好き?
翌朝。
あたしは昨日より少し早めに寮を出た。
学校へ着くと、早い時間だというのに、すでに校門前にはクズハリストたちが集まっている。
「あっ、隊長!」
「おはようございます!」
「隊長、おはようございます!」
あたしに気づいた隊員たちが、一斉に頭を下げた。
「おはよう」
昨日よりは、だいぶ慣れた。
少なくとも、いちいち後ろを振り返って『隊長って誰?』とは思わなくなった。
「おはようございます」
麻友が近づいてくる。
周囲には聞こえないよう、少し声を落とした。
「昨日は、よく眠れましたか?」
「うん。まあ、それなりに」
本当は。
あまり眠れなかった。
ベッドへ入って。
目を閉じて。
眠らなきゃと思えば思うほど、不安になった。
――次に目を覚ましたとき。
あたしの記憶は。
どうなってるんだろう。
昨日と同じように、また何かを忘れていたら?
逆に。
失った七か月を思い出して、今のあたしが消えてしまったら?
「…………」
電気を消した部屋が、やけに暗く感じた。
本当なら。
『まあ、いいか』
で済ませてしまいたい。
だけど。
昨日から、あまりにも突拍子のないことが続きすぎている。
――あたし。
根っこは。
暗くて。
真面目なんだ。
七か月くらいで。
そこまで全部。
変わったわけじゃない。
「とりあえず」
麻友が周囲を確認しながら言った。
「朝は、ここにいてくれるだけで大丈夫です」
「うん」
改めて、集まっている隊員たちを見る。
「…………」
あたしの記憶にあるクズハリストは。
葛葉を見つけるたび。
『キャーッ!』
『葛葉様ー!』
と叫ぶ、騒がしい女子集団だった。
でも。
今は違う。
人数はかなり多いのに。
意外なくらい静かだ。
「そろそろ並んでください」
「そこ、通行の邪魔にならないようにね」
「はい」
「わかりました」
何人かの女子が声をかけ。
ほかの隊員たちは素直に従って列を整えている。
「…………」
「何か?」
「いや」
一拍。
「なんか、ちゃんとしてるなって」
「それも」
麻友が笑った。
「糸崎隊長のおかげですよ」
「……あたし?」
「はい」
麻友は当然のように頷いた。
「隊長が就任してから、親衛隊に秩序が生まれたんです」
「秩序……」
「他人へ迷惑をかければ除隊になる。勝手な行動をすれば処分を受ける」
「うん」
「そういう仕組みをきちんと作ったのが、糸崎隊長です」
「…………」
また。
知らないあたしが出てきた。
「……あたし」
一拍。
「どうして、そんなことしたんだろう」
「え?」
一年間。
同じ学校にいた。
でも。
大村葛葉になんて。
まったく興味はなかった。
それなのに。
七か月後。
あたしは。
彼の親衛隊長になって。
親衛隊そのものを。
立て直している。
「…………」
しかも。
今のあたしは。
葛葉を見ても。
特別な気持ちなんて。
何も湧いてこない。
「正直に言うと」
「?」
麻友が、ふっと視線を落とした。
「私」
一拍。
「糸崎隊長と、個人的な話をしたことって、ほとんどないんです」
「……そうなの?」
「はい」
「同じクラスなのに?」
「同じクラスですけど」
麻友が少し苦笑する。
「隊長って、親衛隊の誰ともプライベートで仲がいい感じではなかったので」
「ああ……」
何となく。
納得した。
――そうだろうな。
もともとのあたしは。
透明人間。
誰かとべったり付き合うなんて。
あたしらしくない。
親衛隊長になったところで。
そこは。
変わらなかったらしい。
「だから」
麻友は言葉を選ぶように、ゆっくり続けた。
「隊長が何を考えていたのか、私も全部知っているわけじゃありません」
「うん」
「これは」
一拍。
「本当に、私個人の感想なんですけど」
「何?」
「…………」
麻友は少し迷った。
それから。
「葛葉様のことを本当に考えて」
「…………」
「葛葉様が学校で過ごしやすいようにしてくれたのは」
一拍。
「間違いなく、糸崎隊長でした」
「…………」
「それは、親衛隊のみんなが認めていると思います」
「…………」
「今では」
麻友が少し笑う。
「隊長を認めていない人なんて、一人もいません」
「そうなんだ……」
「でも」
笑顔が。
少しだけ曇った。
「私、ずっと不思議だったんです」
「何が?」
「糸崎隊長は」
一拍。
「いつも、すごく冷静だったから」
「…………」
「クズハリストって」
麻友が苦笑する。
「みんな、葛葉様のことが好きで好きで仕方ないんです」
「まあ……そうだろうね」
「だから、感情的になる」
「…………」
「それで、以前は親衛隊も荒れていました」
「うん」
「でも」
一拍。
「隊長だけは、いつも冷静だった」
「…………」
「だから」
麻友は。
少しだけ。
泣きそうな顔をした。
「こんなこと」
一拍。
「絶対に聞いちゃいけないと思ってたんですけど」
「…………」
その表情に。
あたしも。
思わず息を呑んだ。
「糸崎隊長って」
一拍。
「本当に、葛葉様のことが好きだったんですか?」
「――」
答えられなかった。
だって。
それは。
昨日から。
あたし自身も。
ずっと。
考えていることだったから。
「…………」
二人の間を。
朝の風が。
静かに通り抜けた。
そのとき。
校門付近が。
ざわめき始めた。
「葛葉様!」
「おはようございます!」
「葛葉様、おはようございます!」
「――」
黄色い声。
大村葛葉が。
やってきた。
「…………」
あたしと麻友は。
何となく。
気まずくなって。
互いに視線を逸らした。
「おはよう」
そして。
葛葉は。
あたしたちの前で。
足を止めた。
「おはようございます!」
麻友が弾んだ声で答える。
「おはようございます」
あたしも続いた。
「…………」
葛葉が。
あたしを見る。
それから。
手に持っていた鞄を。
差し出した。
「杏」
「はい?」
「これ」
一拍。
「昇降口まで持ってくれる?」
「…………」
――何で?
たいして。
重そうでもない。
「…………」
でも。
断るほうが。
かえって不自然なんだろうか。
「はい」
鞄を受け取る。
「…………」
周囲を見る。
誰も。
驚いていない。
非難の声も。
ない。
――ということは。
これ。
前にもやってたんだ。
葛葉の一歩後ろを歩く。
すると。
葛葉がちらりと振り返った。
「ねえ、杏」
「はい?」
「今日も昼休み」
一拍。
「いつもの場所でね」
「…………」
――だから。
『いつもの場所』
では。
わからないんですけど。
でも。
二人の間には。
少し距離があって。
それを説明することもできないまま。
あたしは。
黙って。
葛葉の背中を追った。
***********************
昼休み。
あたしが知っている『いつもの場所』は。
昨日の。
校舎裏の階段。
それしかない。
「…………」
――たぶん。
ここだよね。
誰もいない階段へ腰を下ろす。
今日は。
コンビニで買ったおにぎり。
一口。
頬張る。
「早かったね」
「――!」
顔を上げる。
葛葉が。
立っていた。
「……まあ」
あたしは困って視線を泳がせる。
「昼休みになったので」
「ふうん」
葛葉が。
あたしの隣へ座る。
そして。
「今日は」
一拍。
「髪、下ろしてるんだね」
「え?」
するり。
葛葉の指が。
あたしの髪へ伸びる。
「――」
指先が。
かすかに。
首筋へ触れた。
「…………っ」
胸が。
どくん。
と跳ねた。
男性が。
こんなにも。
近くにいること。
こんなふうに。
首元へ触れられること。
たぶん。
初めて。
――少なくとも。
あたしの記憶の中では。
「杏?」
「……はい」
「具合悪い?」
「え?」
葛葉が顔をしかめている。
「いつもなら」
一拍。
「俺が髪触ったら、怒るのに」
「……そうなんですか?」
「…………」
葛葉の眉間の皺が。
さらに深くなった。
「杏?」
「…………」
真っ直ぐ。
葛葉を見る。
黒い瞳。
そこには。
疑問と。
心配と。
何か。
もう一つ。
わからない感情が。
浮かんでいるように見えた。
「…………」
――この人には。
話してもいいのかな。
何故だろう。
昨日会ったばかり。
あたしにとっては。
ほとんど他人。
なのに。
妙な。
安心感がある。
信じても。
大丈夫な気がする。
「あの」
「何?」
「あたし」
一拍。
「覚えてません」
「……は?」
「四月から」
一拍。
「一昨日までのこと」
「…………」
「何一つ、覚えてないんです」
「…………」
葛葉の動きが。
止まった。
瞬きを。
一度。
二度。
「……何の冗談?」
「冗談じゃないです」
「…………」
「昨日の朝」
一拍.
「目が覚めたら、四月以降の記憶が全部なくなってました」
「…………」
「親衛隊長になったことも」
「…………」
「親衛隊を立て直したことも」
「…………」
「葛葉と仲良くなったことも」
一拍。
「何も」
「…………」
葛葉が。
小さく息を呑んだ。
「本当に?」
「うん」
「…………」
しばらく。
何も言わない。
そして。
葛葉は。
低い声で訊いた。
「俺と杏の関係は?」
「…………」
あたしは。
小さく苦笑した。
「それ」
一拍。
「一番聞きたかったことです」
「――」
葛葉の顔から。
表情が消えた。
「だって」
あたしは続ける。
「葛葉は、あたしのこと『杏』って呼ぶし」
「…………」
「こうやって、誰もいないところで二人で会ってるし」
「…………」
「ただの親衛隊長と葛葉様って関係では」
一拍。
「ないんですよね?」
「…………」
葛葉は。
しばらく。
あたしを見つめた。
それから。
「ははっ」
乾いた。
笑い。
そして。
頭を抱えた。
「葛葉様?」
「…………」
「どうしたんですか?」
「…………」
何も答えない。
「…………」
どうしたらいいかわからず。
あたしは。
そっと。
葛葉の肩へ。
手を伸ばした。
触れた瞬間。
「――」
葛葉の身体が。
びくっと震えた。
「…………」
そして。
ぽつり。
「恋人」
「え?」
葛葉が。
ゆっくり。
顔を上げる。
「秘密の」
一拍。
「恋人だった」
「――」
その目が。
真っ直ぐ。
あたしを捉えた。
次の瞬間。
差し出していた手を。
ぎゅっと。
つかまれる。
「…………」
葛葉の手。
熱い。
「葛葉様」
「杏は」
一拍。
「俺を『葛葉』って呼んでた」
「……葛葉?」
「ああ」
「…………」
「敬語も使ってない」
「…………」
「まあ」
口元だけ。
少し笑う。
「それは出会ったときからだけどね」
「あの」
「何?」
「あたし、本当に」
一拍.
「何も覚えてないんです」
「…………」
葛葉は。
あたしを見つめたまま。
ふっと。
目を細めた。
「じゃあ」
「?」
「キスしたら」
一拍。
「思い出すかな」
「――」
「眠り姫みたいにさ」
「…………」
そんな。
きざったらしい台詞を。
さらり。
と言えてしまう。
しかも。
似合っている。
――さすが。
学校一のアイドル。
「…………」
つかまれた腕。
距離が。
少しずつ。
縮まっていく。
「…………」
葛葉の顔が。
近い。
焦点が合わなくなる。
視界が。
ぼやける。
「…………」
綺麗な肌。
長い睫毛。
息が。
触れそうなくらい。
近い。
「杏」
「――」
低く。
名前を呼ばれる。
その瞬間。
身体が。
震えた。
『杏』
「――?」
耳の奥。
どこか。
遠いところから。
声がした。
『傍にいて』
「…………」
誰の声?
目の前の。
葛葉?
彼の瞳を。
見る。
「…………」
そこには。
涙なんて。
ない。
なのに。
何故か。
泣いている姿が。
重なって見えた。
「――駄目」
「――」
あたしは。
葛葉の胸へ。
手を当てた。
押し返す。
「…………」
葛葉の目が。
大きく見開かれた。
「…………」
沈黙。
重い。
静かな。
沈黙。
そして。
「……やっぱりね」
「え?」
葛葉が。
自嘲するように。
笑った。
「杏と俺は」
一拍。
「似た者同士」
「…………」
「恋人っていうより」
一拍.
「盟友とか」
「…………」
「同志とか」
あたしは。
眉を寄せた。
「何が似てるんですか?」
「それは」
葛葉が。
少し。
意地悪そうに笑う。
「杏が思い出したら?」
「…………」
――さっき。
恋人って言ったじゃん。
「でも」
葛葉は。
ふっと。
真面目な顔になった。
「別に」
一拍。
「杏が記憶をなくしてても、俺はいい」
「…………」
「何も覚えてなくても」
「…………」
「それは」
一拍.
「もう、どうでもいい」
「…………」
「ただ」
一拍.
「約束は守ってよ」
「約束?」
「ああ」
「…………」
「俺も」
一拍.
「杏との約束は、必ず守るから」
「どんな約束?」
「…………」
「それも覚えてない」
「だろうね」
「じゃあ教えてください」
「嫌だ」
「え?」
「教えない」
「どうして?」
「…………」
葛葉は。
少しだけ。
困ったように。
笑った。
「教えたりなんて」
一拍.
「できないよ」
「…………」
「それは」
葛葉が立ち上がる。
数段。
階段を下りた。
そして。
振り返って。
あたしを見上げた。
「杏が」
一拍.
「自分で思い出すべきことだから」
「…………」
「俺と杏」
一拍.
「約束さえ守れれば」
「…………」
「俺は、それでいい」
ほんの少し。
寂しそうに。
笑った。
「俺にとっては」
一拍.
「最大の譲歩なんだ」
「…………」
意味が。
わからない。
恋人だった。
いや。
似た者同士。
盟友。
同志。
約束。
最大の譲歩。
知らない言葉ばかり。
知らない七か月ばかり。
「…………」
葛葉が。
背を向ける。
その背中を見て。
ふと。
昨夜。
携帯電話で見つけた。
あの名前を。
思い出した。
「ねえ」
葛葉の足が止まる。
「あのさ」
「何?」
一拍。
「橘慎之介って」
「――」
「誰?」
「…………」
葛葉の背中が。
固まった。
「…………」
動かない。
一秒。
二秒。
三秒。
「…………」
――聞いちゃ駄目だった?
何となく。
そんな気がした。
「あ、ごめ――」
謝ろうとした。
そのとき。
葛葉が。
ゆっくり。
振り返った。
「――」
あたしは。
開きかけた口を。
閉じることも忘れた。
「…………」
葛葉の顔。
さっきまでと。
まるで。
違う。
怒っているわけでも。
笑っているわけでもない。
ただ。
今にも。
泣き出しそうだった。
「…………」
そして。
葛葉は。
あたしを見て。
ひどく。
苦しそうに。
笑った。
「……すげぇな」
「…………」
「そこだけ」
一拍。
「残ってんだ」
■女王様のお茶会■
https://cookiequeen.chu.jp/2010.queen/top.html
■NOTEにてエッセイ、制作秘話など
https://note.com/nagiho_uosawa




