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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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九 定時連絡

 十月十日、参謀本部とプリシラの間で取り決めた、定時連絡の日のことである。

 王城の広大な前庭には、巨大な鳥類型幻獣であるロック鳥が、羽根をたたんで大人しく控えていた。

 その大きな嘴を優しく撫でながら、何事か話しかけている金髪の男は、その召喚主のアラン少佐であった。

 彼は過酷な偵察・測量任務、また緊急時での要人運搬に休む暇なく酷使された代償として、異例の若さで佐官に昇進していたのである。


 彼ら主従の前には、小さな丸太小屋がでんと据えられていた。

 優雅な王城にはおよそ似つかわしくない粗末な小屋であったが、それこそはロック鳥が要人や兵員を運ぶための輸送籠であった。

 そして、その山小屋風の建物の前で、冴えない表情をした二人の少女が佇んでいた。

 

 アラン少佐はロック鳥(ピートという名だった)の眉間の羽毛をわしゃわしゃと掻いてやると、その場を離れて二人の方へ寄ってきた。

「何だか元気がありませんね?」


 にっこりと微笑む少佐は、三十歳をとっくに超しているはずだったが、どう見ても二十代前半にしか見えない。

 まるで古代の彫刻が動き出したような均整の取れたスタイルと、美しい容貌は、これまで女性に関する数々の伝説を残してきた。

 本人は紳士で色事にはほとんど関心がないのであるが、周囲の女たちが夢中になった挙句に、決闘騒ぎまで起こしていたこともある。


これの乗り心地を思い出すと、へらへら笑う気にはとてもなれません」

 シルヴィアは正直に答えた。


「まぁ、何度か乗れば馴れますよ」

 アラン少佐のアドバイスは、シルヴィアが期待したものとは程遠い。


「プリシラ大尉と落ち合うのは、本日の夜更けの予定です。まだ陽は高いですから、時間的には十分な余裕があります。

 速度は抑えるつもりなので、揺れも少ないでしょう。

 それより、帝国を刺激しないように高空を飛びますから、防寒対策は十分にしてください」

 少佐の言葉は、あくまで事務的なものである。


 まだ十月の上旬であるから、日中の気温はかなり高い。

 それでも、少佐は毛皮の内張りがある分厚い革の飛行服で身を固め、飛行帽にゴーグルを引っかけていた。

 彼はロック鳥の肩の間に取り付けた座席に自らを縛り付け、薄い空気と強い寒風に身を晒しながら飛ばなくてはならない。

 頑丈な丸太で護られた籠の中で座っていられるエイナたちより、遥かに厳しい環境なのだから、同情を示してくれないのも無理はないだろう。


 山小屋風の籠の中には、二週間分の水と食糧や医療用品、予備の武器、そしてエイナたちの手荷物などがすでに積み込まれていた。

 マリウスは他の予定があるのか姿を見せなかったが、その代わりに秘書官のエイミーが見送りに来てくれた。

「これ、持っていきなさい」


 彼女はそう言って、可愛らしい布の手提げを押しつけてきた。

 中を覗いて見ると、日持ちがしそうなお菓子がぎっしりと詰められていた。

「飛んでる間は無理でしょうけど、向こうに着いたら甘い物を食べるといいわ。

 元気が出るわよ。

 あたしもマリウス様のお供で何度か乗ったけど、これに慣れるまで結構かかったもの、気持ちは分かるわ。

 頑張っていってらっしゃい!」


『目的地に着いたら、甘いお菓子を食べる』

 その具体的な目標は、二人の少女を大いに勇気づけた。


 かくして、エイナとシルヴィアを詰め込んだ籠をぶら下げ、ロック鳥が王都を飛び立ったのは、午後の三時過ぎのことであった。


      *       *


「えっと、それってどういう意味?

 まるで、あたしも宙に浮ける――っていうように聞こえたんだけど?」


 カー君から『乗り物酔いが酷いなら、君も浮かべばいい』と言われたシルヴィアは、不信感を丸出しにして訊ねた。

『プリシラの理解は間違っていないよ。

 僕がこの世界に召喚されてから、二人の意識はずっとつながっているだろう?

 だったら僕の頭の中に、君の意識を一時的に移すことが可能だと思うんだよ』


 すぐに受け容れるには、あまりに突飛な提案である。シルヴィアはぽかんとしていた。

 だが、一緒に聞いていたエイナは、ぽんと手を叩いた。

「あ、意識の切り分けだ!」

「それって、エイナが毎日練習しているアレのこと?」


 シルヴィアの言うとおり、この数か月というもの、エイナは毎日欠かさず〝意識の切り分け〟の特訓に励んでいた。

 具体的には、何か集中力を必要とする複雑な作業をこなしながら、同時に呪文を詠唱するという訓練である。

 危機的な極限状態に陥った時には成功したが、平常時にこれを実現させるのは至難の業だった。


 訓練の成否は簡単に分かる。

 意識の集中を欠いた呪文詠唱では、満足な魔法が発動しないからだ。

 いや、発動しないのならまだましである。

 エイナは一応はこの技術を習得していたために、かなりの確度で魔法を発動させられた。

 その代わり、中途半端であるがために、魔法が暴走するのである。


 不十分な詠唱で制御を失った魔法は術者自身に撥ね返り、その身を傷つける結果を招く。

 そのため、エイナは毎日ボロボロになっていた。

 彼女は異常に傷の治りが早い〝特異体質〟であるため、周囲にはあまり気づかれなかったが、下宿で同じ部屋で寝泊まりしているシルヴィアは、その悲惨な傷を間近で見ていたのである。


『意識の切り分けかぁ……うん、ある意味似ているかもね。

 とにかく、シルヴィアの意識を僕の方に移せば、身体の方は単なる肉体になる。

 熟睡して揺すっても起きないような状態だね。

 人間が乗り物で酔うのは、脳が馴れない刺激を受けて混乱している状態なんだ。

 そうした情報を処理する部分と肉体を切り離してしまえば、きっと楽になると思うよ』

「理屈は分かるけど、具体的にはどうすればいいの?」


『そうだねぇ……。君の意識を引っ張るから、目を閉じて頭を空っぽにしてみてくれる?』

「こう……かしら」


 シルヴィアは言われるままに目を閉じた。

『ふんふん。それじゃ目を開けてみて』


『え! 何これ?』

 エイナの頭の中で、いきなりシルヴィアの声がした。

 だが、彼女はベッドに仰向けに横たわり、目も口も閉じたままだった。


『うぇ~、あたしが寝ているわ! 何か変な感じ』

「シルヴィア、ひょっとしてあなた、いまカー君の中にいるの?」


『そうみたい……凄く不思議な感覚だわ』

『どう? まだ気持ちが悪い?』

 今度はカー君の声だ。言葉遣いで区別できるが、エイナには同じような声に聞こえてしまう。


『そう言えば……気分がすっきりしているわね』

『僕の方はかなり窮屈だな。やっぱり二人分の意識を抱え込むのは負担が大きいみたい。

 でも、数時間なら何とかなるかな? その間にシルヴィアの身体が馴れてくれるといいね』


 結局、シルヴィアが自分の身体に戻ったのは、三時間ほど経ってからだった。

 カー君がシルヴィアの意識の重荷に音を上げたのだ。

 と言うか、彼女が宙に浮かんでいる感覚に興奮して、これまた興味津々のエイナと絶え間なく喋る続けることに辟易したのだ。


 シルヴィアは自分の体に戻った。彼女はベッドから上半身を起こすと、ぼそりとつぶやいた。

「ああ、これって……召喚士の肉体が滅んで、意識が幻獣界に飛ばされる時の感覚なのね」

 

 幸いなことに、無意識状態で放置されていた身体が、籠の揺れに多少は順応したのか、その後はあまり酔わなくなっていた。


      *       *


 王都からカムイ山までは四百キロ以上ある。

 それはピート(ロック鳥の名)にとって大した距離ではない。彼は時速百キロ前後で飛び続けることができるからだ。

 だが、そんな速度だと騎乗しているアランはもちろん、籠の中の人間も五体満足でいられない。


 そのため、心優しい巨鳥は、自分の能力を抑え、ゆっくりと飛んでいった。

 それでも夜の十時ころには、カムイ山の上空に達していたのだった。

 曇り空の下では月明かりがないため、周囲は真っ暗である。


 自分の幻獣と視界を共有しているアラン少佐は、夜目の利く鳥の視力で下界を見下ろしていた。

 見渡す限りの闇の中で、わずかな明かりが洩れているのは、オシロ村と思しき地点だけだった。

 ピートは女の乳房のように並んで聳えている二つの山の上空を、大きな輪を描いて旋回していた。

 翼を大きく広げ、ほとんど羽ばたかずに滑空している。山の斜面を駆けあがってくる上昇気流のおかげで、飛んでいることにほとんど労力を使っていなかった。


 一時間近くも旋回を続けていると、ロック鳥の鋭い視力にぽつんと点のような光が捉えられた。

 黒死山の東側、二合目辺りの緩やかな斜面の方向である。

 ピートはくるくると輪を狭めながら、降下を始めた。

 頼りない小さな光は、ちらちらと揺れながら降下地点を示し続けている。


「おやおや、都合の良過ぎる着陸場所だなぁ……」

 ロック鳥の背中に乗っているアラン少佐は独り言を洩らした。


 誰かを運ぶ場合でも、彼らは籠の中なので、飛行中に言葉を交わすことはできない。

 話し相手になってくれるのはピートだけであり、そんな孤独な任務に二十年近く携わっていたため、独り言は彼の習慣になっていた。


 ピートの目を通して見える明かりは、松明を燃やしているものだろう。

 夜目の利くロック鳥の視界は、その周囲の様子もきれいに捉えていた。

 松明が置かれている場所は、直径五十メートル近い円形の平坦地の中心だった。

 着陸するにはおあつらえ向きの場所だが、どこか人工的な臭いがして、逆に不自然だった。


 だが、松明の傍に立っているのは、プリシラとタケミカヅチの二人で、それ以外の周囲数百メートルに生き物の影はない。

 たとえネズミ一匹であろうと動く者がいれば、ピートは絶対に見逃さないだろう。

 巨大な鳥は安全を確信して降下を続けている。アランは相棒の判断を信じていた。


      *       *


「来たな……」

 タケミカヅチが低い声でつぶやいた。


 プリシラは暗い夜空を見上げたが、その目には何も映らない。

 彼女としては、タケがロック鳥の飛来を伝えた言葉を信じるほかなかった。

 召喚された幻獣同士は、ある程度接近すると互いの存在を感じ取ることができるからだ。


 プリシラがロック鳥の接近に気づいたのは、巨鳥が減速のために大きく羽ばたいたためである。

 ばさばさっという羽音とともに、突風がいきなり襲ってきて、プリシラの身体を吹き飛ばしそうになった。

 よろめいた彼女を、すかさずタケミカヅチの太い腕が、がっちりと支える。

 彼の巨体は、ロック鳥が巻き起こす激しい風にもびくともしなかった。


 その風がふいに止むと、もうピートは着陸を済ませていた。

 山小屋のような兵員輸送籠が地面に降ろされ、ずしんという振動が足裏に感じられたが、鳥自身の着地はあまりに静かなものだった。

 明かりはプリシラが持ち込んで地面に立てた一本の松明だけだったが、何しろ周囲が真っ暗だったため、かなりの範囲を薄く照らしてくれていた。


 悠々と巨大な嘴で羽づくろいをしているロック鳥の顔も、はっきりと見えた。

 ピートは猛禽類特有の顔つきをしていたが、目が大きく嘴は短く横に広がっているため、どこか愛らしい感じがした。

 その鳥の肩のあたりから、人が滑り降りてきた。


 革の飛行服の上下に飛行帽、顔面をゴーグルと白いスカーフで覆っている。

 男は降り立った地面で二、三度屈伸をしてから、ゆっくりと近づいてきた。

 ゴーグルを飛行帽の上に上げ、スカーフを首まで引き下げると、美しい顔立ちがやっと明らかになった。


 ただ、松明の弱い光に照らされた彼の目元には、深い皺とくま(・・)が黒い影を作っており、蓄積された疲労を物語っていた。


「お役目お疲れさまです、少佐殿」

 プリシラは民族衣装のスカート姿だったが、身についた習慣で、敬礼せずにはいられなかった。


「いや、風が弱かったし雨も降らなかった。楽な飛行だよ。

 さて、お約束の定時連絡だ。その感じだと問題なさそうだけど、休暇は楽しめているかい?」

 アランは飛行帽も脱いで、ぺたりと張りついた金髪の巻き毛をわしゃわしゃと掻き上げた。


「はい。今のところ何の問題も起きていません。

 オシロ村の人々は協力的で、帝国軍に私の存在が知られる心配はなさそうです。

 もっとも、この村の周囲百キロ以内には、帝国人など誰一人存在していませんから、密通のしようがありませんね」

「そうか、それは何よりだ。君のスカート姿を見られたというだけでも、僕は幸運な男だというわけだ。

 ところで、この場所は……かなり奇妙だね。

 以前に測量で上空を飛んだ時には、気がつかなかったんだがなぁ」


「はい。私も驚きました。

 数日前に下見で来た時に見つけたのですが、ほぼ落石で埋まっていました。

 最初は単に平坦な場所だな、と思っただけなのです。

 それでタケミカヅチに命じて石を片付けさせたのですが、やってみるとこの円形の広場になったのです。

 それで……少佐殿は気づかれましたか?」

「ああ、言いたいことは分かるよ。ここってまるで〝召喚の間〟だね。

 実際に立ってみると、あの独特の雰囲気……おりのように蓄積している魔力すら感じる。

 上空から見るとね、微かだが魔法陣が描かれていた痕跡も残っていたよ」


「やはりそうでしたか。

 王国なら分かりますが、こんな所に召喚の痕跡が残っているとは……。

 一体誰が、何のために築いたものなのでしょうか?」


「さぁね」

 アランは肩をすくめてみせた。


「それを考えるのは僕の役目じゃない。

 とにかく、ただの退屈な連絡業務のはずが、思わぬ拾い物だ。

 ノルド人たちは、ここのことを知っているのかい?」


 プリシラは首を振った。

「いえ、村長むらおさにそれとなく訊いてみましたが、まったく知らないようでした。

 ただ、百年以上前に村人が黒死山で行方不明になったことがあって、彼らは化け物に喰われたと言い伝えているそうですが、召喚が行われていた証拠としては弱いと思います。

 私としても、できるだけ調査を続けてみます」

「ああ、それは必要ない。大尉は休暇中だろう?」


「しかし、このような重大事を見過ごすわけには――」

「もちろんそうだね。だけど、ちょうどいい調査要員がいるんだよ。

 正直、マリウス閣下がなぜ彼女たちを派遣するのか、僕としては疑問だったんだが……いや、まさかね」」


「は? どういうことですか?」

「ああ、そうか。君は知らされていなかったんだっけ。

 うん、こき使うのには打ってつけの人選だね。

 何かまだぐずぐずしているみたいだから、お尻を蹴とばしてやらないとな」


 アラン少佐は小さく笑うと、くるりと向きを変え、籠の方へ戻っていった。

 わけの分からないプリシラは、その場に立ち尽くすしかなかったのである。

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