当然の判断であった。


 エイナは吸血鬼が闇に潜って移動する能力を持ち、人間はその中で意識を保てないことを説明した。

 そして、かつてエイナとシルヴィアが帝国の工作員に拉致された際に、脱出に使った闇の通路も同じものだったと思うと付け加えた。

 あの時、確かにシルヴィアもアスカ邸に出るまで、気を失っていたのである。


「それって、エイナが吸血鬼だった……ってことにならない?」

 シルヴィアが疑わしそうな目で訊ねた。


「お生憎あいにくさま。

 幸い私は生まれてこの方、血を吸いたいなんて思ったことはないし、牙だって生えていないわよ!

 第一、私たちは魔導院の寄宿舎で六年間、同じ部屋で寝ていたのよ。

 もし私が吸血鬼だったら、処女で美少女のあんたみたいな〝ご馳走〟を我慢していられるわけがないでしょ?」

「じゃあ、なんであんたは闇の通路を使えたのよ?」


 エイナは肩をすくめた。

「知らないわ。それに、私は闇の中でも意識が保てていて、この館に案内してくれた吸血鬼も驚いていたわ。

 伯爵は何か知っているっぽかったけど、教えてくれなかったの。

 もう面倒だから、これも特異体質ってことにしておきましょう」


 エイナの適当な提案を、シルヴィアはあっさりと受け容れた。

 多少変なことがあっても、エイナは自分の友人であることに変わりないのだ。


 二人がアリマを何度か揺さぶってみると、少女はようやく意識を取り戻した。

 目覚めた彼女はひどく怯えていた。

 アフマド族の人々が恐れる〝お館のお使い〟が突然現れ、彼女を拉致したのだから当然だろう。


 アフマド族の少女は、ここが〝お館〟の中であると聞かされ、恐怖におののいた。

 シルヴィアは吸血鬼の脅威は心配しなくてよいことと、自分たちが帝国軍に追われている状況を辛抱強く説明した。

 アリマはシルヴィアが命の恩人で、仕えるべき主人だと思い込んでいたので、どうにか納得してくれた。

 ただ、帝国はアフマド族と長年紛争を繰り返している敵だったので、まだ不安を感じているようだった。


 シルヴィアは何とか少女をなだめてベッドに入れたが、結局寝付くまで添い寝をするはめになった。

 そんなこんなで、二人が明日のことを話し合えたのは、もう深夜になったころだった。

 眠りに落ちたアリマの横から抜け出してきたシルヴィアは、あくびをしながら椅子に座った。


「プリシラ先輩の話だと、マグス大佐は二人の部下を連れているだけだそうよ」

「追跡にも限界があるってこと?」


「そう。黒死山は岩だらけだから、足跡を追うのは難しいでしょうし、幻影で隠されたこの館を見つけるのは不可能に近いわ」

「だとしたら、あまりしつこくは追ってこないと思わない?

 当てもなく探すよりは、本隊と連絡を取って応援を頼むのが自然ね」


「それがクレアの東部軍司令部だとしたら、駆けつけるまで相当の時間がかかるわね。逆に、近くに後詰の部隊がいるとしたら、まずいことになる。

 そもそも、どうして大佐がこんな辺鄙な北方に、しかもわずかな部下しか連れずに現れたのかしら?」

「プリシラ先輩も逃げ出すのが精いっぱいで、そこまでは確認できなかったそうよ。

 う~ん、どう考えても情報が不足しているわね。

 私たちはどこかに身を潜めて、大佐の目的を探るべきだと思うの。

 幸いタケミカヅチは隠形術を使えるし、カー君も偵察に向いているわ」


 エイナは少し考え込み、何かを思い出したように顔を上げた。

「だったら、森の中にいい場所があるわ。アフマド族を観察する時の基地にしていた場所よ。

 近くに湧き水があるから、数日は耐えられるはずだわ」

「了解。明日、プリシラ先輩が起きたら進言してみましょう」


「話はまとまったか?」

 タケミカヅチが静かに声をかけた。

 彼はプリシラのベッドの傍らで、ずっと立ったままだった。

 二人がうなずくと、彼は続き部屋の方を顎で示した。


「ならば二人とも寝るがよい。

 ここは我が見張りを務める。そちらはカーバンクルが警戒に当たればよいだろう。

 我らは人間と違って睡眠を必要としないから、遠慮はいらん」


 彼女たちはタケミカヅチの申し出をありがたく受け容れた。

 いくら交渉が成立したといっても、ここは吸血鬼の館である。特に夜間の油断は禁物であった。


      *       *


 翌朝、四人の娘たちが目覚めたのは、八時を過ぎた頃だった。

 十月の半ばであるから、六時前には日が昇っており、寝坊と言ってよい時刻である。

 やはり疲れていたのだろう。寝ずの番をしていた幻獣たちも、あえて起こそうとはしなかったようだ。


 顔を洗って髪に櫛を通し、衣服を整えたところで、寝室の扉がノックされた。

 タケミカヅチが扉を開けると、吸血鬼の少女が立っていた。

 裸同然の薄物だけの姿は相変わらずで、自分の倍の背丈のある武神を無表情に見上げていた。


「朝食の用意ができている。伯爵様がお待ちだ」

 彼女はそれだけ言うと黙った。好意の欠片もない態度だった。


 そっけない吸血鬼に案内されて食堂に入ると、伯爵がコーヒーを飲んでいた。

 エイナたちの席にはサラダとフルーツの皿が並べられていたが、伯爵の前にはカップだけである。


 一同が席に着くと、すぐに熱いスープ、焼きたてのパンとベーコンエッグが配膳された。

 昨夜の晩餐ほど豪華ではないが、朝食としては申し分のない献立である。

 盛り上がるような話題もないまま、食事は淡々と進み、お茶が淹れられたところで伯爵が口を開いた。


「君たちが寝室に下がってから、私も外の様子を見に行ってみた。

 溶岩流は五合目付近で止まっているが、まだ落石が多いから注意したまえ。

 ここを出て、どうするつもりなのかね?」


 プリシラが代表して答える。

「朝に皆と相談しましたが、取りあえず森の中に潜んで、帝国の動きを探るつもりです。

 その後の行動は、手に入れた情報の結果で変わってきましょう」

「そうか……。帝国側の人数は少ないのだろう?

 君たちの戦力なら、十分に対応できるはずだ。無事の帰国を祈ろう」


 その帝国側にマグス大佐という、すこぶるつきの怪物がいることを、プリシラは明かさなかった。それを言ったところで、どうなるものでもないからだ。

 後は自分たちで巧くやるだけであった。


      *       *


「上方から落石多数!」

 ユリアン少尉が警報を発する。


 エッカルト中尉が斜面を見上げて目を細めた。

 直径が数メートルにも及ぶいくつもの岩石が、轟音を上げて転がってくる。

 長身の中尉がすっと右手を上げ、ぼそぼそと何かをつぶやいた。


 途端に彼の姿がぐにゃりと歪み、耳がキンと鳴る。急激な気圧の変化によるものである。

 圧縮された空気の塊りが魔力とともに放出され、弾かれたように斜面を駆け上って岩石群にぶち当たった。


 膨大な質量を持つ岩石を破壊するには至らなかったが、空気の球に押しのけられ、その進路は大きく変えられた。

 直撃するかに見えた岩石は、マグス大佐たちの脇をすり抜け、転がり落ちていった。

 拳ほどの石が弾かれ、いくつも襲ってきたが、すべてユリアンが展開した障壁によって防がれた。


「もうこれで三回目ですよぉ……。大佐殿が山の頂上を吹っ飛ばしたせいです」

 ユリアンが唇を尖らせて愚痴を洩らした。


 彼が見上げた先には、大穴が開き、白い水蒸気が立ち上っている山頂があった。

 夜明けに東側の小屋から仰いだ山頂は、前日と何も変わりはなかった。

 それが、こうして西側に回り込んでみると、大規模な破壊の後が眼前に迫って見える。


 マグス大佐は、自分たちが宿泊する東側に溶岩や落石が及ばないよう、爆裂魔法を打ち込む位置を西側に調整していた。

 彼女の魔法は、最大で直径一キロ以上の範囲に効果を及ぼす。

 深さ一メートルの地盤ごと爆発させ、百メートル近い上空まで巻き上げることができるのだ。


 しかし、昨夜はその範囲を意図的に狭め、余った魔力をより深い岩盤の破壊につぎ込んだのである。

 黒死山の山頂左側は、幅二百メートル、深さ五メートルに及ぶ表層を粉々にして吹っ飛ばした。

 地表近くまで上がってきている溶岩を一気に流出させ、西側斜面にいるはずの召喚士が巻き込まれることを期待したのだ。


 もちろん、そんなに都合よく物事が進むはずがないことは、大佐も分かっている。

 これは単なる嫌がらせに過ぎない。

 あり余る魔力を放出してすっきりするのが目的で、その結果として逃げ回っている敵が苦労すると思えば、なおさら気分がよいというものだ。


 実際にこうして山の西側に来てみると、溶岩の流出は思ったほどの規模ではなく、かなり上の方で止まっていた。

 もっとも、まだ冷え切っていないのか、表面が黒く固まっている斜面からは、白い水蒸気が盛んに立ち上っていた。


 一方で、魔法で爆砕された岩盤は巨大な岩塊となって降り注ぎ、半日以上たった現在でも頻繁に転がり落ちてくる。

 王国の召喚士どもはさぞかし肝を冷やしただろうが、自分たちの身にまで降りかかってきたのは想定外だった。


 副官のエッカルト中尉は、風系の魔法を得意とする珍しい魔導士で、落ちてくる岩石を巧みに逸らせてくれている。

 さらにユリアン少尉が物理防御魔法で障壁を展開して、二重の安全策を取っていた。副官たちは一時も気が抜けず、ユリアンが愚痴を洩らす気持ちは分からないでもなかった。

 だが、大佐はそんな甘いことを口にする人物ではない。


「雛鳥みたいにピーピー泣き喚くな! 馬鹿者!

 それよりユリアン、感知魔法に反応はないのか?」


 少尉は防御や補助系の魔法が得意な魔導士で、攻撃型のエッカルトと組ませるとバランスがよい、

 補助系魔法の中には、かなり広範囲を索敵できる感知魔法も含まれており、彼らはその能力を活用して敵の捜索を行っていた。


「人間の存在はまったく感じませんが……」

「何だ、歯切れが悪いな?」


「はぁ、何だか気持ちが悪いのです」

「貴様の気分などどうでもよい。もっと分かりやすく説明しろ、馬鹿者!」


「えーと……上手く説明するが難しいのですが、感知範囲の中に妙な部分があるのです。

 大佐もご存じでしょうけど、人がいる場合の反応は感覚的なもので、言ってしまえば〝異物感〟です。

 人がいない範囲には、そうした違和感はないのですが、それでも一定の〝ゆらぎ〟のようなものが存在します。

 ですが、いま感知している範囲の中に、そうしたゆらぎを感じない、まるで空白みたいな部分があるんですよ」

「言っている意味がよく分からんな。もう少し端的に表現できないのか?」


 ユリアンは困ったような表情を浮かべて言葉を捜した。

「要するにその空白部分が、いかにもわざとらしいのです。

 そうだ! 感知魔法を妨害する結界が存在するって言えば、分かってもらえますか?」

「それは対魔法の障壁とは違うのか?」


「全然別のものです。それなら魔力反応があるから絶対に騙されません。

 この結界は、魔法とは別系統のものなんじゃないでしょうか」

「ならばそこが怪しいということだろう? 馬鹿者が、最初から簡単に言え!

 さっさとそこへ案内しろ!


 マグス大佐は軍靴で少尉を蹴り飛ばした。

 ユリアンは案内役として一行の先頭に立つこととなった。

 そして、歩きにくい岩だらけの斜面を進むこと三十分、彼らはやっと目的地にたどり着いた。


「ここです、大佐殿。

 この先に結界らしきものが存在します」

 ユリアンが少し得意気に目の前を指し示した。


「……少尉、貴様の目の前にあるのは何だ?」

 マグス大佐が低い声を出した。まるで地獄の底から響いてくるような声音である。


「ええと、山の斜面……ですね」

「そうだ。どう見ても切り立った岩の壁だ。

 この先に結界があるだと? 私に岩盤を掘り進めと言っているのか?」

 マグス大佐は少尉の胸倉を掴み、がくがくと揺さぶった。


 だが、ユリアンは間違っていなかった。

 彼が指し示していたのは、吸血鬼の館に通じる洞窟の入り口だったのである。

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