チュンチュンと囀り。朝チュン。
六章:両親が期待した“理想の長男”は娘になって彼氏を紹介しに帰還。~育て方を後悔したってもう遅い。
チュンチュンと囀り。朝チュン。
いつの間にか開けていた窓から朝の涼しい風が吹き込み、薄いカーテンが波のように揺れた。
陽光が差し込み、淡く白い部屋の空気を金色に染めていく。
そんな爽やかな一日の始まりに起こされて、ぼんやりと眼を開ける。
ぼやけた視界。柔らかな甘い匂いに惹かれるように視線を落とすと、隣でエルクロが無防備に眠っていた。
「すぅ……すぅ……」
小さく呼吸する胸は浅く薄い。白いシーツに埋もれるようにして、肩口から覗く肌が朝の光を受けて淡く輝いていた。
黒く長い髪が枕に流れ落ち、根元から毛先にかけて桃色の光が混じっている。
エルクロが魔力を溜めたときだけ現れる鮮やかな色彩が、いままでに見たこともないぐらい鮮やかに、色濃く残っていた。
「…………」
夜の間に何度も見た、熱に揺らめく色を前に、無自覚に唾を飲み込む。
小さな口から微かに牙が覗いた。吸血鬼としての証。口元は僅かに血の色に濡れている。……昨夜何度も咬まれて吸血された所為だ。
今は穏やかに眠る横顔の一部になっていていたが、可愛らしい表情に隠されていた獰猛さ? 狂暴さ? が見え隠れしている。
腕にしがみついたままエルクロはまだ眠っていた。
夜の熱が嘘のように静まり返った部屋の中で、抱きしめられた腕だけが未だ熱と重さを帯びている。
「…………」
言葉が出なかった。
後悔? いや違う。〜後悔したってもう遅い。
今更責任が怖くなった? ……そうかもしれない。
――自己嫌悪。
みっともない自己嫌悪と途方もない満足感と多幸感と落ち着きと……とにかくいろんなものが混ざって。
夢の残滓に漂うような感覚は、現実に切り替わりつつあった。
外では街が目を覚まし始めている。遠くのざわめきが窓越しに届き、馬車の車輪が石畳を叩く音が響いていく。
だというのに、この部屋だけは時間の流れがまだ止まっていた。
シーツは複雑に皺が昨夜の時間を鮮明に思い出させる。
床にはデートの時に着ていたワンピースが、下着と一緒に脱ぎ捨てられて、絡まり合って落ちていた。
カーテンの隙間から入り込む光が、エルクロの頬を撫でる。わずかに眉が動き、唇がかすかに震えた。
――――本当にこんな行動をしてよかったのか?
弱みに付け込んでないか?
エルクロの穏やかな表情に反して、心は穏やかではなかった。
焦燥のように自己嫌悪がさらに勢いを増していたとき、クイとちいさく腕を引っ張られた。
「ふふ……おはよう。親友でもあるがゆえに、少し恥ずかしいね」
穏やかな笑みなのに妖しく蠱惑的だった。
華奢な指先がくすぐるように、俺の腕を撫でて、筋肉の筋に沿っていく。
「…………っ」
「そうだ。君も恥ずかしがりたまえ。ボクだけでは不公平だからねぇ。……ふふ、この恥ずかしさは男だったからかね? それとも女は皆こうなのだろうか……。まぁどっちでもいいがね。ボクはボクだ。それよりも――――」
ぐいと、顔が近づく。真っ赤な瞳が俺の目を映すぐらい近づいて、目と鼻の距離になって、口元が触れる。
――――。
時間が止まるみたいだったのは俺だけだった。エルクロはむしろ開き直るようにケラケラと嘲っていた。
「君のさっきの表情は気に食わんな。まさか後悔しているのかね? 酒の勢いもない素面での行為に」
「…………弱みに付け込んだ気がします」
「いいじゃないか。ボクはつけこまれたかった。それで終わりだ。むしろボクらの仲なら自慢すべきだ。一晩の仲ではなく、きちんと美少女と一夜を過ごしたとね」
エルクロは隠す様子もなく体を起こして、励ますみたいに背をべしべしと叩いた。
「そしたらボクはきっと、おめでとうというか、殺すと言うだろう。ついでに美少女扱いで満足できる。悩むのは君らしくもあるが、らしくないぞ」
「……そうですね。失礼しました」
「うん。とても失礼だったな。ボクがすこーし煽ったことをまだ根に持ってすごく乱暴だった。まるで狼だった。覚えているかね?」
素面だったんだ。忘れるわけもない。
「……思い出すと良くない気がします」
「良くないとは? まだ朝早いし、時間はあるかと思うのだが」
甘い囁きが耳元を撫でる。窓から覗く日差しはもうとっくに眩しくなりつつあったのに。
視線を逸らそうとしても、頬に触れた指先が逃がさない。
たじろぐように身を引くと、むしろエルクロは乗りかかってくる。
朝の光がエルクロの髪を透かして、黒と桃の層がゆらめていた。
「あーーー……まぁ君がいやというのなら仕方ないがね?」
エルクロは牙を見せて笑うと、薄く微笑む唇の端に残る血の色を、人差し指で拭い、口紅のように滑らせた。
体を起こした拍子にシーツが滑り落ちる。
肩から鎖骨のあたりまで光が差し込んで、淡い陰影が肌を撫でた。
彼女の輪郭を静かに際立たせていく。
…………外の世界など知ったことではなかった。
エルクロの赤い瞳が、わずかに細められる。
笑みの奥で何かを見透かすような、捕食者の視線と向き合った。
「……狼と吸血鬼は相性がいいと思いませんか?」
「悪くない言葉ではないか。これが月夜ならなお良かったが、朝というのも退廃的だろうね?」
……窓を閉じ直した。




