十四 少女
「つまり、アフマド族と連携して行動を起こす場合、必ずしもクリルダム(族長会議)にかける必要はないということですか?」
エイナの問いに、バータルはうなずいてみせた。
「ああ。確かにクリムダルで決まれば、アフマドのほぼ全部族の力を統合できる。
しかも戦いでの武功は直接部族の隆盛につながるから、戦意は極めて旺盛で数以上の力が出せる」
「名誉だけではなく、具体的な利益が得られるのですね?」
「そうだ。
戦後の論功行賞で、戦果を挙げた部族にはより質が高く、広い餌場に放牧できる権利が認められる。
逆にさしたる活躍が見られなかった部族からは、良質な牧草地が取り上げられ、それに異議を唱えることが許されないのだ。
だから、どの部族も必死に戦うことになる」
「でしたら、クリムダルで全部族を動かす方が有利と思われますが……」
「ところが、よいことばかりではないのだ。
集められた中小部族の兵力は、五大部族の指揮下に入って動かされる。
まとまった軍として行動するわけだから、当然指揮官の命令に従わなくてはならない。
ところが、各部族から参加した戦士たちは、自分が武勲を挙げることだけに血眼になっている。
不意打ちを狙っているのに先走る馬鹿が出るせいで、敵に覚られる。
敵を誘い込むため撤退したいのに、無駄に留まって罠が不発に終わる。
そんな例が続出してしまうのだ」
「ああ、ありそうな話ですね」
「だから大兵力があっても、作戦を立てる場合は五大部族が単独で兵を動かさなくてはならない。
各部族の連合軍は、がむしゃらな突撃の場面でなければ使えないのだ。
勝っている時はそれでいいが、アフマド族は退くのが下手で、無駄な被害を出すことが多い。
王国が我らと連携を図るのであれば、綿密な作戦と打ち合わせが必要だろう。
それならば、五大部族のいずれかと単独の協定を結んだ方が、場合によっては有効だという話だ」
「確かにそうですね。
でもその場合、五大部族は戦いに勝っても、新たな牧草地を得られないということになりますね。
それでは戦意が湧かないのではありませんか?」
「そうだ。だから王国は、餌場に代わるだけの褒賞を提示しなくてはならない。
五大部族は単独でも数万の兵力を有している。
遠く離れた王国が、それを納得させられる見返りを用意するのは、なかなかに難題だろうな」
エイナとバータルは、具体的に王国とアフマド族が協力する場合、そこで生じると思われる問題点を洗い出していた。
バータルは戦経験が豊富なうえに、各部族の事情に詳しく、示唆に富んだ意見はとても参考になった。
戦略や外交に関する講義は、魔導院や軍学校でさんざん受けていたが、それとは比べ物にならないほど、現実的で面白い議論である。
エイナは自分が軟禁されているという状況を忘れて、夢中になって彼と話し込んでいた。
『エイナ!』
熱に浮かされたような彼女の頭に、いきなりカー君の意識が割り込んできた。
まるで水をぶっかけられたように、一瞬でエイナは冷静さを取り戻した。
一方、何かに驚いたような表情を見せたエイナを、バータルは怪訝な顔で見詰めている。
「どうかしたのか? エイナ殿」
「え? いえ、えと……何でもありません。
あまりに興味深いお話が続いたもので、少し疲れてしまったようです。少し休憩いたしませんか?
できればその、お茶などいただけるとありがたいのですが……」
取り繕う彼女の言葉を、バータルは素直に受け取った。
「これは気がつかなかった!
やはり俺は無骨者だな。女房の言うとおりだ。
少し待たれよ」
彼は立ち上がると、ゲルの出入口に歩みよって外に顔を出した。
そこには警備の若者が二人、立哨をしていたのだ。
バータルはその一人に、茶の手配を命じたようだった。
その隙にエイナはカー君に呼びかけた。
『お待たせ、意外と時間がかかったわね?』
ゲルの中なので時間がよく分からないが、オユンとツェツェグが昼食を運んできてから、まだそれほど時間は経っていない。
恐らく午後の二時前くらいだろう。
エイナの禁足が解けるまでは、まだかなりの時間があるはずだ。
『ひと段落がついたって感じだよ。
詳しい話は後にして、とにかく簡単に説明するよ』
『お願いするわ』
* *
カー君の報告は、以下のようなものだった。
『カスム族の人たちは、誰かが来るのを待っていた。
それは、どこか別の部族のアフマド人だったみたいだね。
ただ、こっちの人たちは誰も歓迎していなかった。もちろんそれは僕の推測だけど、皆の表情で一目瞭然だったよ。
皆、やってきた別の部族の人たちを、怒ったような目で睨んでいたからね』
『馬に乗ってきた人たちは、十人くらいだったね。
何だか横柄な態度で威張っていたから、カスムの人たちが嫌っているのも当然かもしれないな。
彼らは馬から降りもせずに、そのまま野営地の中に乗り入れて来たんだ』
『野営地の中央には、例の輿が置かれたままで、周りにはたくさんの女の人たちが集まっていた。
乗り込んできた男たちは、女の人たちを追い散らすように輿に近づいていって、やっと馬から降りた。
そして、馬に乗せていた大きな荷物を抱えて、それを族長さんに渡したんだ』
『族長の爺ちゃんが、荷物を包んでいた白い布を取ると、中から出てきたのは女の子だった。
あんまり近づけなかったけど、多分エイナよりもずっと若くて、半分子どもっていう感じだったよ。
女の子は眠っているっていうより、気絶している感じで、ぐったりしていたなぁ』
『爺ちゃんが「この娘が今年の?」と訊いたら、渡した方の男は「そうだ」と答えてた。
それで「後はよろしく頼む」と言うと、そのまま馬に乗ってさっさと帰っていったんだ。
カスム族の人たちは、族長さんから女の子を受取ると、輿の上に寝かせてたよ。その子はとてもきれいな服を着ていたね』
『集まっていた女の人たちは、周りに駆け寄って女の子に花を投げ始めた。
あっという間に女の子は花に埋もれてしまったね。
そしたら、余所行きっぽい服を着た男の人たち八人が、輿を担ぎ上げて歩き出したんだ。
向かっているのは、黒死山の方角だったよ』
『輿が動き始めると、女の人たちが泣きながら後を追って、花を投げかけるんだ。
男の人たちは、怒ったような顔で黙って見送っていたなぁ。
輿が野営地から出て行くと、皆とても悲しそうな顔をしていたよ。
女の人たちは、ひそひそ小声でささやきながら、地面に散らばった花を片付けていたっけ』
『輿がどこに行くのか気になったけど、後を追ったらさすがに目立つし、変に思われるでしょう?
それで、とにかく一度報告しようと思って、戻って来たってわけだよ』
* *
カー君の話が終わると同時に、ゲルの中にツェツェグが入ってきた。
手にしたお盆には、お茶の入ったポットと茶器が乗せられていた。
アフマド族の飲むお茶は、乳に直接茶葉を入れて煮だしたもので、それにたっぷりの砂糖とバターをひと欠片入れて呑む。
茶器は持ち手のない小さな陶器で、何杯もお代わりするのが普通である。
エイナは愛想笑いを浮かべ、お茶をいただきながら世間話をした。
その一方で、頭の中ではカー君と忙しく打ち合わせを行っていた。
彼女は日頃から、同時に二つのことを考える訓練を続けていたので、こうした時には便利だった。
『カー君、やっぱり輿がどこに行くのか、後を追ってちょうだい。
もちろん、見つかったらまずいから、十分に距離を取ってほしいんだけど、できる?』
『足跡と臭いをたどれば、追跡はそう難しくはないね。
でも、もし彼らが黒死山を登るのだとしたら、隠れる場所が岩しかないから、相当離れていないといけないね。
まぁ、やってみるよ』
『お願いね』
エイナの言葉に、もう返ってくる言葉はなかった。
カー君はさっそく後を追ったらしい。
* *
荒れたガレ場には、あまりにも似つかわしくない細い道。
シルヴィアはそれをひたすら登っていた。
彼女が調査を行っていたのは、山の二合目から三合目にかけてであった。
それより上に登ると、あちこちから吹き出す高温のガスで視界が遮られ、落石や中毒の危険があった。
今、彼女はその危険な領域に足を踏み入れていた。
道が続いているということは、少なくとも安全なのだろうと、自分を無理やり納得させたのである。
登り始めて一時間も経っただろうか、彼女の目の前に小さな広場のようなものが、いきなり現れた。
どう考えても自然にできたものではなさそうで、できてから相当の年数が経っているように思える。
上を見上げるとガスで視界が悪いがもう道はなく、ここが終点らしい。
シルヴィアは慎重に広場を調べて回った。
魔法陣らしき痕跡は見当たらず、幻獣界につながる時空の歪みのようなものも感じられない。
ただ、ここも道と同様に落石が片付けられており、寄せられた岩石がちょっとした壁のようになって取り囲んでいた。誰かが定期的に管理をしているようだった。
これといって不審なものはないが、広場の中央に穴が開いている。一辺が十五センチほどの四角形で、深さは五十センチほどもある。
これも、人が掘ったものだと思われたが、その目的は見当もつかなかった。
それ以上調べても、何も分かりそうもなかった。
彼女は軍服のポケットから野帳を取り出し、広場の様子を簡単にスケッチした。
そこに広場の直径、中央の穴の寸法や深さなどを書き込んだ。
太陽の方角や、風の具合で時々姿を現す頂の見え方から、山の北西で五合目に近い地点だと推測された。
シルヴィアは野帳を閉じてポケットにしまうと、広場の縁に腰をおろし、ぼんやりと麓の方を眺めた。
ずっと斜面を登ってきたので、足がじんじんと痺れている。
かなり高度が上がっていたので風は冷たく、汗で濡れた身体から体温を奪っていった。
彼女は疲労のせいで、いつの間にか眠ってしまったらしい。
はっと気づき、慌てて空を見上げる。薄曇りだが太陽の位置は大体分かる。
さっき測量した時から、太陽があまり動いていないことに、シルヴィアはほっと安堵した。
どうやら眠っていたのは十分程度のことらしい。その代わり、足はだいぶ楽になっていた。
もう降りなければならない。彼女は立ち上がると尻の埃を払い、登ってきた道を見下ろした。
ガスがかかっていて、相変わらず見通しが悪い。
だが、そのぼんやりとした道の先で、ちらりと明かりが見えた気がした。
シルヴィアはじっと目を凝らす。
間違いない。かなり下の方だが、何かの明かりが見え、それがゆっくりと近づいてくる。
広場の中に身を隠す場所などない。彼女は落石が寄せられた壁を乗り越え、外側に這い降りた。
落石が積み上げられた小山は、高さが一メートルほどもあった。
座ってしまえば、広場からは姿が隠せる。ごつごつとした石は隙間だらけなので、広場の中を覗くこともできた。
彼女は下から登ってくる者を待つつもりであった。
どうせ今日の予定は大幅に遅れている。今日の内に拠点の小屋には帰れないだろう。
それならば、とことん広場の謎を解き明かすべきだ。
とにかく、プリシラ先輩に報告できそうな特記事項だと思うと、急に元気が出てきた。
シルヴィアが岩山の陰に身を隠して、三十分以上経過したころである。
彼女の耳に荒い息遣いが聞こえてきた。
それに続いて、広場に男たちが姿を現した。
『アフマド族みたいね。担いでいるのは……輿かしら?』
岩の隙間に顔を押しつけたシルヴィアは、心の中でそう自問した。
男たちの人数は八人。いずれもゆったりとした民族衣装を着ているが、それは全体に刺繍がほどこされた、かなり美しいものだった。
小さな東屋のような構造物を、二本の長い棒で支えて、それを男たちが肩に担いでいるのだ。
シルヴィアの見た明かりは、担ぎ棒の前後に縛りつけられた松明のものだった。
男たちは『やれやれ』といった表情で輿を広場に降ろした。
乗り台の四隅には柱が立てられ、壁はないが簡単な屋根がかかっている。
そしてその床には、花に埋もれた少女が横たわっていた。眠っているのか、ぴくりとも動かない。
男たちは輿に括りつけられていた、二メートルほどの長さの角材を取り外した。
輿の全体は凝った浮彫で装飾されており、かなりの年季が入っているように見えた。
だが、今取り出された柱は単なる白木で、明らかに新しいものである。
彼らはその柱を二人がかりで運ぶと、広場の中央にあった穴に差し込んだ。
初めから穴に合わせて作られたように、柱はぴったりと穴に嵌まった。
男の一人が試すように押しても、ほとんどぐらつかなかった。
別に男が、横たわっている少女を軽々と抱き上げた。
そして、立てたばかりの柱に身体を押しつけると、別の者たちが縄で縛りはじめた。
足首、膝、太腿、腰、腹、胸と順々に縛っていき、最後に頭を柱に縛りつけた。
幾重にも固定しているのは、少女に意識がなく自分では立てないためだろう。
少女の身長は百四十センチ余りと小柄で、それが幾重にも縛りつけられる様子は、酷く残酷な行為に見えた。
男たちは作業を終えると、輿の乗り台に溢れていた花をすくい上げ、一人ずつ少女の前に立って頭から花を振り撒いた。
彼らの表情は沈鬱で、少女を見ないように顔をそむけていた。
そして、全員が一列に並ぶと、地面に跪いて、長い祈りを捧げた。まるで詫びているかのようだった。
儀式のようなものが終わると、男たちは空になった輿を担ぎ、ぞろぞろと道を降りていった。
彼らが広場から姿を消してから十分以上、シルヴィアは身動きひとつできなかった。
呼吸すら忘れていたのかもしれない。そう思うほどの深い溜め息が出た。
彼女は強張った関節の痛みに顔をしかめながら、隠れていた岩山をよじ登って、広場に戻った。
柱に縛りつけられている少女は、相変わらずぴくりとも動かないが、胸が上下していることでその生存は明らかだった。
その目の前に立ち、まじまじと少女の顔を覗き込んだ。どう見ても十四、五歳の少女である。
顔を近づけると、微かな呼吸が感じられた。
その息が妙に甘ったるい。
『酒を飲まされている!』
なるほど、何をされても目覚めないわけだ。
息が匂うということは、かなり強い酒を――恐らくは強制的に飲まされたのだろう。
いくら早熟な遊牧民の子と言えども、さすがにこの年齢で酒に対する耐性はないはずだ。
酷いことをする。もし目覚めたら、きっと酷い頭痛と吐き気で一日中苦しむに違いない。
アフマド族の男たちは泥酔して意識のない少女を縛り付け、山の中に置き去りにしていったのである。
荒涼とした山には、襲ってくるような野獣はいないだろうが、水も食事も摂れない状態で身動きが取れないのだ。
今は十月も半ば、ここは北の大地で、しかも高山の中腹である。夜は凍えるような寒さとなろう。
少女が朝までに落命するのは、目に見えていた。
『どうしよう……』
シルヴィアは途方に暮れてつぶやいた。
だがその答えなど、自分自身が一番よく分かっていたのだ。




