テルクレフト山頂
3日前にテルクレフト山に「てくてく目玉」を転移させて、魔力切れで寝込んでいた自称「闇の魔女」とその使い魔であったが、日も中天高く登った時刻になって活動を再開した。
送り込んだのは寒さに強いと言えない球根である。
断熱材代わりに、あるコケの胞子を固め包んであるが、零下30度程にもなる高山の山頂なのだ。
仕込んだ魔石による発熱があるとは言え、果たしてどうなっているか?
古い大きな屋敷の一室にて、自信満々で水盤を起動する自称「闇の魔女」と使い魔であるが。
まず見えたのは寒々と細くたなびく筋雲である。
どうやら凍結は免れ、無事に偵察行動は取れそうである。
この球根、レンズや目玉のようなものが付いている訳ではない。
見かけは何の変哲もない茶色い球根である。
サナエは植物系で随一と言われるだけあって、視覚情報はコケの外套を通しても得ることができるのだ。
また球根から生える根も数があるだけで長さは数セロトしかないが、これも胞子の外套を操って移動に不自由はない。
球根としてはかなりの高性能と言えるだろう。
さて見える景色である。
周囲と上下を含め全周を見回し、見えるものは岩肌と空だけであった。
「異形の者ども、おらへんやないか?」
「さいですなあ?」
「おっかしないか?
何や100メルキくらいのんが降りて来たように思とったんやけど、ワテの勘違いやろか?」
「師匠はん、下の方ですけど、何やゴツゴツしてまっせ。
なんかあるんやおまへんか?」
使い魔が見つけた僅かな出っ張り岩は、斜面をやや下った先にあり溶岩洞窟の入り口の縁だった。
もっとも水盤越しで見る側に上下の感覚はないので、今いる場所が山頂としての話であるが。
視点は急斜面らしい岩肌を危なげなく降りて行く。
中を覗くと広い空間がある。
コケでできた10数本の脚は、あちこちに踏ん張って中へを入り込む。
逆さになっても落ちずに移動できる上に、視覚だけでは大きさが分からないかと思いきや、見た物の大体の距離が水盤を通して分かってしまう不思議仕様だが、気にする者はここには居ない。
「なるほどやな、この中へ隠れたんやな」
「ものごっつう広い洞窟でんなあ。
ワイらのお屋敷がすっぽり入るんちゃいますか?」
「ここに入る言うことはきっと細長いんやろなあ。高さや幅はそうでもなさそうや、と」
サナエは100メルキ相当がどこの寸法か気になる様子だ。
軽く洞窟が曲がった先にそれはあった。
全体が黒く、まず非常に長い。
200メルキほども有りそうだ。
そして高さは屋根つきの3階建相当、おそらく10メルキに近いだろう。
全体が角のない丸い形で、幅は見た感じでは高さよりも有りそうとしか分からない。
どこから見ても楕円の形でやはり細長い。
不思議なことに見える限り、入り口や窓のようなものが見当たらない。
内部が広いとは言え、よくこんなものがこんな奥に入り込んだものと感心してしまう。
「てくてく目玉」は波模様のある天井伝いに中央付近までと進んだ。
洞窟に鎮座する黒く巨大な楕円体。
上下の感覚が無いので真上から見ていると思わなければ、ただ真っ黒な深淵がそこにあるように見えるだけだ。
見えなかった片側に、舌のような先の丸い板が地面に向かって出ているのが見えた。
「師匠はん、あれ。
乗り口でっしゃろか?」
「回ってみるよって待ちい」
「てくてく目玉」は波模様の縞に沿って天井を回り込む。
楕円の形をした黒い物体は、地上4、5メルキが一番横へ張り出している。
見えた乗り口はその下側に見えてくる。
穴には扉のようなものはなく、やはり楕円形のように見えた。
「こりゃあ。
よっぽど角が嫌いなんやなあ」
「ほんまですなあ。丸いとこばっかりですがな」
「サタス。
おまん、ここで見張りをしばらくやったりい。
中の様子も知りたいやって、少うし後にした方が良さそうや」
「よろしおます。
ここの出入りを見張る感じやね、任したってください」
・ ・ ・
使い魔に見張りを任せた魔女は、3日の間に溜まった雑事を片付けに別の部屋へ移動する。
雑事の中には弟子の様子を陰ながら確認すると言うのもあって、特にメグを気にかけている。
屋敷を出てまだ数年、日が浅いと言うのもあるが、今監視を強めているテルクレフト山の連中に関わりがあるパーティの所属だから。
特にテオドラ帝国に行ってからは、月に1度は見るようにしていた。
仕掛けは「てくてく目玉」と同じ仕組みだ。
伊達に魔女装束を独立記念に渡している訳ではない。
メグの場合は、本人もお気に入りの飾りの多い鍔広帽子だ。
魔力の多いメグが身に付けるので、球根のように大きなものは必要ない。
カビを数種類を共生関係に組み合わせ、帽子の布地に仕込んである。
動力源の魔力もごく微量でいいので、メグが皮膚に纏う分で十分だ。
あくまでも安否確認程度なので、接続は日中の明るい時だけと決めている。
なお、この繋がりはメグにはバレていない。
方法不明の監視手段があるのではと、疑いを持っていてもこれに気づいていない、正に年季が違うと言うもの。
魔女本人は、修行中はいざ知らず、独立した弟子を監視するほどのろくでなしではない、と否定するだろう。
だがここへ来て緊迫度合いの増す今、こうした繋がりがあると言うのは心強いものがある。
・ ・ ・
一方の使い魔。
元がカニ(今はヘビ姿)だけあってそこらの人間どもと違い、退屈を知らない。
ヘビはチョロチョロと口から出し入れする細長い舌で、匂いを嗅ぎ取ると言うが、どうやら水盤越しにそれをやっているようだ。
溶岩洞窟と言うのはその名の通り溶岩や、そこから発生したガスが流れた跡が固まった物である。
だから何となく円に近い断面を取る。
だがこの洞窟は、壁や天井はそれで通るが下には平らな床がある。
それもある程度埋めて面積を確保したように。
しかも妙に平坦な一枚岩の床なのだった。
何らかの手段で使い易く改装したものだろう。
さて日が沈むと、本当に真っ暗な山頂洞窟であるが、闇慣れしたサタスは扉が開いたことを察知する。
特に結界のようなものは無いようで、扉が開けば内部の匂いも自然、洞窟へと漏れ出る。
音が拾えるならとサタスは考え、水盤にその機能を追加した。
この屋敷では二百年近くも過ごしているのだ、これくらいは造作もない。
途端、カツカツガリガリと喧しい。
どうやらこちらの下界とは、かなり環境が異なるようだ。
サタスは今でこそ、人の生活がどのようなものか承知しているが、元も今も人族ではない。
麓の川から、止むに止まれぬ熱に突き動かされて、この屋敷の庭に辿り付いたところを師匠はんに拾われた。
当時小さな《なり》で師匠の髪飾りをやっていた話は、兄姉弟子たちの集まる席では良い酒の肴だ。
そのサタスにして、聞こえた音が何によるものか判断できない。
ましてその奥から背景の様に混じる、カリカリと言う音もだ。
こちらの音が伝わるはずのない水盤向こうと言うのに、サタスは緊張に身を強張らせる。
身じろぎもせずじっと聞き耳を立てた。
尤もヘビの耳は一枚鱗に空いた小さな穴に過ぎないのだが。
やがて均された岩地面に降ろされた、舌のような斜路に現れる陰が一つ。
暗い洞窟だが出入り口の奥は明るく、漏れ出る光で影の横幅が相当に広いと判る。
サタスの知る地上の動物・魔物に似たシルエットの物は無い。
サタスは聞こえるはずがないと思いながらも抑えたごく低い声で、
「こりゃ師匠はんの言わはる通り、異形のようやで」




