二十四 辞令交付
シルヴィアの実家から王都に戻った二人に、辞令交付の日が訪れた。
二人は支給されたばかりの真新しい軍服に身を包み、緊張した面持ちで参謀本部を訪れた。
彼女たちは士官である准尉に任官されることが決まっていたが、身分を示す徽章は辞令とともに下付されるため、まだ軍服には何もついていない。
参謀本部の人事課を訪れると、二人はすぐに課長室に通された。
普通は一人ずつ呼ばれて辞令が交付されるので、二人一緒というのは奇妙だった。
課長室に入り、きれいな敬礼をすると、机に座っていた人事課長は座ったままで、答礼すら返さなかった。
「ああ、そう緊張せんでよろしい。
君たち二人は首席参謀副総長閣下に呼ばれているから、このまま執務室に出頭したまえ。
辞令はその場で交付されるはずだ」
課長はそう言うと、「もう行ってよろしい」と面倒くさそうに付け加えた。
二人は再度敬礼して退出せざるを得なかった。どういう事態になっているのか理解できないまま、彼女たちは人事課の女子事務員に行き方を教わって、マリウスの執務室に向かった。
エイナたちにとって、マリウスは雲の上の存在だった。
例の誘拐騒ぎで、蒼城市まで二人を迎えに来たのがマリウスとケイトだったから、会ったことはある。ただ、その時は「ケイトの上司」程度のぼんやりとした認識だった。
まともな会話は交わしておらず、いくつか短い質問や指示を受けただけである。
蒼城市から王都までの空に旅でも、彼女たちの体調を気遣ったり世話をしてくれたのはケイトだった。
四か月にわたる軍学校での士官教育で、軍の組織機構については嫌というほど叩き込まれたから、今では彼が全軍に君臨する存在であることが理解できる。
「ねえ、エイナ。
あたしたち何かやらかしたのかしら?」
「まさか。でも、やっぱり演習の時のことが影響しているのかしら。
ごめんね、あたしが変なことをしたばっかりに」
「馬鹿ね、あんたは何も間違ったことはしていないわ。
結果として帝国の企みを阻止したんだもの。今さら罰なんてあり得ないわ。
気をしっかり持っていきましょう!」
二人の少女は互いの手をしっかり握り、青ざめた顔で廊下を進んでいった。
執務室の前に着くと、彼女たちは教えられたとおりに直接入らず、隣の控室の扉をノックした。
すぐに扉が開き、制服に身を包んだ小柄で愛嬌のある美しい女性が迎えてくれた。
「あら、来たのね。
うん、話は聞いているわ、エイナとシルヴイアね。
私は秘書官のエイミー・フォーサイス中尉です。よろしくね」
上官に先んじられたエイナたちは慌てて敬礼し、自分たちの姓名のみを名乗った。
まだ辞令を受け取る前なので、准尉になることは分かっていても、その階級を名乗ることは許されない。
自分たちも秘書官と同じ士官であることを誇示できないのが、少し悔しかった。
「こちらこそ、よろしくお願いします。フォーサイス中尉殿」
直立不動で声を揃えると、秘書官は可愛らしい笑い声を上げた。
「そんなに緊張しなくていいわ。
私のことはエイミーと呼んでちょうだい。みんなそうだから。
もちろんお偉方がいる時は別よ。
その子がシルヴィアの幻獣ね?」
エイミーはシルヴィアの肩に乗っていたカーバンクルに手を伸ばし、耳の後ろを掻いてやった。
「可愛いのね。お名前は何ていうの?」
「カー君です。フォーサ……いえ、エイミーさん」
エイミーはにっこりと笑った。シルヴィアが名前で呼んでくれたことに満足したらしい。
「素直でいい子ね。後でカー君を抱かせてちょうだい。
でも、今はマリウス様がお待ちだわ。さ、入って」
秘書官は名残惜しそうにカーバンクルを撫でる手を引っ込めると、二人についてくるよう合図をした。
カー君が『もっと撫でれ』と抗議したが、シルヴィアが怖い目で黙らせた。
彼女たちは居心地のよさそうな控室(秘書官室と言った方が実態に合っていた)をそのまま横切り、執務室に通じる扉をノックした。
「お入りなさい」
落ち着いた男性の声が聞こえ、エイミーが扉を開け、二人に入るよう促した。
執務室は重厚な調度で統一されていたが、窓際に置かれた執務机はとりわけどっしりとして威厳があった。
広い机の上には書類の束が散乱しており、それらに埋もれるようにして参謀副総長が事務処理に奮闘している(ひときわ高く積まれた書類の上には、何故だか赤い色をした蜥蜴が眠っていた)。
軍のトップというにはあまりに若い。まだ三十代半ばではないかと思われる、柔和な顔をした男性だった。
エイナたちが入室すると、マリウスは物憂げに頭を上げた。
その途端に顔に笑顔が貼りついた。まるで慣れ親しんだ仮面を着けたような印象を受けた。
「ああ、ご苦労さん」
彼は笑みを浮かべたままそう言うと、立ち上がった。
エイナとシルヴィアは、その場で背を伸ばし、見事な敬礼をしてみせた。
「一級魔導士エイナ・フローリーであります!」
「二級召喚士シルヴィア・グレンダモアであります!」
二人は先を争うように申告した。
さっきのように、上官に先に名乗られるという失態を繰り返すわけにはいかない。
マリウスはゆったりと答礼を返した。
「僕の名は知っているだろうけど、マリウス・ジーンだ。
一応、首席参謀副総長をやっているが……まぁ、お偉いさんがいない時はマリウスと呼んでくれて構わないよ。
みんなそうだからね」
マリウスがエイミー秘書官と似たようなことを言うのがおかしかった(もちろん笑うわけにはいかない)。
二人は敬礼を解いたものの、直立不動のまま微動だにしなかった。
マリウスは机の引き出しを開けると、書類を手にして二人の前に立った。
「君たちは所定の訓練を終え、晴れて王国軍人となった。おめでとう。
レテイシア陛下に忠誠を尽くし、国家と国民のために存分に働きたまえ」
彼はそう言って、二人にそれぞれ辞令を手渡した。
シルヴィアはいかにも誇らしげに受け取ったが、辞令を手にしたエイナは戸惑った表情を消すことができなかった。
何故自分たちが人事課ではなく、わざわざ軍のトップの前に立たされているのか、その理由が分からなかったからだ。
ふと横を見ると、シルヴィアの表情が固まっている。
エイナは『何事?』と思って、慌てて自分が手にしていた辞令に目を落とした。
『一級魔導士エイナ・フローリーを王国軍准尉に任官する』
きわめて簡潔な文章が目に飛び込んできたが、これは最初から分かっていたことである。
准尉は少尉の下の階級で一番の下っ端であるが、とにかく士官であることに間違いはない。
入隊の時点で士官になれるのは、軍大学を出たエリートに限られるので、これは大変な厚遇だった。
辞令には、続けて彼女の所属が書かれていた。
『貴官を参謀本部付け魔導士として配属する』
〝参謀本部付け〟?
エイナは目を疑った。
魔導院を卒業した一級魔導士たちは、例外なく王国軍を構成する四つの軍団のいずれかに配属されていた。
教官を兼任しているケイトを除けば、参謀本部付けなど聞いたことがない。
彼女は思わず隣のシルヴィアの辞令を覗き込んだが、魔導士と召喚士の違いはあれ、それ以外の文面はまったく同じだった。
彼女たちが参謀候補生だというなら話は分かる。だが、それならば辞令は『参謀本部に配属する』という文言になるはずである。
〝付け〟ということは、要するに参謀本部が自由に使える、独自の戦力として採用されたということだ。
召喚士の場合は参謀本部付けになることがある。ただし、それは国家召喚士に限られていた。ロック鳥を操るアラン・クリスト中佐がいい例である。
シルヴィアは二級召喚士であり、これは明らかに異例であった。
「恐れ入りますが、質問をお許しください。ジーン閣下」
エイナは気色ばんで顔を上げた。
「マリウスでよいと言っただろう? 何だね?」
「なぜ、私たちは参謀本部付けなのでしょうか?」
「君たちが優秀だからだよ」
マリウスはあっさりと答えた。
「シルヴィア、ケイトの話だと君はユニを尊敬しているそうだね?」
「はい! 二級召喚士となった今、これまで以上に彼女は自分の理想であります」
唐突な質問であったが、シルヴィアは迷いなく即答した。
「なら話が早い。
僕と彼女が、国の命運に関わるさまざまな任務を遂行したことは知っているだろう?
最初は大変だったよ。……酷い目にもずいぶん遭った」
マリウスは何かを思い出したように、小さな笑い声を上げた。
「だがね、二人で事件に立ち向かっていくうちに、僕は召喚士と魔導士の組み合わせが、大きな可能性を秘めていると考えるようになったんだ。
だが、僕は参謀本部と軍全体を率いる立場となってしまった。もう簡単に動くことはできない。
ユニは今でも軍の極秘の作戦に深く関わっているが、彼女も召喚士としては晩年を迎えている。
恐らくあと二、三年でこの世界を去ってしまうだろう。召喚士の宿命だから、それはどうしようもない」
マリウスの顔に張り付いていた笑みが一瞬消えた。
深い褐色の瞳には、いいようのない哀しみが溢れているような気がして、二人の少女は胸が締め付けられた。
だが、参謀副総長はすぐに笑顔の仮面を取り戻していた。
「そんなわけだから、参謀本部としては有望な組み合わせを使ってみたいと考えていた。身もふたもない言い方だが、実験部隊だね。
君たちはその候補として、見事選ばれた――というわけだ。
納得したかね?」
エイナは思わず身震いをした。つまり自分たちは、最前線で敵と戦う兵士ではなく、危険な特殊任務に従事することになるのだ。
『魔導院を出たばかりの私たちに、そんなことができるのだろうか?』
彼女にはまったく自信がなかった。思わず隣のシルヴィアの顔を窺ってしまう。
「それは望むところです!」
シルヴィアの弾むような声が、執務室に響きわった。
彼女は形のよい顎を上げ、きらきらした目で真っ直ぐにマリウスを見据えていた。
微塵も不安を見せず、希望と喜びにあふれた瞳の輝きが、エイナには眩しかった。
「それは頼もしいですね。
一応、僕が君たちの上司ということになりますが、直属の上官はケイトです。
ただ、彼女は君たちも知ってのとおり、魔導院の指導と各地の募兵活動で多忙を極めています。
その状況に関しては、いずれ善処するつもりです。取りあえず、明日からどうするかは僕の秘書官に聞いてください。
もう行っていいですよ」
マリウスはそう言うと、執務机に戻った。肘掛椅子に座ろうとすると、そこには小さな獣が丸まって眠っていた。彼は苦笑してカー君を抱え上げ、赤面しているシルヴィアに手渡した。
* *
エイナたちが控室兼秘書官室に戻ると、エイミーが「お疲れさま」と労ってお茶を淹れてくれた。
居心地のよいソファーに向かい合い、お互いに落ち着いたところで、秘書官が必要書類と徽章を二人の前に置き、話を切り出した。
「それで、具体的な話なんだけど、今日は辞令を渡す儀式だけだから、これでお終い。
あなたたちの出勤は明後日からになるわ」
「えっ……じゃあ、明日は何をすればいいんですか?」
エイミーはくすっと笑った。
「あなたたち、今夜からどこで眠るつもり?
軍学校の寮は配属が決まり次第、すみやかに退出する決まりのはずよ」
二人ともきょとんとして顔を見合わせた。
「参謀本部の寮に移るのではありませんか?」
「ないの」
「はい?」
「各軍団にはちゃんと兵士寮があるけど、参謀本部にはそんなものないのよ。
実家から通える人を除けば、みんな下宿するか家を借りているわ」
エイナが情けない声を出した。
「それじゃ、私たちは……」
「そう、まずは住むところを探さなきゃいけないのよ」
「そんな、急に言われても……」
「でしょう? だから、優しいエイミーお姉さんがちゃんと下宿先を手配しておいたわ。感謝するのよ。
あなたたちは、これから寮に帰って荷物をまとめなさい。
明日は下宿先に引っ越しだから、まる一日潰れると思うわ。
だから、出勤は明後日からになったのよ」
不安そうなエイナに対して、シルヴィアはあくまで前向きだった。
「それで、下宿先ってどんなところなんですか?
私、ちょっと楽しみです!」
エイミーは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そりゃあいい所よ……って言うか、下宿と言うには豪華すぎるわね。できることなら私が代わりたいくらいだわ。
あなたたちは、ファン・パッセル家に下宿することになっているの」
シルヴィアは驚いた声を上げた。
「ファン・パッセルって、あの豪商の?」
「そうよ」
エイミーはなぜか得意気だった。
「ファン・パッセル家には私の先輩がいるの。ロゼッタさんよ。
前の参謀副総長のアリストア閣下のことは聞いたことがあるでしょう? 魔導院じゃ伝説的な人だったものね。
アリストア様の秘書官を長年務めていたのが、そのロゼッタ先輩なの。
今回のことも、相談したら二つ返事で引き受けてくれたわ」
エイナとシルヴィアは、ぽかんとしてしまった。
魔導院で純粋培養された世間知らずの彼女たちでも、ファン・パッセルの名前は知っていた。
歴史の古い名家で、政財界ともつながりが深い大商人である。
一時期は新興財閥のボルゾフ家に押され、没落したと見られていたが、この数年急激に勢力を取り戻していた。
その復活を陣頭指揮していたのが、同家の長女であるロゼッタであった。
ただ、エイナもシルヴィアも、そこまでの事情は知らない。
ロゼッタがいかに優秀な人物か、そして伝説とまで言われた前の首席参謀副総長、アリストアの忘れ形見を育てていることもである。
エイミーはこの場ではそこまで説明しなかった。
彼女はケーキに乗った好物のイチゴを、最後に食べる派だったのだ。
――ともあれ、こうしてエイナとシルヴィアの軍隊生活は幕を開けた。
この後、二人(と一匹)にどんな運命が待ち受けているのか、この時点では知る由もなかったのである。




