エピローグ 「君となら歩いていける」
(ここは……?)
混濁した意識から目を醒ますと、見渡す大地は一変していた。
覚悟はしていたものの、予想はしていなかった事態に、康介はゴクリと喉を鳴らす。
(…………まさか、そんなことが……いや、落ち着け。見ろ、あの赤く濁った終末の空じゃない。廃れ錆び付いた臭いもない。別の世界だ……)
深呼吸をして、ひとまず自分を落ち着ける。
まずは冷静になることだ。慣れない土地でむやみに焦れば、それは死を招くハメになる。
「また異世界……しかも今度は別の世界、か。あの終わった世界じゃないのは救いだが、なんでまた俺なんだよ」
故郷と同じ青い空を見上げて、康介は呆然とごちる。
またか。
また来てしまったのか。
また一人で天寿を全うしなければならないのだろうか。
(クソッ、なんで……)
何故自分だけがこんな目に合うのか。
康介はやり切れない。
顔を顰め、空を見上げることしかできなかった。
「うぅ……」
そこで意外な声が飛ぶ。
康介が訝しげに視線を移すと、
(聞き覚えのある声のような……いやそれよりも、ついさっきまで直ぐ間近で……っ!?)
「ありゃ?」
場にそぐわぬ間の抜けた反応が返ってきた。
自然と目と目が交差する。
「…………」
「…………えっと」
無言。戸惑う声。
麗しき幼馴染殿がそこにいた。
彼女は現状が理解できずに、ひたすら戸惑っている。
(ウン。当然そうなるよね。俺もそうだったよ。じゃなくて――)
「日和! なんでお前まで!!」
「ここは……ああ~……巻き込まれた? いや自分から巻き込まれにいった?」
日和は未だキョロキョロしていた。
一瞬で切り替わった光景に、頭が追いつかないのだろう。
康介にも解らない。
前回飛ばされた時は、こんな大仰な展開はなかった。
只、気が付けばそこにいただけ。
それが今回はどうだ。明らかに過剰な演出だ。
「う~ん……何がなんやら……ここは異世界……?」
日和もその結論に達したようだった。
康介の足元が光った時、日和は離れた場所にいた。
つまりは自分から飛び込んだというわけだ。
良く思えば康介のために、悪く思えば好奇心から飛び込んだのだろう。
幼馴染殿のあまりの稚拙な行動に、康介は呆れた視線を投げかけた。
彼女は異世界の厳しさを理解しているのだろうか。
キシャアアアアアアッ!!
おどろおどろしい舌なめずりが聞こえてきた。
それもかなりビッグな音量だ。
「ふぎゃっ、なになにっ?」
日和が康介の腕にしがみつき、辺りを見渡すが、そこには誰もいない。
ならいったいどこに?
ちなみに康介の内心は「胸の感触がナイス」である。
――ではなくて、
康介達の上空に、羽の生えた巨大な蛇が浮かんでいた。
鱗の一つが康介達と同じくらいの大きさはある。
「上だな」
「うえ? ひぃええええええっ」
「離れてろ」
この類の怪物の対応は心得ている。
世界は違えど、生物の根幹は似ているのだろう。
勇者や魔王レベルの化物がゴロゴロいる世界。全てが脅威に満ちた悪夢の領域。
人間の力など虫ケラ以下、たかが知れたものだった。
一般常識内での話だ。
あの絶望の時に比べれば、こんな簡単な試練程度。造作もない。
康介は生き延びるために、その常識の域を凌駕したのだ。
「へぇ、コイツは龍に似てるな。蛇神の亜種――バジリスクの方が近いかな? 流石に迫力あるな~」
「ちょ、ちょっと、コーちゃん! そんな暢気に」
「問題ない。ほらっ!!」
既に準備は整えていた。
数えれば数千――数万はいくだろうか。
康介を中心に、直径二万キロメートルはあるカラフル魔法陣が幾つも描かれていく。
「わぁ、キレイ……」
まるで空中に投影された立体アート。
イルミネーション真っ青の壮大な美しさに、日和が我を忘れて見惚れている。
多様な意の込められた幻想的な紋様が広がりを見せ、カウントダウンを始めるかの如く、点滅の間隔が短くなっていく。
空が、大地が、視界全てが。
色で埋め尽くされ、鳴動している。
「よし、チェック終了。効果に狂いはなし。久々に使ったにしては完璧な仕上がりだな。あとはこれを……」
康介に同調した魔法陣たちは、世界の根幹そのものに同期していた。
――全てが一瞬の離れ業。
巨大な魔法陣が立ちどころに収束を始め、すぐさまドス黒い球体へとその姿形を変えていた。
何事もなかったかのように、黒い球体だけがそこにある。
「な、なに……それ?」
「俺の魔法だ」
「魔法!? あのラノベの王道――魔法使いなの!? リア充の天敵、子供の王様。その名も童――」
「ハイ、ストップ! そのネタはもういい!」
乙女にあるまじき発言。いや、自覚がないのだろう。
それ以上、言わせてはいけない。
日和の尊厳を護るためにも、康介が鋭い「待った」を掛けた。
先程までの緊張感は、もう消え去っていた。
「にゃはは、コーちゃんは心配しないでも大丈夫! キミの王様はワタシが貰ってあげるよ」
「ハァ、感謝シマス」
「うむ。ところでソレが一般的な魔法なのかな?」
「これは俺のオリジナルだ。この球は魔法陣の塊だな。密度が高すぎて真っ黒になっちまうんで、見た目はアレだけど……まあ、威力は保証する」
球体型多重連鎖圧縮魔法陣。
本来ならば顕現するだけでも圧倒されるほどの術式の数々。
それら全てがこの一つに――色も匂いも気配も力すらも、異常な濃度により一つへと集約されたのだ。
(想えば、コイツが生まれたキッカケはアレだったな……)
完成された球のどす黒さは、元々偶然から誕生したモノだった。
いつまで経っても元の世界に戻れず、リア充たちを眺める毎日。自分に言い寄って来るのは、主に爬虫類系の方々。お呼びでない。
湧き上がる嫉妬と羨望。ピンク色の気配を撒き散らす奴らを、呪いのように視線で射殺せないか、と本気で考えたものだ。
挙句――
『ヒャハハハァ! みんなくたばっちまいなぁ!!』
などと、世界など知ったこっちゃないぜ風に、魔法のありえない多重構築をしたのが始まりだった。
暴走して「人類滅亡? 知るか!」といった感じにだ。
年甲斐もなく壊れてしまったのは、溜まりに溜まった結果だったのだろう。
(……まあ、奇跡的に成功して事なきを得たんだから、結果オーライってことで)
とんでもない博打の報酬は、無双チックな代物と成り果てた。
あの頃は精神を病んでいた。あんな馬鹿は二度とやらない。
――という訳で、
康介の手元で浮かぶのは、元リア充抹殺用『怨念ボール』。
きちんとした名称は後付けしたが、それは今回語らない。
その奈落のように底の見えない深淵の恐怖は、神々でさえも本能的に思考を麻痺させ、その認識を根本からスルーさせる。
畏怖から来る防衛本能が、存在自体を認めないのだ。
おかげで何も感じない。
有にして無。
これが辿り着いた康介の"究極"だ。
バジリスクも、僅かに感じた死の片鱗にビクつき、辺りを警戒しながら見回している。
康介が語る。
「初見の相手にはコレが一番有効なんだ。確実に瞬殺できるからな」
「オーバーキルってヤツね。マジもんをこの目にする日が来るとは、やるわね。さすがは異世界経験者。褒めてつかわそう」
「ははーっ、お姫様」
「にゅふふ、苦しゅうないぞ」
こんな状況だが二人はじゃれあい、
ひと呼吸置いて、
――そして、
「では――」
「よし発射ァーーーーーーッ!」
天高く、日和の右手が突き出された。
彼女の合図を皮切りに、黒球は消え去った。
「……ア、アレ? 消えちゃったよ」
「ああ、終わった」
「え、え?」
そっけない康介の態度に、日和が困惑する。
大地が消し飛び、轟音と熱風が狂い躍る。
そんな凄まじい光景を予想していた日和は、見た目地味な幕切れに、言葉が浮かばず呆気に取られる。
気付けばバジリスクはいない。
いつの間にか消えただけ。余韻は一切なし。
砂埃も突風も巻き起こらず、ただ絵画が一枚持ち去られただけのよう。
そんな静けさがあった。
「ちょちょちょ、ちょっと! 今のなに!!!」
「ん? 魔法でやっつけたんだが」
「そうじゃなくて! いつやっつけたのよ!」
景色からバジリスクだけが削り取られた。
それが日和の感想だった。風情も何もあったものじゃない。
彼女の気持ちは止まらない。
「違う! 違うのよ! もっとこう……」
これが彼女の異世界初デビュー。
もっと派手にいきたかった。
異議申し立てをしたいくらいだ。
事実、黒球はバジリスクの体内へと転移し、内部から存在ごと喰い散らかしていた。
ついでにフィードバックされた力が、こっそり康介へと還元をもされる。新しい状況下でやっていくためにも、ここは重要なポイントだ。
続いて未知なるパワーに対抗すべく、取り入れた力の分析が開始される。
(ふむふむ、コイツの力は幻想力ってのか。しかも神話クラスじゃなくて、只の魔物とは。ビビって損したかな。また聞いたことない力だが、なるほどね)
分析終了。つつがなく処理が完了する。
これにて終了だ。
日和はまだ喚いていた。
「ええーっ、これだけーーーっ。つまんないの! ロマンがないわ!」
「そんなもんだ。ゲームと一緒にするんじゃない」
「なるほど。リアル事情ね。一つ勉強になったわ」
意外とすんなり日和は納得する。
最も地味なのは康介だからこそ、と言える。
自己流とも言える多種混成魔法。
前回康介が飛ばされた世界は勇者や魔王こそいなかったものの、力がモノを言う世界だった。
なので必然的にあらゆるファンタジーパワーを習得するハメになったのだ。
その集大成がコレだ。
偶然の産物とはいえ、それまでの過程は本物だ。
魔法とは言霊詠唱や魔法陣により、操作する事象を世界に認識させることから始まる。
それは気功による"振動"であったり声脈の"音階"でもあり、怨嗟による"侵食"であったりもする。
龍脈を操る龍族の秘伝『龍気法』に奇跡を願う天使の唄『天声術』、世界に歪みをもたらす悪魔の『呪言術』、更には神々の織り成す『事象剥離権』や『万世支配権』などなど。
それらを世界に刻まれた事象改変コード『魔法』に組み込ませて、独自のごちゃまぜ術が誕生した。
効率に効率を重ねた、神をも抹殺しかねない禁断の技術。
名付けて『倉石康介流スーパーデンジャラス魔法』。
……そんなことを叫んでいた時期もあった。
今では想い出すにも苦痛を伴う。
恥ずかしい黒歴史だ。
そんなデンジャラスなアレンジ魔法だが、名前の封印はともかく、化物相手には欠かせない戦力となる。
一口に魔法の「発動」や「改良」と言っているが、そんなに簡単なものではない。
互いに競合しないように、慎重かつ繊細に編み込み紡がなくてはならない。
必要最低限の破壊しかもたらさないのが、この魔法の真骨頂だ。
景色いっぱいを吹き飛ばすのも気分爽快だが、それをやると後が怖い。
まずは環境に優しく、エコを大事に。
それが異世界人との好意的な接触を果たすコツでもある。
「ふうっ、久しぶりに使ったな。あっちでやったら特撮マニアか、変質者呼ばわりだからな」
「康介戦闘員殿、ご苦労であった。感謝するぞ」
「ははーっ、隊長殿、もったいなきお言葉であります」
日和は上機嫌だ。
待望の異世界生活がスタートしたのだから、当然だろう。
何も考えていないだけとも言える。
「にゅふふふふふふ」
「ははははははは」
互いに笑い合う。
前回とは勝手が違う。
いきなり知らない世界に降り立ち、神話でしか登場しないような化物達と遭遇する。
泣きながら、這い蹲りながらも、情けなさ満点で逃げ出したものだ。
その後、罵られながらも助けられ、キツイ訓練をさせられたのも、今では遠い過去の貴重な一ページだ。
かつての自分と今を比較して、康介は苦笑いを浮かべていた。
――こんなにも違う。
一人じゃなく二人。
こんなにも心持ちが異なるのだろうか。
戦闘経験があるという強みもあるのだろう。
しかしそれ以上に、隣にいる幼馴染殿が不思議と心強い。
それは物理的な強さではなく、精神的な支え。
「それにしても、樹ばっかりだよね~」
彼女は怖くないのだろうか。
昔からそうだった。
誰に何と言われようとも、例え急な不幸が訪れようとも――。
彼女は懸命に生きている。
あの強さがあれば、自分もまたあの世界で何か変われていたのだろうか。
――いや。人は誰もが強いわけではない。
これは彼女特有の、持って生まれたアイデンティティだ。
決してブレない。
我が道を行く。
それは何者にも汚されない、純白の意志。
その白く無垢な鋼の心は、持たざる者を惹きつけて止まない。
たぶん、自分はそこに惚れたのだろう。
これはこれで悪くはない。
「さて、これからどうする?」
「そんなこと決まっとろうが! まずは冒険よ! 伝説を創るのよ!」
「ハハッ、そうだな。了解しました、お姫様。……なら行くか!!」
「モチのロンよ! 行くぜい!」
新しい冒険が始まる。
また戻れる日がやって来るのだろうか。
その日を夢見て、
もう一度長い人生を歩むのも、悪くはないかもしれない。
今度は彼女もいることだし、もっと楽しく生きられるだろう。
[序章 完]
という訳で、ここまでが短編投稿予定だった部分です。
多少増量してますが、まあこんなもんです。
次回から新たな旅。異世界生活が始まります。