三 花屋敷
王都から黒城市に向かう馬車の旅、そして黒城市の港から船に乗って南カシルに下る船旅は、思ったよりも快適で順調なものだった。
馬車や船の手配はすべてケイトが済ませており、旅慣れないエイナとシルヴィアは、まごつくことがなかった。
川を行き来する客船は、基本的に大きな船室に詰め込まれた乗客が、自分たちのスペースを確保してごろ寝するスタイルである。
乗客の多くは旅慣れた商人だったから、自分たちの居場所を定めると、周囲に迷惑をかけないように話し声も低くして、他人に干渉することもなかった。
エイナたちは女性三人という目立つ存在だったが、軍服姿で帯剣していることもあって、酔っぱらった挙句にちょっかいを出してくる不届者もいなかった。
船は一日に何か所かの川港に寄港した。そのたびに一時間程度の停泊時間を取る。
先を急ぐ者には迷惑な話だが、この間に乗客は川港に上陸して食事を摂ったりシャワーを浴びたりすることができる。夜を過ごす際には、揺れない床の上でゆっくり眠ることもできたのだ。
船には一応便所があるが、川への垂れ流しは禁止されているため、汲み取り式で臭いがきつく、清潔とは言い難かった。
そのため、女性客は川港に着くまで我慢することが多く、定期的な寄港は絶対的に必要なものだった。
ケイトから脅されていたが、エイナとシルヴィアは幸い船酔いにかからなかった。
演習における拉致事件で空を飛んだ時に、飛行酔いで酷い目に遭った経験で免疫ができたのかもしれない。
王国と帝国の国境線を兼ねるボルゾ川は、物流の大動脈であった。
そのため川を行き来する船は多く、船頭や舵取りは、熟練者ではなくては務まらなかった。
下り船は川の流れに乗って速度が出るため、上り船にとっては危険な存在である。
河川上では進路が重なった時には下りの側に回避義務が生じる。そのため船の舳先に立つ船頭は、一瞬たりとも気が抜けなかった。
少しでも対向船の発見が遅れると、速度が仇となり避け切れずに大事故を起こす可能性があるからだ。
船の乗客はそうした船上の緊張など知る由もない。
雨風が入らない代わりに、ランプの光だけが頼りの船室は、常にじめじめとして蒸し暑く、決して快適とは言えなかった。
船にはネズミが棲みついており、油断すると簡単に食糧を食い荒される。
女性客がネズミの出現に悲鳴を上げるのは日常茶飯事だったが、誰も気にする者がいなかった。
* *
エイナたちの乗る客船は、黒城市を出航してから七日で南カシルに到着した。予定どおりである。
南カシルは大陸東部沿岸で、最も栄えている港湾都市の一つだった。
天然の良港に恵まれた外洋貿易の拠点であると同時に、西の王国や帝国本土と物資をやり取りする舟運基地でもある。
ボルゾ川の河口南岸に栄える南カシルには強力な自治権が認められていたが、形式上はリスト王国に所属している。
一方、川の対岸に広がる北カシルは比較的新しい港町で、こちらは帝国の支配下にあった。
ただ外洋貿易に関して言えば、南カシルがほぼ独占していた。北カシルには外洋港がないため、沖に停泊した船に艀が連絡して荷の揚げ降ろしを行わねばならず、着岸できる南とは貨物の扱い量が隔絶していたのだ。
北カシルも南ほどではないが、帝国から強い自治権を認められており、兄弟都市である南北カシル間の行き来の自由度は高かった。
そのため、二つのカシルでは両国の諜報員が暗躍しており、日々熾烈な情報戦が展開されていた。
世間知らずの二人の娘に、ケイトは船中でこうした基礎知識を叩き込んだ。
「南カシルは評議員会という自治組織によって支配されているわ。
会を構成する評議員は、南カシルの有力商人で構成されているの。その席次は資産の多寡によって決定されるから、完全に資本主義の世界ね。
彼らが対王国を含めた外交、そして民政を担当しているのだけれど、南カシルにはもう一つ、裏の支配者がいるの」
ケイトはエイナたちに、南カシルという都市の特殊性を語ってくれた。
「それは〝三つ首の龍〟と呼ばれる犯罪組織よ。
彼らは街の三つの地域をそれぞれに支配していて、密輸、麻薬、売春、賭博、その他ありとあらゆる非合法な商売に関わっているの。
特に南カシルで商売をする者は、例外なく彼らに〝みかじめ料〟を納める代わりにその保護を受けているわ。一種の税金ね」
「そんな組織を、南カシルの評議員会は黙って放置しているのですか?」
正義感の強いシルヴィアが憤った。
「評議員会と〝三つ首の龍〟は裏で密接につながっているのよ。
南カシルには治安組織が存在しないわ。三首の龍がその役目を果たしているから必要ないのよ。自治政府はその分経費を節約できるから、持ちつ持たれつって感じね。
とにかく、三首の龍は黒龍組、赤龍組、白龍組の三つの組織からなり、互いの縄張りを尊重しているわ。ただ、決して仲は良くなくて、大規模な抗争はないけど、組同士の小競り合いは珍しくないの。
三つの組織の中でも〝浜通り〟と呼ばれる沿岸部を縄張りにする黒龍組は、最大の勢力を誇っているわ。現在の組長はマーク・カニング。私がメイドとして仕えていたご主人様よ」
二人は目を丸くして驚いた。
「犯罪組織のトップですよ! それって軍に知られたらまずいんじゃありませんか?」
シルヴィアの疑問はもっともだったが、ケイトは涼しい顔をしていた。
「マリウス様はすべてご存じよ。
それに、黒龍組は王国と協力関係にあるの」
「えっ、だって、非合法の犯罪組織なんですよね?」
「国の政治はきれいごとだけじゃ進まないのよ。
王国は黒龍組に経済的な特権を与える代わりに、彼らを重要な情報源としているの。
実際、情報部の諜報員よりも早く確実で、貴重な情報が上がってくるわ。
向こうに着いたら、あなたたちにもカニングさんを紹介するから、顔だけはつないでおきなさい。
気に入られたら、きっといいことがあるわよ」
* *
南カシルの船着場から上陸すると、エイナたちはまず入国審査を受けた。
まるで他国の国境を越えるような扱いだが、それだけ南カシルの独立性は高いのだ。
彼女たちは王国軍の正式な任務(ケイトは休暇だったが)での来訪だったから、審査は問題なく通過できた。
川港は黒城市のそれとは段違いに規模が大きく、右を見ても左を見ても桟橋が川へ突き出ており、多くの貨客船が出入りしている。
川港には密入国を防ぐために頑丈な柵がめぐらされており、入国手続きを終えた乗客は、武装した警備兵の守る門から外へ出る。
そこには多くの辻馬車が待ち構えており、出てきた旅人たちに声をかけて乗車を勧誘するのだった。
唾を飛ばして声を張り上げる馬丁たちの勢いは、少し怖いくらいだったが、同時にこの街の活気を感じさせてくれた。
ケイトは慣れ切った様子で一台の馬車を選び、中に乗り込んだ。
三人の荷物の積み込みを手伝った御者が、愛想のよい笑顔で窓から中を覗き込む。
「女の軍人さんとは珍しいね。どちらへやりましょうか?」
「山の手の屋敷通りへ。南外れの〝花屋敷〟までお願いするわ」
ケイトの言葉に、御者の笑顔が一瞬で消え去った。
彼は疑うような目つきでケイトを睨んだ。
「花屋敷ですかい? お客さん、面倒事だったら勘弁してくださいよ。
俺には女房子どもがいるんだ。巻き添えはご免だよ」
ケイトは苦笑する。
「心配いらないわ。トラブルを起こすつもりはないし、今の時間組長は不在のはずよ。
私は彼の身内なの。安心してやってちょうだい」
彼女はそう言って、男の手に銅貨を握らせた。
御者は素早く金を上着のポケットにねじ込むと、なおも疑念を口にした。
「組長さんの身内だと? あのお方に身寄りはないはずだぜ」
「元使用人よ。あまりくどくど言っていると、浜通りで仕事ができなくなるわよ」
ケイトの脅しは効果があったようだ。
御者は少し怯えた表情を浮かべ、愛想笑いを取り戻した。
「いえ、決してそんなつもりじゃねえんですよ」
男はそそくさと御者台に上がると、馬に鞭をくれた。
南カシルは、海に向かって陸が落ち込んでいくような地形である。
緩やかな斜面に数多くの建物が、へばりつくように密集している。
馬車の窓を流れていく景色は、猥雑で統一感のない街並みだったが、それだけに活力を感じさせるものだった。
通りは石畳で舗装されているが道幅は狭く、人通りも多いこともあって、馬車の速度は上がらなかった。
馬車が軽快な車輪の音を立て、ゆっくりと坂道を登っていくにつれ、周囲の景観も変化していった。
下町は商家が多く賑やかであったが、次第に住宅地が増えていき、大きな建物も増えてきた。
浜通りと呼ばれる海沿いの下町が繁華街で、中通りという中部地区が一般市民の暮らす住宅地、そして山の手と言われる斜面の最上部が高級住宅街である。
ケイトの説明では、カニングの屋敷はその山の手にあるという。
「さっき花屋敷って言ってましたよね?」
馬車に揺られながらシルヴィアが訊ねた。
「ええ。そう言った方が通りがいいのよ。
まぁ、行けば分かるわ」
* *
川港から三十分余り馬車を走らせると、カニングの屋敷前に到着した。
三人が馬車から降り、御者が荷物を下ろしている間に、ケイトが頑丈そうな扉のノッカーを叩いた。
除き窓の向こう側で人の気配がして、すぐに内側で閂を外す金属音が響いてきた。
扉が開くと、そこに立っていたのは初老の男だった。
背は低いが、がっちりとした体格で、服の上からでも筋肉の盛り上がりが分かる。
いかつい顔には頬傷があり、どう見ても堅気の人間には見えなかった。
「ケイトさん、お帰りなさいませ。
ずいぶんとお久しゅうございますな」
男は粗野な顔を歪ませて、精一杯の笑顔を浮かべた。
「すぐにモリーを呼んでまいります。
お客人の荷物も私が運びますので、どうぞそのままに」
男はそう言うと、少し浮かれた足取りで屋敷の方へと向かっていった。
「今のはフレッド。この屋敷の馬丁で、門番や雑用もこなしているの。
無口で顔は怖いけど、とてもいい人よ。
さあ、中に入りましょう」
ケイトに促されたエイナたちは、屋敷の敷地に足を踏み入れた。
「ふわぁ~、きれい!」
思わずエイナが感嘆の声を上げる。
屋敷はこぢんまりとした石造りの総二階建てだったが、それを取り囲む庭は広く、色とりどりの花が満開となっていた。
幾何学模様を描く花壇にはこぼれんばかりの花が咲き誇り、庭を巡る径沿いにも、季節の花が整然と植えられている。
こうまで見事に咲き揃っているということは、季節ごとに花をこまめに植え替えているのだろう。
「すごいですね。実家の庭園なんか比べ物にならないわ……」
貴族の娘であるシルヴィアが呆気に取られているのだから、相当のものである。
「もともときれいな庭だったのよ。前にメイドをしていた方の趣味ね。
私もお花が大好きだったから、ここで働いていた間にどんどん増やしていったの。
モリーも頑張っているのかしら、私のいたころよりもお花が増えているわ。
外壁の鉄柵から庭が見えるようになっているから、道を通る人が感心してよく覗いていくのよ。
真冬を除けば一年中花が咲き誇っているから、いつの間にか〝花屋敷〟って呼ばれるようになったのね」
そう説明するケイトの顔は、ちょっぴり自慢げだった。
娘たちが庭の花に見惚れていると、屋敷の方からぱたぱたとメイド服を着た女性が駆けてきた。
「ケイトさん、お帰りなさい!
カニングさんはいつもの時間にお帰りの予定ですから、まずは中にお入りください」
弾むような声と笑顔で、メイドは親し気に迎えてくれた。
「こちらのお嬢さま方も、お泊りになるのですか?
でしたらすぐに客用寝室の準備を……」
だが、ケイトは彼女の言葉を途中で遮った。にこやかだった顔がいきなり無表情になる。
「それには及ばないわ、モリー。
この子たちはカニングさんに紹介したら、宿に向かう予定だから。
フレッドに送ってもらいたいから、そう伝えておいてちょうだい」
* *
エイナたちがカニング邸に着いたのは、午後一時過ぎであった。
屋敷の主であるカニングが帰ってくるのは、夕方の五時ころらしい。
邸内に入ると、ケイトは自分の荷物を持ってどこかへ姿を消してしまった。
エイナとシルヴィアは、モリーというメイドの案内でリビングに通され、テーブルについたが、手持無沙汰で少し落ち着かなかった(ちなみに、カーバンクルは庭で蝶々を追いかけて遊んでいた)。
きょろきょろと周囲を見回している二人に、モリーが美味しいお茶とお皿山盛りのお菓子を出してくれた。
彼女も忙しそうにぱたぱた出入りしていたが、エイナたちへの気遣いを忘れず、時々声をかけてくれるのがありがたかった。
二人は焼き菓子を頬張りながら(とても美味しかった)、ケイトはどこへ行ったのだろうとぼんやり考えていた。
小一時間ほど経って、ガウンを着たケイトが戻ってきた。髪が濡れており、肌がピンク色に上気している。
どう見ても風呂上がりであった。
「あっ、お風呂だ! 大尉殿ずるい!」
エイナとシルヴィアは飛び上がって同時に叫んだ。
一週間もの船旅では、寄港地で川水の冷たいシャワーを浴びるのがやっとで、それも二日に一度きりの贅沢だった。
若い娘である彼女たちは、いま何よりもお風呂に飢えていたのだ。
ケイトはタオルで髪の毛をぱたぱた叩きながら、部下の抗議をあっさり却下した。
「何を言っているの、上官優先に決まっているでしょ。
次はあなたたちの番よ。お湯の量は限られているから、二人一緒に入ってね。
浴室に案内するから、着替えを取ってらっしゃい」
二人はびしっと敬礼すると、フレッドが運び込んでくれた自分たちの荷物に飛びかかった。
* *
たっぷり風呂を堪能した娘たちは普段着に着替え、はしゃぎながら浴室から出てきた。
リビングに戻ると、ケイトとモリーが待っていた。
エイナたちは驚きのあまり立ち止まった。
ケイトがモリーと寸分たがわぬメイドの制服を着ていたからである。
「えと、その……大尉殿、それは何かの余興でしょうか?」
状況を把握しようと、エイナが恐るおそる訊ねる。
「あら忘れたの? 私は休暇に入ったのよ。
これから二週間、私はこの屋敷のメイドとして、カニング様のお世話をいたします。
モリーは浴室の掃除とお湯の入れ替えをしたら、今日は上がっていいわ。
いつもどおり、私が帰るまでは有給休暇になるから、ゆっくり遊んでらっしゃい」
「いつもありがとうございます!」
モリーはぴょこんとお辞儀をすると、嬉しそうに浴室の方へ向かって行った。
ケイトはそのまま台所に入って夕飯の支度を始めたので、エイナたちはまた取り残されてしまった。
仕方なく任務の段取りの再確認をし、それに飽きるとケイトの仕事ぶりを覗きにいった。
シルヴィアは料理がまったくできなかったし、エイナも叔母の家では野菜の皮むき程度しか手伝ったことがなかった。
したがって、二人はケイトの役には立てず、迷惑な野次馬に過ぎなかった。
そんな素人二人の目にも、ケイトの手際は見事なものだと分かった。
そして、料理を作っている彼女は、実に嬉しそうだった。
二人は少し寂しい気持ちを味わいながら、すごすごとリビングに戻った。
テーブルの席には風呂掃除を済ませたらしいモリーが座っていて、何かの冊子を熱心にめくっていた。
「モリーさん、何を読んでいるんですか?」
話し相手がいることにホッとしたシルヴィアが、椅子に座りながら訊ねた。
「これですか? カシル周辺のガイドブックですよ。
急に決まった休みですから、今夜のうちに計画を立てないといけないんです。
明日出発して二週間以内に戻ってくるとなると、あまり遠出はできませんね。
そうなると北カシルでのショッピング、それに今の季節だったら、片道二日ほどかかりますけど南のクラム島のリゾートホテルですね。
ああっ、でも新しい水着を買っていないわ!
ケイトさんも、事前に手紙で教えてくださればよかったのに……」
「そんなに急がなくても、お休みなんだから、のんびり決めてはいかがですか?」
モリーは顔を上げるとぶんぶんと横に振った。
「とんでもないです!
私は孤児で、この家で住み込みで働いていますから、帰るような実家がないんです。
明日の朝には出て行かないと、ケイトさんに怒られます。それはもう、ものすごく怒られます!
お嬢さん方は知らないかもしれませんが、ケイトさんは怒るととても怖いんですよ」
エイナたちは顔を見合わせた。モリーというメイドが何を言っているのか、よく理解できなかったからだ。
今、台所で料理をしているケイトは、二人が見たこともないくらいに上機嫌だった。
このメイドは突然の休暇を喜んでいるようだが、何故ケイトを恐れているのだろう?
大体いくら先輩でも、主人でもないケイトがモリーに休暇を申し渡すというのも、どこか変な話だった。
* *
ふいに屋敷の外で物音がした。かすかに馬の嘶きが聞こえたので、どうやらこの屋敷の主人が帰ってきたようだ。
夏の盛りで外はまだ明るいが、五時になっていたのだろう。
音を聞きつけたのか、勢いよく台所に通じる扉が開き、ケイトが飛び出してきた。
エプロンの裾でで濡れた手を拭いながら、エイナたちには一瞥もくれずにリビングを通り過ぎ、まっすぐに玄関に向かう。
エイナとシルヴィアは慌てて腰を浮かした。
ケイトに許されたとはいえ、主人のいない間に勝手に屋敷に上がり込んでいるのである。
カニングが帰ってきたのであれば、出迎えてまっ先に挨拶をし、非礼を詫びなくてはならない。
二人がケイトの後を追おうのを見て、モリーは慌てて声をかけた。
「お嬢さま方、行ってはいけません!」
しかし、その忠告は間に合わなかった、エイナたちはもう玄関ホールに足を踏み入れていたのだ。
ちょうど扉が開いたところだった。
そこには、南カシルの裏側を支配する黒龍組の組長、マーク・カニングの姿があった。




