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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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十六 波紋

 カー君が戻ってきたのは、翌日の明け方だった。

 ちょうどエイナが目を覚ました頃である。

『ただいま』という声が聞こえると、エイナは慌ててゲルの入口を開けて彼を中に招き入れた。


「遅かったじゃない!

 何かあったんじゃないかって、心配したのよ」


 カー君はぐったりとして、床に敷かれたフェルトの敷物の上に寝そべった。

『もちろん〝何か〟あったさ。

 例の輿こしを追っていったら、案の定山を登り始めてね。

 僕は見つからないように、かなり距離をおいてついていったんだ。

 輿を担いでいた男たちは山の中腹まで登っていって、乗せていた女の子を置き去りにして下りてきた。

 彼らをやり過ごしてから、僕は女の子の様子を見にいったよ。

 そしたら、道の先には小さな広場があって、女の子はそこに立てられた柱に縛られていたんだけど、……そこにはシルヴィアもいたんだ』

「まぁ!」


『僕も驚いたけどね。

 シルヴィアはちょうど山の西側を調査していて、道を見つけたらしい。

 カスムの男たちが登ってくるのに気がついて、隠れて見ていたそうだよ』

「なるほどね。それで、女の子はどうしたの?」


『もちろん助けたよ。放っておいたら死んじゃうもの。

 シルヴィアは小屋まで連れ帰ろうとしたんだけど、これが大変でね。

 女の子――アリマっていう名前だったけど、強い酒で酔わされていたんだ。

 最初は僕の背中に乗せていたんだけど、まだふらふらの状態で、すぐに落ちるようになってね。

 それで、シルヴィアが背負って歩いていくことになったのさ。

 あたりは真っ暗だし、道のない落石だらけの岩場じゃない? シルヴィアまでへばっちゃったんだ。

 全然先に進めないし、冷えてきてアリマは弱っていくしで、もう駄目かっていう状態まで追い込まれたね。

 でも、そこへタケちゃんが現れて助かったんだ。シルヴィアを探しに来てくれたんだよ』

「タケミカヅチが! じゃあ、無事に帰れたのね?」


『ああ。やっぱりタケちゃんは凄いね。邪魔な岩なんか、がんがん蹴とばして走っていくんだぜ。

 しかも、シルヴィアとアリマの二人を抱えてだよ。四つ足の僕より、よっぽど速かったなぁ……。

 結局、日付が変わる前に小屋に戻ることができてね。

 シルヴィアたちのことはタケちゃんに任せて、僕は報告のために戻って来たってわけ』

「それは……ご苦労さまだったわ」


『まったくだよ。不眠不休だったからね。

 黒死山にはほとんど精気がないし、疲れているシルヴィアからは吸えないでしょう? もうへとへとだよ。

 僕は回復しなくちゃいけないから、しばらく休ませておくれ』

 カー君はそう言うと、目を閉じて眠ってしまった。


 カーバンクルという種族は、基本的に食事や眠りを必要としない。

 彼らは周囲の生物から精気、即ち生命力を少しずつ吸収することで生きている。

 人間や家畜が集まっているこの野営地は、良質の餌場のようなものであった。


      *       *


 いつものようにオユンとツェツェグが温かい朝食を運んでくれた。

 昨日は久しぶりにお湯をつかえたので、エイナは元気いっぱいであった。


「あなたたちは、今日のうちに移動をするのよね。

 結構遠くまで行くの?」

 彼女は給仕をしてくれる二人の少女に訊ねた。


「いえ、それほど遠くではありません。

 とりあえず、森から距離を取る感じですね」

 豊かな胸を揺らしてツェツェグが答えた。


「本来なら、こんな危ない所に野営することはないのです。

 用が済んだら、さっさと移動するに越したことはありませんから」

「ああ、面倒な〝儀式〟が済んだものね」

 エイナが誘うように、にこりと笑った。


「ええ、そういうことです」

「ツェツェグ!」

 オユンが鋭い声を上げ、ツェツェグは『しまった!』という顔をして、黙り込んだ。


 エイナは少女たちを罠にかけたことに、小さな罪悪感を覚えたが、確認せずにはいられなかったのだ。


 総勢百人余りというカスム族は、弱小ゆえに黒死山の麓という、悪条件下での放牧を強いられている。

 エイナに見せたくなかった儀式は、アフマド族全体のものなのか、この付近一帯で行われるものなのかは分からない。

 だが、生贄の少女が他部族から連れてこられたことから考えて、儀式に複数の部族が関与しているのは間違いない。

 生贄を連れてきたのは、恐らくカスムより立場が上の部族なのだろう。


 生贄はその部族が提供する。

 カスム族は生贄提供の負担を免れる代わりに、それを捧げるという〝実行犯〟の役割を与えられているのだろう。


 遊牧民たちは情に篤く、気のいい人たちであることは、ここ数日の交流で十分知ることができた。

 年端もいかぬ少女を山の中に置き去りにして、その命を奪うことは辛い役目であり、彼らの本意であるはずがない。


 カー君が見たという、カスムの人たちが見せた他部族への怒り、生贄に選ばれた少女に対する同情は、その表れに違いない。


 なぜ、こんな不合理な儀式が行われるのか――その点は謎のままであるが、おおむね事態の背景は推し量ることができた。

 幸いなことに、生贄の少女はシルヴィアが救い出してくれた。

 冷たいようだが、この儀式に対するエイナの関心は、急速に失われていた。


 これは異民族の残酷な慣習だと、目をつぶってしまえばいい。

 むしろ、儀式から遠ざけられた代償に、バータルから多くの話を聞き出せたことの方が、情報としてはずっと有益だった。


      *       *


 エイナは朝食後、族長とバータルのもとを訪れ、世話になった礼を告げた。

 アフマド族に対する情報収集という彼女の目的は、十分に果たされたのだ。

 弱少部族ではあるが、カスム族という知己ちきを得たことも、満足できる収穫であった。

 エイナは族長たちに、自分は帰国するつもりであると告げ、最後にゲルの移動を見学したいという希望を述べた。


 もちろん、彼らにそれを断る理由はない。

 エイナは自由にしてよいという許可を与えられた。

 彼女が滞在していた客用のゲルも撤収されることになり、エイナは少ない荷物をまとめ、ぐだぐだしているカー君を適当な草地に連れ出した。

 後はゲルと家畜の移動という、彼らの日常風景をのんびり見学するだけである。


 慣れているせいなのだろう、彼らの作業は実に手際がよかった。

 あちこちで行われる解体は、それぞれ二時間もかからなかった。

 カスムの人たちも、この地を離れることが嬉しいらしく、表情が明るかった。


 平和な時が流れる中、エイナは気が緩んだのか、うとうととしてしまった。

 眠ったのはそう長い時間ではなかったが、目を覚ますと周囲の雰囲気が一変していた。

 人々が作業を中止して、野営地の外れに集まっていたのだ。


 エイナは不審に思い、カー君を残して彼らのもとへ向かった。

 群衆の中心では、馬に乗った数人の男たちが怒りを露わにし、何事かを口汚くわめき散らしていた。


 着ている衣装がカスム族とは微妙に異なるし、まったく見覚えのない顔である。

 その横柄な態度からも、カー君が報告した生贄の少女を連れてきた者たちではないか、エイナはそう当たりをつけた。


 彼女は手近にいた顔見知りの女性に、何が起きたのかを訊ねた。

 その女性はツェツェグの母親でドルマーという名だったが、エイナの顔を見ると困ったような表情で口を濁した。


 馬上の男たちがそれをざとく見つけ、怒号を上げた。

「何だその女は! どこの者だ?」

 エイナは王国軍の軍服を着ていたから、彼らの不審を招いたのは当然である。


 男たちの前に立っていたバータルが、ちらりとエイナの方を見て舌打ちをした。

 だが、すぐに彼はエイナをかばってくれた。

「あれは外国からの客人だ。貴公らにとやかく言われる筋合いはない」

「よもや、あの女がアリマを逃がしたのではあるまいな?」


「それはない! あれ(・・)を客人に見せるわけがなかろう。

 客人は昨日の朝から夕方まで、ゲルから一歩も外に出なかった。

 それは一緒にいた俺が保証するし、夜も見張らせていたから、野営地からは出ていない。一族の名誉にかけて誓おう」


 バータルは小なりといえど、部族の三十人長、即ち軍事責任者である。

 その彼がきっぱりと言い切ったのであるから、馬上の男たちもそれ以上の追及はできなかった。


「くそっ、まぁいい!

 とにかく、アリマに逃げられた責任は、カスム族にあるのは明らかである。

 我らがお館様から与えられた猶予は夕方までだ。それまでには代わりの娘を送り届けねばならん!

 それができぬならば、周辺六部族はカスム族を蹂躙し、すべての女、子どもを生贄として捧げることになろうぞ!」


 馬上の男はそう怒鳴り散らすと、後方に腕を伸ばして指さした。

 エイナがその方向に目を遣ると、かなり距離を置いた草原に、騎馬の軍勢が集結していることに気づいた。

 十数騎の群が広範囲に散らばっていて、この野営地を完全に包囲しているようだった。ざっと目算しただけでも、三百人に近い数である。


「そういきり立つでない」

 バータルを押しのけるようにして、族長が前に出た。


「話は分かった。時間がないことも理解しておる。

 だが、身代わりを選ぶのは簡単なことではない。それはお主らも承知しておることだろう。

 決めるまでの時間はもらうぞ。よいな?」

 小柄な老人の身体と声音からは、言い知れぬ迫力が感じられた。


「よかろう。もう昼時も近い。二時間だけ待ってやろう。

 おい、行くぞ!」

 騎馬の男は、仲間たちに声をかけ、馬首を返して去っていった。


 その姿が小さくなるまで見送った族長は、振り返ると部族の者たちに呼びかけた。

「皆の者、聞いたとおりじゃ。

 なぜこんなことになったのかは分からんが、起きてしまったことは仕方がない。

 誰かが犠牲にならなければ、我らに明日はない。辛いじゃろうが、受け容れてくれ……」


 集まった男たちは下を向いて唇を噛み、女たちは抱き合ってすすり泣いた。

 騒然とする中、族長は声を張り上げた。老人とは思えない、よく通る大きな声だった。


「これより一族会議を行う! 全家長はわしのゲルへと集まれ!」


 エイナは群衆を掻き分け、どうにか族長のもとへ近づくことができた。

 老人に詰め寄ろうとするエイナの前に、すっとバータルが身体を入れ、彼女の肩を押さえた。


「バヤル様、バータル殿! 一体、何が起きたのですか?」


 バータルは困ったような顔をして、族長の方を見た。

 族長のバヤルは、皺だらけの顔を歪めて笑った。


「何が起きた……か。

 わしはエイナ殿にこそ、そう訊ねたいのだがのぉ。

 まぁよい。今さら隠すのは、互いに茶番であろう」


 老人は咳き込んで痰を吐くと、あっさりと白状した。

「この周辺で放牧をしている七つの部族は、三年に一度、黒死山に娘を捧げるという儀式を行っておる。

 生贄の娘は、六つの中部族が持ち回りで出すことになっている。

 一番人数の少ない我らは、その責務を免除される代わりに、選ばれた娘を山まで運ぶことになっておる」


 族長の話は、エイナの推測とほとんど相違がなかった。


「なぜそのような残酷なことを……」

 黙っているつもりだった言葉が、思わず口をついて出てしまった。


「進んでやりたいなど、誰が思おうか。これにはそれなりの事情がある。

 さっきの騎馬の男たちはフレグ族と言って、今年の生贄を出した西隣りの部族じゃ。

 不思議な話だが、昨日山に運び、逃げられないように縛ったはずの娘が、消えてしまったらしい。

 それで、わしらに『責任を取れ』と迫られておるところじゃ」


『シルヴィアが助けたからだ……!』

 エイナは即座に背景が理解できたが、それは秘密にしないと彼女の立場が悪くなる。

 それにしても、族長はエイナがこの件に関わっていることを、疑っているような口ぶりだったのが驚きであった。

 軟禁が解けた昨夜も、エイナのゲルは密かに見張られていたらしい。

 ひょっとして、カー君の動きが覚られたのだろうか?


「エイナ殿!」

 考え込む彼女を不意打ちするように、バータルが声をかけてきた。


「これから族長のゲルで一族の会議が開かれる。

 族長はそなたにも出席してもらう意向だ。よろしいな?」

「私が……?

 いえ、私は構いませんが、そちらこそよいのですか?」


「俺個人としては、アフマドの恥を見せたくない。

 だが、バヤル様には何かお考えがあるようだ」


 エイナは会議への出席を承諾した……というより、断れるような雰囲気ではなかった。

 カスム族の男たちは殺気立っていて、女たちは悲嘆に暮れている。

 今この場を逃げ出そうとしたら、どうなるのか?

 その答えなど、予想がつくというものだった。


「バータル殿、生贄の娘が消えたということを、なぜフレグ族が知っているのですか?

 実際に山まで運んだカスム族の皆さんも、知らなかったことなのでしょう?」

「昨夜、おやかたの使いが来て、約束の娘がいなかったとなじったらしい」


「お館……あの山に館があるのですか? じゃあ、その館の主が生贄を……。

 え、ちょっと待ってください!

 生贄を運んだのは昨日の午後ですよね?

 それが消えたことに夕方気づいたとしても、その夜のうちにフレグ族に報せるなんて不可能です!

 フレグ族って、皆さんよりも西の内陸部で放牧しているんでしょう?」


「ああ、答えが簡単になって助かるな」

 バータルが苦笑いを浮かべた。


「エイナ殿はさっき、『どうしてこんな残酷な儀式を行うのか』と訊きかけただろう?

 今度は『なぜお館の使いが、遠く離れたフレグ族のもとに短時間で現れたのか』と訊いた。

 そして、次はこう訊くつもりだ。『お館様とは何者ですか?』とな。違うか?」


 エイナが黙ってうなずくのを見たバータルは、小さく溜め息をついて首を振った。


「答えは一つだ。

 お館様は……そのお使いもそうだが、人間じゃない。

 化け物(・・・)なんだよ」

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