三十三 遭遇戦
世の中には短気な人間がいる。
そうした人物は怒り出すと、往々にして自分の言葉に興奮し、怒りのボルテージを加速させる傾向にある。
マグス大佐はまさにそうした性格であった。
「大体だ、ユリアン! 貴様は普段からたるんでおる!
私が寛大なのをいいことに、おちゃらけてばかりいるからこんなミスを犯すのだ。
学校出たての新米魔導士でも、『岩盤の中に誰かいるかもしれません』などと、寝惚けたことは言わんぞ!」
彼女は声は段々大きくなってきた。
二人の副官は嵐が頭上を通り過ぎるのを、黙って待つばかりである。
怒りをぶつける相手が黙り込むと、短気な人間はますます激高する。
だからと言って反論や弁明をすると、なおさら怒り狂うのからやっかいなのだ。
「貴様ら、陸に上がった魚みたいに、口ばかりぱくぱくさせおって!
何とか言ったらどうなのだ?」
彼女の縮れた赤毛は、静電気を帯びたようにぶわりと広がり、顔が紅潮して普段は目立たない〝そばかす〟が浮き出ている。
その剣幕に圧されたように、エッカルト中尉が掠れた声を出した。
「た、大佐殿……後ろをご覧ください」
マグス大佐は凶眼を細くしかめた(彼女は近視であった)。
そして部下が指さしている自分の背後を、ゆっくりと振り返った。
そこには岩だらけの絶壁が、人を拒絶するように立ちはだかっているはずだった。
* *
プリシラたちの一行は、伯爵に別れを告げて館を出た。
吸血鬼の主従は玄関まで見送ってくれたが、外へ出ようとはしなかった。
洞窟の中とはいえ、外界ではもう日が昇っており、開口部から明かりが入り込んでいたからだ。
洞窟の出口は伯爵が張った結界で覆われている。
それは外部に対する幻影を伴った防壁のようなものである。
伯爵が許可を与えた者でない限り、よほどの力がなければ突破は不可能である。
プリシラたちはこれを単なる幻影だと思っていたが、実際は魔導士が使う物理防御障壁に近い性格を持っていた。
したがって、彼女たちがこの結界をあっさり通過できたのは異常事態であった。
だが、この時点でプリシラはその事実に、そしてその理由に全く気づいていない。
洞窟の出口を前に、プリシラは立ち止まって再確認を行った。
「伯爵の話では、外は噴火の影響で落石が酷いらしい。
エイナは物理防御魔法を張り、これを防いでほしい。
麓に下りるまで、全員あまり離れずかたまって進むように。知ってのとおり道はない。足元にはくれぐれも注意せよ」
エイナ、シルヴィア、アリマの三人は緊張した面持ちでうなずいた。
エイナは館を出た時点で防御魔法の呪文詠唱を開始しており、いつでも発動させらる状態を整えていた。
慎重な性格の彼女は、洞窟を出る前に障壁を展開させたのだが、伯爵の結界と干渉するらしく、外に出ることができなかったのだ。
出口は外から見た時には、巧妙に偽装された岩肌だったが、内側からだと明るい窓のような感じだった。
ただ窓とは違い、外の景色は見えない。
「では行くぞ」
プリシラは半ば自分を励ますように宣言すると、光の中へ一歩を踏み出した。
結界の外に出てみると、思った以上に陽の光が眩しく、彼女たちは思わず腕をかざして目を守った。
ずっと地中の館で過ごしていたため、その状態に目が慣れてしまっていたのだ。
どうにか視界が開けると、彼女たちの目に予想外のものが映っていた。
帝国軍の軍服を着た、三人の男女がすぐ目の前に立っていたのだ。
* *
憤然として振り返ったマグス大佐は愕然とした。
数秒前まで誰もいなかった絶壁の前に、捜していたはずの王国人たちが立っていたからだった。
相手も驚いているのか、目を剥いて口を開き、蝋人形のように固まっていた
ノルド人の村で見た、長身金髪の女召喚士とその幻獣である巨人。彼女はノルドの民族衣装から、王国軍の軍服に着替えていた。
そして、やはり軍服姿の女。こちらも金髪で、その前には額に宝石を嵌め込んだ、奇妙な動物が四肢を踏ん張っている。
残る二人の女は、どちらもアフマド族の美しい衣装を身につけていた。
一人は黒髪の小柄な娘だが、顔立ちがアフマド族と明らかに違っている。
もう一人はまだ子どもと言ってもよい少女で、こちらは典型的な異民族の容貌であった。
四人の人間と二体の幻獣が、何の前触れもなく突然出現したのである。驚くなと言う方が無理であった。
大佐は口をぱくぱくするばかりで、何も言えなかった。
部下を罵倒した言葉が、そのまま自分に返ってきたようなものである。
呆然としている大佐たちに比べ、立ち直りが早かったのは王国側であった。
「これは……奇遇と言うべきであろうか。
帝国軍のミア・マグス大佐とお見受けする。
私はリスト王国軍のプリシラ・ドリー大尉だ。お見知りおきを願おう」
プリシラはどうにか挨拶の言葉を口にすると、ぎこちなく片手を差し出した。
自身の名前を呼ばれたことで、大佐はようやく我に返った。
目の前で待っている白くて長い指を伸ばした手を、小さな手で握り返した。
「貴公のことは、オシロ村の舞台で拝見した。
私の右に控えているのはエッカルト・アードラー中尉、左はユリアン・エメリヒ少尉。二人とも私の副官だ」
彼らはマグス大佐を守るようにして前に出ていた。いつでも剣を抜けるように、腰を少し落として左に引いている。
柄に手をかけていないのは、ぎりぎり礼儀を守っているからである。
魔導士である二人が、白兵戦の構えを見せているのには理由がある。
魔法を放つには、あまりに彼我の距離が近すぎたのだ。
それはエイナも同じであった。いま防御障壁を展開すれば、帝国軍までその範囲に取り込んでしまう。
彼女はじっと距離を取る機会を窺っていた。
プリシラもその辺の事情は十分に承知している。
マグス大佐が部下を紹介した以上、こちらも応じなければならない。
「後ろに控えている者たちは直接の部下ではないが、便宜上今は私の指揮下に入っている。
金髪の方がシルヴィア・グレンダモア准尉。わけあって軍服は着ていないが、黒髪の方がエイナ・フローリー准尉だ。
もう一人はアフマド族の子どもでアリマという。我々の保護下にある民間人だ。
幻獣の方も紹介したいところだが、それは軍機に属するゆえ禁じられている。察していただきたい」
「ご丁寧に痛み入る。
して、貴官らはどこから現れたのだ?
可能であれば教えてほしいのだが、それも幻獣の力なのか?」
当然ではあるが、マグス大佐たちは吸血鬼と館の存在を知らない。
プリシラとしては、わざわざ敵に情報を与えてやる義理などない。
相手が幻獣の能力だと思い込んでくれた方が、何かと都合がよいだろう。
「残念だが、それも明かせない」
「そうか、致し方あるまい。
どういう理屈かは分からんが、せっかくこうして近しく会えたのだ。
ゆっくりと話を聞きたいのだが……我々と同行してはくれまいか?」
プリシラは小さく笑った。
「そうしたいのはやまやまだが、こちらにも予定があるのだ。
またの機会にしてもらおう」
マグス大佐も笑みを浮かべ、「やれやれ」と言うように首を振った。
「それは残念。君たちは王国の士官という身分だ。しかもドリー大尉は国家召喚士のはずだったな?
他国の士官が我が領土を侵犯した以上、帝国防諜法の規定に従って拘束せねばならん。
私は無駄な争いを好まぬ。大人しく指示に従ってもらいたい」
「断る……と言ったら?」
当然の反応に、マグス大佐は肩をすくめてみせた。
「それは困ったな。
私は部下と対応を協議したい。失礼は承知だが、しばし待たれよ」
彼女はそう言うと、敵に対して平然と背中を向けた。
そして二人の副官の肩を抱き、二、三歩後ろに下がった。
「大佐殿、あの黒髪の娘から魔導反応があります。
あれは王国の魔導士です」
ユリアンが大佐の頬に触れるほど顔を近づけ、そうささやいた。
「何か術式を展開しているのか?」
「このパターンは物理防御でしょう。落石に対応する準備をしていたと思われます」
「ということは、それを解除して魔法防御を張り直すには、十分以上かかるな。好都合だ。
エッカルト、貴様の圧縮空気弾で、連中を崖に叩きつけてやれ!」
「しかし大佐殿、この近距離でそんなことをすれば、反動で我々も吹っ飛びます!」
「そこが狙いだ、馬鹿者!
我々も吹っ飛べば、一瞬で距離が取れる。そうなれば魔法の撃ち放題だろうが」
「いや、ですから危険すぎます!
平地ならまだしも、ここは岩だらけの斜面です。転落したら怪我では済みません」
「帝国軍人ならそのくらい耐えてみせろ、馬鹿者!
いいから言うとおりにするのだ!
ユリアン、貴様は飛ばされた瞬間に物理防御を展開するのだ。我々を守ってみせよ!」
「うわぁ~、賭けもいいところですねぇ!」
大佐はユリアンの頭を拳骨で殴ると、笑顔で振り向いた。
「待たせて済まなかった、ドリー大尉」
「相談はまとまったのか、マグス大佐?」
そう答えるプリシラの左右に、巨大なタケミカヅチと毛を逆立てたカー君が進み出た。
エイナたちはタケミカヅチの陰に隠れるような態勢になった。
「結論はこうだ……死ねぇっ!」
大佐の怒号を合図に、エッカルトが手を伸ばして風魔法を放った。
同時にユリアンが小柄な大佐の身体を両手で抱きしめる。
帝国側の姿が陽炎のように揺らいだ。圧縮された空気のせいである。
エッカルトの前に収束した空気の塊りは、ごうっという音を残して目の前のプリシラたちに襲いかかった。
彼女たちの背後には山の斜面が迫っており、逃げ場はない。
その狭い空間に、高速の圧縮空気弾が撃ち込まれ、爆発したのである。
マグス大佐と二人の副官は、魔法の反動と拡散する空気の圧力で、軽々と吹っ飛ばされた。
ユリアンは大佐をきつく抱きしめていた。エッカルトはとっさにユリアンの革ベルトを掴んだので、三人は一塊になって宙を舞った。
上下左右も分からずに回転しながら、ユリアンは空中で物理防御魔法を発動させた。
彼らは二十メートル近く吹き飛ばされたあげく、岩の斜面に叩きつけられた。
普通なら全身の骨が砕けて即死していただろうが、ユリアンを中心に球状に展開された防御障壁がクッションとなり、三人はどうにか死なずに済んだ。
地面への激突は免れたが、彼らが無事だったわけではない。
物理防御障壁は動かない建物や地形に対して、透過する性質を持っている。
ただし、それはゆっくりと干渉した場合の話で、急激に激突した時には異物と判断して反発をする。
バケツの水を地面にぶち撒けると、水は飛び散ってしまう。だが、静かに流せば水は地面に吸い込まれていく。そんな理屈である。
地面に叩きつけられた障壁は、空気の壁となって人間を守ってくれたが、その壁自体が固い。水に飛び込むときに失敗して、腹を打つようなものである。
兵士として格闘術の訓練を受けている副官たちは、無意識のうちに受身を取っていた。
受けた衝撃は激しく、彼らはしばらくの間立ち上がれなかった。
無事だったのは、ユリアンに抱きしめられていたマグス大佐だけだった。
数分の間、苦しそうに呻くだけだった副官たちは、どうにか意識を取り戻した。
小柄なマグス大佐は、ユリアンが腕の力をまったく緩めてくれなかったため、彼と一緒に転がっているしかなかった。
「……大佐殿、ご無事でしょうか?」
ユリアンは歯を食いしばりながら身を起こし、まず上官の安全を確かめようとした。
「ああ、貴様のお陰で怪我はない。礼を言うぞ」
大佐は部下の胸に抱かれて憮然とした顔をしていたが、珍しく素直に感謝を口にした。
ユリアンはほっとしたような笑顔を浮かべた。
「エッカルト中尉、そちらはどうですか?」
彼は隣りで倒れている同僚にも声をかけた。
「どうにかな。骨は折れていないが、酷い目にあった。
大佐殿、もうこんな無茶は二度とご免です。命がいくつあっても足りません」
マグス大佐は〝ふん〟と鼻を鳴らした。
「だらしないぞ、馬鹿者。私の部下なら、これくらいで泣き言を洩らすな。
それよりユリアン」
「はい何でしょうか、大佐殿」
「いいかげんに手を離せ。
いつまで私の乳を掴んでおる!
貴様、女の胸は優しく揉むものだと教わらなかったのか?」
* *
それは文字どおり不意打ちだった。
マグス大佐が大きな頬傷のある顔に凶暴な笑みを浮かべ、「死ね!」と怒鳴り声をあげた。
同時に彼女と副官の姿がぐにゃりと歪み、次の瞬間にプリシラたちは暴風に包まれた。
魔法にあまり詳しくないプリシラでも、相手が何らかの魔法を放ったことだけは理解できた。
マグス大佐は悪名高い大魔道士であるから、魔法攻撃を仕掛けてくるのは当たり前である。
だが、いくら何でもこの近距離ではそんな無茶をしないだろう……プリシラはそう思っていた。
それは魔導士であるエイナも同じであった。
魔法はある程度の距離を取ってこそ、威力を発揮するものである。
目の前にいる敵に対して魔法を撃ったら、術者自身が巻き込まれて共倒れになってしまう。
だからこの攻撃は全くの予想外で、彼女たちは目をつぶる以外、何もできなかった。
突風が前後左右から襲ってきて、巻き上げられた小石が激しく身体を打った。
茶色い砂埃が舞い、とても目を開けられる状況ではなかった。
プリシラ、エイナ、シルヴィアの三人は視界を奪われた闇の中で、死の瞬間を待ち続けていた。
恐怖は心臓を握り潰し、冷たい不安が腸を掻き回した。
膀胱が痛くなるほど収縮し、内腿を熱い液体が伝い落ちたが、誰もそのことに気づかなかった。
その刹那の時間は、永遠のように感じられた。




