二十三 魔石の幻獣
召喚の間にざわめきが起こった。
シルヴィアは国家召喚士を確実視されていたから、誰もがどのような幻獣を呼び出すのか、期待していたのである。
魔導院の長である審問官長が、シルヴィアの元に近づいた。
彼は召喚士の格付けを最終的に決定する責任者であるから、召喚の結果を確かめずにはいられない。
「シルヴィア、君の召喚した幻獣は一体どこに……」
問いただす途中で、審問官長の言葉が途切れた。
シルヴィアの腕の中に、小さな動物が抱かれているのに気がついたからだ。
ネコよりは少し大きいくらいで、姿はキツネに少し似ていた。
全身が長めの体毛に覆われ、特に胸の辺りがふんわりとしている。黒目がちの丸く大きな目と、尖った大きな耳が特徴的であった。
そして、その額に赤い宝石のようなものが埋め込まれていた。
その小動物は、シルヴィアの豊かな胸に抱かれて、気持ちよさそうに喉を鳴らしていた。
「それが……君の幻獣なのかね?」
審問官長が、驚きの表情を隠せないまま訊ねると、シルヴィアは誇らしげにうなずいた。
「はい。私はこの子と契約を結びました。
もちろん、認めていただけますね?」
審問官長は明らかに狼狽えていたが、その職責を忘れていなかった。
「あ、ああ。もちろんだとも。
だが、それは、その……カーバンクルであろう?」
「そうです。何かご不満でも?」
「い、いや。別に不満も不審もない。
魔導院の古記録にも、かつてカーバンクルを召喚した者はおったからの。
だが……カーバンクルであれば、わしは君を二級召喚士と判定せざるを得ない。
それでよいのか?」
シルヴィアはまるで侮辱されたかのように眉をひそめた。
そして、長身の身体を真っ直ぐに伸ばし、自分よりも小柄な老人を見下ろした。
「私と彼を侮辱なさるおつもりですか?
よいも何も、この私が契約した幻獣ですもの。今さらやり直す気など、さらさらありません!」
「そっ、そうか。いや、そうだな。もちろんそうであろう。
知ってはいるだろうが、二級召喚士となったからには、軍への入隊は義務ではなくなる。
君は魔導院を出た後、自由に将来の道を選択することができる。指導教員の中には就職に関して相談に乗ってくれる者がおるから……」
シルヴィアは審問官長の言葉を途中で遮った。
「あら、そんな心配はご無用ですわ。
私は国家召喚士になれずとも、軍に入ることを最初から決めております。
カーバンクルを召喚したからといって、それはいささかも変わりありません」
中二階の回廊から見学していたエイナには、こうした会話までは届かなかった。
ただ、シルヴィアの胸に小さな動物が抱かれていること、そして審問官長の慌てぶりから、どうやらエイナが国家召喚士になり損ねたのだと、何となく察しがついた。
* *
その日、シルヴィアが寄宿舎の部屋に戻ってきたのは、かなり遅い時刻だった。
おそらく教授陣と今後の進路――と言っても、彼女は軍志望であることがはっきりしていたから、入隊手続きについてあれこれと相談をしていたのだろう。
この点、エイナの方は早々と軍への入隊が決定していたから、気持ちは楽だった。
魔法科の生徒には召喚儀式に相当する、卒業試験的なものがなかった。
それまでの六年間の成績から、十二月の始めには、それぞれの生徒に魔導士として一級、二級の格付けが申し渡されていたのだ。
一級魔導士(エイナも当然ここに含まれていた)は自動的に軍に所属することが決まっていて、これを拒否することは許されない。
これに対し、学年全体で十人近くの者が二級と判定された。彼らは技術が未熟というよりも、魔力量が不足しており、今後もその改善が見込まれないと判断されたのである。
二級魔導士とされた者たちは、そのほとんどが魔導院の職員として残ることになった。
これまで卒業した二級魔導士がそうであったように、彼らは技術面だけでいえば立派な魔導士だったので、指導助手として後進の育成に当たるよう要請されていたのだ。
王国では現状、魔導士が圧倒的に不足しているため、魔法実技を指導できる魔導士の充実は急務だったのである。
――さて、もう夜の九時になろうとする頃、シルヴィアがやっと戻ってきた。
もちろん、エイナはそれを今か今かと心待ちにしていた。
部屋に入ってきたシルヴィアの胸には、召喚儀式で遠目に見た可愛らしい小動物が抱かれていた。
「うそ! やだ何これ、かわいい!」
エイナは思わず叫び声を上げてしまった。
目がくりっとして耳が大きく、顔つきはキツネっぽい。身体はネコ科の動物のようで、全身が薄いクリーム色の体毛で覆われ、淡い褐色の縞模様が浮かんでいた。
不思議なのは、額に赤い宝石が埋め込まれていることだった。
「ねっ、シルヴィア! この子は何ていう種族なの?
あたし、幻獣のことはあまり詳しくないのよ。紹介してくれる?」
「もちろんよ!
この子はカーバンクルって言って、えーと……精霊族なんだけど、まぁ見てのとおり獣型の幻獣ね」
「わあ! それで、お名前は?」
「え?」
「だから名前よ。聞いてないの?」
「そっ、そう言えば忘れていたわ。ねえ、あなた、名前は何て言うの?」
顔を赤くしたシルヴィアの頭の中に、カーバンクルの呑気な声が響いてきた。
『カーバンクルだよ?』
「それは種族名でしょ! そうじゃなくて、あなた個人の名前よ」
『個人……? 意味が分からない』
「ええと、ほら、私の名前はシルヴィアだって教えたでしょ。
この子の名前はエイナ。
こんなふうに人間を区別するのに、名前がないと困るでしょ?」
『んー、別に困らない』
「……ひょっとして、カーバンクルに個別の名前はないの?」
『そうだよ。別にそれで困らない』
「じゃあ、あなたが他のカーバンクルを呼ぶ時はどうしてるのよ?」
『お前……とか?』
「相手が三頭いたらどうするの?」
『お前一、お前の二、残りのお前』
「何で最後は三じゃないの!」
「ええと、シルヴィア?」
エイナが引き攣った笑顔で口を挟んだ。
「あたしにはカーバンクルの声は聞こえないけど、名前がないってことは何となく分かったわ。
だったら、あなたが名前を付けてあげたらいいんじゃない?」
「そっ、そうよね! あああ、あたしもそう思っていたところなのよ。
えーと、じゃあ……カー君?」
「ええーーっ」
エイナの呆れた声に、シルヴィアは焦った。
「えっ、駄目かしら?
じゃあ、バン君、カバちゃん?」
「えとえと、あのね、シルヴィア。
大事なことなんだから、今すぐ決めなくていいと思うわ。もっとゆっくり考えたら?
それより、〝君〟ってことは、この子はオスなのね?」
シルヴィアは命名の猶予が与えられたことに安堵しながら、首を横に振った。
「カーバンクルには性別がないんですって。
基本的には単性生殖するんだけど、たまに気まぐれで雌雄に変化して、両性生殖することもあるらしいわ。かなり自由な生き物ね」
「へぇ、変わっているのね。
……ねえ、あたしにも抱っこさせてくれる?」
エイナがねだると、シルヴィアを介してその言葉を理解しらしく、カーバンクルがシルヴィアの腕の中からエイナの方へ、ぴょんと飛びついた。
エイナが小さくてふんわりとした身体を抱きとめ、首筋を掻いてやると、ゴロゴロとネコのように喉を鳴らす。
「それで、この子はどんな能力を持っているの?」
エイナはカーバンクルの頭を撫でながら訊ねた。
「火を吹けるわ。でも、そんなに大きな炎じゃないの。攻撃と言っても、自分の身を守る程度の威力ね。
それよりも、魔法を撥ね返せる方が役に立つと思うわ」
「へえ、あたしたち魔導士が使う、防御魔法みたいな感じ?」
シルヴィアは首を振った。
「ううん。魔法防御障壁って、相手の撃ってきた魔法自体を消しちゃうでしょう。
カー君は、飛んできた魔法をそのまま撃ち返すことができるの。鏡みたいに反射する感じね。
これって、帝国の魔導士を相手にした時に、大きな武器になると思わない?」
「そうね……自分が撃った攻撃魔法がはね返ってくるなんて、あまり考えたくないわね」
「でしょう!」
シルヴィアは勢い込む。
「だからあたし、国家召喚士にはなれなかったけど、全然悲観してないの。
必ず軍で出世して、お父さまや兄さまを見返してやるわ!」
エイナは抱いていたカーバンクルを彼女に返した。
この子狐のような小動物が、戦闘で大活躍する姿というのは、どうにも想像しがたかった。
「この子は成獣なの? これ以上は大きくならないのかしら」
「なるわよ。でも、カー君が子どもかって言うと、そうでもないの。
カーバンクルは魔石を食べることで成長するから、年齢にあまり意味はないらしいわ」
「魔石?」
「うん。ほら、この額の赤い宝石が魔石よ。
同じ赤い魔石を食べると能力が向上するし、別の色の魔石を取り込むと、また違った能力が使えるらしいわ。
食べた魔石の量や種類に従って、身体も変化するんですって。
カー君の魔石は生まれた時に親から受け継いだもので、まだ自分の力で魔石を見つけていないから身体が小さいの」
「へえー、そうなんだ。で、その魔石ってどこにあるの?」
シルヴィアは首を振った。
「知らないわ。
きっと古代遺跡とか、龍の財宝の中にあるんじゃないかしら。
カー君の故郷では、この世界の方が幻獣界よりも魔石が多いって言われているらしいの。
あたしは運が強い方だから、そのうち見つけるに違いないわ」
カーバンクルを抱いたまま自信たっぷりに胸を張るシルヴィアを、エイナは懐疑的な眼差しで見詰めていた。
今のシルヴィアは、幻獣を召喚したことで一種の興奮状態にあり、自分の明るい未来を毛ほども疑っていない感じだった。
少し危なっかしく、また微笑ましくもあった。
それと同時に、エイナは彼女がカーバンクルを〝カー君〟と当たり前に呼び始めていることに、ちょっぴり不安を覚えていた。
* *
年が明け、エイナとシルヴィアは晴れて魔導院を卒業した。
卒業後も二週間ほどは寄宿舎に滞在できるが、その間に軍への入隊志願を済ませ、荷物をまとめて部屋を引き払わなければならない。
二人の毎日は、かなり慌ただしいものとなった。
入隊願書は参謀本部の人事課に提出すればよく、彼女たちは連日王城の南塔(ここに参謀本部があった)に通うこととなった。
軍に入るまでには、さまざまな手続きがある。
願書に添付する成績証明や評価書は魔導院が用意してくれるが、身上書と志願理由の作文は自分で書かなくてはならない。
その書類が通ると筆記と実技の試験が実施され、これは難なく合格することができた。
軍医による健康診断が行われ、制服支給のための採寸も受けた。
すべての手続きが終わると、軍学校に入学することになる。
彼女たちは配属の際に士官の地位が約束されているので、軍学校で四か月にわたって士官教育を受けるのである。
これは通常二年ないしは三年の課程であるが、一般人と違って魔導院で基礎を叩き込まれていることから、短期間の速成教育で許されるのだ。
ただその分、講義内容は非常に過密で厳しいものとなった。
シルヴィアは召喚士科の学年の首席であったし、エイナも魔法科次席であったから、この試練を優秀な成績で乗り越えることができた。
そして、春の穏やかな季節となった五月、二人は他の召喚士、魔導士たちとともに、軍学校を卒業した。
後は配属の辞令を待つばかりであった。
辞令の交付は十六日後であり、それまでは休暇のような扱いになっていた。
魔導院の生徒たちは、入学してからは外界と遮断された生活を送っていた。それは親であっても例外ではない。
軍に進む者にとっては、この休暇が里帰りの絶好のチャンスであった。
シルヴィアは当然のように実家のグレンダモア伯爵家に帰ることにした。
エイナは身寄りがないので、特にどこに行くわけでもなく、軍学校の寮で過ごすつもりだったが、シルヴィアに強く誘われて同行することになった。
伯爵家と言っても、シルヴィアの実家は地方に土着した田舎貴族で、それほど大きな領地を持っているわけではない。
両親は健在であったが、長兄が跡を継ぐことが決まっており、軍に入ろうというシルヴィアの決断は、家族に歓迎されていたようだった。
ただし、それは家名を維持するため体面上都合がいい、そしてこれ以上シルヴィアに対する経済的な援助が不要になるという、二つの意味での歓迎であった。
それが決してシルヴィアへの愛情から生まれたものでないことは、十二年ぶりに再会を果たした家族のそっけない態度や、他人行儀な言葉の端々からも明らかだった。
部外者であるエイナが感じ取れたくらいであるから、かなり露骨に示されていたと言ってもよい。
シルヴィアはそうした家族の態度に傷つく様子もなく、淡々と応じていた。
わずか六歳で家族から引き離されたことで、こうした家族間の断絶が生じるのは珍しくなかった。
シルヴィアは、それを先輩召喚士から聞き知っていたし、十分に覚悟していた。
帰省はこれまでの金銭的な援助に対する自分の義務――そう割り切って臨んでいたようだった。
ただそうは言っても、彼女はまだ十八歳の少女に過ぎなかった。
この辛い現実に立ち向かうためには、エイナという同年代の親友の存在がなくては耐えられないと、本能的に感じていたに違いない。
無関係なエイナを強引に誘ったことに関して、シルヴィアを責めるのは酷というものだろう。
伯爵家に滞在中、彼女は普段以上にエイナ、そしてカー君(なし崩しにこの安直な名前に決まっていた)とべったりになって過ごしていたのである。




