四十四 提案
「許さないならどうする。
お前が自害して、アマテラスの力を借りるか?」
「当然です。何度でも言いますが、それが藤野の娘としての務め、斎王の責任です」
「ずい分と軽い命だな。
だが、お前が死ねば、次に藤野の娘が斎王になるまで、何年の空白ができると思っている?
戦争が始まれば、大国の叡は簡単には引き下がらない。ひとつの戦いに敗れてたとしても、何度だって攻めてくるはずだ。そして神符が使えない状況では、弟は当り前に使い捨てられるだろう。早いか遅いかの違いしかない。
そのくらい、お前にも理解できるはずだ」
「父上なら……きっと一度で叡が思い知るほどの、決定的な勝利を収めてくれます」
「私には、忠興がそれほどの器とは思えないがな。
まぁ、いい。これは水掛け論だ。もっと現実的な問題を考えてみよう。
お前の犠牲によって羅の国は救われ、虎丸は生き延びたとしよう。
その弟の封印は、誰がする?」
「私の跡を継ぐ斎王でしょう」
「いま、お前の次席にいる巫女に、それだけの力はあるのか?
「それは……まだ若すぎて修行が足りないからです。あと一、二年もあれば、きっとできるようになります」
「それまで虎丸が耐えられると思うか?
お前たちが迷宮に潜ってから、今日で五日目であろう? その間、虎丸は憑依状態を続けているが、いまだに自我を保っている。
十五の少年にしては、見事な意志の強さだと褒めてやってよいだろう」
「だがな、何が虎丸をそこまで強くしていると思う?
姉であるお前を守りたい、という思いが強烈だからだ。
考えてもみろ、虎丸には母の記憶がなく、父や兄たちは冷たく厳しかった。
そんな藤野家の中で、小夜だけが惜しみなく愛情を注いでくれた。弟にとってお前は、初めて手に入れた家族だ。
虎丸は溺れかけた子どものように、必死でお前に縋りついている。小夜はそれを見捨てると言っているに等しいのだぞ。
未熟な少年の心が、それに耐えられるはずがあるまい。たちまち獣に喰らい尽くされだろうさ」
「……」
小夜はうつむいて黙り込んだが、やがて肩を震わせ、大粒の涙をぼろぼろと零しはじめた。
「……では、私はどうしたらよいのですか?」
「頭のよいお前なら、もう答えを出していると思ったのだが、はて、私の買い被りであったか。
簡単な話だ。お前は何もしなくていいのだ」
* *
意外な答えに、小夜は涙に濡れた顔を上げた。
「あなた様は、神符を諦めて国に帰れと申されるのですか?」
「そうは言っておらん。
この神符は藤野家ではなく、大神殿の管理下にある。そうだな?」
「はい」
「であれば、持ち帰って神殿に飾っておけ。
そして、父親に神符の使用を要請されても、何もしなければよい」
「それでは虎丸が――」
「虎丸はお前と一緒に神殿で暮らしているのだろう?」
「はい」
「ならば、虎丸も神符の隣に座らせておけ。父親のもとに遣らなければ、忠興だとて命令のしようがないだろう。
稽古だったら、神殿を護衛する兵士にだってつけてもらえるはずだ。父も兄たちも、そろそろ虎丸を持て余してきたから、ちょうどよい頃合いだろう」
「それでは、私も虎丸も父上を裏切ることになります」
「別に父や兄たちと戦って、親の首を取れという話ではない。
その代わりに、小夜が指揮を執って、叡と戦えばよいと言っておるのだ」
「無理です! できるはずがありません!!
父上に逆らったら、大神殿はあっという間に藤野の軍勢に囲まれます。私も虎丸も捕らえられ、首を刎ねられるでしょう」
「本当にそう思うか? 忠興は神符が大神殿にあると知っているのだぞ。
もし、囲まれたお前が自暴自棄となり、神の力を行使したらどうなる? いかに藤野が多勢でも、確実に、しかも徹底的に負けるぞ。
いつ叡が仕掛けてくるか分からない状況で、あの男がそんな危険を侵すと思うか?」
「それは……」
「冷静になって考えてみろ。大神殿を守る神兵は何人いる?」
「およそ、百二十人ほどです」
「その者たちは、藤野ではなく斎王の命を聞くのであろう?」
「はい。でも藤野家の動員力は一万を超します。多勢に無勢とはこのことです」
「そのすべてが、藤野の直臣というわけではあるまい?」
「それはそうですが……」
「藤野家だけの郎党なら、多く見積もっても百人余りのはずだ。
むしろ大神殿の兵力の方が優勢ではないか?」
* *
小夜たちの故国、羅の国には名ばかりの君主がいるが、実際には十二の氏族による連合国家だ。
藤野家はその中で最も有力な一族だが、その領地のすべてが彼のものではない。多くは土地に根差した半農半武の小豪族によって支配され、藤野家が直轄統治している領地は意外なほどに少ない。
藤野家は小豪族に土地の支配を認め、その権利を保証する。領地境で所有権争いが起きれば、公平な立場で裁定する役目も持つ。
この代償として、いざ戦争が勃発すれば、各豪族は領地(収獲)の規模に応じて決められた兵を連れて参戦する。
その数は、少ない場合で三人(一騎に小者が二人)、多い者でも二十人(騎馬五人)程度なのだが、そのすべてが集まると、一万もの兵力に達するということだ。
藤野以外の十一氏族でも、千人から五千人程度の兵力を保持するため、羅の国全体では五万人程度の動員力がある。
したがって、各豪族は領主(例えば藤野家)から給与や手当を貰っているわけではなく、与力として参戦し、一時的に指揮下に入ることを受諾しているのに過ぎない。
では、漆黒が想定したように、藤野家と大神殿が対立して争ったらどうなるか。
これは、言ってみれば父娘喧嘩による内輪揉めであって、他国の侵略ではないから、豪族たちに兵を出す責務は生じない。
それに羅の国の民のほとんどは、アマテラス神に帰依しているから、大神殿に矢を向けるなど考えもしないだろう(神罰が恐ろしいのだ)。
一般民衆がどちらの側につくかは火を見るよりも明らかで、下手をしたら、豪族たちが大神殿に助勢しかねない。
小夜が言うとおり、藤野家の私兵に当たる直臣は百人余りで、彼らは藤野から出る手当によって暮らしているから、相手が誰であろうと命令があれば戦わざるを得ない。
一方、大神殿の神兵は、完全に独立した中立勢力で、神殿の警護は当然だが、普段は農作業を含めた力仕事に従事している(男性の神職の割合が極端に低いためだ)。
例え羅の国が攻められたとしても、彼らには参戦義務がない。
その代わり、国内外を問わず、神域を侵す者に対しては、死を恐れずに戦う勇猛な兵士揃いであった。
藤野家の直臣にもそれなりの戦闘力があるが、日常的には事務官僚に近いので、もし両者がぶつかれば、大神殿の方が有利に戦いを進められるだろう。
――漆黒はそう主張しているのだ。
* *
「私が戦いの指揮を執れと仰いますが、父上がそのような屈辱を受け入れるでしょうか?」
小夜は父親である忠興と、まともな会話を交わしたことがないが、何かと聞こえてくる噂話や弟の報告で、ある程度の人柄は窺える。
威張り散らすだけの馬鹿ではないが、家柄を誇り、気位は相当に高い人物だ。
「そうだな、軍をまとめるという意味では、忠興の体面は考慮すべきだ。小夜が指揮を執ると知れば、豪族たちの中には混乱したり、反発する者が出る恐れがある。
小夜はあくまで父を案じて随行する娘、という立場を取ればよかろう。
その代わり、お前は作戦を立案し、状況に応じて決断を下す。忠興はそれを自分の考えとして命じればよいいのだから、かえって楽だと喜ぶかもしれんぞ」
「もちろん、虎丸の運用も小夜が決めるのだ。
お前の弟は、大軍同士のぶつかり合いに投入するには不向きだ。むしろ遊撃軍の先鋒に据え、伏兵や奇襲に使ってこそ、大きな効果を発揮するはずだ。
敵が崩れるまで引っかき回し、頃合いを見極めたらさっと退かせるのだ。上手く使えば、思わぬ隠し玉となるだろう」
「そして、小夜自身も大きな戦力となる。
使える時間は限られるが、お前の式神は敵の度肝を抜き、戦意を挫くだろうし、いざとなれば神に祈って神罰を下してやればよい」
「アマテラスは神だから、人間同士の争いに干渉しない――というのは建前だ。
大神殿がある羅の国は、あの女にとっては自分の縄張りで、そこに土足で踏み入ってくる叡には、さぞかし腹を立てるだろう。
普段は神様だと澄ましているが、あれは血の気が多い女でな、お前が祈ればこれ幸いと、雷をばんばん落としてくれるはずだ。
神が味方していると知れば、味方の戦意も上がるだろうから、これは是非やってみろ」
小夜はいつの間にか、漆黒の話を食い入るように聞き入っていた。
彼女は若くして斎王に推挙されただけあって、頭の回転が速く、理解力が異常に高い。その結果、この怪しげな不死者の話が、現実的な提案だと認めたのだ。
それでも、まだ懸念はあった。
「ただ、私は兵法というものを、何ひとつ知りません。
もちろん帰国したら、可能な限り学ぶつもりですが、基本を覚えるだけで精一杯だと思います。
作戦を立案せよと言われましても、正直に言ってどうしてよいかも分からないのです」
「なに、基本が分かっていれば、それで十分だ。お前ならどうとでも応用できるはずだ。
もし不安であれば、神兵長を連れていけばよい。少し歳を喰っているが、それなりの経験がある面構えであったぞ」
『漆黒はどこまで大神殿の内情を調べたのだろう?』
小夜は内心で驚かざるを得なかった。
「ガブリエル殿のことですか? 確かに側にいてくれたら心強いですね。
彼は若いころ傭兵をしていて、戦場を渡り歩いていたと聞いたことがあります」
「ふむ……その様子だと、どうやら私の提案に乗る気になったようだな?」
漆黒の確認に、小夜は黙ってうなずいた。
「そうでなくては私も困るのだ。アマテラスとの約束を果たさねば、私への褒美もなくなるからな。
よいか、帰国しても藤野の館には近づくな。まずは大神殿に入って身の安全を確保するのだ。
神符探索の結果報告と、今後の方針の伝達については、忠興を大神殿に呼びつければよい。最初のうちは激怒してみせるだろうが、毅然としているのだ。
忠興は食えない男だが、馬鹿ではない。最終的には小夜の提案を受け入れるだろう」
「分かりました。
ところで、私と虎丸はどうやって帰国すればよいのでしょう?
乗ってきた船は沈んでしまいましたし、私の手持ちの金銭では、外海を渡れるだけの船や乗組員を賄えるとは思えません」
「私がアマテラスに約束したのは、小夜の説得までだ。そこまで面倒を見る義理はない。
頼るのなら王国ということになるが、今度は小夜が彼らを説得する番だ。それくらいは自分の頭で考えろ。
エイナもそう思うであろう?」
「あと、あの。……そうですね。取りあえずは迷宮を出て、白虎帝閣下に報告しましょう。
帰国の手立てについては、王都に戻ってマリウス様に相談するしかないと思います」
* *
迷宮から白城に戻るには、十の階層をもう一度上がるのだろうと思ったが、そうではなかった。
この部屋には転送陣が備えられており、エイナたちはその上に乗ることで、迷宮の入口まで強制的に戻されるらしい。
もともとこの迷宮は、王国が滅亡の危機に瀕した際、せめてセントレア(初代国王)に連なる血筋の者を、安全なところに逃がす目的で築かれたものだ。
したがって、最後の部屋は一時的な滞在場所に過ぎず、王はここから安全な場所に転送されるらしい(もちろん、その行先は秘密だった)。
漆黒の説明によれば、エイナたちが王の避難所ではなく、迷宮の入口に戻されるのは、体内に入った異物を排出する生体反応(くしゃみや咳)のようなものだそうだ。
召喚の間では、白虎が床に寝そべって、昼寝を楽しんでいるところだった。
エイナたちが出てくると、迷宮へ続く階段の入口は自動的に閉じ、継ぎ目も分からなくなった。
ラオフウは面倒くさそうに目を開け、大きな欠伸をした。
すぐにヘビの頭がついた尻尾が近づいてくる。
『あらあら、思ったより早かったじゃない?
その様子だと、首尾よく目的を果たしたみたいね。
いまノエル(白虎帝)を呼びましたから、すぐに来るでしょう』
ヘビの言葉どおり、二十分もすると、白虎帝が副官のエディスを伴って、召喚の間に入ってきた。
ノエルは三人に駆け寄ると、迷宮探索の労をねぎらってくれた。
「よく無事に戻ってきたな。
実を言うと、来客中のところを抜けてきたのだ。申し訳ないが私はすぐに戻らなければならない。用事が終われば改めて話を聞くが、後のことはエディスに任せる。
何か必要なことがあれば、彼女に申し出るがよい」
それだけ伝えると、白虎帝はそそくさと戻っていった。
副官のエディスは苦笑いを浮かべて振り返った。
「――と、いうわけよ。ノエル様の身体が空くのは、多分夜遅くになるはずだわ。
三人とも疲れているでしょうから、それまで部屋で休んでいいけど、何か希望はある?」
即座に虎丸が答えた。
「腹が減った! 何か食わせてくれ。できれば肉がいいな」
その頭を強引に押し除け、小夜は弟の上から身を乗り出した。
「いいえ、それよりお風呂を使わせてください!」
エイナがうんうんとうなずき、小夜に向かって親指を立ててみせた。




