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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第二章 ケルトニアの魔導士
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二 初任務

 エイナたちはこれまでも時々エイミーの秘書室に遊びに来て、お茶やお菓子をご馳走になっていた。

 だが、続き部屋のマリウスの執務室に入るのは、辞令を交付されて以来のことだった。

 二人が少し緊張しながら中に入ると、まず目に入ったのはケイトの姿だった。


 彼女はエイナたちの直属上司であるが、顔を見るのは週に一度くらいである。

 魔導院で教えを受けていた頃の方が、よほど関係性が密であったと言える。


「あら、来たのね。こっちへいらっしゃい」

 ケイトの落ち着いたアルトの声は、聞くだけで安心させてくれる。

 二人は喜んで彼女の隣に並んだ。

 カー君はそれよりも早くケイトの身体を駆け上がって、豊かな胸に抱かれてごろごろと喉を鳴らしている。


 正面の執務机には、参謀副総長であるマリウスが柔和な表情で座っていた。

 彼はゆっくりと立ち上がった。

 エイナとシルヴィアは、すぐさま背筋を伸ばして敬礼をした。


「グレンダモア准尉、並びにフローリー准尉、お呼びにより出頭いたしました」

 シルヴィアが代表して申告する。こういう時は物おじしない彼女が率先して発言してくれるので、引っ込み思案のエイナは大いに助かっている。


「ご苦労」

 マリウスが目を糸のように細めて答礼すると、二人は声を揃えて畳みかけた。

「任務でしょうか!」


 隣に立っていたケイトが呆れたような表情でたしなめる。

「控えなさい、無礼ですよ!

 申し訳ありません、マリウス閣下。私の指導が至らぬばかりに……」


 マリウスは愉快そうな笑い声を上げた。

「まあまあ、ケイト。カーバンクルを抱いたまま怒っても、説得力に欠けますよ。

 三人とも、ソファにかけなさい。座って話をしましょう」


 彼はそう言って、ソファーの方へ視線を向けた。

 執務室の上等な応接セットは、楽々と四人が並んで座れる大きさである。

 三人の女性はその片側に座り、対面にマリウスが腰をかけた。


 そのタイミングを見計らったように、扉をノックする音が聞こえ、エイミーが入ってきた。

 彼女は銀の盆からカップを配り、淹れたてのお茶をポットから注いだ。

 白い湯気があがり、たちまち薔薇のような花の香りがあたりに立ち込めた。


 そして、小皿にのった可愛らしいクッキーも、それぞれの前に置かれる。

「お茶もお菓子もロゼッタ先輩からのいただき物ですよ。どうぞ召し上がれ」


 お菓子作りの好きなロゼッタは、自分の後輩であるエイミーに時々こうして差し入れてくれるのだ。

 甘さが控えめで、ちょっぴり塩味の効いたさくさくのクッキーは、マリウスの好物であった。

 もちろん、女性陣に好評であることは言うまでもない。


 マリウスはさっそく小皿から一枚摘まんで口に運んだ。

「うん、いつもながら美味しいですね。

 これって、もともとはアリストア様(先代の参謀副総長)のためにロゼッタさんが焼いたものだって、知っていましたか?」


 彼は空になったお盆を胸に抱いているエイミーに訊ねた。

「ええ。存じております。

 毎朝勤務を始める前に、お茶とお菓子をいただくのが習慣だったと聞いています。

 アリストア様から、クッキーの枚数を増やしてほしいと頼まれた時は、とても嬉しかったと先輩がおっしゃっていましたわ」


「僕が聞いたのはアリストア様の方からですけどね。

 夜遅くまで二人で話し込んだ時には、アリストア様が自分でコーヒーを淹れて、このクッキーをご馳走してくれたんですよ」

「まあ、そうでしたか」


「ロゼッタさんは焼きたてを食べさせたくて、毎日十六枚だけしか持ってこなかったそうです。

 アリストア様が朝晩に三枚ずつ、ロゼッタさんがお相伴で二枚ずつ食べて、その残りに僕がありついたというわけです。

 特にお客がなくて残ってしまった時には、次の日の朝にロゼッタさんが捨ててしまうのだそうですよ。

 アリストア様がもったいなから食べると言っても、ロゼッタさんは絶対に許してくれず、よく言い争いになったと聞きました」

「微笑ましいお話ですね」


「彼女はとても几帳面な方ですから、きっと今でも同じ枚数を焼いてきてくれると思うのですよ」

「どういう意味でしょうか?」


「いや、ロゼッタさんが差し入れてくれた日に、僕がいただけるのは毎回きっちり三枚だなぁ……と思いまして。

 先例に倣うのはよいとして、残りは毎回どこに消えているのか、不思議でならないのです。まさかエイミーは捨てるような真似をしないでしょう?」

「いやですわ、マリウス様。

 殿方がそのようなことを気にかけては笑われます。

 ねえ、ケイトさん?」


 いきなり話を振られたケイトがむせて咳き込んでいる隙に、エイミーは秘書室に引っ込んでしまった。

 目尻に涙を浮かべているケイトを尻目に、マリウスはケイトたちにウインクをしてみせた。

「これで次回からは、僕の割り当てが増えるかもしれません。

 さて、そろそろ仕事の話に戻りましょうか?

 ケイト、いいかげんわざとらしい咳はおやめなさい」


      *       *


「さて、君たちの任務の話ですが……」

「はいっ!」


 エイナとシルヴィアは声をそろえて叫び、腰を浮かした。

「お行儀!」

 ケイトが眉根を寄せて、二人を座らせた。


 マリウスは面白そうに笑った。

「来月(八月)の五日ごろ、南カシルに着く予定のケルトニア船で、同国の魔道士が到着する予定です。

 ケネス・フォレスター大尉という方で、帝国との戦争で勇名をはせている、現役バリバリの将校だそうです。

 彼は王国の魔導士を指導するため、三年の期限付きでケルトニアから派遣されることになっています。

 君たちにはフォレスター大尉を出迎え、王都までの世話を兼ねて護衛してもらいたいのです」


 ケルトニア連合王国は、イゾルデル帝国と百年以上にわたって戦争を続けている西の大国である。

 帝国は魔法の先進地で、魔導士を軍の戦力として早くから活用していた。

 ケルトニアはこれに対抗すべく、自国でも魔導士の育成に努めて対抗していたが、こと魔法戦に関してはいまだに劣勢だった。


 それでも、魔導士の育成を始めたばかりの王国とは、比較にならないほど魔法の発達した国だといえる。

 現状の王国では、元帝国軍魔導士であるマリウスと、その弟子であるケイト以外にまともな魔導士がいない。

 魔導院の教授陣は書物による知識はあるが、魔法が使えないため座学しか教えられない。

 実技指導ができるのは、これまではケイトだけであった。


 この三年間で、魔導院を卒業生しながら魔力不足等で軍に採用されなかった者(二級魔導士)がケイトの補佐をするようになって、彼女の負担もだいぶ軽減されてきた。

 とはいえ、彼らにはケイトの代わりを務められるほどの実力はない。

 王国としては、経験を積んだ魔導士が喉から手が出るほどに欲しい。

 敵国の帝国に頼るのは論外である。

 となれば、実戦を潜り抜けてきた魔導士をケルトニアから招聘しょうへいしようと考えるのは、ごく自然な流れであった。


 エイナはこの話を聞いて目を輝かせた。

 実戦経験のあるケルトニアの魔導士! 自分も是非、その指導を仰ぎたかった。

 ケイトに不満があるわけではないが、何と言っても彼女はまだ若い。

 帝国とは年に一度は小競り合いがあり、小規模な戦闘も起きていた。ケイトもその戦いに参加をしていたが、本格的な戦争ではない。


 ケルトニアと帝国が戦う西部戦線は〝この世の地獄〟として有名であった。

 その地獄で戦ってきた現役の魔導士ならば、きっと多くのことを学べるに違いない。

 そう思うと、身体が震えるほどにわくわくした。


「変な話ですね」

 エイナのすぐ横から、シルヴィアの醒めた声が聞こえた。


「何か疑問があるのかね?」

 マリウスが面白そうな顔で訊き返す。


「フォレスター大尉は現役の魔道士官、それもかなりの戦果をあげているのですよね?」

「そのとおりだよ」


「こと魔導士に関しては、ケルトニアは帝国に数で劣っていると聞きます。

 現役で、しかも有能な魔導士であるならば、現場が手放すはずがありません。

 王国から指導者の派遣要請があったとしたも、負傷、あるいは高齢を理由に退役した魔導士を送るのが当然です」


 堂々と疑問を述べるシルヴィアの横顔が眩しく、エイナは恥ずかしさを覚えた。

 彼女はただ新しい教官が来訪することが嬉しくて、そこまで考えが回らなかったのだ。


「君の疑問はもっともですね。

 私もそう思ったのですが、向こうからは『両国の友好のあかしだ』とお茶を濁されてしまいました。

 その辺は何らかの事情があったのだろうと推測するしかないでしょう。

 ケルトニアは遠い。我々にはそれを探る手立てがないのですよ」

 マリウスの答えはそっけないものだったが、その表情は悪戯いたずらっ子のように何かを期待していた。


「あっ」

 思わずエイナは声をあげた。


「何よ、エイナ?」

 シルヴィアがいぶかし気に振り返った。


「えと、その……つまり、私たちは南カシルから王都までの道中でフォレスター大尉の信頼を得て、その事情をそれとなく探る。

 それも任務の一つなのではありませんか?」


 マリウスは嬉しそうに目を細めた。

「うん、二人合わせて八十点。まぁ、合格でしょう」


 そして、彼の表情から笑みが消え、真顔となった。

「南カシルまではケイトが君たちに同行する。現地での宿泊場所の手配までは、彼女がしてくれるはずだ。

 ただし、ケルトニアの魔導士と合流してからは、君たち二人だけで護衛任務に就いてもらう。

 南カシルでは情報が筒抜けだと覚悟しろ。途中、帝国の襲撃が十分考えられる。

 分かっているだろうが、フォレスター大尉の身に何かあれば、外交問題だ。

 君たちの命より、護衛対象の安全が優先されるということを忘れるな!」


「はっ!」

 二人は我知らずに立ち上がり、敬礼をしていた。


 マリウスも立ち上がった。

「出発は明日の夜明けだ。詳細はケイトから聞きたまえ。

 会計課に話は通してあるから、経費を受け取ったら今日は早退してよろしい。

 南カシルとは往復で一か月前後かかるだろうから、そのつもりで準備をすること。

 以上だ」


      *       *


 マリウスの執務室を退出した三人は、そのままエイミーの秘書室で旅の打ち合わせを行った。

 ケイトとゆっくり話をするのは久しぶりであった。

 彼女は持っていくべき物のリストを用意しており、それを説明しながらいくつかの注意を与えた。


「黒城市までは急ぎじゃないから三日の行程ね、軍の馬車で行くことになるわ。

 御者は民間の契約業者で、王城正門前で待機しているから遅れないようにね。

 黒城市からは船に乗ります。下りだから一週間前後で南カシルに着けるはずよ。

 海ほどじゃないけど、川でも駄目な人は船酔いするから覚悟しておいてね。

 船では身体を洗えないけど、途中寄港する川港でシャワーを使うことは可能よ」


 エイナとシルヴィアはせっせとメモを取る。

 何しろ彼女たちはろくに王都から出たことがない。

 エイナは辺境から蒼城市までユニに連れてこられたのと、その後にケイトと一緒に王都へ向かった十一歳の時が、たった一度の旅だった。

 シルヴィアに至っては、魔導院に入った時と卒業時の里帰りで実家と行き来したのが唯一の遠出で、旅と呼べるほどの経験がなかった。


「ケイト先生が同行するのは南カシルまでで、後は私たち二人で行動するって、マリウス閣下がおっしゃっていました。

 先生は同地で別の任務があるのですか?」

 エイナが訊ねた。シルヴィアもそこは気になっていたようで、うんうんとうなずいている。


「こら、先生じゃなくて大尉殿でしょ(ケイトは二年前に昇進していた)。

 私が一緒に行くのは任務じゃなくて、休暇なの」

「休暇? 先生……じゃなかった、大尉殿がですか?」


 エイナはきょとんとした顔をしていた。ケイトのイメージと休暇が結びつかなかったからだ。

「あら、何かおかしい?」

 ケイトがくすくすと笑った。


「ケイトはもう一年近く休暇を取っていないのよ。

 ただでさえ休日出勤が多くて、人事課から苦情が出ていてね。

 あなたたちの出張にかこつけて、マリウス様が無理やり休暇を取らせたってわけ」

 自分の机に向かって書類を整理していたエイミーが口を挟んだ。


「ああ、それで……」

 エイナは納得したが、シルヴィアは不思議そうな顔をした。


「どういうこと?」

「大尉殿は、南カシルのご出身なのよ」

 エイナが説明した。シルヴィアは召喚士科だったので、ケイトから直接教わったことがなく、彼女について詳しいことを知らなかったのだ。


 ケイトがシルヴィアのために補足してくれた。

「まぁ、私は孤児なんだけど、南カシルでメイドとして働いていたお屋敷が実家のようなものだから、そこに帰るのよ。

 私が手助けするのはそこまで。向こうに着いた後は、全部自分たちの判断で行動してちょうだい」

「えとその、南カシルに到着した当日だけでも、そのお屋敷に泊めていただけると嬉しいのですが……」


 エイナの甘えに対するケイトの返事は冷たいものだった。

「駄目よ。カニングさんは独身なのよ。若い娘が二人も泊まったらどんなに喜ぶか――じゃなかった、どれほど困惑されるか、想像がつくでしょう?

 まぁ、エイナはいいとしても、シルヴィアはまずいわ」


      *       *


 エイナとシルヴィアは下宿先のファン・パッセル家に戻ると、大騒ぎをしながら旅の支度にかかった。

 命令を受けた翌朝に出発というのは、あまりに急であるが、直前まで当事者に知らせない秘匿性が、いかにも参謀本部の任務らしく、彼女たちの自尊心をくすぐった。


 初任務に対する緊張は大きかったが、それ以上に旅への期待は若い娘たちを興奮させた。

 ケルトニアの魔導士が着くという南カシルの街は、王国の東に広がるタブ大森林を越えた遥か東の果て、王都からの距離は軽く千キロを超す。


 普通なら不安に圧し潰されるところだが、幸運なことにケイトという引率者付きである。彼女たちが多少浮かれたとしても、誰も責められないだろう。


 だが、現実にはこれは彼女たちにとって、不幸であった。

 最初から二人だけで王都から放り出されていれば、いかに自分たちが世間を知らないか、早目に気づけていたはずだからである。

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