表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明日の自分が残したメッセージ  作者: なは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/15

最後のリグレット

 白い天井。消毒液の匂い。

 遠くで誰かの話し声が聞こえる。

 病院のベッドで目を覚ました時、10年の月日が流れていた。

 いや、正確には「交通事故で意識不明だった僕が、10年ぶりに目覚めた」わけではない。

 僕の脳内には、22年分の記憶が整然と並んでいた。

 ただし、それは「前の世界」の記憶とは少し違っていた。

 記憶が混濁している。まるで二つの映画を同時に再生しているようだ。

 片方は、栞が死んで、僕が一人で生きてきた記憶。暗く、後悔に満ちた灰色のフィルム。

 もう片方は、あの事故で僕が右足を骨折し、半年入院したけれど、栞も無傷で助かった記憶。リハビリは辛かったが、隣にはいつも二人の笑顔があった、鮮やかなカラーフィルム。


「……ん」

 重たい瞼を開ける。

 眩しい日差しが目に刺さる。

「目が覚めた?」

 カーテンが開けられ、覗き込んできたのは絵里依だった。

 見慣れた大学の保健室の風景。

 窓の外では、運動部の学生たちが掛け声を上げている。

「……絵里依? ここは?」

「大学の保健室だよ。湊、講義中に貧血で倒れたんだから。また夜更かししてゲームでもしてたんでしょ」

 彼女は呆れたように笑っている。その笑顔には、あの「ストーカー事件」の影も、「鏡の裏切り」の影もない。

 保健室。貧血。

 心臓発作じゃなかった。世界に消されなかったんだ。

 僕は自分の体を確かめる。右足のすねに、古い手術痕がある。ズボンの裾を捲ると、白く浮き上がった傷跡が見えた。

 ……そうだ。10年前の事故。僕は栞と一緒にトラックを避けたが、着地に失敗して足を複雑骨折したんだ。

 一生残る古傷。雨の日には少し疼く傷。

 でも、それは勲章だ。

 その代償として、二人とも助かったのだから。


「……栞は?」

 恐る恐る尋ねる。僕の声は震えていた。

 もし、この世界でも彼女がいなかったら?

 記憶の改竄だけだったら?

 心臓が早鐘を打つ。

「栞なら、もうすぐお見舞いに来るって。なんか駅前の有名店でケーキ買ってくるって張り切ってたよ。『湊くんが倒れたなら糖分補給が必要だ!』とか言って」

 絵里依は当たり前のように言った。


 生きてる。

 栞も、生きている世界だ。

 僕は涙が溢れてくるのを止められなかった。目頭が熱くなり、視界が滲む。

 嗚咽が漏れる。

「ちょ、ちょっと湊!? なんで泣いてんの!? そんなに痛いの? 足?」

 絵里依が慌ててティッシュを渡してくる。

「違う……ただ、嬉しくて」

「はあ? 貧血で倒れて嬉しいとか、頭打った?」

 彼女の軽口すら、愛おしい。


 世界は再構築された。

 僕が死ぬ運命も、栞が死ぬ運命も、修正されたのだ。

 メモの力で。僕たちの選択で。過去への干渉で。

 あるいは、あの悲しい未来は、僕が見た長い長い悪夢だったのかもしれない。

 パラレルワールドの記憶。

 どちらが夢で、どちらが現実か。そんなことはどうでもいい。

 今、僕が息をしているこの世界こそが、真実なのだから。


 ふと、ポケットを探る。

 あの白い紙切れは、もうどこにもなかった。

 スマホを見る。

 あの不気味な着信履歴も消えている。アプリの履歴にも、通話記録にも、何も残っていない。

 何もかもが、平穏な日常に上書きされている。

 未来からのメッセージは、役目を終えて消滅したのだ。


 その代わり、保健室のドアがガラリと開き、懐かしい声が響いた。

「湊くん! 大丈夫!?」

 大人になった栞が、息を切らせて立っていた。

 記憶の中の小学生姿ではない。22歳の、美しい女性になった栞だ。

 ロングヘアを揺らし、少し大人びた服装をしているけれど、その笑顔は10年前と変わらない。

 少し大きめの眼鏡の奥で、優しい瞳が揺れている。

 その手には、スケッチブックではなく、ケーキの箱が握られている。


「……ああ。大丈夫だよ」

 僕は心を落ち着けて答えた。

 もう、後悔リグレットは必要ない。

 過去を変えるためのメモなんて、もういらないんだ。

 目の前に、守りたかった笑顔がある。それだけで十分だ。


「もう、心配したんだからね」

 栞がベッドの脇に駆け寄ってくる。

 甘いケーキの匂いがした。

「貧血なんて珍しい。ちゃんと食べてる? 最近、研究室忙しいんでしょ?」

「大丈夫だって。ちょっと考え事をしてただけさ」

「考え事?」

「ああ。……長い長い、旅の夢を見てたんだ」

 僕は二人を見て、笑った。

 この世界が本物で、あの世界が偽物だったのか。それとも逆なのか。

 量子力学的には、どちらも存在したのかもしれない。

 でも、僕が選んだのはこっちだ。

 3人で生きる未来だ。


 重要なのは、今、ここに3人が揃っているということだ。

 窓の外から、蝉の声が聞こえる。

 でも、それはもう脳を揺さぶるような不快な音ではなく、力強い生命の賛歌のように聞こえた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ