十九 上官殺し
馬車の中ではケネスとサーラが仲良く並び、その向かい側にエイナが一人で座っていた。
マルコ港から蒼城市までは、馬車で一日足らずの距離である。
エイナたちは朝一番で宿を発ったから、夕方までには目的地に着くはずであった。
サーラは馬車の窓を流れていく景色を物珍しそうに眺め、あれこれとエイナに説明を求めた。
南カシルしか知らないサーラが、初めて王国の風景を見たのだから、それは自然なことに思えた。
だが実際には、全くの異邦人であるケネスのために、彼女が代わりに訊ねていたのである。
自分の客を決して退屈させず、興味を持ちそうな話題を敏感に察する――こうした自然な心配りは、一流の遊女の証であった。
ただ、それに対するエイナの返事は、どこか気のないものだった。
彼女の世界に対する知識は、生まれ育った辺境の貧しい村と、王都の魔導院という特殊な環境に限られていた。
王国中心部の豊かな穀倉地帯は、エイナにとっても初めて見るものだったから、まともな説明ができるはずもないのだ。
景色は単調であり、すぐに話は尽きた。
サーラは役に立たないエイナに見切りをつけ、仕方がないので何か歌おうかと考えていた。
そんな雰囲気を感じ取ったのか、黙りこくっていたケネスが口を開いた。
「お前、まだ母親のことを考えているのか?」
その言葉が、自分に向けられたものだと気づいたエイナは、慌てたように答えた。
「いえ、その件は十分反省しています。
私は呪術者について習ったことを思い返していました」
「ほう……」
「呪術師が私たちをつけているのは間違いないでしょう。
外でシルヴィアが警戒をしていますが、敵は姿を見せないと思います」
「俺は呪術師については、ほとんど知識がないんだ。
口頭説明してもらえないか?」
「彼らは動物を操ることを得意としています。
その技術の中には、鳥の目をのっとって監視をするというものが知られています。
私たちの馬車は、出発した時からずっと上から見られていると考えた方がいいと思います」
ケネスは馬車の窓から顔を出し、空を見上げた。
曇った空に鳶であろうか、小さな黒い点が舞っているのが分かる。
顔を引っ込めた彼は、軽い溜め息をついた。
「なるほどな。次はどんな手でくると思う?」
「分かりませんが、今のところは、私たちが先行していると思います。
こちらが蒼城市で第四軍の援助を求めている間に、敵は先回りをするつもりなのではないでしょうか?」
「待ち伏せをするにも、ある程度仕込みの時間が必要だということか」
「はい。ただ、私と大尉殿が攻防を分担している限り、そう恐れることはないと思います。
呪術が発動した兆候があれば、カーバンクルが気づくはずです」
「あのペットにそんな能力があるのか?」
「カーバンクルは精霊族であるためか、どうやら呪いに対して強い拒絶反応を示すようです。せいぜい期待しましょう」
エイナが微笑みを浮かべて口を閉じると、サーラが目で訴えてきた。
『もっと話を広げて!』
その目くばせのお陰で、エイナはふいにあることを決意した。
彼女は少し居住まいをただし、再びケネスの顔を真っ直ぐに見詰めた。
「大尉殿にひとつお訊ねしたいことがあります。よろしいでしょうか」
「何だ、言ってみろ」
エイナが突然話題を変えると、ケネスの目に面白がるような光が宿った。
「大尉殿は何故、王国へ派遣されたのですか?」
「そりゃあ、お前らの国が来てくれって要請したからだろう」
「でも、別に大尉殿を名指ししたわけではないですよね?
大尉殿は現役バリバリで、かなりの実績がある魔導士だと聞いています」
「おお、もっと褒めてもいいぞ」
「茶化さないでください。
失礼ながら、ケルトニアは魔法戦では帝国に後れを取っているはずです。
現場が大尉殿のような方を手放すはずがありません。
他国の魔導士の教育だったら、実戦から引退した魔導士を派遣するのが当然だと思います。まだ使える人間を、他国に貸し出す余裕はないはずです」
「お前、ずいぶんと露骨に訊いてくるなぁ……。
そういうことは、もっとさりげなく聞き出せと言われなかったか?」
ケネスの顔には苦笑が浮かんでいた。
エイナも負けずに笑い返す。ここで引き下がるわけにはいかないのだ。
「はい、確かに言われました――でも、そいうのは私の柄ではありません。
船上の一件で大尉殿には敵わないと思い知りました」
「何の話だ?」
「船頭さんに騒動の原因を問い詰められた時、私に丸投げされたではありませんか。
あれには参りました。腹が立たなかったと言えば噓になりますが、感心したのも事実です。
私は機転が利きませんし、サーラさんのような話術もありません。
だったら、率直に訊く方がよいと思いました。
十八歳の小娘に正面から挑まれて、大尉殿が逃げだすのかどうか、私は興味があります」
「巧い手だな。まぁ、別に教えても困るような話じゃないが、サーラが退屈するんじゃないか?」
「あら、あたしはケニーのことだったら、何でも知りたいわよ」
サーラがさらりと返すと、ケネスは上機嫌で彼女の乳房を揉んだ。
「いいだろう。ちょうどいい退屈しのぎだ。話してやろう」
そして、ガラガラと騒がしい馬車の中で、ケネスがよく通る声で王国行きの事情を語り始めた。
* *
俺が西部戦線で帝国と戦っていたことは知っているな?
あの戦場では、地獄と言われる酷い戦いが何十年も続いていた。
帝国の魔導士の力は圧倒的だったが、俺たちも塹壕陣地による縦深防御戦術を編み出してからは、どうにか互角以上の戦いができるようになった。
ただ、俺たちの抵抗が必要以上に奴らを苦しめると、決まって災厄が訪れるのがお約束となっていたんだ。
エイナは〝マグス大佐〟の噂を聞いたことがあるか?
お前らのような新兵でも、名前くらいは知っているはずだ。そうじゃなかったら軍人としては〝もぐり〟だからな。
あいつは魔女の名に恥じない怪物だ。何であの化け物が十五年近くも〝大佐〟のままで暴れまくっているのか、正直言って見当もつかん。
あれだけの戦功を挙げれば、とっくに将官になっているのが当然だからな。
とにかく、帝国軍が苦戦をしている戦場には、必ずあの魔女が率いる部隊がやってくる。まるで死臭を嗅ぎつけて飛んでくるハゲタカみたいな連中だ。
マグス大佐が現れたら、俺たちケルトニア軍はどうすると思う?
尻尾を巻いて逃げるんだよ。命あっての物種だからな。
魔導士の天敵ともいえる塹壕も、あの女の爆裂魔法の前では完全に無力だから仕方がない。
あの魔法は、地表から二メートル近く掘り下げた塹壕もろとも爆破しやがる。しかも一キロ以上の広範囲にわたってだ。
救いがあるとすれば、大佐が一度爆裂魔法を使うと、翌日まで次の魔法が撃てなくなるということだ。
だが、あの女の部下の連中がまたヤバいやつ揃いでな。
副隊長のカメリアっていうのが、大佐に負けないほどの化け物だ。そして金髪と赤毛の二人の副官も、悪魔じみた威力の魔法を放つ。
あの魔女の部隊が現れた時は、とにかく逃げて被害を最小限に抑えるに限る。
あいつらは全線戦で引っ張りだこだから、同じ戦場にそう長くは留まらないからだ。
たとえ戦線の突破を許しても、化け物が去ってからゆっくりと押し返せばいいだけの話だ。非効率で犠牲も出るが、結局はその方が被害が少ないんだ。
それでな、去年の秋の話だ。
運の悪いことに、俺が配属されていた戦区にあの魔女が現れやがった。
俺たちは当然、一時的に撤退して、魔女が通り過ぎるのを首をすくめて待つんだろうと思っていた。
実際、最前線を任されていた中隊長は、偽装と撤退の指示を出し、俺たちはその準備に取りかかっていたんだ。
ところが――だ。
何をとち狂ったのか、大隊長から死守命令が伝達されてきた。
信じられるか? 相手は伝説級の化け物だぞ。
俺や仲間たちばかりじゃない。その命令を聞いた中隊長も、口をあんぐりと開けて顎を落しそうになっていた。
大隊長ってのは、最近赴任してきたばかりの若造だとは聞いていたが、よく知らない奴だった。
俺は大隊付の魔導士だったから、戦力として前線に配置されていただけで、中隊長とは同格だった。だから、死守命令を聞いた俺は、遠慮なく奴に噛みついたよ。
中隊長は苦虫を噛み潰したような表情で、吐き捨てるように白状した。
「大隊長は貴族の御曹司で、腰かけ程度の気分で赴任してきたボンボンだ。
どうせすぐに転出していくだろうと思っていたんだが……。
くそったれ! 帝国の魔女を相手に、一歩も引かなかったという〝武勇伝〟が欲しくなったんだろうさ」
俺たちは納得したよ。こうした理不尽で馬鹿な命令は、戦場では珍しくない。
兵士たちは酒の肴に、お偉いさんを批判して留飲を下げる。そんな笑い話の一つなんだ。
ただし、笑っていられるのは、自分の身に降りかかってこなけりゃの話だ。
俺は中隊長に、命令を無視して撤退するように忠告した。いわゆる現場の判断っていう奴だ。
もしも責任を問われたら、俺が中隊長を全力で擁護すると約束したんだ。
中隊長も覚悟を決めてくれた。部下ともども全滅するよりは、軍法会議の方がましだからな。
ところが、まずいことに大隊長が「督戦のため」と称して、前線に出張ってきやがったんだ。
兵たちの士気を高めるために、危険を省みない上官を演じたかったんだろうよ。
大隊付けの魔導士には、上級将校の安全を確保する義務が負わされている。
俺は塹壕から呼び戻されて、大隊長の身辺警護を命じられた。
部隊最大の戦力を引っこ抜くという時点で、大隊長がどれだけ無能か分かろうっていうものだ。
俺は大隊長殿に釘を刺してやった。
「自分は攻撃専門の魔導士で、防御魔法はあまり得意ではありません。
相手は伝説級のマグス大佐です。
爆裂魔法の直撃を受けた場合、大隊長殿の安全は保証しかねます」とな。
案の定、奴は震えあがった。周りにいた幕僚連中は、笑いを堪えるので必死だったぜ。
その空気を感じ取ったんだろうな、大隊長はむきになった。
「自分は臆病者ではない! それしきのことで引いたら、家名に泥を塗ることになる!
私は断じてここから動かんぞ!」
まぁ、勢いで言った言葉だろうが、根性だけはなかなか見上げたものだった。
それで死んでいく現場の兵士には、何の慰めにもならないがな。
――そして戦いは始まった。
酷いものだったよ。
俺たちの部隊は十分も経たない内に、壊滅状態となった。
マグス大佐が爆裂魔法を出す、その前の段階でだ。
あの女が魔女なら、奴の部下たちは地獄の使徒だと言ってもいい。
最前線の兵士たちは、ほとんど抵抗できないまま塹壕の中で蒸し焼きになり、降り注ぐ岩石でカエルのように圧し潰された。
そんな惨状を目の当たりにしながら、大隊長は撤退を許さなかった。
それどころか、虎の子の予備部隊を援軍として送り込みやがった。
燃え盛っている地獄の窯に、薪を放り込んで追い焚きをするようなもんだ。
前線は大混乱に陥っていた。
敵の攻撃魔法が馬鹿みたいに撃ち込まれ、大隊長のいる後方の指揮所近くにも、何発か流れ弾が飛んできたくらいだ。
大隊長の腰巾着が、泣きそうな顔でご主人様に退避を進言していた時のことだ。
突然、指揮所のど真ん中でファイア・ボールが炸裂したんだ。
あっという間だったよ。大隊長は、一瞬で黒焦げになった。
もちろん、俺は奴を守るための防御魔法を展開していたさ。だがそれは、魔法防御ではなく、物理防御魔法だったんだ。
マグス大佐の爆裂魔法は、広範囲を表面地層ごと爆破するものだ。
魔法そのもので地上にいる人間は傷つかないが、爆破された土壌と岩石に巻き込まれると、あっという間に肉片に変えられて上空まで吹っ飛ばされる。
だから、物理防御を展開した方が生存確率が高いっていうことは、ケルトニアの魔導士にとっては常識だったんだ。
対物理障壁では、魔法攻撃を防げないことは百も承知だ。
大隊長が陣取っていた指揮所は、前線が直接見れたものの、十分に距離を取った後方で、通常の攻撃魔法の到達範囲外だったんだ。
届くとすれば、マグス大佐の爆裂魔法と、カメリア副隊長のバリスタという投擲魔法だけだ。これは重力魔法の一種で、巨大な岩を敵陣にぶん投げるという、とんでもないものだ。ただ、飛んでくるのは岩石だったから、これも物理防御で対処できるはずだった。
どこから飛んできた火球攻撃かは知らないが、それを防げなかったのは俺の責任じゃない。
とにかく、ありがたいことに大隊長は天国に召されてくれた。
俺たちは悲しみに打ちひしがれるべきだったんだろうが、戦闘中にそんなのんびりしたことはできない。
全滅を目前にした塹壕部隊の中隊長と、絶望的な状況に突っ込まされた予備部隊の中隊長は、大隊長の殉職が伝えられると、即座に全軍の撤退を命じた。
塹壕で死を覚悟していた将兵は、囮のカカシを残して一目散に逃げ出した。
マグス大佐の爆裂魔法が、付近一帯の塹壕を空高く吹き飛ばしたのは、その十分後のことだった。
無駄に死んでいった奴らには気の毒だが、一応結末はめでたしめでたしとなった。
だけどな、それで終わりにならないのが軍隊の面倒臭いところなんだ。
なぜ、大隊長の身を守れなかったのか?
ファイア・ボールは一体どこから撃ち込まれたのか?
そもそも誰が指揮所に向けて攻撃魔法を放ったのか?
死んだ大隊長が、有力貴族のボンボンだってこともあって、憲兵隊の捜査は苛烈を極めた。
何しろ〝上官殺し〟は、軍隊では最大最悪の重罪だから、当然だろう。
だが、誰一人として犯人を見た者がいない。現場にいた全員が、口をつぐんで何も答えなかったんだ。
結局、事件は迷宮入りとなったのさ。
* *
ケネスはそう話を締めくくり、くすりと笑ってみせた。




