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月下のラビリンス  作者: わたしです
血染めの死門
9/22

大海原で船は帆を張る

 太陽が熱く照り付ける青い空、雄大に何処までも続く蒼い海。

 大自然に囲まれて、新月こよみは絶賛命の危機に瀕していた。


 その理由は簡単で、きっと自然というのを少しばかり舐めすぎていたのだろう。

 航海二日目にして嵐と言うほどでもないが天候が荒れ、呆気なく小船はひっくり返った。


 流される小船と新月を必死に繋いだアディアナのお陰で、今彼は小船で寝そべって天を仰いでいるが、残念ながらオールも果実も全てが海の彼方へ沈んでしまう。


 それから丸一日、飲まず食わずで太陽に蒸し焼きにされ続けた新月は迫るタイムリミットを感じていた。


 新月は波に揺られる小船に乗って当てもなく大海原を彷徨っている。

 棺桶と化した小船の上で頭を巡らせて解決策を探った新月は、今はもうどうする事も出来ないと結論を出し目を瞑って横になる。


 動くとすれば夜。星を見れば大体の方角が分かりますというアディアナの案内に従って、まだ見ぬ大陸を目指すより可能性のある元いた島へと戻るべきだ。


 オールはないが手なり足なり、何とかして小船を動かし来た道を戻る。

 昼間は太陽の光に少しでも体力を削られないようにするのがベストだろう。

 だから新月は横になり、瞼を閉じてゆっくりと潜水するように意識を静めていき。


「あーむ。うん、美味い」


 ――真っ白な世界でベッドに横になりながらケーキでもぱくつく事にした。


「余裕ですね、余裕綽々ですね。割と絶望的な状況だと思うのだけれど」

「パニックになるよりよっぽどマシだろう。コーヒー貰える?」

「どうぞ。けれど、ここでどれほど飲食しようが、お腹が膨れる事はありませんよ?」

「分かってる、食べた気になるだけでも良いさ。今はどうせ暇だしな」


 コーヒーを啜り残しておいたイチゴを口に放る。

 決してお腹は膨れないが味は絶品、至福の表情で次はチョコレートケーキを頼む。


 食べても食べても太らないとは、一部、いや全ての人にとっては夢のような世界なのではないだろうか。


「本当に大丈夫? 自暴自棄になった訳ではないですよね?」


 不安そうな表情でそわそわと落ち着きなく聞いてくるアディアナに、新月はフォークを握っていた手を顎に当てて考える。


 確かに今の状況は不味い、食糧も水もなく、棺桶に揺られて海を漂流。

 考えれば考えるほど絶望しそうな現状に、しかし不思議と新月の気持ちは落ち着いていた。

 彼女の言うように自暴自棄にも楽観視している訳でもない。

 そう言う成れば。


「まだあわてるような時間じゃない」

「少しは慌てるべきだと思うのだけど」


 アディアナは肩をすくめて紅茶のカップを傾ける。

 確かに少しは慌てるべきなのかもしれないが、新月は視線を向けた拳を開閉させ、俯くように考え込む。


 この身体はとても高性能だ。これからさらに伸びるのか、ここらで頭打ちかは分からないが、実に頼もしい事限りない。


「大丈夫だ。慌てたってしょうがない、まだまだ余裕がある。だろ?」


 一度死の淵に触れたからこそ分かる、「限界」とはこんなレベルではない。


「それは、そうだけれど……」


 頬を膨らませて小さな口にケーキを運びながら彼女は諦めたような表情で目尻を下げる。

 チョコレートケーキもぺろりと食べきり、湯気の立つホットコーヒーに舌鼓を打ちつつ、新月はメニュー表を嬉々と眺めながらベッドから降りて椅子に腰を下ろした。


 この空間にいる間は身体の方は寝ているのと同じ状態になるらしく、精神にだけ疲れが積み重なっていくという。


 その疲れもこうしてゆったりと過ごしていれば精々が少し夜更かしした程度の疲れ。

 真っ白な空間に様々な身体を休める家具が並び、のんびりとした空気の中で時折言葉を交わしながら日が落ちるまでの時間を潰す。


「――――」


 すっかり肩の力を抜いて紅茶を傾けていたアディアナは、ふと何かに気付いたように顔を上げた。

 どこかほっとしたような表情で中空をぼんやりと睨む彼女の姿に、新月はバリバリと快音を立てて砕いた煎餅を飲み込んでお茶を啜る。


「ふぅ。どうした、また天候荒れ始めた?」


 こうしてのんびり出来るのも外をアディアナが見張っているからだ。

 様子がおかしい事から直ぐに何かあったのだろうと立ち上がり、軽いストレッチをしながら目覚める準備を始める。


「いえいえ、大丈夫。多分、悪い事ではないと思うけれど」


 そう言う彼女の表情には少しだけ心配そうな色が見える。


「どういう事だよ」

「見た方が早いかと」


 本当に危機的状況だとすれば、こんなあやふやな言い方はしない筈だ。

 ならば悩む必要はない、目を閉じて水面へ大きく浮上するように肉体が眠りから目覚める。


 ぐっ、と大きく目を開ければ照りつける日の光は西の空に沈みかけ、オレンジ色に染め上がった鮮やかな夕焼けが目に入った。


 綺麗だなと異世界に来ても変わらない美しい光景に何時もの如く息を吐く。残念ながら今は感嘆に浸る余裕はなく、新月は上半身を起こして朱色の水平線へと視線を向けた。


 遮るものは何もなくただ漠然と広がる大海原に、しかし今は影が一つ。

 遠目で見えたそれは、島や大陸などより遥かに小さいものだ。


 それなりに距離が開いている影が一体何なのか、新月は一目で分かった。

 あれは船だ、日の沈む方角へ向けて帆を張る一隻の船が、夕暮れのオレンジの中で黒い影となって突き進む。


 アディアナの言葉を濁した意味は直ぐに察せられた。

 この遭難中に、いや例え遭難中でなくとも、人に会えるというのは現在の目的であり喜ばしい事だ。

 

 だが彼らが果たして善人か、それは分からない。故にあの表情で、悩むような仕草だったのだろう。

 不安な気持ちはある、だが念願の人間とのご対面だ。それ以上に期待がある。

 立ち上がり両手を大きく振って大声で叫んだ。


「おーい! くそ、これ聞こえんのかな」

「頑張って、きっと声は届きますよ」


 声援を受け声を張り続ける新月は、ふと脳裏を過ぎる当然の疑問に動きを止める。


「あっ、つーか言葉通じんのかな?」


 地球では国が違うだけで言語が変わった。ここは世界そのものが違うのだ、日本語が通じる方がおかしい。

 しかしアディアナは首を振って、


「大丈夫でしょう。私とこよみはしっかり言葉を交わす事が出来ていますから、バベルは無事のようです」

「バベル?」

「ええ、昔神々が言葉が通じないのは不便だという事から作り出した、全ての言語を統一する塔です」

「そりゃまた凄いけど……。なんというか、壊れそうな名前だ」

「そうですか? それよりこよみ、私は姿を隠します。この見た目に対して、彼らがどういった反応を返すか分かりませんから」


 黒い人型のアディアナは肩を竦める。

 神々が居ない以上、彼女のような存在が別にいるとも考えられず、黒い影がゆらゆらと立ち上がったような見た目は確かに相手の警戒を誘うだろう。


「そりゃそうだけど……」


 もごもごと口を動かして横目で彼女の姿を盗み見る。


「大丈夫、頭の中で私に呼びかけるように話してください。そうすれば会話は可能です。姿が見えないだけですよ」

「ん、そう、ならいんだけどさ」


 胸中の不安を見透かされた新月は気恥ずかしそうに頬を掻きながらそっぽを向いた。

 鈴の音のような声でコロコロと笑い、彼女の姿が空中に解けるように消えていく。


 もし聞かずに今の光景を目にしていたら本当に消えてしまったのだと錯覚するような心臓に悪い光景に、新月は額に手を当てて脳裏で呟くように語り掛けた。


《あーあー、聞こえてる?》

《大丈夫、聞こえていますよ》

《おお、凄いなこれ》


 脳裏に聞こえる声は響くように木霊し、かといって煩いという程大きな声な訳ではない。何度か精神世界にお邪魔しているものの、今ほどアディアナが自分の中にいるという事を実感した事はなかった。


 奇妙な感覚に新月は驚きながらも、再び両手を掲げて助けを求める声を上げる。


「おーい! ここだ、助けてくれっ。おーい!」


 必死に叫ぶものの願ったような反応は中々返ってこない。

 駄目かと諦めが心を過ぎった時、見据える船がこちらへ向けて大きく舵をきり方向を変えたのが分かった。


 段々と大きくなる船影に思わずガッツポーズをして喜色を浮かべる。

 夕日をバックに波を立てる帆船は、見る者を圧倒する巨大なガレオン船。

 木造のずんぐりとした外観を見るに、地球程文明が発展している訳ではなさそうだ。

 異世界らしいと感想を零し、近付くにつれて揺れる小船にしゃがみ込んで縁を掴む。


 横に付ける様に船が並び、飛沫を顔に受けながら上を向いた。

 間もなくデッキからひょっこりと人影が顔を覗かせる。


 顎鬚をたっぷり蓄えた強面を予想していた新月の想像とは裏腹に、現れたのは随分と若い金髪の男。

 どこか凛とした印象を与える整った容姿の男は、口角を上げて笑みを零しながら言葉を投げかけた。


「やあ、お困り事かい?」

「えっ。あ、ああ」


 フレンドリーな対応に少し面食らいながらも新月は頷いて、


「助けて欲しい。見ての通り、遭難中だ。食糧も水もない、良ければ近くの港まで乗せてってくれ」

「遭難中ねぇ……」


 彼は新月の言葉を転がすように顎に手を当てて真紅の双眸を細めさせる。

 投げかけてくる視線はどこか品定めをするような色を含み、居心地の悪さを感じて新月は肩を竦めた。


 その視線も仕方がないのかもしれない。

 何せ彼から見たら新月は間違いなく怪しいのだ、初対面の人間に突然助けを求められて二つ返事で了承する人はとても少ないだろう。


「乗せるのが無理ってんなら、食糧と水を分けるてくれるだけでもいい。頼む、お願いだ」

「ん? いやいや、見捨てるなんて真似しないさ。ちょっと待ってなよ」


 ぱちぱちと目を瞬かせて表情が変わる。

 探るような視線は影を潜めて人の良さそうな笑みを浮かべた青年は、顔を引っ込めて駆け足で遠ざかる音が聞こえた。


 見捨てられるという最悪の展開を想像していた新月の予想を裏切り、どうやら彼は助けてくれるようだ。次第にざわつき始めたデッキに視線を向けて続けて間もなく、再びひょっこりと、しかし先ほどの金髪の男とは別の男が顔を出す。


 茶髪に軽薄そうな笑みを浮かべた彼は、小船の上で見上げる新月を見取ると、大きく腕を振って何かを放り投げた。


「ほうらよっと、使いな」


 船壁にぶつかり波打ちながら海面まで垂らされたのは、荒縄で組まれた梯子。使い込まれた様子の縄梯子を軽く手で引いてみると、がっちりと見た目以上に丈夫そうな印象を受けた。


「助かる」


 助けてもらえるようだとほっと息を吐き出しながら梯子を握る手に力を込める。

 腕力だけで梯子を登りきり、息一つ乱す事無くデッキの上に両足を付けた。


 茶髪の青年は二十台後半ぐらいか、新月よりも身長は高く180cmは超えていそうだ。

 細身の白シャツを着たラフな格好ながら薄らと筋肉質な体躯が見て取れ、相当に鍛え上げられているのが分かる。


「ありがとな、助かったよ」

「いいってことよ、困ったときはお互い様だぜ」


 にかっ、と白い歯を見せて笑う青年に釣られて新月の頬も綻んだ。

 切羽詰っていなかったものの中々に致命的な状況だったが何とかなるもんだと、幸運に感謝する新月に彼は笑顔のまま手を差し伸べた。


「オレぁ、アラムってんだ、よろしくな」

「こよみだ、よろしく頼む」


 出された手を握って名前を交わす。彼の力強く握られた手の平に、剣だこが存在する事に気付いた。武器は見当たらないが鍛え上げられた体躯といい、まるで戦士のようだ。いよいよ異世界らしいななどと考え、ぐるりとデッキの上を見渡す。


 アラム同様の格好をした者はちらほらと見かけるが、その中に金髪の青年の姿はない。だが同じ船に乗って居る事は間違いないのだ。何れ礼を言える時が来るだろう。


「アぁラムぅ、堂々とサボりとはいい度胸だのう」


 身体の心まで響くような野太い声が飛び込み、二人揃って肩を震わせ声のほうへと視線を合わせた。


「げえ、団長っ。違いますよサボってないっすよ! ほら、人命救助に勤しんでました!」


 首を絞められた鳥のような悲鳴を上げて顔を引き攣らせたアラムは、慌てて誤解を解くべく両手を振って新月の存在をアピールする。


 当の新月は言葉もなく現れた大男を見上げた。

 170cmを超える身長の新月よりも遥かに大きな巨体は隆々とした筋肉で覆われ、夕焼けの光を反射する頭部はつるりと禿げ上がり、しかし年のせいという訳ではないのは口元にたっぷりと蓄えた黒々とした顎鬚を見れば分かる。


 鍛え上げられた丸太のような足で近付く大男は、オレンジの夕日を浴びる禿頭をごりごりと掻きながら固まる新月を鋭く睨み付けた。


「貴様が遭難者か、話に聞いとる。災難だのう」


 その言葉には同情する気配が漂っており、強面を前に身を竦めていた新月はほっと息を吐いて頷く。


「ああ、乗せてくれてありがとうな」

「所で貴様はどこから来た?」

「へっ?」


 礼を言って手を差し伸べた状態で新月は固まる。目を細めてゆっくりと息を吐き出す大男は、再度言い聞かせるように問うた。


「乗っていた船の名でもいいぞ? ここから人里まではかなり距離がある、貴様の乗っておった小船では来れんだろうて。船に乗ってここまで来たはずだがのう」

「それは……」


 歯を食い縛って口を噤む。異世界から来たといって誰が信じるというのか、少なくとも新月がもし地球で異世界人だと名乗る男に出会ったら即刻逃げる自信がある。


 本当の事は話せない、かと言って新月はこの世界の知識についてほぼ赤子同然だ。はぐらかすのにもある程度の知識が要る。


 嘘を言う必要がある、それも知識を必要としない嘘だ。

すぐさま答えを出した新月は、心身ともに傷ついた酷く悲痛な表情を浮かべる。

演技をする事は簡単だった。運命の夜の時の気持ちを思い出し再現するだけでいい。


「……記憶が無いんだ」

「なにぃ?」

「気付いたらあの小船に乗って海を彷徨ってた。本当だ、分かるのは自分の名前ぐらいで」

「ほう、記憶がないか。成る程のう」


 依然こちらを見る目は細められ、探るような気配から信じていないという事が伝わってくる。


(不味ったか)


 思わず新月は舌打ちしそうになった。

 嘘を付く時最も気を付けなければならないのは、嘘だと見抜かれる事。

 一気に信頼を失ってしまいかねない行為だ。


 どうすればと思案し、だが名案は浮ばず咄嗟に頭の中でアディアナに助けを請おうとした時だ。隣で黙って話を聞いていたアラムが、今にも泣き出しそうな表情で肩を叩く。


「そうか……災難だなぁ。大丈夫だぞっ、お前は一人じゃない! 何でもオレに聞いてくれい!」


 どんと力強く胸を拳で小突くアラムを呆気にとられて見ていると、大男はその脳天へ向けて無言で岩石のような拳を振りぬいた。比べ物にならない轟音に新月の背筋を冷たいものが走り抜け、大の字でデッキに倒れ伏すアラム。


「全く、貴様は向こうへ行っとれい」

「だ、団長。なんでオレ殴られたんすか?」

「はよう行かんか!」

「ういっすッ!」


 鮮やかな敬礼と共に駆け足で走り去るアラムの背に大男はため息を送り、じろり、と些か覇気が削がれた目で新月を見た。


「貴様は疲れとるだろうて。他のモンに部屋まで案内させる、そこで休むがいい」


 デッキを走る他の人間に幾つか指示を出しながら、新月に筋肉質な背を向け大男はその場を去る。


 広すぎる背中を見ながら、取り合えず何とか成ったのだろうかとアラムに心中で礼を述べながら、駆け寄ってきた別の船員の案内に従い新月は船の中へと入っていった。

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