八 ニライカムイ
三十年に一度開催される民族の大祭が〝ニライカムイ〟である。
ノルド人発祥の地とされるオシロ村がその運営を取り仕切り、ゲストとして各地に住み着いた二十四の部族代表が一堂に会する。
村の守り神とされている霊山・カムイ(白神)山の加護に対し、供物とともに感謝を捧げ、それぞれの部族の繁栄を報告する。
――それが祭りの意義だとされている。
だが、それはあくまで建前である。
俗な言葉で言えば、その実態は各部族の自慢大会である。
山岳民族であるノルド人の生活は厳しく、どの部族も似たり寄ったりの暮らし向きをしている。
しかし、変わり映えのしない毎日の繰り返しの中でも、三十年もあれば何かしらの変化や自慢できるようなことも起きる。
知勇を兼ね備えた指導者、一芸を極めた武芸者が出現したり、大力無双の男が生まれることもあろう。
あるいは、輝くばかりの美貌を誇る乙女を擁する村であれば、それを見せびらかしたいと考えるはずだ。
そうした者たちが村の代表として集まり、仲間たちに報告し合うのである。
だからこそ三年、五年ではなく、三十年という長い間隔が必要とされるのである。
事前に自慢の種を知られてしまっては興が削がれるので、オシロ村に集まる各部族の代表たちは、祭りの日までは互いに顔を合わさないようにする。
主人役であるオシロ村の人々は、個別の専用宿舎を用意して迎える準備をする。
プリシラとタケミカヅチも、そうした宿舎の一つに案内された。
祭りの開催は十月十四日からの三日間で、プリシラたちが到着したのは七日の朝であった。
まだ一週間の余裕があるため、多くの部族はまだ訪れておらず、プリシラたちは三番目に早かった。
各部族の代表はそれぞれに好奇の目で迎えられたが、タケミカヅチの出現はかつてないほどの椿事であり、宿舎の周りは黒山の人だかりとなった。
村人たちは、どうにかしてこの異邦の神の姿をひと目見ようと、窓に鈴生りとなった。
さすがに中に入ろうとする無礼者はいなかったが、村長は野次馬を追い払うために、警護の若者を配置しなければならなかった。
窓や扉の隙間から中を覗こうとしていた者たちは追い払われたが、多くの村人は宿舎を遠巻きに取り囲み、飽きることのない噂話を交わしていた。
そんな落ち着かぬ雰囲気の中で、村長とプリシラの会談が行われた。
ノルド人たちにとってリスト王国は遠国であり、その事情はほとんど知られていなかった。
前回の祭りまでは、召喚士のことなど、ほとんど知らなかったのだ。
だが、この三十年の間で、帝国は二度にわたって王国に対する侵攻を行っていた。
もっともノルド人傭兵は、もっぱら西部戦線戦に派遣されており、これらの戦いには参加していなかった。
それは侵攻の理由に、王国のノルド人問題が絡んでいたためである。
当然ノルド人傭兵たちは、この侵攻に強い関心を示した。
彼らは戦闘に参加した兵士から、どうにか情報を得ようとした。その過程で、王国には恐ろしい怪物を操る奇怪な者たちがいる、ということを知ったのだ。
とは言っても、まさか一族の中から、そんな怪物を従える者が現れるとは、夢にも想像していなかった。
それが今、現実となって目の前に突きつけられた。
しかもその怪物は、神々の一族だという。おまけにその神を自在に操るのは、美しい女性なのだ。
プリシラはまず、召喚士がどんな存在なのか、というところから説明しなければならなかった。
軍機に触れる部分は慎重に避け、知識のないノルド人にも分かりやすいよう、かなり省略した簡便な説明に心がけたのである。
話を聞いた村長は、どうにかして召喚という新しい概念を理解しようと努めた。
その結果、彼は難しい理屈は無視することに決め、最も重要だと思われる点を確認してきた。
「つまるところ、プリシラ殿の連れておる神は、強いのだな?」
「はい。国家召喚士の幻獣は、一般に千人の軍勢に匹敵すると言われています。
私のタケミカヅチは、そうした幻獣の中でも、抜きん出て強力な存在だと断言できます」
「うむ。だが、それほどの武神が、なぜ人間である貴殿の命令に服従するのだ?」
「それは、召喚の際にそのような契約を交わすからです。
幻獣は二十年余りの間、召喚士を守り、その命に従います。
その代わり、召喚士は契約の期間が終われば、その命を捧げることになります。
私もあと十年もすれば、この世界から消え去る運命。その覚悟を持つ者だけが召喚を成し得るのです」
「命を賭して従わせるというわけだな。実に見事な心がけだ。
しかして、プリシラ殿のような国家召喚士というのは、どれほどいるのだ?」
「具体的な人数は、軍の機密に属しますのでお答えしかねます。
ただ、数百万の人口を擁する王国でも、国家召喚士は年に一人出ればいい方で、誕生しない年も珍しくはありません」
「そうかそうか、つまりは非常に珍しい存在で、ノルド人のそなたがその一人というわけだな。
ということは、かなり偉いということであろう?」
「そういうことになりますね。
私はまだ若輩者なので大尉の身分ですが、国家召喚士は最終的に佐官にまで昇進するのが普通です」
「よろしい、話はおおむね理解した!
要するにタケミカヅチ殿は恐ろしく強く、プリシラ殿はその神を従える偉い人間である! ということだ。
いやいや、実に結構である。これは一族の誇りと言わざるを得まい。
今年の祭りは、数百年語り継がれるものとなろうぞ!」
「はぁ……まぁその……恐れ入ります」
大胆に単純化した理解であったが、村長は大いに喜んでいるので、よしとしなければならなかった。
「それで村長殿。
祭りまではまだ一週間もあります。その間、ずっと宿舎に籠っているわけにはいきません。
私も一族発祥の聖地をいろいろと見物して、残してきた村の人々に伝えたいと思っております。
騒ぎになってはいけませんから、供となるタケミカヅチには隠形の術を使わせたいのです。
お許し願えますか?」
村長は嬉しそうに目を細め、傍らに立つ武神の偉容を上から下まで眺めた。
「そうじゃの。祭りまでに他の部族の者の目に触れては、楽しみが減るというものだな。
分かった。村の者にはよく言い含めておくが、プリシラ殿にも面倒を起こさぬよう、気をつけてもらおう」
「ご配慮、痛み入ります。
カムイ山にも行ってみたいのですが、構いませぬか?」
村長は鷹揚にうなずいた。
「無論じゃ。祭りの下見もしたいであろうからな」
「それと、ずうずうしいお願いなのですが、剣をお借りしたいのです。
私は王国の軍人ですので、帝国と無用な摩擦を起こさぬよう、ただのノルド人の女として入国いたしました。
護身用の短剣は持ち込みましたが、剣がなくてはどうにも腰が軽くて落ち着きません」
「ああ、山に入るのであれば、何か武器を持っていた方がいいだろうな……。
それなら、わしの家に五、六本あるから、好きなものを貸してやろう」
「助かります。では、最後に一つだけ」
「何じゃ、まだあるのか?」
「クンネライ山にも行ってみたいのですが……よろしいでしょうか?」
「何、黒死山にか? どうしてあんな山に行きたいのだ?」
「祖父から聞いた話では、この村の人たちはあの山を忌み嫌って立ち入らぬのだとか。
そう聞かされると、かえってどんな所なのか、興味が湧くのです」
「ふむ……。確かにあの山には誰も近寄らんが、別に禁じているわけではないのだ。
ただ、あの山は地熱が高い上に有毒なガスが湧く場所もある。それに正直言って、何も見るべき場所はないぞ。
村の者は獲物もいないし山菜も採れないから、誰も行かないだけだ」
村長の答えは少し意外だった。
プリシラは黒死山で、参謀本部から派遣されるロック鳥と落ち合うことにしていた。
だから、村長から行くのを禁じられても、こっそりと出向くつもりだった。
わざわざ話を持ち出したのは、村人が現地に近寄らないことを確かめるためである。
「そうなのですか。祖父の話とは違うのですね」
「いや、そうでもないぞ。われらが黒死山を嫌っているのは確かなことだ。
もう百年以上も昔の話だが、あの山に登って行方不明になった村人がおったのだ。
村中総出で捜索に当たったが、ついに死体すら見つからなかったそうじゃ。その結果、あの山には化け物が棲んでいて、それに喰われたのだということになった。
子どもたちを怖がらせて、近寄らないようにさせるためじゃ。
実際は、山の上の方には、あちこちに深い裂け目があるから、ガスにやられて意識が朦朧とした挙句、そこに落ちたのだろうな。
プリシラ殿も、あまり高い所には行かない方がいいと思うぞ」
「心しておきます」
「うむ。では、祭りまでごゆるりとお過ごしなされ。
食事は運ばせる。世話係には、わしの孫娘に当たらせよう。
そなたほどではないが、なかなかに美しい娘だ。仲良くしてやってくれ」
「何から何まで、ありがとうございます」
村長は上機嫌で去っていった。
その後ろ姿を見送ったプリシラは、ほうっと溜め息をついて椅子から立ち上がった。
「どうやら上手くいきそうじゃないか」
タケミカヅチが唸るような声を出した。
彼は背負っていた籠を下ろし、中からプリシラの荷物(着替えや洗面用具)を取り出していた。
「そうね。まずはひと安心だわ。
私は少し眠るわね。昼食が届いたら起こしてちょうだい。
村長の孫娘は可愛いそうだけど、ちょっかいを出しちゃ駄目よ」
「プリシラ、おぬし我を誰だと思っておるのだ!
神が人間の小娘を相手にするものか」
「あら、だってタケから聞いたあんたたちの神話って、そんなのばっかじゃない。
動物に化けて近づいて孕ませちゃったり、洗濯している娘のふくらはぎに見惚れて天から落っこちたり」
「我はそのような間抜けではないわ!」
「あらそう?」
ベッドに腰をかけたプリシラは、いきなりスカートの裾をたくしあげて、片足を上げてみせた。
真っ白な太腿まで露わとなり、タケミカヅチの手からぼとりと油紙の包みが落ちた。
プリシラはけらけらと笑いながらベッドに潜り込み、毛布を頭まで引き上げた。
* *
「おろぅぇぇぇーーーっ」
噴水のように吐き出された粥状の液体が、真っ暗な穴に吸い込まれていく。
げほげほと咳込んだ挙句、ようやく息をついた途端に、胃がのたうつ蛇のように暴れ出し、酸っぱい液が喉を逆流してくる。
口から黄色い胃液が垂れ、その強烈な刺激で目からはぼろぼろと涙が溢れた。
身動きもままならないような狭いトイレの中で、シルヴィアは便器に顔を突っ込んでいた。
白い陶器の便器からは、普通なら漂うはずの悪臭がまったくしなかった。
便器の下には糞尿を溜める便槽がなく、あるのはただの穴だったからだ。
そして、その穴の先には何も存在していない。
ただ、ごうごうと風の音が聴こえてくるだけであった。
ロック鳥が運ぶ人員搬送用の〝籠〟は、一見すると山小屋風の家そのものであった。
三角屋根の頂点を支える棟木の上に、もう一本の太い丸太が渡っていることだけが、小屋との違いである。
この屋根上に突き出ている丸太を、ロック鳥の巨大な鍵爪ががっしりと掴んでいる。
翼を広げれば百メートルはあろうかという巨大な鳥にとって、一辺が三間(約五・四メートル)ほどの籠を運ぶのは、雑作もないことだった。
ただし、吊り下げられた小屋は風の抵抗をもろに受ける。
ロック鳥は丸太を掴んだ鍵爪を羽毛の中に引きつけ、身体に密着させているのだが、激しく揺れるのは致し方ないことだった。
狭いトイレから四つん這いで出てきたシルヴィアは、涙に濡れ、ぐったりとした表情を浮かべていた。
「ちょっとシルヴィア、あなた大丈夫?」
テーブルの端を掴んで椅子に座っていたエイナが、心配そうに声をかけた。
椅子もテーブルも、床に固定されている。そうでなければ、壁に激突してあっという間にバラバラになっているだろう。
「あんたはぁ……何で平気な顔をしているのよ!」
ぜいぜいと荒い息の下から、シルヴィアの恨めしそうなしゃがれ声が聞こえてきた。
「あら、平気じゃないわ。私だって気持ち悪いわよ。
でも、最初の時よりは相当ましだわ。やっぱり馴れのせいなのかしら?」
「じゃあ、あたしはどうして馴れないのよ!」
「う~ん……体質?」
「ふざけんじゃないわよ!」
『エイナに罪はないでしょ? 八つ当たりはみっともないよ』
シルヴィアの頭上から、呑気な声が降ってきた。
四つん這いのまま(激しい揺れで、立てる自信がなかったのだ)のシルヴィアが顔を上げると、空中にカー君がぷかぷかと浮いている。
数か月前、黄色い魔石を食べたことで成長したカーバンクルは、大型犬並の体格になっていた。
小さかった頃なら、浮かぶカー君は可愛かったが、今では奇妙で滑稽ですらある。
「カー君は平気なの?」
エイナが訊ねると、彼女の頭の中に即座に幻獣の返事が響いてくる。
『こうして浮いていると、あんまり揺れの影響を受けないからね』
召喚士でないエイナがカー君と会話を交わせるのも、彼の成長のひとつであった。
「あんたはいいわよね。あたしもそうやって浮いていたいわ」
シルヴィアは壁際のベッドに這いより、どうにかよじ登って中に転げ込んだ。
ベッドには転落防止のため、頑丈な手すりが取り付けられていたから、乗り越えるのが一苦労なのだ。
『だったらシルヴィアもこっちに来たら?
一緒に浮いていれば、ベッドで寝ているよりも楽になると思うよ』
「お生憎様、あたしは人間なのよ。あんたみたいに非常識なことはできないわ」
毛布の中からくぐもった恨み言が聴こえてきた。
『そんなことないよ。
誰でもってわけではないけど、シルヴィアならできると思うよ?』
「はぁ!?」
シルヴィアが毛布を引き下げ、顔を現した。
「その冗談、ホントなの?」




