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記憶の裏のアイドル

ある朝、起きたら、見慣れない部屋で目が覚めた。





「あたし―――?」










よくある小説の中の出来事のように、「隣に誰かが寝てた」というわけではない。





部屋の造りは見たことのあるもので、ベッドや備え付けの家具は使い慣れたものだった。





けれど、見回す限りに張られたポスターや写真はあたしの記憶にないものばかり。










あたしはもう一度、夢から覚めないか、目を擦った。




















あたしは、糸崎 杏。





全寮制の高校に入学し、ひっそりと一年目を終えた。





特定の友人も作らず、クラスにいるかいないかもわからない、透明人間のように過ごした。





あたしの最後の記憶からすると、今日は2年1学期の始業式だ。










だけど、あたしのケータイは11月3日を示していて、準備されている制服も冬服だ。





もしかしたら、あたし7ヶ月間の記憶がすっぽり抜けているのだろうか。










記憶喪失なんて、たいそうなものになるほど何かあったのだろうか?










「困ったなぁ―――」とつぶやきながらも、それほど困った事態なのかよくわからない。





透明人間の7ヶ月なんて、毎日同じことの繰り返しだろう。










混乱してはいるものの、机の置時計を見て「まぁ、学校行くか」と身支度を始めた。










「あっ、隊長! おはようございます!」





〝隊長〟と、なぜかあたしに向かって呼びかけられた。





隊長と呼ばれる見に覚えがないあたしは、首をかしげて背後を見た。





見えるところにはあたし以外、いないようだ。





不気味に思って、こそこそと校門をくぐっていくと、いたるところから「隊長、おはようございます」と軍隊のように声をかけて頭を下げられる。










「あっ、糸崎隊長! 遅いですよ! もうすぐ、葛葉様が来ちゃいますよ!」





駆け寄ってきたのは、クズハリストのはっぴを着た同級生だ。





顔は見たことがあるけれど、話すのは初めて―――だよね?










「えぇと―――」とオロオロしていると、はっぴ少女に腕を引っ張られて、クズハリストの集団の前に連れ出された。










―――間違いなく、クズハリストたちだ。





大村おおむら 葛葉くずは





あたしの一学年上の先輩だから、今は3年生のはずだ。





彼は彫りの深いハーフ顔だが、ハーフではなく、純粋な日本人の血でできたらしい。





高校生とは思えない色気があり、唇をちょっと持ち上げただけで女子の悲鳴が上がるほどの美形だった。





杏が入学したときにはすでに〝クズハリスト〟という言葉が定着して、親衛隊が作られていた。










1.むやみに葛葉様に近寄らない。





2.葛葉様に近づくときは親衛隊を通すこと










クズハリストの掟は36か条にも及ぶらしいが、一般の生徒は1.2だけ守っていれば平和な生活を送ることができた。





透明人間として存在してきた杏はもちろん、クズハリストとは何の関係もないはずだ。










―――はずなんだけど。










杏は今日、目が覚めたとき、自分の部屋に処狭しと飾られた大村葛葉の写真やポスターを思い出した。





自分の部屋が自分の部屋ではないように思えたのは、彼の写真やポスターのせいだった。










―――7ヶ月間のあたし、何をしたんだ!?










クズハリストを目の前にあたしは、息を呑んだ。










「隊長、本日のご挨拶を」





はっぴ少女が、あたしに〝挨拶〟を強要してくるけれど、あたしはどうしてよいかわからない。





ちょっと血走った目を持つ女学生たちが、あたしを真剣な眼差しで見つめている。










記憶がなくて―――と言い出せる空気ではなくて、「お、おはようございます」と無難な挨拶をしてみた。





すると、「おはようございます!!」と、どこの軍隊か!?と突っ込みを入れたいほどの勢いで大量の声が返ってくる。










「今日も頑張りましょう」





当たり障りのないことを言ってみると、クズハリストたちはあたしの様子に突っ込むこともなく「はい」と行儀の良い返事をした。










「今日はずいぶん、あっさりとした挨拶でしたね」





はっぴ少女は責めるわけではないが、驚いた様子であたしを見ていた。





「―――いつもはどんな感じでした?」





「いつもなら、葛葉様の見所をたっぷりと語られたあと、本日の意気込みと気合を表現されていました」





さらりと、答えたはっぴ少女の言葉に、ブルッと寒気がした。





7ヶ月間のあたし、何をしてたんだ!?










「今日のように隊員に自ら考えさせることも、必要ですね。さすがは隊長です」





「あっ、いや。そんな立派な考えでは―――」





心酔しているようにキラキラとした目を向けてくるはっぴ少女を止めようとしたその時。





キャーッと地響きすらしそうなほどの歓声が上がった。





パッと見ると、大村葛葉が校門をくぐったところだった。










「隊長! 行きましょう!」





はっぴ少女に背中を押されて、あたしはクズハリストの前に立つ。





近づいてくる大村葛葉が、ゆっくりと顔を上げて、あたしを視界に入れた。










「おはよう。今日も朝から、大変だね」





葛葉が足を止めて、あたしに声をかけた。





あたしはビクッと体を震わせた。





一年生の間は遠くから見ているだけど、彼との接点はまったくなかったはずだ。





7ヶ月間、何があったか知らないが、どうやらあたしは葛葉が自然と声をかける関係になってしまったようだ。










「お、おはようございます」





オドオドと頭を下げると、葛葉は軽く眉間にしわ寄せた。





何かを口にしようと、薄く開いた唇はすぐに、閉じて、すぐにあたしを視界からはずしてしまう。





あたしの背後のクズハリストにも「おはよう」と律儀に挨拶をした葛葉は、スタスタと校舎に消えていった。










「やっぱり、カッコいいですね。葛葉様―――」





うっとりとした声でつぶやくはっぴ少女に、あたしはクルリと向きを変えると言った。










「あたしの教室ってどこですか?」










「はい?」





はっぴ少女はキョトンとして、口をあんぐりとあけた。

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