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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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七 ノルドの里

 夜は闇の支配する世界である。


 この時代、明かりというのは贅沢なものだった。

 もちろん、人々は夜になると明かりをつける。

 ただ、それは限られた数時間にとどまり、日が暮れればなるべく早くに就寝するというのが、常識的な生活であった(その分、朝は早い)。


 中流階級以上ではランプが普及していたが、田舎では小皿に入れた油に灯心を浸した簡易的な明かりが主流であった。

 使われる油はさまざまで、菜種油やエゴマ油などの植物油が多かったが、海に近い地方では、鯨油や魚油も普通に使われていた。

 自然に湧き出る石油の存在も古くから知られており、こうした鉱物油も一部で利用されている。


 街灯も存在したが、設置されているのは大きな町に限定されていて、基本的に夜は月明かりがなければ真っ暗であった。

 当然、街道筋にはそうした明かりがなく、夜の道を歩くにはランプを用意しなければならず、そんな物好きはめったにいなかった。


 そうした事情は、先進国として知られた帝国でも変わりはない。ましてや、コルドラ大山脈を越えた東部は〝辺境〟と見做みなされている。

 人口密度は極端に低く、陸上交通は絶望的に未発達であったから、夜間照明などあり得るはずがなかった。


 東部最大の町、クレアから北に伸びる街道は、山脈を貫く大隧道に分岐する辺りまで、非常によく整備されていた。

 道幅は広く、舗装こそされていないものの、よく突き固められていてこまめに補修も行われている。

 だが、西の大隧道へ向かう分岐を過ぎると、道幅は急に狭くなり、路面も荒れ放題だった。

 通行する人間が少ないのだから、それは当たり前だった。


 その獣道と変わらない真っ暗な街道を、地響きを立てて駆け抜ける者がいた。

 身の丈三メートルを超す武神、タケミカヅチである。

 彼は〝遠見の神通力〟を使い、闇夜でも昼間のように遠くまで見通すことができた。


 アケビの蔓で編んだ大きな籠を背中に背負い、古い時代の革鎧をまとった胸には、毛布で包まれたプリシラの身体を抱きかかえている。

 彼女の体重はともかくとして、背負っている荷物の重量はかなりのものであったが、彼はそれを苦にすることなく、飛ぶように道を疾走していた。


 本来は神の一族であるから、タケミカヅチが疲れを知らないのも道理である。

 そうは言っても、現実にもの凄い速度で運ばれているプリシラとしては、どうしても心配となる。


 彼女は赤子のようにくるまれた毛布の隙間から顔を出し、訊ねずにはいられなかった。

「タケ、疲れないか?

 休憩して水でも飲んだらどうだ?」


 だが、タケミカヅチは雷鳴のような声で笑い飛ばした。

「なんの、実によい運動だ!

 お前の傍にいると、ろくに身体を動かす機会がないからな。

 この闇ならば隠形も使う必要もない。夜風も気持ちよく、爽快な気分だぞ!」


 人間の倍近い体格であるから、その歩幅も遥かに広い。

 周囲の景色が全く見えないので、どれだけの速度なのかよく分からない。

 だが、恐らく時速二十キロを超えている――プリシラはそう踏んでいた。


 夜が白み始めたころ、タケミカヅチはやっと足を止めた。

 秋の肌寒い風を心地よさそうに身に受けながら、目を閉じて空気の匂いを嗅ぐ。

 やがて彼は道から足を踏み出して、雑草が深く生い茂った草原へと分け入っていった。


 しばらく進んでいくと、小さな泉にたどり着き、タケミカヅチは抱えていたプリシラの身体を、そっと地面におろした。

 彼は空気中に漂うさまざまな匂いを嗅ぎ分けることができる(七つの神通力のひとつだ)。

 この辺りは山脈に近く、雪解け水が伏流水となって湧き出す泉が多い。水を匂いで見つけるのは、雑作もないことだった。


 プリシラは両腕を思い切り上に上げて伸びをすると、ぶるっと身体を震わせた。

 きょろきょろと辺りを確認してから、手近な草むらにかがみ込んで用を足す。

 手近な所からちぎった柔らかな葉っぱで拭って立ち上がると、水辺の乾いた草地に腰を下ろして食事の支度をした。


 彼女はあまり料理が得意ではないから、固い黒パンをナイフで切り、ヤギのバターを塗って薄く削いだ塩蔵肉を乗せる。

 野菜も摂った方がよいのだろうが、この際贅沢は言えない。

 ぼそぼそとして、やたらにしょっぱいサンドイッチを湧き水で流し込みながら、彼女は地図を取り出して現在位置を確認しようとした。


 周囲には目印になるような建物など見当たらない。

 ただ西にそびえる山脈の形から、大体の場所を推定することはできた。

 その結果、彼女が下した結論は、この一晩で港町クレアからおよそ百四十キロほど進んだということだった。


 目ざすカムイ山までの行程を、たった一晩で半分消化したことになる。

 これなら明日中には一族発祥の里、オシロ村に到着できそうであった。


 プリシラは満足そうに一人でうなずくと、地面に防水布を広げてその上に寝転んだ。

 タケミカヅチが包んでくれていた毛布をかぶり、そのまま横になった。

 彼女はただ単に抱かれて運ばれただけだが、一晩中上下左右に揺さぶられていたのである。

 身体はすっかり疲れ切り、彼女は夢も見ずに眠りこけてしまった。


 帝国に渡って三日目の朝、プリシラとタケミカヅチはオシロ村に到着した。

 巨大な山脈のあちこちに散らばっているノルド人の本村である。村と言いつつもかなりの規模であった。

 村の周囲には、太い丸太を地中に打ち込んだ木柵が、延々と連なっている。

 その高さは三メートルに近く、山に棲む危険な肉食獣の侵入を阻んでいた。


 村の入口には、槍を手にした大柄な男二人が立ちはだかっていた。

 プリシラはゆっくりと彼らに近づいていった。

 門番の男たちは、戸惑った表情を浮かべながら「止まれ」と言って槍を突き出してきた。


 彼らの目の前に現れた女性は、どこからどう見てもノルド人の娘だった。

 女ながらに長身でがっちりとした体型、抜けるように白い肌、美しい金髪と薄いブルーの瞳、そして鼻が高く彫の深い顔をしている。

 おまけに、ノルド人の伝統衣装に身を包んでいる。


 顔に覚えはないから、村の娘ではない。

 この時期だから、三十年の一度の民族の大祭に参加するために来た、どこかの部族の代表なのは明らかである。

 だが、彼女はたった一人で、しかも手ぶらだった。

 祭りの参加者なら、山のような荷物を抱えた随伴者がいるはずである。


「娘、どこの部族だ?」

 門番の男は、槍の穂先をぴたりとプリシラの顔面に向けながらすいした。


「リスト王国のノルド族の代表としてまいりました、ベルゲン村のプリシラ・ドリーと申します。

 ニライカムイの祭りがつつがなく執り行われることを言祝ことほぎ、神に供物を捧げとうございます。

 どうかお通しの上、村長むらおさにお目通りすることをお許しください」


 彼女は長いスカートを両手で摘み、深く頭を下げた。

 事前に教えられていた、しきたりに従った挨拶である。


 門番の男たちは顔を見合わせてうなずくと、槍を収めた。

「これは遠路はるばるご苦労でありました。だが、手ぶらというのはどういうことでしょう?

 荷物を持った供の者は遅れているのですか?」


 プリシラはにこりと笑った。

「供の者はここにおります。

 姿を現すよう命じますが、どうかくれぐれも驚かぬようお願いいたします。

 異形の者なれど、決して暴れるようなことはございませぬゆえ」


 彼女の言葉に、男たちはますます戸惑った。

「我らは昨年まで傭兵として戦場を渡り歩いた身である。少々のことで驚き騒ぐような真似はせぬ。

 その供の者とは、どこに隠れておるのですか?」


 プリシラは大きく息を吸い込むと、静かに命じた。

「タケ、隠形を解いて姿を見せてあげなさい」


 彼女の言葉が終わらないうちに、いきなりタケミカヅチが姿を現した。

 彼は最初からプリシラの傍らに立っていたのだ。ただ、門番たちには、その存在を認識できなかったかっただけの話である。


 突如眼前に現れた身の丈三メートルを超す巨人に対し、彼らは驚愕したのであるが、その対応は見事なものであった。

 腰を抜かしても不思議ではないのに、門番の二人はとっさに槍を構え、その切っ先をぴたりとタケミカヅチに向けたのである。


「何だその巨人は! どこから現れた?」


 プリシラは溜め息をついて肩をすくめた。

 内心では『だから驚かないでくれって言ったのに、もう!』と思いながら、タケの前に身体を割り込ませた。


「驚かれないようにと言ったではありませんか!

 この者は契約によって私を守護する異邦の神、手出しをしたら命の保証はいたしません。

 どうか槍をお収めください!」

 プリシラの毅然とした態度に、門番たちの表情に戸惑いが湧き上がった。


「異邦の……神だと?」

「そうです。守護者であって従僕ではありませんが、私の命令には従いますから、無用の手出しをなさらなければ、まったく危険はありません。

 この者については、ニライカムイの祭りの場で、一族の皆様方に紹介をするつもりで連れてまいりました。

 何卒、お通し願いたい」


「しっ、しかし、そう言われても『はいそうですか』と通すわけにはいかんだろう。

 村長むらおさを呼んでくるから、しばし待たれよ!」

 門番たちは顔を見合わせうなずき合うと、一人が槍を収めて村の中へと走っていった。


 三十年に一度という祭りの期間に突入していた村の中は、退屈な日常の仕事から解放された人々で満ち溢れていた。

 各部族の代表が訪れると、暇な連中は蜜に群がる蟻のように集まってくる。

 プリシラたちにも、そのような遠来の部族だろうと思った村人たちは、笑顔で集まってきた。


 しかし野次馬たちは、タケミカヅチという巨人の姿を目のあたりにして、凍りつくこととなった。

 この祭りでは、それぞれの部族がその力を誇示するため、力自慢の代表を送り込むのが常識であった。

 したがって、ノルド族の中でもひときわ大柄で、巨躯怪力を誇る若者が集うのは珍しいことではなかった。


 だが、それはあくまで人間の範疇の話である。

 タケミカヅチのような身長三メートルを超す者など、誰も見たことがないのは当然であった。


 そもそもノルド族は身体の大きい者、力の強い者を無条件に称え、心酔するという気風がある。

 そんな彼らは、タケミカヅチの尋常ならざる巨体を目の当たりにし、その圧倒的な存在感にたちまち打ちのめされた。

 その風貌からノルド人でないことは明らかで、彼らが帝国人やアフマド族に対して抱いていた、身体的な優越感を打ち砕くものだった。


 タケミカヅチを間近で見たノルド人たちは、彼に対して心情的に降伏したのである。

 それは、自分たちの力ではとても太刀打ちできない存在に対する、本能的な反応であった。


 多くの村人たちが集まってきた門前は、混沌とした状況に陥っていた。

 恐れと警戒を露わにして、遠巻きに見守る者は、まだ理性を保っていたと言える。

 武神の威容に打ちのめされた多くの者は、タケミカヅチの前にひれ伏し、ひざまづいて額を地面にすりつけたのである。


 ある程度は予想してたとはいえ、プリシラもこの騒ぎをどうやって収めたものか、途方に暮れてしまった。

 幸いなことに、しばらくして村長むらおさと思しき人物が駆けつけ、門前はやっと秩序を取り戻した。


      *       *


「済まんな、お客人。

 わしはこのオシロの村長むらおさ、クヌートという者じゃ。

 おぬしはリスト王国に住まう部族の代表なのだな?」


 クヌートと名乗った男は、頭の禿げ上がった七十歳前後と思しき老人だったが、ノルド人らしい筋肉質の堂々たる体躯であった。


「はい。ベルゲン村の肝煎ヨルンの孫娘で、プリシラと申します。

 このたびは王国ノルド族の代表として、祭りに参加させていただきたく参上いたしました」

「うむ。それはご苦労であった。

 それで、そこもとの隣りにいる……その、何だ、まっこと見事な益荒男ますらおは何者であるのかな?」


 プリシラは小さく溜め息をついた。

「それについては話が長くなりますので、後ほどゆっくりと説明させていただきたいと思います。ただ、今は門番のお二方に申し上げたとおり、私に臣従する守護神であるとご承知おきください。

 いずれにせよ、祭りの場で各部族の皆様方に紹介いたしますので、あまり人目に晒したくはありません。

 タケ、隠形を使いなさい」


 彼女の言葉とともに、タケミカヅチの巨体は掻き消えた。

 一斉にどよめきが起こり、何人かの女は悲鳴をあげてその場にしゃがみこんだ。


「まっ、待たれよプリシラ殿!

 その者に姿を消されては、村の者たちは生きた心地がしないだろう。

 わかった、まずは用意してある宿舎に案内する故、どうか元に戻してくれ」


 慌てるクヌートの言葉にプリシラがうなずくと、タケミカヅチが再び姿を見せる。

 彼はさっきから同じ位置にいて動いていない。ただ、村人たちがその存在を認識できなかっただけなのである。


 クヌートは感に堪えたように、プリシラの言葉を反芻した。

「これがそなたの〝守護神〟とな……」


 そして、はっと我に返ったような顔で確かめた。

「うむ、確かに堂々たる体躯ではあるが、守護神と言っても、その……神と言うのは比喩的な表現であろうな?」


 しかし、プリシラは平然として村長の言葉を否定した。

「この者の名はタケミカヅチ、人間ではありません。

 東の海を超えた大陸で信奉される、古き神々の一族でもその名を知られた武神の一柱です」


 クヌートは目を見開いた。

「なんと! ……ますます詳しい話を聞かずばなるまい。

 確かにこの者は、おぬしの命令に従うのであろうな?」


「くどいぞ、ご老体!」

 それまで黙っていたタケミカヅチが、雷鳴のような声で怒鳴った。


「我は契約によってこの娘の守護を誓った武神である!

 くどくど文句を言うのであれば、武器を持って挑むがよい!」


 地面が揺れるような大音声に、その場に集まった村人たちは一斉にひれ伏した。

 さすがに村長であるクヌートは、両足を踏ん張って耐えていたが、心情的には彼らと同じように頭を垂れたいと願っていた。


 それほどまでに、武神タケミカヅチはノルド人の心を掴んでいたのであった。

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