ep.33 絶句
明日の仕事が始まるまで時間を持て余した二人は、町中をぶらぶらと散策することにした。
露店が立ち並ぶ市場通りに入ると、ますます人の行き交いが激しくなる。
店々が道を狭めるうえ、店先で立ち止まったり話し込んだりする者も多く、通りは歩いているだけで肩がぶつかりそうなほど混み合っていた。
そんな雑踏の中にいると、人々の話し声が否応なしに耳に入ってくる。
あの龍の事はまだ表立って報じられてはないものの、さすがに噂は広がっているようで、少し歩くだけでもあちこちでその話題が聞こえてきていた。
ある者は不安げな表情で、またある者は小馬鹿にしたように鼻で笑いながら、その噂を口にしていた。
「あんたら、ガキだけでこのへんうろついちゃあ危ないぜー。なんてったって………龍が出たっていうんだからな!! アハハハハ」
「……き、気を付ける……はは………」
店主の男はひとしきり笑うと、サンドウィッチを包んでノアへ手渡した。
「……く…くくッ。この時代に龍って……、バカみてえな話だよな、まったく。まともに信じてる奴ぁどうかしてるぜ」
男はまるで馬鹿馬鹿しくて仕方ないとでも言うように、肩を揺らして笑っていた。
ノアは曖昧に笑みを返しながら代金を支払うと、男の笑い声を背に、再び人の流れのなかに紛れていくのだった。
サンドウィッチを頬張りながら、ふたりはあてもなく通りを歩いていく。
「……さすがに話題になってるよな」
ノアは具材がたっぷり挟まったサンドウィッチを見つめながら、そうぽつりと声をこぼした。
「まだ新聞には出てないみたいだけど、まあそりゃそうだよな。だって龍が出たって、そんなの証拠でもなきゃ記事になんないだろうし。
俺だって、この目で見ない限りは絶対信じねえもん」
「………うーん、死体が見つかれば、かもね」
続けてローズが口をひらく。
「…………………死んでなかったりして」
ごっくんとサンドウィッチを飲み込んでから、ローズは呟くように言った。
「……死んだかどうかは確かめてないし………」
「………………」
「………………」
「………………やめろよ、縁起でもない……」
噛み砕いたはずのサンドウィッチの具材が、やけに重たく喉元を通る。
「…………だとしても、あの時点で相当な深手を負ってるはずだよ。そう易々と前みたいに人里に襲いかかってはこねえよ」
ノアはあの剣を握り締めたときの、あのなんとも形容し難い感覚を思い出していた。
握ればたちまち体力が削がれ、じわじわと身体が蝕まれていくような、あの異様な体験。
長く使い続けていれば、恐らくいずれ立っていることさえできなくなる。
それに加え、あの身にあり余るほどの巨大な力──。
あれを使えば、一瞬にして意識が吹き飛ぶほどの、凄まじい反動が一気に襲いかかってくる。
仮に何度か耐えられたとして、むやみに頼ればたちまち命の危機にさらされることだろう。
いずれにしたって、力を使うにはそれ相応の代償が伴う。
自らの身を削ることと引き換えに、ようやく引きずり出せる力なのだ。
もし、また龍が目の前に現れたとき。
その時は、自らの危険を顧みず、また龍に立ち向かうことができるのだろうか───。
いつの間にか味のしなくなったサンドウィッチを、ノアは無理くり飲み込んだ。
「…………それにしても………うう…………ここ美味しいものがあり過ぎて歩いてるだけでお腹減っちゃうな……最後までにちゃんと全部食べ尽くせるかな…………」
むしゃむしゃとサンドイッチを口に放り込みながらローズが包み紙を丸める。
「……おまえ……んな食ってたらいくら働いたって意味なくなるぞ……」
「あ」
「……なに」
「あれ買ってくるからちょっと待ってて」
ローズが指し示す先に、こんがり焼き上げられた肉の串がずらりと並んでいた。店先から立ち上る煙とともに、香ばしい匂いが漂ってくる。
ローズはノアの手に紙くずを押し付けると、ノアの返答を待たずして、すぐさま店の方へと行ってしまったのだった。
「あいつ……………どんだけ食うの好きなんだよ………」
食欲を原動に、凄まじい行動力を発揮するローズの背を、ノアは呆れたように見送った。
「これ持っといて」
しばらくして、ローズが大ぶりの串を何本も握りしめて走ってきた。
満面の笑みを浮かべながら、ノアにそのうちの何本かを手渡してくる。
「それ勝手に食べちゃだめだよ」
「食わねーよ。普通は人のもん勝手に食わないんだよ、お前と違って」
ノアは渡された肉の串をまじまじと見つめた。
「俺そんなに金渡してたっけ………」
「ん? 全部あれで買えたよ?」
「………何の肉?」
「………?」
ローズは口をもぐもぐと動かし、やがて飲み込むと、首を傾げた。
◇
「お、おろろろろろろろ…………」
「ええっ!? ちょっ、ええっ!?!?!!!」
路地裏で両手をついて、ローズは先ほど口にしたものをすべて吐き出していた。
みるみるうちに、吐き出たものが路地に広がっていく。
「だっ……えっ……ええっー!?!」
気が動転したノアは、目の前で広がりゆくものと、ローズの姿へ、何度も視線を行き来させていた。
ローズの顔を隠すように垂れている髪を、ぎこちなく掴んでまとめてやる。
薄暗い路地に広がっていくそれを、ノアは呆気に取られたまま、ドン引いた顔で見つめていたのだった。
…………と、そのあまりの光景に言葉を失っていた矢先。
視界の端で何かが動いたのに気づき、ノアは咄嗟に身体をこわばらせた。
路地の奥、濃い影の中から、何かが潜んでいるような気配がする。
ノアは恐る恐るそちらへ目を向けた。
影の奥から、細くて白い腕が一本、ゆっくりと伸びていた。
それが腕だと気づくのに、数秒を要した。
なぜなら、ひどく骨ばっていて、棒のように痩せ細ったちいさな腕だったからだ。
その腕は震えながら手を伸ばしていたが、やがて力尽きると、地面へ這うようにして崩れ落ちた。
「え…………………」
路地裏の奥で、小さな少年が行き倒れていた。




