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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第十一章 漂流者の迷宮
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四十六 初飛行

 エイナは両手を突き上げ、思い切り伸びをした。

 あちこちの関節がバキバキ鳴って、痛みのおかげで少し頭がすっきりした。

 机に突っ伏したまま、長時間寝ていたのだから、当然の結果であった。


 立ち上がって窓の鎧戸を開くと、外は薄っすら明るくなりかけていた。冷たい風が吹き込んできて、エイナは慌てて窓を閉めた。

 今はもう十一月の末だから、一年で日の出が最も遅い時期だ。多分もう六時ころだろう。


 参謀本部のある王城の南塔は、夜勤者や徹夜組(激務の参謀職では決して珍しくない)のために、深夜や早朝でも地下のシャワー室が利用できる。

 同じ地階には、巨大なボイラー室がある。そこで湯を沸騰させ、蒸気はパイプに流して暖房に利用されるほか、温水も提供しているのだ。


 冬にお湯のシャワーが使えるのは、王城ならではの贅沢である。

 髪と身体を洗ってさっぱりし、脱いだ下着をくんくん嗅いでから、溜め息をついて再び袖を通す。


 これが下宿なら、当り前に屋敷のメイドさんが用意してくれる、石鹸の香りがする下着とシャツに着替えるところだが仕方がない。不潔でなのは、よい軍人の証拠である。

 家主のロゼッタさんには伝言を託したから、きっと十分な着替えを小夜に持たせてくれるだろう。


 エイナは嗅覚が人一倍鋭敏なので、下着が女臭いと、どうしても気になってしまうが、周囲が気づくことは稀だと経験上知っているから、今日くらいの臭いならギリギリ合格なのだ。


 男女別のシャワー室を出ると、そのまま酒保に向かう。

 もうじき夜勤組との交代時間なので、朝番の近衛兵たちで酒保はかなり混んでいた。


 彼女は焼きたてのバターつきパンと野菜スープを注文し、お盆を持って空いている席を探した。

 こんな時間に酒保にくる女性はいないから、注目していた兵士たちがすぐに席を空けてくれ、こっちへ来いと手招きしてくれた。

 笑顔を向けてくる彼らは、みな顔見知りばかりである。


 席に着くと、エイナの前に皿が一枚置かれ、男たちの朝飯からソーセージや卵などの差し入れが集まり、あっという間に山盛りになった。

 ありがたく貢物を頬張りながら、愛想のよい笑顔を浮かべて、ご褒美としてたわいもない会話に応じるのが、よい女の務めである。


 酒が入る夜と違い、この時間は誰も酔っていないから、男たちから飛んでくる冗談は、それほど卑猥ではない。それでも、良家の令嬢が聞いたら卒倒するような、下品な話題が多い(軍隊の悪しき伝統だ)。


 エイナも新人のころは、顔を真っ赤にして逃げ出したものだが、今ではすっかり馴れ、余裕でかわす技術を身に着けている。

 そうなると兵士たちから『なかなか話の分かる女だ』と評価され、真の仲間として認められるのである。


 愉快な朝食を済ませて士官室に戻り、旅に必要な荷物を背嚢に詰め込むと、何だかんだで八時を過ぎた。

 この時間だと、もうエイミーが出勤しているはずなので、エイナはお馴染みの秘書官室に向かった。

 ノックをして扉を開けると、小夜と虎丸がソファでくつろぎ、彼女が来るのを待っていた。


 エイナたちは別にマリウスに呼ばれたわけではない。

 ただ、エイミーの秘書官室には、スチーム暖房の他に小さな暖炉があり、暖かくて居心地がいい。

 美味しいお茶とお菓子にもありつけるから、エイナやシルヴィアはよく集合場所に利用している(優しいエイミーは、それを笑って許してくれた)。


 エイナと朝の挨拶を交わすと、エイミーはお茶と一緒に平べったい荷物をテーブルの上に置いた。

「レテイシア様からの親書よ。羅の国王陛下と藤野家の当主に宛てたもの、それぞれ一通ね」


 正式な外交文書は専用の文箱に入れられ、美しい布に包まれている。さらにその上から油紙で巻き、厳重に保護されていた。

 その包みの上に、上質そうな封筒が乗せられていた。


「それは、シド様(蒼龍帝)に宛てたマリウス様の書簡ね。

 蒼城市に着いたら、真っ先に渡してほしいそうよ」

 恐らく、マリウスが今回の件を要領よくまとめて、シドに説明したものだろう。


 エイミーとお喋りをしながら、お茶とビスケットを楽しんでいると、扉をノックして伝令兵が顔を出した。


「アラン大佐からの伝言です。出発の準備ができたので、中庭に来てほしいそうです」


      *       *


「これは……聞いてはいましたが、さすがに驚きますね」

 小夜が思わず溜め息を洩らした。虎丸も目を丸くして、立ち尽くしている。


 王城の中庭はかなりの広さがあり、二階建ての回廊に囲まれているのだが、その鳥の頭は回廊の屋根よりも高いところにあった。

 猛禽類特有の鉤状に曲がったくちばし、そしてまん丸でオレンジの瞳は、中庭に入ってきた小夜たちをじっと見詰めている。


 その外見だけを見ればトビのようだが、とにかく巨大である。

 頭から尾羽の先まで、二十メートル近くありそうだ。これで翼を広げると、両翼百メートルを超すというのだから、まさに怪物であった。


 ロック鳥の前には、丸太造りのいかにも頑丈そうな山小屋が置かれていた。

 ごく一般的な切妻屋根だが、その棟木の上には、小屋を掴むための取っ手となる部材が突き出している。


 姉弟がぽかんとして巨鳥を見上げていると、山小屋の扉が開いて軍服に革の上着を羽織った男が出てきた。

 彼が近づいてくると、エイナは気をつけの姿勢を取り、きれいな敬礼をする。小夜と虎丸も、慌ててエイナの真似をするのだが、あまり様にはなっていない。


「羅の国十二氏族の筆頭、藤森家のご息女にして、大神殿の斎王であらせられます小夜様、同じく藤森家のご子息、虎丸様をお連れいたしました。

 この度は大佐殿にご難儀をおかけしますが、よろしくお願いいたします」


 アラン大佐は答礼を返しながら、姉弟に微笑みかけた。

 小夜はもちろんだが、男の虎丸でさえ見惚みとれるほど、大佐は美しい顔立ちをしているが、同時に厳しい任務で鍛えられた逞しさも感じられる。


「アラン・クリスト大佐です。

 お二人をお運びするのは、私とピート……この鳥の名前ですが、我々にとって名誉とするところです。

 できるだけ配慮はするつもりですが、恐らく快適な旅とはならないと思います。その点だけは事前にご承知おきください。

 今日のところは蒼城市までですから、そう時間はかかりません。本番に馴れるための練習だと思ってください」


 小夜と虎丸は、少し不安そうに顔を見合わせた。


      *       *


 アラン大佐に連れられ、一行は小屋の中に入った。

 小屋は正方形で、一辺の長さが七メートルほどあるから、四人で過ごすには十分な広さがある。


 壁際に大きめのベッドが二つ並び、間仕切りによって狭い寝室となっていた。

 ほかに家具らしいものといえば、リビング中央にある椅子とテーブルくらいだ。


 奥の方に物置のような小さな部屋(中を覗いても、何もなくがらんとしていた)、そしてトイレがあり、さらに扉のない台所のスペースがあり、水の入った大きな樽が据えられていた。

 壁に窓はなく、その代わりに屋根に分厚いガラスをはめ殺しにした丸窓があって、明り取りの役目を果たしていた。


 構造からみて、四人が生活できる部屋を想定しているらしいが、その気なら十人以上を押し込めることができる。

 その場合は、床に直接座り、雑魚寝することになるのだろう。


 小夜と虎丸による部屋の探検は、あっという間に終わった。彼女たちはエイナとアランの横に座るため、椅子を引こうとした。

 ところが、椅子はびくともしない。脚が床に固定されていたのだ。


「今はまだいいけど、飛んでいる時は両足を開いて踏ん張ってね。

 慣れるまでは、テーブルの端を掴んでいた方がいいと思うわ。そうしないと、急に揺れた時に吹っ飛ばされて、壁に叩きつけられるわよ」


 エイナの注意に小夜の表情が曇るが、アランが立ち上がり、彼女の肩をぽんと叩いた。。

「そろそろ出発します。

 そう心配しなくてよいのですが、不用意に歩き回らないでくださいね」


 そして、大佐はエイナの肩も叩いた。

「僕はピートに騎乗するから、エイナは二人の面倒を見てやってくれ」


 彼は分厚い飛行用の革ジャケットにゴーグル付きの帽子を被り、顔が露出しないようにスカーフを巻いて顔や首をすっかり覆った。

 まるでミトンのような革手袋をすると、完全に素肌の露出がなくなった。

 その物々しい恰好は、余計に姉弟の不安を煽った。


 アランは小夜たちを安心させるように手を振り、スカーフの下からくぐもった声を出した。

「では、空の旅を楽しんでください!」


 どすどすと重そうな足音を立て、アランは小屋の外へ出ていった。

 エイナは大佐を見送り、扉を閉めるとしっかりとかんぬきをかけた。


「天井にしか窓がないといいうことは、外が見えませんよね。

 どうやって飛んでいることが分かるのですか?」

 小夜が不安を紛らわすため、戻ってきたエイナに話しかけてくる。


「一度経験すれば、飛んでいることなんて、すぐに分かるわ。

 ほら、迷宮で転移の罠だらけの階層があったでしょう?

 その時に、虎丸君が『睾丸が縮み上がる』って下品に表現してたけど、出発する時はまさにその感覚なの」

「アラン様は、ロック鳥に乗って操縦するのですよね。

 飛んでいるさなかでも、命令をする声が届くのですか?」


「召喚士と幻獣は魂のレベルでつながっているから、みんな念話ができるのよ。

 アラン大佐の場合は視覚まで共有できるから、ロック鳥が見ている地上の情報が全部入ってくるんだって。

 だからこの小屋に入っていても構わないんだけど、やっぱり自分の目で周囲の状況を把握していないと、判断が遅れるらしいわ」


 そんな会話に、目をキラキラさせた虎丸が割り込んできた。

「姉上はどうして浮かぬ顔をしているのですか? 空を飛べるなど、夢のようではありませんか。私は楽しみでわくわくしています!

 エイナは飛んだことがあるのか?」


「当たり前でしょ。それより、何で小夜さんには敬語で、私は呼び捨てなの?」

 虎丸は漆黒のおかげで、流暢に中原語を扱えるようになって以来、ますますエイナに対して友達口調になってきた。


「細かいことは気にすんな。

 だけど、せっかく空を飛ぶのだったら、外の景色を見たいものだな。

 エイナ、どっかに覗き穴はないのか? いや、なかったら自分で開ければいいか……」


 エイナは溜め息をついた。

「アラン大佐が、飛行中に立ったら危ないって、さっき注意したのを聞いてなかったの?

 覗き穴ならあるわよ。あなたと同じことを考えた、お馬鹿さんがいたのね(エイナは知らないが、その犯人はユニだった)。

 向こうの壁の丸太の隙間に穴が開けられていて、木で栓がされているから、それを抜けば外が見えるわ。

 でも無駄よ。そんな小さな穴から覗いても、空しか見えないわ。もし景色が見たかったら、トイレに行きなさい」


「便所にも窓はなかったぞ?」

「便器の中に顔を突っ込んで、下を見るのよ。

 ここのトイレって、空中から汚物を散布する方式だから、下界が見えるのよ。

 今の季節だとお尻が冷たいし(ああっ、考えただけでお腹が冷えてくるわ!)、最中に風が逆流すると悲惨なことになるから、覚悟した方がいいわよ」


 たちまち小夜が引き攣った顔になる。

「エイナ様! わっ、私、ご不浄に行く勇気がありません! どうしましょう?」

「心配しなくても、すぐに行く気になれるわよ」


 エイナの予言は的中した。

 あれこれ話しているうちに、アラン大佐の準備が整ったらしく、何の前触れもなしに小屋がふっと上昇した。

 一瞬、重力が消失し、内臓が浮き上がるような感覚が襲ってきて、同時に小屋がゆっくり揺れ出した。


 ロック鳥は、屋根の棟木に丁字型に取り付けられた丸太を掴み、飛び立った後は足を引っ込めて腹に密着させる。

 真っ直ぐ上昇している間はよいのだが、水平飛行に移って速度が出てくると、風よりも空気抵抗が問題となる。

 頑丈な丸太はその圧力に耐えられるが、壁に当たった空気が逃げようとする力で、どうしても小屋が暴れるのだ。


 揺れはどんどん酷くなってきて、気を抜くと本当に吹っ飛ばされそうだった。

 テーブルの縁に細い丸太が付いていて、掴みやすいのが救いだった。

 上下左右に身体が振り回され続けると、だんだん気持ちが悪くなってきて、胃から酸っぱいものが上がってくる。


 エイナはこの酷い乗り心地に慣れていたから平気だったが、姉弟は呆気なく酔った。

 真っ先に小夜が顔面蒼白となり、四つん這いになってトイレに向かった。


「あっ、姉上ずるい!」

 小屋の揺れに合わせて振られる姉の尻に向け、虎丸が非難の声を上げる。


 エイナが溜め息をつき、自分の背嚢から膀胱製で作った革袋(ロック鳥に運ばれる時の必需品)を取り出し、黙って虎丸に差し出した。

 小屋の中は風切り音でうるさかったが、目の前で虎丸が立てる嘔吐の音までは、掻き消してくれなかった。

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シド様のドヤ顔 炸裂するエイナの・・・はないか シートベルトが無いって あったら肋骨が折れ 内臓が破裂するの
起震車の中にずっといるようなもんかな……
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