六章‐5
お兄さんというのは、ラウリに向けているのだろう。ヨハンの目は、ラウリを見据えて動かなかった。
「この子の父親だけじゃなく、母親をも、しかも、当時まだ四歳だったこの子の目の前で無残に殺したのさ」
エリカは息が詰まった。
脳裏に焼き付いていた、この館の構造は、その時のものだ。
父親も母親も、目の前で死んだ。大量の弾丸を身に喰らい、四肢をばらばらに切断した。赤黒い血だまりに沈む、かつては両親と呼べる肉塊は、暖炉で焼かれた。
「あ……あぁ」
足がすくむ。思い出した。両親のことを、エイナルがほうられていたあの大部屋で起こっていた惨劇を。
「大丈夫だよ、大丈夫」
エイナルはエリカを抱き寄せた。エリカが小刻みに震えているのが、よくわかる。
「刺激が強すぎたかな。続けるのはよそうか?」
ヨハンは心配してくれた。恐怖とフラッシュバックで心が乱れていたが、エリカは「いい、続けて」とエイナルの胸に顔をうずめながら言った。
「全然大丈夫に見えんけど……まあ、これ以上のひどい事実は出てこないから続けるわ。で、だ。幹部の中にも良心はいた。そのうちの一人が俺らの友人、この子の親御さんとも親しかった人間だ。そいつが命がけで懇願した、『月』はもうだめだ、信徒を救うには『月』を破壊するしかない、ってね。そこでエイナルの全滅計画の実行が決まったわけだ。俺らがほとんど計画通りにことをうまく運べたのも、『月』に内通者がいたからさ」
「知っていますとも。その者は、反逆者としてすぐに処分しましたがね」
「なんだ、分かってるんじゃねえの。内通者として教団を裏切ったそいつが殺され、こちらの計画がバレて信徒を盾にされた。信徒を救ってほしいと願ったあいつの望みもむなしくな。『月』の破壊はある程度できたが信徒を救うことができなかった。……かのように思われたけど、一人だけ助け出すことができた。それが君なんだよ、エリカ」
ヨハンはエリカにそう投げかける。
「初めて、名前、呼んでくれた……?」
「え、感動ポイントそこ? そういや君呼びだったっけなあ」
まあいいや、とヨハンは続ける。
「そうして君だけ救ってここから脱出した。それ以降は君も知ってるから割愛。エイナルが責任もって君を育てることにした。君は両親の殺害を目の当たりにしたショックで心が壊れた。精神年齢も少し幼かった。それをゆっくり治していったのがそこにいるおじさま。『レディ』ってのはちゃんとした人間に育つように、普通の女の子のように生きていけるようにっていう方針の後付だけどね」
「そうなの、おじさま……?」
「うん。ヨハンの言葉に嘘は入ってないよ」
エリカは涙目になりながらも笑顔をつくることができた。
――やっぱり、おじさまを信じてよかった。
「……反論はあるかね、ラウリ?」
「完璧です。気まぐれであなたをここに住まわせるべきではありませんでしたね」
エリカの疑問はすべてここで解消された。が、敵方がこちらを見逃してくれるはずもない。ここでまとめて処分するつもりなのは痛いほど理解できる。
「ですが、あなた方を生きて外へ出すことはできません。『月』とは、そういうものです」
「だろうな」
「秘密を知られたからには、エリカにもただでというわけにはいきません。この場の敵をすべて処分し、また感情を壊します。……今度は、治せるという程度の浅いものにはなりません」
「させると思う? レディはね、やるときは何をしでかすかわからないものなの」
「それもうレディじゃない……」
ヨハンはあきれつつ、突如発砲した。ラウリのこめかみをかすめ、後方で構えていた幹部の肩に当たった。
幹部たちの武器が、一斉にヨハンの方に向く。ヨハンは防御することもよけることもしなかった。後ろには、ワトソンとコーデリアがいるのだから。このままいけば、ヨハンは蜂の巣だ。だが、ヨハンは皮肉っぽく笑っていた。
銃声が、部屋中に轟いた。エイナルがエリカを抱きかかえて床に伏せる。エイナルの体で、エリカはすっぽり隠れることができた。
「動かないでね、エリカ」
「言うとおりにするわ。でも、おじさま、ヨハンが……!」
「へいき。彼は無事だよ」
「うそ……!」
「ほんとう」
抱き起されてヨハンの方を見たが、エイナルの言うとおり、ヨハンは傷一つ負っていない。
紙切れの命であるイオリが、全身で銃弾を防いだのだ。
ここにいるイオリは、ただの分身である。肉体があるだけで、痛みも筋力も関係ない。だからエイナルを軽々と担いだ。
イオリの分身がこの地にい続けることができるのは、ヨハンが大事にしていた「藤堂伊織」の署名である。それがある限り、分身は何があっても消えない。
「悪いな、イオリ」
「大丈夫。痛いとも感じないから」
イオリは相手が怯んだ隙に、人間二体をエイナルに放り投げた。人形はヨハンが投げた。
「さっさと戻してくれ。百人分の戦力が欲しい」
「……ん」
エイナルは急いで人形に手をかざす。幹部たちは武器を一斉に彼に向けたが、突如現れたまばゆい光によって怯んだ。幹部の隙は一瞬だけだったが、従者二人が人形から人間に戻るには充分すぎる時間だった。
「もって二時間ですよ」
聞き覚えのある、青年の声がエリカには聞こえた。
今度は完全な人間の体。燕尾服に身を包んだ、少しだけ幼い青年。幹部の一人から奪い取った銃器で、ラウリに発砲した。射撃があまり得意でないからか、ラウリには当たらなかった。
「いいえ。もう人形に戻る必要もないわ」
光から飛び出した女性も、完全な人間だった。
メイドの格好をしたその女性は、モップをひと薙ぎして幹部を武装解除した。
エイナルとエリカを守るようにして立つ従者二人は、不利な状況下であるにもかかわらず、不敵に笑っていた。
「ワトソン! コーデリア!」
「はい、お待たせいたしました、お嬢様」
「こいつらのことはお任せください。急いで逃げて」
「嫌よ」
ワトソンの言葉を、エリカは切った。
「みんなそろって帰るのよ、あのお屋敷に。ここに二人が残ったら、確実にあなたたちが危ないじゃない。助けに来た時のわたしの言葉、忘れたの?」
「覚えています。ですから、逃げましょう。わたくしが道を作りますわ。殿はワトソンがつとめます。……ヨハン、のんびりしている暇はなくてよ」
「へーへー。……ちょっと待ってもらうわ」
ヨハンは拳銃をラウリに向けた。向けられたラウリは、一歩も動かなかった。
「無様に生き延びるなんてことはしないのな」
「信じた道をつぶす相手に屈するくらいなら、死んだ方がましです」
「言うねえ。その志やよし!」
ヨハンは発砲するが、相手には当たらない。
「先に行け!」
こちらを見向きもせず、ヨハンはそう叫んだ。動向を見守っていたエリカは、エイナルに手を引かれ、その場を退場せざるを得なくなった。先頭に立ったコーデリアが道を切り開き、エイナルがそれに続く。
「おじさま、ヨハンが!」
「ワトソンがついてるから心配しないで。私たちは、自分の安全を考えないと」
小走りで廊下を駆けて行く。心なしか、全速力を避けているように感じられる。エリカの歩幅に合わせたのだろう。そのあとに、イオリが後ろをうかがいながら走る。
「私とエリカは、戦えないからね。ヨハンの足手まといにはなりたくないだろう?」
「ヨハンだって戦えるような人じゃないわ」
「そりゃね。ブランクはありそう。……それはいいとして、ヨハンの仮家に行くのが大事。とにかくヨハンは大丈夫」
ヨハンに対して心配と不安を抱えながら、エリカは言われた通りに走った。




