4.二人は──
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マンチェスターの南町、その片隅に大きな公園がある。
広場と森、静かな池と憩いの場所のはずなのだが、人の姿はまばら。
鬱蒼と生い茂る森によって人は少なく、光の乏しい池は青く淀んでいる。
人も寄り付かないその池のほとりの小屋に、明かりが点っていた。
そこにかつてあった明かりが途絶えたのは一年ほど前のこと。
住んでいた公園管理人の老人も体に限界を迎え、遠く保養地へと去っていってしまった。
中々決まらなかった後継がようやく決まり、やって来たのがここ数日のこと。
それは働き盛り、知的な若い男だと言う──
「──行った?」
「──行ったよ」
釣竿を抱えた老人がふらふらと森を抜けていくのを茂みの影からじっと覗いて、チビとノッポは頷いた。
「まさか人がいるとは思わなかったな。釣りできるのか」
「しょうがないよ。あの人も言ってるしこの辺りの草木、整理しようよ。子供が怪我しちゃ危ないし」
「バカ野郎。新しい管理人だって”先生”が言ってここに来てるんだからな。テキトーにのんびりやってりゃいいんだ」
ガサゴソと鬱蒼と生い茂る森を走り、小屋を確認。
光もまともに差さないなかで、ポツリと窓から明かりが覗いている。
あまりに淀んだ緑と池の臭いに、この辺りだけでも整理した方がいいと、チビも内心同意した。
「……ここだよな」
「やっぱりここしかないよ。これの一件だけだし」
「前に言ってたのに違いないか」
お互いに頷くと、取っ手を握る。
乱暴に、我が家のように気安くその古い扉をあけた。
「先生、いま帰りました!」
「センセ、帰りましたぁ!」
声を受けて、椅子で”先生”が振り向いた。上着を脱いでもきっちりとした装いは崩さない。
きれいな──それこそ絨毯と壁紙と家具の整った立派な家の中であったなら映えただろうが、板木の露なみすぼらしいボロの内装では、奇妙なだけ。
──もうちょい”どっちか”に寄せれば良いのに。
それでも服装は崩さないだろう。
頑固な”先生”にチビは心のうちでため息をはく。
「サツは撒いたか?」
「ええ、もちろん!──何で知ってるんです?」
訳もわからずチビが首を捻ると、はっとしたようにノッポが叫んだ。
「あーっ! センセやっぱり遠くで見てたんだぁ! ひどいですよぉ!」
「中心街でどたばた走り回ってたら嫌でも噂になるわ! 全くもう、お前たちは何をモタモタしてサツに追われているんだ!?」
「そんなこと言ったってですね先生、あいつらが呼んだんですからしょうがないじゃないですか」
「呼ぶ隙を与えるなってのもう……」
はぁ、と明らかにがっくり肩を落とすのをみて、凸凹二人は顔を見合わせる。
その様子を見て、”先生”はまたおおきなため息をついた。
「全くもう、そんな調子だから私が楽をできんのだ」
「すみません先生……」
「あーっ!」
また、ノッポが叫ぶ。
「うるさいよ、お前──あーっ!」
とがめようとしたチビも、それを見て思わず叫んだ。
その先、物陰に椅子に座った人影二つ。小さな人影が一、さらに小さな人影が一。
ユリエルとアニーだ。猿ぐつわを噛まされ手足を縛られて、身動きがとれないなか、自由な瞳で三人をにらんでいる。
「わぁ、すっげぇや先生、いつの間に捕まえてたんですか!」
「さっすがぁ!」
「喜ぶのはまだ早い」
そっと、”先生”が二人の猿ぐつわをとる。ユリエルは解放されて、一呼吸。不満をあらわにじろりとにらむ。
「こんなことして、ふざけないでよ。家にさっさと返しなさい」
厳しい二対の眼差しを食らって、”先生”は恭しく深く一礼する。
「誠に申し訳ございません、ミス。それで、ブローチの場所をご存じではありませんかな?」
「知らないわよ」
「もってないよー」
ふい、と少女二人がそっぽを向く。
え、と目を丸くする凸凹二人の前で怒りをこらえるように先生は震えてた。
「で、どういうことよ、無いって、どういうことなのよぉ……!」
「私たちの手元には無いの。そう言ってるでしょ」
堪えても、漏れ出てくる落胆。
それにユリエルが答えたものだから”先生”はすがった。
「──どこに、どこにある?」
「どうしたっけ?」
「みんなでブローチを見てて、このあんちゃんたちが襲ってきて、逃げて、さらわれて──どこ行ったんだろう?」
「あのほら、たぶんロックが」
「預けっぱなしだったかなぁ」
やっと思い出したらしいアニーに、樫月ように、それでもやや強引に”先生”が詰め寄る。
「ほほう、あのロックという少年のところに?」
「あの二人に襲われて逃げたから、たぶんそのまま……だよね」
「ええ、私もあいにく」
ねぇ、と少女は二人揃って首をかしげた。
「お前たちぃ!」
「し、知らないです!」
「たまたまだってぇ!」
凸凹は、じろりと”先生”が恨みがましく見てくるものだから、慌てて首を振る。
必死になって二人に一気に詰め寄った。
「どうせ隠してるんだろ!?」
「さわらないでちょうだい!」
「がぎゃあ!」
ぶしつけな手つきに嫌気の差したユリエルの硬い靴裏が、チビの鼻を強く打った。
「どっかにあるんじゃないのぉ?」
「近づくなっての──てぃ!」
「にゃひぃ!?」
振り上げたアニーの爪先が、懐をまさぐろうと腕を伸ばしたノッポの股間を強く打つ。
奇妙な声をあげたノッポの表情が苦悶に歪んで、うずくまった。
あっさりと崩れ落ちた凸凹二人に、思わず”先生”は目を覆う。見てられなかった。
「あぁ、もう、そんなに乱暴に迫るんじゃあない。お嬢さんがたが怯えてしまうじゃないか」
「で、でも先生ぃ……」
「お二人が”ない”と言っとるんだから”ない”の」
「さらっちゃうなんてしておいて、よく言えるよなぁ……」
「聞こえとるぞ」
”先生”の釘に、凸凹ふたりは押し黙る。
「さて、となると参ったなぁ、その勇敢なる青年からなんとしてもブローチを取り返さなくちゃあいかん」
「えー、もう良いんじゃないですか、先生」
「そうそう。ここいらにはまだ値打ちもののお宝がたぁくさんあるみたいだからね!」
「いいや、ダメだ」
”先生”は首を縦には振らない。
えー、と不満を示す凸凹二人の言葉も袖にして、”先生”は筆を手に取った。
「あれが、あれがなければ私は……」
ぶつくさと呟きながらも、筆を走らせる。
その様子を見て、ポツリとアニーが呟いた。
「そんなに大切なの? やめたほうがいいと思うよ……」
「あら、そうなの?」
「お父さんが言っていたんだ。盗んだものにしがみついていると、良くないことが起きるって」
だから、盗んだ金はすぐに使ったし、盗んだ品はすぐに売り払ったという。
「探す人はそのモノのことばかり考えるからさ……」
「あぁ……確かに」
ユリエルは納得いったと頷いた。良い実例が目の前にいる。
凸凹二人も頷くのを見て、”先生”は苛立たしげに顔を歪めた。
「先生、こうなってるからなぁ……」
「そうそう、オレたちも無理矢理外に出されてねぇ……」
「おれらマンチェスターに今日来たばっかなんだぜ?」
「あら、ようこそ。いかがですマンチェスターは?」
「このガキがいなきゃ良かったねぇ──いったぁイ手ぇ噛まないでぇ!」
「うるさぁーい!」
我慢がならないように、”先生”が吠えた。
睨むのは、発端のアニー。
「スリの小僧がわかったような口を利くな、ぜったいに取り返すからな!」
「泥棒が言っちゃあねぇ」
「そうそう」
「お前たち!」
”先生”が吠えるのに合わせて凸凹二人が慌てて姿勢をただす。
その鼻先に、封筒が突きつけられた。わざわざ真っ赤な封蝋までしっかりと付けてある。
「手紙を書いた。『エリック・セイムズ探偵事務所』まで届けてこい」
「探偵事務所? なんでまた」
「そこがこいつらの居場所なんだよ、そこにあのブローチが来るんだよ!」
「全くもう、それなら自分でいけばいいのに」
「さっさと行く!」
二人は慌ててアジトを飛び出していく。
苛立ちあらわに椅子に深く座った”先生”は、じっと驚いたように見つめるユリエルの視線に気づいた。
「何かな」
「よく、事務所だってわかりましたね」
ロックの名前は口にしても、『エリック・セイムズ探偵事務所』の名は出していない。
「なあに、簡単さ。あいつらとあなたたちがドタバタ走り回るものだから、誰がどうだと噂が上がった。そこからあとは芋づるよ」
野次馬のふりをして聞けば、すぐにわかったという。
ロックの名前が上がり、探偵事務所のこともすぐに聞き出せたという。
「探偵の名が売れるってのは良いのやら悪いのやらねえ。だけど──」
椅子に身を深く沈めて、嘆息。
「──なぁんで聞いたりせずにしらみ潰しなのよ、あいつらはぁ……」
はぁ、と重いため息がアジトに響く。
「まぁ、大変なようで」
「そうなのよぉ……こんなことばっかでもう。あぁ、お茶、いる?」
「いただきます。アニーは?」
「……いる」




