↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/13

好き?

翌朝。


 あたしは昨日より少し早めに寮を出た。


 学校へ着くと、早い時間だというのに、すでに校門前にはクズハリストたちが集まっている。


「あっ、隊長!」


「おはようございます!」


「隊長、おはようございます!」


 あたしに気づいた隊員たちが、一斉に頭を下げた。


「おはよう」


 昨日よりは、だいぶ慣れた。


 少なくとも、いちいち後ろを振り返って『隊長って誰?』とは思わなくなった。


「おはようございます」


 麻友が近づいてくる。


 周囲には聞こえないよう、少し声を落とした。


「昨日は、よく眠れましたか?」


「うん。まあ、それなりに」


 本当は。


 あまり眠れなかった。


 ベッドへ入って。


 目を閉じて。


 眠らなきゃと思えば思うほど、不安になった。


――次に目を覚ましたとき。


 あたしの記憶は。


 どうなってるんだろう。


 昨日と同じように、また何かを忘れていたら?


 逆に。


 失った七か月を思い出して、今のあたしが消えてしまったら?


「…………」


 電気を消した部屋が、やけに暗く感じた。


 本当なら。


『まあ、いいか』


 で済ませてしまいたい。


 だけど。


 昨日から、あまりにも突拍子のないことが続きすぎている。


――あたし。


 根っこは。


 暗くて。


 真面目なんだ。


 七か月くらいで。


 そこまで全部。


 変わったわけじゃない。


「とりあえず」


 麻友が周囲を確認しながら言った。


「朝は、ここにいてくれるだけで大丈夫です」


「うん」


 改めて、集まっている隊員たちを見る。


「…………」


 あたしの記憶にあるクズハリストは。


 葛葉を見つけるたび。


『キャーッ!』


『葛葉様ー!』


 と叫ぶ、騒がしい女子集団だった。


 でも。


 今は違う。


 人数はかなり多いのに。


 意外なくらい静かだ。


「そろそろ並んでください」


「そこ、通行の邪魔にならないようにね」


「はい」


「わかりました」


 何人かの女子が声をかけ。


 ほかの隊員たちは素直に従って列を整えている。


「…………」


「何か?」


「いや」


 一拍。


「なんか、ちゃんとしてるなって」


「それも」


 麻友が笑った。


「糸崎隊長のおかげですよ」


「……あたし?」


「はい」


 麻友は当然のように頷いた。


「隊長が就任してから、親衛隊に秩序が生まれたんです」


「秩序……」


「他人へ迷惑をかければ除隊になる。勝手な行動をすれば処分を受ける」


「うん」


「そういう仕組みをきちんと作ったのが、糸崎隊長です」


「…………」


 また。


 知らないあたしが出てきた。


「……あたし」


 一拍。


「どうして、そんなことしたんだろう」


「え?」


 一年間。


 同じ学校にいた。


 でも。


 大村葛葉になんて。


 まったく興味はなかった。


 それなのに。


 七か月後。


 あたしは。


 彼の親衛隊長になって。


 親衛隊そのものを。


 立て直している。


「…………」


 しかも。


 今のあたしは。


 葛葉を見ても。


 特別な気持ちなんて。


 何も湧いてこない。


「正直に言うと」


「?」


 麻友が、ふっと視線を落とした。


「私」


 一拍。


「糸崎隊長と、個人的な話をしたことって、ほとんどないんです」


「……そうなの?」


「はい」


「同じクラスなのに?」


「同じクラスですけど」


 麻友が少し苦笑する。


「隊長って、親衛隊の誰ともプライベートで仲がいい感じではなかったので」


「ああ……」


 何となく。


 納得した。


――そうだろうな。


 もともとのあたしは。


 透明人間。


 誰かとべったり付き合うなんて。


 あたしらしくない。


 親衛隊長になったところで。


 そこは。


 変わらなかったらしい。


「だから」


 麻友は言葉を選ぶように、ゆっくり続けた。


「隊長が何を考えていたのか、私も全部知っているわけじゃありません」


「うん」


「これは」


 一拍。


「本当に、私個人の感想なんですけど」


「何?」


「…………」


 麻友は少し迷った。


 それから。


「葛葉様のことを本当に考えて」


「…………」


「葛葉様が学校で過ごしやすいようにしてくれたのは」


 一拍。


「間違いなく、糸崎隊長でした」


「…………」


「それは、親衛隊のみんなが認めていると思います」


「…………」


「今では」


 麻友が少し笑う。


「隊長を認めていない人なんて、一人もいません」


「そうなんだ……」


「でも」


 笑顔が。


 少しだけ曇った。


「私、ずっと不思議だったんです」


「何が?」


「糸崎隊長は」


 一拍。


「いつも、すごく冷静だったから」


「…………」


「クズハリストって」


 麻友が苦笑する。


「みんな、葛葉様のことが好きで好きで仕方ないんです」


「まあ……そうだろうね」


「だから、感情的になる」


「…………」


「それで、以前は親衛隊も荒れていました」


「うん」


「でも」


 一拍。


「隊長だけは、いつも冷静だった」


「…………」


「だから」


 麻友は。


 少しだけ。


 泣きそうな顔をした。


「こんなこと」


 一拍。


「絶対に聞いちゃいけないと思ってたんですけど」


「…………」


 その表情に。


 あたしも。


 思わず息を呑んだ。


「糸崎隊長って」


 一拍。


「本当に、葛葉様のことが好きだったんですか?」


「――」


 答えられなかった。


 だって。


 それは。


 昨日から。


 あたし自身も。


 ずっと。


 考えていることだったから。


「…………」


 二人の間を。


 朝の風が。


 静かに通り抜けた。


 そのとき。


 校門付近が。


 ざわめき始めた。


「葛葉様!」


「おはようございます!」


「葛葉様、おはようございます!」


「――」


 黄色い声。


 大村葛葉が。


 やってきた。


「…………」


 あたしと麻友は。


 何となく。


 気まずくなって。


 互いに視線を逸らした。


「おはよう」


 そして。


 葛葉は。


 あたしたちの前で。


 足を止めた。


「おはようございます!」


 麻友が弾んだ声で答える。


「おはようございます」


 あたしも続いた。


「…………」


 葛葉が。


 あたしを見る。


 それから。


 手に持っていた鞄を。


 差し出した。


「杏」


「はい?」


「これ」


 一拍。


「昇降口まで持ってくれる?」


「…………」


――何で?


 たいして。


 重そうでもない。


「…………」


 でも。


 断るほうが。


 かえって不自然なんだろうか。


「はい」


 鞄を受け取る。


「…………」


 周囲を見る。


 誰も。


 驚いていない。


 非難の声も。


 ない。


――ということは。


 これ。


 前にもやってたんだ。


 葛葉の一歩後ろを歩く。


 すると。


 葛葉がちらりと振り返った。


「ねえ、杏」


「はい?」


「今日も昼休み」


 一拍。


「いつもの場所でね」


「…………」


――だから。


『いつもの場所』


 では。


 わからないんですけど。


 でも。


 二人の間には。


 少し距離があって。


 それを説明することもできないまま。


 あたしは。


 黙って。


 葛葉の背中を追った。


***********************


 昼休み。


 あたしが知っている『いつもの場所』は。


 昨日の。


 校舎裏の階段。


 それしかない。


「…………」


――たぶん。


 ここだよね。


 誰もいない階段へ腰を下ろす。


 今日は。


 コンビニで買ったおにぎり。


 一口。


 頬張る。


「早かったね」


「――!」


 顔を上げる。


 葛葉が。


 立っていた。


「……まあ」


 あたしは困って視線を泳がせる。


「昼休みになったので」


「ふうん」


 葛葉が。


 あたしの隣へ座る。


 そして。


「今日は」


 一拍。


「髪、下ろしてるんだね」


「え?」


 するり。


 葛葉の指が。


 あたしの髪へ伸びる。


「――」


 指先が。


 かすかに。


 首筋へ触れた。


「…………っ」


 胸が。


 どくん。


 と跳ねた。


 男性が。


 こんなにも。


 近くにいること。


 こんなふうに。


 首元へ触れられること。


 たぶん。


 初めて。


――少なくとも。


 あたしの記憶の中では。


「杏?」


「……はい」


「具合悪い?」


「え?」


 葛葉が顔をしかめている。


「いつもなら」


 一拍。


「俺が髪触ったら、怒るのに」


「……そうなんですか?」


「…………」


 葛葉の眉間の皺が。


 さらに深くなった。


「杏?」


「…………」


 真っ直ぐ。


 葛葉を見る。


 黒い瞳。


 そこには。


 疑問と。


 心配と。


 何か。


 もう一つ。


 わからない感情が。


 浮かんでいるように見えた。


「…………」


――この人には。


 話してもいいのかな。


 何故だろう。


 昨日会ったばかり。


 あたしにとっては。


 ほとんど他人。


 なのに。


 妙な。


 安心感がある。


 信じても。


 大丈夫な気がする。


「あの」


「何?」


「あたし」


 一拍。


「覚えてません」


「……は?」


「四月から」


 一拍。


「一昨日までのこと」


「…………」


「何一つ、覚えてないんです」


「…………」


 葛葉の動きが。


 止まった。


 瞬きを。


 一度。


 二度。


「……何の冗談?」


「冗談じゃないです」


「…………」


「昨日の朝」


 一拍.


「目が覚めたら、四月以降の記憶が全部なくなってました」


「…………」


「親衛隊長になったことも」


「…………」


「親衛隊を立て直したことも」


「…………」


「葛葉と仲良くなったことも」


 一拍。


「何も」


「…………」


 葛葉が。


 小さく息を呑んだ。


「本当に?」


「うん」


「…………」


 しばらく。


 何も言わない。


 そして。


 葛葉は。


 低い声で訊いた。


「俺と杏の関係は?」


「…………」


 あたしは。


 小さく苦笑した。


「それ」


 一拍。


「一番聞きたかったことです」


「――」


 葛葉の顔から。


 表情が消えた。


「だって」


 あたしは続ける。


「葛葉は、あたしのこと『杏』って呼ぶし」


「…………」


「こうやって、誰もいないところで二人で会ってるし」


「…………」


「ただの親衛隊長と葛葉様って関係では」


 一拍。


「ないんですよね?」


「…………」


 葛葉は。


 しばらく。


 あたしを見つめた。


 それから。


「ははっ」


 乾いた。


 笑い。


 そして。


 頭を抱えた。


「葛葉様?」


「…………」


「どうしたんですか?」


「…………」


 何も答えない。


「…………」


 どうしたらいいかわからず。


 あたしは。


 そっと。


 葛葉の肩へ。


 手を伸ばした。


 触れた瞬間。


「――」


 葛葉の身体が。


 びくっと震えた。


「…………」


 そして。


 ぽつり。


「恋人」


「え?」


 葛葉が。


 ゆっくり。


 顔を上げる。


「秘密の」


 一拍。


「恋人だった」


「――」


 その目が。


 真っ直ぐ。


 あたしを捉えた。


 次の瞬間。


 差し出していた手を。


 ぎゅっと。


 つかまれる。


「…………」


 葛葉の手。


 熱い。


「葛葉様」


「杏は」


 一拍。


「俺を『葛葉』って呼んでた」


「……葛葉?」


「ああ」


「…………」


「敬語も使ってない」


「…………」


「まあ」


 口元だけ。


 少し笑う。


「それは出会ったときからだけどね」


「あの」


「何?」


「あたし、本当に」


 一拍.


「何も覚えてないんです」


「…………」


 葛葉は。


 あたしを見つめたまま。


 ふっと。


 目を細めた。


「じゃあ」


「?」


「キスしたら」


 一拍。


「思い出すかな」


「――」


「眠り姫みたいにさ」


「…………」


 そんな。


 きざったらしい台詞を。


 さらり。


 と言えてしまう。


 しかも。


 似合っている。


――さすが。


 学校一のアイドル。


「…………」


 つかまれた腕。


 距離が。


 少しずつ。


 縮まっていく。


「…………」


 葛葉の顔が。


 近い。


 焦点が合わなくなる。


 視界が。


 ぼやける。


「…………」


 綺麗な肌。


 長い睫毛。


 息が。


 触れそうなくらい。


 近い。


「杏」


「――」


 低く。


 名前を呼ばれる。


 その瞬間。


 身体が。


 震えた。


『杏』


「――?」


 耳の奥。


 どこか。


 遠いところから。


 声がした。


『傍にいて』


「…………」


 誰の声?


 目の前の。


 葛葉?


 彼の瞳を。


 見る。


「…………」


 そこには。


 涙なんて。


 ない。


 なのに。


 何故か。


 泣いている姿が。


 重なって見えた。


「――駄目」


「――」


 あたしは。


 葛葉の胸へ。


 手を当てた。


 押し返す。


「…………」


 葛葉の目が。


 大きく見開かれた。


「…………」


 沈黙。


 重い。


 静かな。


 沈黙。


 そして。


「……やっぱりね」


「え?」


 葛葉が。


 自嘲するように。


 笑った。


「杏と俺は」


 一拍。


「似た者同士」


「…………」


「恋人っていうより」


 一拍.


「盟友とか」


「…………」


「同志とか」


 あたしは。


 眉を寄せた。


「何が似てるんですか?」


「それは」


 葛葉が。


 少し。


 意地悪そうに笑う。


「杏が思い出したら?」


「…………」


――さっき。


 恋人って言ったじゃん。


「でも」


 葛葉は。


 ふっと。


 真面目な顔になった。


「別に」


 一拍。


「杏が記憶をなくしてても、俺はいい」


「…………」


「何も覚えてなくても」


「…………」


「それは」


 一拍.


「もう、どうでもいい」


「…………」


「ただ」


 一拍.


「約束は守ってよ」


「約束?」


「ああ」


「…………」


「俺も」


 一拍.


「杏との約束は、必ず守るから」


「どんな約束?」


「…………」


「それも覚えてない」


「だろうね」


「じゃあ教えてください」


「嫌だ」


「え?」


「教えない」


「どうして?」


「…………」


 葛葉は。


 少しだけ。


 困ったように。


 笑った。


「教えたりなんて」


 一拍.


「できないよ」


「…………」


「それは」


 葛葉が立ち上がる。


 数段。


 階段を下りた。


 そして。


 振り返って。


 あたしを見上げた。


「杏が」


 一拍.


「自分で思い出すべきことだから」


「…………」


「俺と杏」


 一拍.


「約束さえ守れれば」


「…………」


「俺は、それでいい」


 ほんの少し。


 寂しそうに。


 笑った。


「俺にとっては」


 一拍.


「最大の譲歩なんだ」


「…………」


 意味が。


 わからない。


 恋人だった。


 いや。


 似た者同士。


 盟友。


 同志。


 約束。


 最大の譲歩。


 知らない言葉ばかり。


 知らない七か月ばかり。


「…………」


 葛葉が。


 背を向ける。


 その背中を見て。


 ふと。


 昨夜。


 携帯電話で見つけた。


 あの名前を。


 思い出した。


「ねえ」


 葛葉の足が止まる。


「あのさ」


「何?」


 一拍。


「橘慎之介って」


「――」


「誰?」


「…………」


 葛葉の背中が。


 固まった。


「…………」


 動かない。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


「…………」


――聞いちゃ駄目だった?


 何となく。


 そんな気がした。


「あ、ごめ――」


 謝ろうとした。


 そのとき。


 葛葉が。


 ゆっくり。


 振り返った。


「――」


 あたしは。


 開きかけた口を。


 閉じることも忘れた。


「…………」


 葛葉の顔。


 さっきまでと。


 まるで。


 違う。


 怒っているわけでも。


 笑っているわけでもない。


 ただ。


 今にも。


 泣き出しそうだった。


「…………」


 そして。


 葛葉は。


 あたしを見て。


 ひどく。


 苦しそうに。


 笑った。


「……すげぇな」


「…………」


「そこだけ」


 一拍。


「残ってんだ」

■女王様のお茶会■

https://cookiequeen.chu.jp/2010.queen/top.html


■NOTEにてエッセイ、制作秘話など

https://note.com/nagiho_uosawa

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。