恋しい人の定義
葛葉の表情が頭から離れないまま、週末を迎えた。
寮にこもって天井に見上げながら、葛葉の声が繰り返し頭に流れてくる。
枕の横においたケータイが震えて、メールの着信を知らせた。
「―――葛葉?」
着信の名前を見ると、大村葛葉と書かれた文字。
〝荷物もちとして付き合ってくれる?駅で待ってる〟
「えっ!?」
つい、一人部屋で声を上げてしまった。
?で問いかけられているようにも見えるけど、〝駅で待ってる〟なんて、強制力が強い。
あたしは慌てて荷物をまとめて、準備を始めた。
―――考える暇もなく、あわただしくしていると、少しの間、不安から逃げられるような気がする。
あたしは身支度を整えると、すぐに家を出た。
駅に着くと、すでに待っていた葛葉は深めの帽子をかぶって立っていた。
すぐに葛葉とはわからないように顔を隠しているようだけど、すらりとした身長とほどよく引き締まった体型はモデルのようで顔が見えなくても目立っていた。
「おはよう」
葛葉があたしを見て、手を挙げた。
「あたし、ここに来てよかったのかな?」
「なんで?」
葛葉がキョトンとして、あたしを見ている。
「一応、親衛隊の隊長だし。抜け駆けしてるみたいなことになったら―――」
「大丈夫、二人で出かけるのは初めてじゃないしね」
「そうなの?」
あたしが驚いた表情を見せると、葛葉の目がなぜか輝いた。
「そっか、杏は記憶がないから、二人でのおでかけはこれが初になるんだね」
「う、ん?」
そうなのか?と疑問に思って首をかしげた。
実際はどうか別として、確かにあたしの記憶の中では葛葉との初のお出かけになる。
「もうすぐ、昼だし、ランチを食べに行こう。美味しいパスタの店を見つけておいたんだ」
葛葉は自然とあたしの手を取ると、手を繋いだ状態で歩き始めた。
「く、葛葉。これ、普通!?」
男子と手を繋いで歩くなんて体験をしていなかったから、あたしの胸はバクバクと速く鼓動している。
「葛葉とは普通に手を繋いで、お出かけしていたよ」
―――これが普通って、あたしと葛葉は一体どんな付き合い方をしていたんだ。
いやいや、もちろん恋人じゃないことはわかっている。
恋人じゃないのに、普通に手を繋いでおでかけって、何だソレ。
「トマトソースのパスタが絶品なんだ」
「トマトソース―――」
「好きでしょう?」
顔を覗き込まれて、透き通った葛葉の目がバッチリと合った。
「うん。知ってるんだ」
「知ってるよ。杏と出かけるのは初めてじゃないっていったでしょう」
「うん」
困惑して目を伏せると、葛葉の笑い声が漏れてくる。
「とにかく、今日は難しいことを考えるのはやめて。楽しもう」
葛葉の色気たっぷりの視線に押されて、あたしは否応なしに頷いた。
真っ赤なトマトパスタに、ウィンドーショッピング。
何を合わせてもモデルのように綺麗な立ち姿の葛葉は見ているだけで楽しい。
葛葉はセンスが良いのかあたしに合わせてくれる服も、それなりに様になっている。
小さな雑貨屋を冷やかしたり、アイスの乗ったクレープを食べたり。
――――――まるで、デートみたいだ
あたしは朝からずっと握られたままの手を見下ろしながら、ふと思った。
葛葉はエスコートに慣れていて、退屈なんて思うよりも前に、次から次へとあたしを案内してくれる。
あたしの視線をよく追っかけてみていて、あたしが口に出すよりも先にあたしを連れてってくれる。
記憶に残るあたしは恋人が居たことがなくて、男子と二人で出かけるなんてありえなかった。
それが、今や極上の男の子と極上のデートをしているなんて。
ちらっと葛葉を見上げると、気づいた葛葉があたしを見下ろして口元を持ち上げる。
ドキッとした。
心臓が高鳴って、恋をしているみたいだった。
こんな男子が傍に居たら誰だって、ドキドキするものだと思う。
――――――自分に言い聞かせては見るけれど、繋いだ手がじんわりと汗でにじんできた。
「どうして、あたしを誘ったの?」
葛葉は言っていた。
あたしと、葛葉は恋人じゃなくて、盟友みたいなものだと。
盟友とデートは――――――あまり、ないんじゃないかと思う。
「俺は休日に暇している女の子と遊びたかっただけだよ」
――――――それはまるで、あたしじゃなくても良いと言われたように聞こえて、胸が痛んだ。
おかしいな。
あたしは、葛葉には恋をしていない――――――と思うのに。




