二十二 召喚儀式
エイナは飛行酔いで胃の中のものを全部吐いていた。
そして監禁されていた小屋では血まみれの現場と、生々しい首を見せられた。
そんな状態で過度に精神を集中したせいで、貧血を起こして倒れたらしい。
エイナは担架に乗せられて、飛行用の籠に収容された。
結局、彼女は眠ったまま、白城市経由で王都まで運ばれたが、それは幸運だったと言えよう。
シルヴィアはエイナという励まし合う友人なしで、酷い乗り心地の旅に再び耐えなければならなかった。
しかも、飛行籠には桶に入れられた氷詰めの生首も運び込まれていて、死体に耐性のない彼女は震えあがった。
首は白城市で下ろされたが、それまでの三時間あまり、シルヴィアはケイトにしがみついたままだった。
どうにか王都に戻ったエイナとシルヴィアだったが、そこで釈放されたわけではない。
二人はそのまま参謀本部内に止め置かれ、事情聴取が始まったのである。
聴取と言えば聞こえはいいが、その実態は完全に尋問であった。
それも参謀本部だけでなく、情報部まで加わったものだったから、非常に厳しいものだった。
二人は別々に取り調べられ、何度も何度も同じことを言葉を変えて訊ねられた。
特に二人が監禁小屋から脱出した〝闇の通路〟に関しての尋問は、あまりに執拗なものだったので、精神に異常をきたすのではないかと不安になるほどだった。
シルヴィアは闇に呑まれた瞬間に気絶をして、目を覚ましたのはアスカ邸に出てからだったから、三日で解放された。
それでも、魔導院に戻って寄宿舎の部屋に戻った時には、まるで十歳も年を取ったような気分を味わった。
エイナの方は、十日間にわたって聴取が続けられた。
最も辛かったのは、闇の通路に潜る再現実験を連日強いられたことだった。
彼女が特殊能力を発揮したのは、窮地に追い込まれたからだと考えた情報部は、辺境で捕獲されたオークをけしかけて襲わせるということまでした。
もちろん、危ないところで実験は中止されたが、叔母夫妻を目の前でオークに殺されたというトラウマを抱えていたエイナにとっては、非常に残酷な実験であった。
最終的には、参謀本部も情報部も匙を投げた。
再現実験は一度も成功しなかったし、エイナの体験を論理的に説明することができなかったのだ。
結局のところ、エイナは事件に対する守秘義務を負わされたのみで、魔導院に戻ることを許されたのだった。
* *
エイナが平穏な生活を取り戻した頃には、もう冬が迫っていた。
食堂で出されるメニューにも、温かいシチュー類が多くなる。
エイナはいつものように、シルヴィアと並んで夕食を摂っていた。
あまり話が弾まないことを、エイナは気にしていた。
シルヴィアは元気で活発な性格だったが、最近どことなく元気がない。エイナが話しかけても、上の空ということが増えてきた。
心配してあれこれ訊ねても、シルヴィアは言葉を濁すのみだった。
二人とも黙り込んで食事を掻き込んでいると、席を探していたらしい女子生徒が、エイナたちが座るテーブルの角に引っかかって床に倒れた。
シルヴィアが驚いて席を立ち、倒れた女生徒を助け起こす。
「大丈夫、ミランダ?」
ミランダは召喚士科の生徒だった。人数の少ない彼らは一学年がひとつのクラスで、半分家族のようなものである。エイナも何度か言葉を交わしたことがある。
彼女はシルヴィアの手に縋って立ち上がった。
「ああ、ごめんね。
ちょっと考え事をしていて……。どうしようもないと分かっていても、不安で仕方ないのよ」
シルヴィアはそれだけで、彼女が何を言っているのかが理解できたらしい(エイナにはさっぱり分からなかった)。
「そうよね。不安なのはみんな一緒よ。
あまり考え込まない方がいいわ」
彼女の言葉は思いやりに満ちた優しいものだったが、ミランダの表情はこわばり、返ってきた言葉は冷たかった。
「そりゃあ、シルヴィアは安心よね。国家召喚士は約束されたようなものなんですから。
でも、あたしたち一般人は、どんな幻獣を召喚するかで一生が決まるのよ。
分かったようなことを言わないでちょうだい!」
ミランダは憤然として去っていった。
エイナはおろおろとしてシルヴィアの腕を掴み、席に座らせた。
「酷いわね。あの子と喧嘩でもしたの?」
どんと椅子に腰を落としたシルヴィアは、苦笑いを浮かべで首を横に振った。
「違うわ。
来週は召喚儀式があるでしょう? みんな不安で気が立っているのよ。
ミランダはいい子よ。悪く思わないで」
鈍いエイナにも、ようやく事情が呑み込めた。
時は十二月である。エイナたち魔法科の生徒たちにとっては、単順に卒業が迫っているというだけの話だった。
だが、召喚士科の生徒には、召喚儀式という重要な試練が待ち受けていたのだ。
卒業直前の召喚士候補生は、魔導院の〝召喚の間〟で自らの幻獣を呼び出す儀式に臨まなくてはならない。
候補生たちは召喚した幻獣と契約を結び、互いの記憶を共有して強い精神的な繋がりを結ぶ。
その結果、召喚士は幻獣を使役する権利を獲得するが、その代償として召喚能力が尽きた場合はこの世界から消滅し、自分が使役していた幻獣の一族として幻獣界に転生しなけらばならないのだ。
召喚した幻獣の種類によって、一級召喚士と判定された者は自動的に軍に入隊することになる。彼らは〝国家召喚士〟と呼ばれ、一軍に匹敵する軍事力を有する人間兵器となるのである。
国家召喚士は最初から各軍の幹部クラスとして迎え入れられ、多くは地方総司令官に当たる四帝の副官に就任する。各軍団のトップに直接仕えて、英才教育を受けるのである。
ただし、年に一人でも誕生すればいい方で、該当者ゼロという年も珍しくなかった。希少な人材は引く手あまたであり、各軍の間で争奪戦が起きる。
一方、平凡な能力の幻獣を召喚して、二級召喚士と判定された者の行く末は厳しいものとなる。
召喚した幻獣の能力を勘案し、生きていく術を自分で決めなくてはならないのだ。
比較的戦闘能力の高い幻獣を召喚した者の多くは、そのまま軍に志願する。
二級といえども、召喚士であれば最初から士官の地位(准尉)が約束されているからである。
卒業生の中には軍に嫌悪感を抱いている場合があり(過酷な軍事教練の副作用である)、そうした者たちは傭兵になることが多い。
その他、戦闘には適さない幻獣を召喚してしまった生徒たちは、それぞれの幻獣の特性を活かして民間に就職したり、自分で商売を始めることもある。
いずれにしろ、召喚儀式の後、魔導院の寄宿舎に留まっていられる期間は二週間しかない。
卒業生たちは教授陣に相談しながら、その間に自らの進路を決めなければならなかった。
魔導院を出る時に国から支給される支度金は、一か月程度の生活費でしかない。
* *
「でも、あんな言い方しなくてもいいんじゃない?
シルヴィアが国家召喚士になることは、十二年間の努力の結果なのよ」
穏やかな性格であるエイナとしては、珍しく憤った。
シルヴィアは苦笑を浮かべつつ、山羊乳のシチューを口に運んだ。
「そうやってみんなが決めつけるけど、あたしが国家召喚士になるっていう保証はどこにもないのよ」
「だって、シルヴィアは学年の首席で舎監長(生徒会長的な役職)でしょう?」
エイナが言うとおり、強力な幻獣を召喚して国家召喚士になるのは、学年首席かそれに次ぐ者というのが定番であった。
三年に一度くらいは国家召喚士の誕生自体がない年もあったが、今年はシルヴィアが選ばれるだろうと、ほぼ確実視されていたのである。
「そりゃあ、国家召喚士になれたら嬉しいわよ。
でも、そうじゃなくてもあたしは軍に志願するつもりよ!
この間の事件だって、あたしがもっとしっかりとしていたら、エイナの役に立てていたはずだもの」
エイナは慌てて左右を見渡し、唇に指を立てた。
「駄目よ、シルヴィア! その件は口外無用って言われているでしょ」
シルビアは小さな舌をぺろりとだした。
「そうだったわね、ごめん!」
* *
十二月の最終週、召喚儀式の日が訪れた。
七人の生徒は、魔導院召喚の間に集められ、それぞれの幻獣との絆を結ぶ儀式に臨むこととなった。
魔導院は王城の城壁(内壁)に隣接した外にあるが、召喚の間は城壁内にある広大な建物で、魔導院とは渡り廊下でつながっている。
審問官と呼ばれる幻獣の判定員が見守る中、候補生たちは順番に召喚の間に進み出て、呪文を唱える。
それぞれの能力に応じて呼び出された幻獣と召喚士は、互いの精神を融合させて記憶を共有する。
その結果、両者は完全な意思の疎通が保証されるのである。
召喚の順番は、慣例的に成績順となっていた。
国家召喚士を有力視されているシルヴィアは、当然最後に回されていた。
この儀式は完全に内部的なものなので、魔導院関係者と軍の高官だけが見学を許可されていた。
エイナは同じ魔導院の生徒であるから、見学は問題なく許可された。
ルームメイトであり、親友でもあるシルヴィアの一大事を見守らないということはあり得なかった。
七人の召喚士候補生が順番に儀式に臨んでいき、さまざまな幻獣を召喚していった。獣や妖精、亜人など、お伽噺に登場するような怪異が異世界から呼び出され、生徒たちと契約を結んでいく。
召喚士候補生の傍らに突如として出現するそれら異形の生き物に、エイナは息を呑んだ。彼女はあまり幻獣を見たことがなかったのだ。
いずれも審問官によって二級召喚士の判定が下されていったから、それほど大きな能力を持った幻獣ではないのだろう。
だが、契約を結んで正式な召喚士となった若者たちは、みな満足そうな表情を浮かべていた。
彼らは召喚の際に幻獣の魂と一時的に融合し、記憶や思考を共有したのちに、再び魂が分離してそれぞれの身体に収まる。
文字どおり一心同体の存在となり、決して他人の幻獣をうらやむことはない。契約した幻獣こそが世界で唯一、自分を完全に理解してくれる存在となるからだ。
エイナは初めて見る召喚儀式を、畏敬の念とともに驚きをもって見守っていた。
召喚術は広い意味では魔法の一種なのだが、エイナが受けてきた魔法の体系とは全く異なるものだった。
使用される呪文も魔法陣も、まったく理解できない。
エイナが知る魔法は、魔力という固有の資質を必要とするものの、基本的には理屈と計算の世界だった。
だが、召喚における呪文は異世界と現世をつなぐ通路を開くための、単なるきっかけにすぎないらしい。
魔導院に集められた子どもたちは、生まれながらに特殊な才能を持っている。
それは、二つの世界を結びつける上で〝生贄〟になれるということだ。
魔導院での十二年間は、二十数年間幻獣を使役する代わりに、幻獣界へ転生する覚悟を育む時間である。
人としての幸せや可能性を捨て去り、人間をやめるという非情な決断を受け容れる者だけに許される業なのだ。
その意味の重さは、門外漢であるエイナにも感じ取れるものだった。
親友であるシルヴィアは、あれほど美しいにもかかわらず、一生結婚も子どもを持つことも許されない。
女性としてもっとも充実する四十歳そこそこで、この世界から消えてしまう覚悟を持っているのである。
それならばせめて――せめてシルヴィアには強力な幻獣を召喚して、国家召喚士として華々しい活躍をしてほしい。
エイナは心の底からそう願っていた。
恐らく、エイナは儀式に臨むシルヴィアよりも、ずっと緊張していたに違いない。
親友の順番が迫るにつれて顔からは血の気が失せ、全身の震えを抑えることができなかった。
エイナたち魔導院の生徒が見学を許されている場は、中二階の回廊で、召喚の舞台となる巨大な魔法陣を見下ろす位置であった。
いよいよ順番が回り、控室から出てきたシルヴィアとは距離が離れていて、その表情もよく見えない。
シルヴィアは魔法陣の中央に立つと、朗々とした声で召喚の呪文を唱え始めた。
エイナは今日これまでに、六人の召喚士候補生の儀式を見守ってきたが、何度聞いても術式の構成が分からなかった。
十数分にわたる長い呪文が続くうちに、シルヴィアの身体が青白い燐光に包まれていった。
その光が次第に強くなっていき、直視できないほどの輝きとなる。
いよいよ召喚と契約が行われるのだ。
ふいに光が失われ、召喚の間に静寂が訪れた。
腕を顔にかざして強い光から目を守っていたエイナは、慌てて回廊の手すりから身を乗り出した。
シルヴィアの傍らには、巨大な怪物がその雄姿を現しているはずだった。
だが、どんなに目を凝らしても、そんなものはどこにも存在していなかった。




