8.獣王狩り
8/9
その轟音に、町はにわかにざわめき立った。
様子を窺ったうちの誰かは、町の片隅の劇場が見るも無惨に崩壊していることに驚きを隠せなかっただろう。
命からがら逃げ出したグラントも叫ばずにはいられなかった。
「くっそう、秘め事だろうと美術品競売だぞ! 何を考えてるんだ!」
思わず口に出たその言葉には、警官どころか観客らも同意を示す
周囲の意も問わぬ思うがままの猛抗議に、燃え上がる炎のような金のたてがみを振り回して”騎士”が吠えた。
『うるせぇてめぇらさっさと逃げておきながら! 手伝ってんだから感謝しやがれってんだ!』
操縦者の仮面の大男の言葉も、間違いではない。
一部のものは、めざとくも倒壊の混乱に乗じて逃げ出そうとしている。
それを慌てて追いかけて捕らえんと、警官らも動きまわる。
しかし彼らのことも足元の蟻のように意もかさない重騎士を慌てて避けようとして、一層混乱が増していく。
その威容、たてがみも合間ってまさしく獣の王のよう。
「──だがな、わしも対策をしているのだ! 警察騎部隊よ! やつを拘束しろ! 特訓の成果を見せてやれ!」
その合図に応じて、周囲から現れた三騎の警察騎は《たてがみの騎士》を取り囲む。
正面に相対する、肩に”一”の番号を掲げた警察騎が応じた。
『わかりましたよ警部! さぁ、狩りの時間だ』
『はは、やってみろ──なぁ!?』
《たてがみの騎士》は残骸に埋もれた脚を引きずるように出す。引っ掻けて転び、周囲に舞い上がった塵に悲鳴が響く。
しかし周囲を気に止めることもなく、這いずるように、瓦礫を乗り越えた。
重く引き裂くような駆動音が、町に響く。
その間にも素早く囲んだ警察騎にも《たてがみの騎士》は怯まない。
その警察騎の展開速度たるや、鈍重な雑騎士とは思えぬ、目を見張るもの。
操縦士らの技量が計り知れる。
『くそう、動かしづらい……まぁこれから慣れれば良い。かかって来いやぁ!』
だか、それでも《たてがみの騎士》は怯まない。雄叫びとともに、前に出る。
同時に足に残骸を引っ掻けて、蹴飛ばした。
飛んできた残骸を”一”の警察騎は防ぐ。その一瞬の隙に《たてがみの騎士》が飛び込んでいた。
─一撃。
そして着地を見誤り、衝撃音。
大きく揺れて仰向けになった操縦席のなか、仮面の大男はぶつけた頭を押さえて呻く。
それでも、たしかに倒れ付した”一”の警察騎の姿にほくそ笑んだ。操縦者は動いていない。気絶したようだ。
─蹴りまで自在とは。こんなこと、重騎士でもなければできない!
『おぉっとっと……早速、一つ。こいつはいいや!』
だが、その視界に踊り入る小さな影がある。
左右から”二”と”三”の警察騎の投げたワイヤーが《たてがみの騎士》に絡み付く。
二騎が引っ張れば、きつく強く引き締まり、拘束する。”騎士”の動きを封じる装備。
足に、胴に、腕にと巻き付いたワイヤー。
それは港湾や工事現場での作業にも広く用いられる、非常に強靭なもの。
これでは”騎士”は動けない。
──そこらの雑騎士ならな!
『えいや』
何気なく上げた脚が、絡み付くワイヤーをあっさりと引き裂いた。
左右から引っ張られていることも無いかのように《たてがみの騎士》が起き上がる。
そして”重石ごと”振りかぶった拳、踏みしめた脚。連動させて、回転する腰。
『え──』
ワイヤーを引く”三”の警察騎の足がつんのめったのも一瞬。そして、浮いた。
『うわぁぁっ!?』
『く、くるなぁ!?』
北で”三”が引きずられ、振り回される。そして南で踏みとどまっていた”二”の警察騎にぶち当てられた。
『どうだぁ!』
『──やっぱりダメかぁ!』
もみ合い絡む二騎の警察騎を踏みつけて、《たてがみの騎士》は高笑い。
『こいつは買って正解だったぜぇ!』
その姿を目にした”観客”からは、あちこちから舌打ちが漏れ聞こえてくる。
「あぁ、ちくしょう羨ましい、やっぱ惜しかったな──だぁっ!? 殴るなよぉ!」
「お前たちは大人しくしてろ!」
次いで拘束した観客らをはたいたグラントは、歯噛みして《たてがみの騎士》を見上げた。
身をそらして居直り、たてがみを揺らして笑っている。警察騎を、何度も何度も脚で踏み付ける。
ひしゃげる機体、引き裂かれる装甲の悲鳴に周囲の警官も思わず悲痛な声をあげている。
はやし立てる観客らを睨み黙らせてから、グラントは叫んだ。
「えぇい! やはり雑騎士では持たないか! やはり重騎士を寄越せっていうんだ!」
「予算が足りません!」
「現場が気にすることか!」
「ですが警部、まだやれますよ!」
「なに!」
そう言って指差す先。
面白いように何度も踏みつけていた《たてがみの騎士》が、不意にぐらりとバランスを崩した。
慌てて姿勢を立て直すが、千鳥足。
ふわりと、足の浮いた、その間。倒れ付した”三”が起き上がり、重騎士を押し退けた。
《たてがみの騎士》はたたらを踏むが、どうにか持ちこたえた。
その顔を、腰をぐるりと回した”三”のラリアットがしたたかにうち据えた。
とうとう倒れそうになった《たてがみの騎士》を、いまだ絡んだワイヤーで引き留める。
ピンと張った”二”と”三”のワイヤーに、揺さぶられて仮面の大男はうめいた。
『──ぐぅっ!?』
『やぁぁっ!』
その腹に”三”の二指の拳が飛ぶ。
さぁ、反撃だ!
●
古びた鐘の方が。下手くそな鍛冶屋の鎚の方が、まだ心地良い。それが、グラントの正直な感想だった。
それほどの、あまりにも乱暴な金属音が、一帯に響く。
どこまで聞こえるのだろう。
となりのサルフォードは確実。その先のセントヘレズか、まさか河口の街のリヴァプールとは言うまい。
グラントが耳を押さえて呆れたように見上げるなか、”三”の警察騎はペンチ状の拳を《たてがみの騎士》の胸に叩きつける。
『この、この、このぉ!』
足蹴にされた恨みを張らすかのように、何度も、何度も。
《たてがみの騎士》がどうにか後ろに下がろうとも、二騎が引き締めるワイヤーが邪魔をする。
しかし、その体が傾いた。
重騎士の太い脚が踏み抜いたのは、どこぞの地下区画の天井か。
何せここは劇場跡地。そこら中に空間が広がっている。
そして膝下まで床に埋めまま、勢い余って仰向けに倒れ伏す、情けない姿勢をさらすことになる。
ワイヤーを緩めたことで、見事に二騎はつられなかった。
『──っ! よし、動くな、そのまま御用だ!』
力無く投げ出された腕を、”三”は踏みつけた。
もう一方にも、よろめくように近づいた”二”の警察騎が乗り掛かる。
いかに重騎士でも、”騎士”一騎を片腕だけで動かすのは、そう簡単ではない。
「やった、ぃやったぁ!」
沈黙した《たてがみの騎士》の姿に、次第に歓声が上がっていく。
グラントも、感慨深くその姿を見つめて、拳を握りしめた。
「ようし、いけ、いけぇい!」
けれども、彼は警部。すぐさま下ろした指示に従って、警官が数人《たてがみの騎士》に近づいていく。
──警官らを投入し、胸元のコクピットに乗り込んで直接拘束する。
これがグラントや他の警部らが、操縦士らと必死に編み出した、新対”騎士”攻略法。
混乱する現場ではあるが、それでもしっかり淀み無く進んでいくのは、積み重ねた訓練の賜物か。
だが、しかし。
『──ジャ、マ、だぁぁっ!』
沈黙していた《たてがみの騎士》が腕を振り上げ、二騎をあっさりと振りほどいたことで目見論はもろくも崩れ去った。
どうやら《たてがみの騎士》のパワーはそこらの重騎士を上回っていたらしい。
「畜生。やはり敵わないかぁ!?」
グラントも頭を抱えて叫ばずにはいられなかった。
近づいていた警官らは必死に逃げている。だが、近づきすぎていた。
起き上がった《たてがみの騎士》は彼らの方に目を向けた。
「ですが警部、あれを見てください!」
周囲の部下が指し示した《たてがみの騎士》の胸元。
揺れるたてがみに紛れて、そこにしがみつく人影が一つ。
「──探偵、何をやってる!? お前は地下だろう!?」
●
『くそ、この、虫かてめぇ!』
揺れる。揺れる。揺れる。
足元は見ない。ひたすら胸元装甲の端にしがみつき、放さない。
”騎士”は膝立ちでもゆうに10.9ヤード。落ちれば熟れた果実が良いところ。
必死にしがみつくけれど、塵で滑る手元が危うく、うっとおしい。
背後には、《たてがみの騎士》の手が迫る。
重騎士特有の四指の手がすぐそばで風を切って振られるのを横目にして、本当に自分が虫になったようにすら、思えてしまった。
「──それなら、やってやろうじゃないか。俺は蝶か? 蜂か? それとも蝿か? 捕まえてみろ!」
《たてがみの騎士》は腕を振るい、胸元の虫を取り払おうともがく。
しかしその手は肩を打ち、顔を殴りとまったくもって定まらない。
その動きから、ロックは操縦者の素性を一つ、読み解いた。彼は、雑騎士の操縦に馴れている。
──重騎士の操縦は、雑騎士とは違う。あまりに敏感、繊細、そして剛胆。
ノックスが無ければ、そんなことは知らなかった。
──知らなかったんだよなぁ。
”彼女”の自慢げな笑みが脳裏に浮かび、思わず頬が緩んだ。
──また、見たいものだ
それならば、帰らなければ。腕に、力がこもる。
「くそ、この……当たれよ!」
「良い方法を教えて、やる! 」
一気に胸元に乗り上がり、首もとに潜り込む。”蓋”を確認して、ロックは叫んだ。
「急がず、落ち着いて、一手一手確実に行うこと。それが雑騎士乗りの重騎士の使い方だ」
「うるせぇ! そんな暇あるか!」
「なら──」
その”蓋”に、ロックは手をかけた──
●
周囲を写す”窓”が突然暗くなったことに、仮面の大男は戸惑った。次いで気の抜ける音が響き、混乱は増してくる。
そして、機内に抜き荒れる冷たい風に頬を撫でられて、気づいた。
天井の搭乗口からだ。”召喚”とは違う、直接乗り込むための扉から、風が入り込んでいる。
──開けられたか!?
漏れる月明かりの中に浮かぶ、うずくまる人影一つ。
すぐさま取り出した拳銃を撃ち放った。間髪入れずの四連射。
「てめぇっ!?」
内側、”なし”、”ドア”、重騎士の顔。痛みにうめく声はない。
ならばと、もう一度撃鉄を起こす。どうせその出入り口に姿を見せるんだ。そこから当ててやる──
だが機体が大きく揺れたことによって、失敗した。
隅に頭を打ち付け、再びの痛みに倒れ伏して悶絶する。
堪えてながらも見上げた出入り口。
倒れて横倒しになった景色で、遠目にワイヤーを掛けて拘束してくる警察騎の姿があった。
「ま、またやったのかあいつら!」
「そう、その通り!」
頭上から響いた、よく通る声。はっと顔をあげた視界には、一面の靴裏。
仮面が、くだけ散る。大男の意識は、そこで途切れた。




