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グウェンドリン・フェレイラの1日--2165年のどこか

07:40 — 起床

吸音材に覆われた壁が、夜の残り香を吸い込み、

呼吸音を飲み込んで、音のない音を返した。

音の反響は、静寂の中にぽつりと浮かび、

部屋の中の異物 だった。


照明が、まぶたの動きに合わせてわずかに明度を変える。

光が覚醒を確かめている。


空気は乾いている。

乾燥は無臭ではなく、冷えた金属の匂いを帯びた。

ISIC本部の空調は夜間に微量のオゾンを混ぜる癖がある。

匂いが、グウェンの肺に薄い膜を張った。


義足の熾繊維がつながりを保っている。

起動、0.12秒の遅延を記録する。

北京地下での遅延は正常値だった、

静けさの中では、

異物として浮かび上がった。


ベッドのフレームに腕が重なる。

体重を測る。微かに軋む。

金属が金属に触れた。

温度が散った。


蛇口をひねった。

水が目を覚まし、配管を伝って出てきた。

配管の奥でまだ流れていた。

重金属水と違うのどごし、

無味で無臭、

汚染のない水。余分な情報を含まない安全な水。


義足の接合部が床に触れた、

床の金属樹脂が 0.004秒遅れで振動を返す。

遅延は、異常だ。誰かが何かを隠している合図だった。


ISIC本部・食堂(07:40以降)


ISIC本部の食堂は、三層構造の吹き抜けをテラス席が囲んでいる。

天井の白色パネルが最適照度で照らしている。太陽光の模倣ではなく、演算された光だ。

人間にとっての最適は全員の最適ではない。

壁は吸音材で覆われ、声は反響しない。

個別静穏仕様だった。個人の静寂が保証されていた。


金属樹脂の複合床が、歩くたびに微弱な振動を義足に伝える。

グウェンの熾繊維はその振動を0.004秒遅れて解析し、遅延ログをひとつ増やす。


調理設備と盛り付け担当

調理区画はガラスで仕切られ、内部には三つの設備が並ぶ。


熱量最適化オーブン:食材の密度に合わせて自動で火力を変える


栄養分離スチーマー:タンパク質と炭水化物を別々に蒸す


無菌盛り付けライン:ロボットアームがトレーに等量を落とす


盛り付け担当は人間だ。

名は アマド・リオス。

元はメキシコ北部の軍用食開発部門にいた男で、

「味よりも保存性」を信仰している。


彼は無言でトレーを差し出す。

グウェンの階級を見ても態度は変わらない。

彼にとって兵士は“栄養単位”でしかない。


グウェンの席

彼女は窓際の席に座る。

窓は外界ではなく、ソノラ砂漠の午前を模した投影だ。

砂は語らない。

光子でできた砂は、記憶を持たない。


椅子は金属フレームに薄いクッションが貼られただけのもの。

義足の接合部が触れると、温度差が0.7度生じる。

それが今日の“違和感”の始まりだ。


アルミトレーの中身

アマドが盛り付けたトレーには、四つの区画がある。


高密度タンパクブロック(鶏由来)

 味はない。

 だが、噛むと内部の繊維が均一に崩れ、

 「咀嚼回数を減らすための設計」が分かる。


炭水化物ゲル(米澱粉)

 温度は42度に保たれている。

 人間の胃が最も効率よく吸収する温度だ。

 味は、ほぼ“温度そのもの”。


微量ミネラルスープ

 透明で、匂いがない。

 北京地下の重金属水に慣れた彼女には、

 “情報の欠落”として感じられる。


人工果実片(合成ビタミン)

 色は鮮やかだが、香りがない。

 視覚だけが“果物”を主張している。


グウェンはスプーンを持ち、

タンパクブロックを一口だけ切り取る。

味覚ではなく、義歯の圧力センサーがその硬度を測定する。


彼女の内部で起きていること

食事中、義足の内部ログが静かに更新される。


咀嚼時の微振動:正常


心拍:やや低い


熾繊維の温度:上昇傾向


遅延ログ:1件追加


“オライオンの周波数”の残響:微弱に検出


彼女はそれを感情として処理しない。

ただの“データの揺らぎ”だ。


だが、その揺らぎが、

今日の休息日が“休息では終わらない”ことを示している。


09:10 — 医療区画での点検


医療区画の廊下は、冷却管が床下を走っているため、空気がわずかに冷たい。

グウェンの義足は温度差を検知し、ログが走った。表面温度 0.6℃ 、冷たい。

遅延はない。


止まった。。

医療区画の扉が開いた。フラム医師はすでに端末の前に立っていた。

彼は挨拶をしない。

必要ないからだ。

彼にとって兵士は「症状の集合体」であり、言葉は診断の妨げになる。


「足を診る。そこに座って。」

「・・・」


無言で診察台に腰を下ろす。

義足の接合部が金属面に触れ、微弱な振動が 0.004 秒遅れて返ってくる。

遅延が起きていた。二フラムの眉がわずかに動く。


「……今のはなに、もう一度診せて。」怪訝そうに言った。


義足の外装を軽く叩く。

乾いた音は空気に溶けて消える。壁が音を吸った。

義足内部のセンサーが“異常な反響パターン”を拾った。


医療端末に波形が表示された。二フラムが黙った。波形を見つめている。

そこには、通常の熾繊維の応答には存在しない“揺らぎ”があった。


「フェレイラ軍曹。これは疲労ではない。」


彼は淡々と告げる。

声に感情はない。

ただ、事実だけがそこにある。


「熾繊維の深層層で、同期ズレが発生している。

 北京地下での損傷が、今になって表面化した可能性がある。」


グウェンは答えない。

答える必要がない。

二フラムは続ける。


「このズレは、通常の遅延とは違う。

 “外部からの干渉”があった痕跡だ。」


端末に表示されたログには、

0.12秒の遅延とは別種の、微細な“逆位相”が記録されていた。

それは、熾繊維が本来持たないはずの“他者の周波数”だ。


二フラムは静かに息を吐く。


「……誰かが、あなたの義肢に触れた。

 修理ではなく、調整だ。

 あなたの知らない誰かが。」


その言葉は、診断ではなく、観測された事実の報告にすぎない。

だが、グウェンの内部ログはその瞬間、心拍数 3% 上昇を記録した。


彼女はそれを感情として処理しない。

ただの生理的反応だ。


二フラムは最後にこう言う。


「この周波数……“砂”ではない。

 もっと人工的だ。

 フェレイラ軍曹、あなたの義肢は“誰かに見られている”。」


医療区画の空気が、わずかに冷たくなる。

冷却管のせいではない。

それは、情報が空間を満たすときに生じる温度の低下だ。


二フラム医師が、義肢の接続部を確認する。

彼は淡々とログを読み上げる。


「昨日の夜、心拍が一度だけ跳ねている。理由は?」


「夢を見た。」


それは感情ではなく、“脳波の乱れ”として報告されるべき事象だ。

二フラムは頷き、記録を更新する。


医療区画の空気は乾燥している。

砂はここにはいない。

沈黙すら生まれない、無菌の空間。


マツァクがじっと見つめている。


二フラムの言葉がまだ空気中に残っている。

「人工衛星の制御室にいるかもしれない。」


グウェンは頷かない。

頷く必要がない。

義足の熾繊維が、歩行のたびに0.002秒の微細な遅延を記録する。

それは異常の続きであり、答えの欠片でもある。


廊下は冷却管の振動を伝え、

壁面の温度は18.1℃で一定だ。

ISIC本部は、温度だけは裏切らない。


制御室への移動

制御室は本部の最上層にある。

階段ではなく、磁気リフトを使う。

リフト内部の空気は乾燥しており、

グウェンの皮膚センサーが湿度 21%を検知する。


乾燥は、情報の密度が高い場所の特徴だ。

人工衛星の制御室は、常に“世界のどこか”を見ている。


制御室の扉

扉は二重構造で、

外側は金属樹脂、内側は電磁遮断層で覆われている。


扉が開くと、

冷たい空気が一気に流れ出る。

温度差は3.4℃。

義足のセンサーがそれを“警告”として記録する。


中にいたのは、グリゴリーではない

制御室には三人の技術者がいた。


若い女性技術者:網膜投影に衛星軌道を映し、指先で軌道計算を修正している


中年の男性技術者:通信ログを読み上げ、誰にも聞こえない声で数字を呟く


無言のオペレーター:椅子に深く座り、脳波接続端末を頭に装着している


誰もグウェンを見ない。

彼女は“情報の流れを乱さない存在”として扱われている。


グリゴリーの姿はない。

彼の椅子は空いている。

椅子の背もたれには、微量の黒鉛粉が付着していた。


北京地下の粉ではない。

もっと乾いた、もっと軽い、

ソノラ砂漠の黒鉛に近い粒度だ。


技術者の一人が言う

「ペレルマン教授なら、ここには来ていません。」


声は平坦で、

“事実だけを伝えるための音”だった。


「今朝、別の階層に移動した記録があります。

 行き先は……表示されていません。」


表示されていない。

それは、消されたという意味だ。


グウェンの内部ログ

義足のセンサーが、

制御室の空気中に漂う微弱な電磁ノイズを拾う。


周波数:0.8Hz の揺らぎ


発信源:不明


グリゴリーの研究ログと一致:しない


だが、

“似ている”。


似ているという曖昧な一致は、

彼女の内部ログに新しいエラーを追加する。


いなかった、という事実

グリゴリーがいない。

それは欠落ではなく、

“空白としての情報”だ。


空白は、砂よりも重い。

砂は沈黙するが、空白は沈黙すら持たない。


グウェンは制御室を出る。

扉が閉まると、

温度が元に戻る。


だが、

義足の遅延は戻らない。


11:30 — 私室に戻る

部屋の窓は外界を映さない。

ISIC本部は地下構造と半地下構造が複雑に入り組んでおり、

窓はすべて投影式の“擬似外界”だ。


今日の投影は、ソノラ砂漠の午前。

だが、砂は語らない。

これは本物の砂ではなく、光子の模倣だからだ。


彼女はベッドに腰を下ろし、義足の冷却装置を手動で停止する。

冷却が止まると、義肢内部の温度がゆっくり上昇し、

“生身の脚に近づく”という錯覚が生まれる。


錯覚は、彼女にとって“許容された嘘”だ。


14:00 — オライオンのログを読む

ISIC本部の端末には、オライオンのサーキットコアが残した

微弱な周波数ログが保存されている。


彼の声ではない。

彼の姿でもない。

ただ、彼の存在が世界に刻んだ“揺らぎ”だけが残っている。


グウェンドリンはそれを再生する。

音はない。

光もない。


ただ、義肢のセンサーが0.003アンペアだけ変動する。

それが、彼女にとっての“接触”だ。


16:20 — 訓練場を歩く

休息日でも、訓練場は稼働している。

だが今日は銃を持たない。

ただ歩くだけだ。


床の振動が、義足の内部構造に伝わり、

“過去の損傷部位”が微かに疼く。


疼きは痛みではない。

“記憶の再生”だ。


訓練場の端で、スノウがバットを肩に乗せて手を振る。

彼の存在は、彼女にとって“ノイズ”に近い。

だが、そのノイズは不快ではない。

世界が完全に静かになると、人間は壊れる。


19:00 — 食堂

ISICの食堂は、味覚よりも栄養効率を優先している。

皿の上の食事は均一で、色彩がない。


彼女はそれを淡々と口に運ぶ。

味は薄い。

だが、温度は正確だ。


温度だけが、今日も真実だ。


22:40 — 就寝前

照明が落ちる。

部屋の投影窓は、夜のソノラ砂漠を映す。

本物の砂ではないが、

その“模倣された静寂”は、彼女の内部ログを落ち着かせる。


義肢の冷却装置が今日の記録を圧縮する。

圧縮率 94%。

残りの 6% は、どうしても消えない。


その 6% の中に、

オライオンの周波数、

二フラムの声、

スノウのノイズ、

そして“砂のいない静寂”が混ざっている。


彼女は横になる。

眠りは訪れる。

夢は、必要なら訪れる。

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