六章-4
「さあラウリ、おまえさんお得意の洗脳は失敗に終わったな。どうする? なんならこのまま銃撃イベントといくかい? それとも従者二人とあのアホをこっちに大人しく引き渡して、のびのびと生きながらえるか?」
ラウリと呼ばれたその青年は、焦りも陰りも見せず、じっと立っている。それどころか、驚愕からすぐに笑みを戻すほどの余裕もある。
「甘いですね。魂も本体も、人間はこちら側にあります。特に、あなた方の大本命であるエイナルに至っては処分の準備が万端です」
「この子に、役立たずなことを吹き込んだのは、時間稼ぎってわけか。やり口がいつも汚いねえ」
ヨハンの口調はいつも通りのん気だが、激怒が含まれている。エリカは焦燥にかられる。ここでのんびりと無駄話をしている場合ではなかった。
「おじさまはどこっ?」
「それに対して律儀に答える人間だとでも?」
「でしょうね!」
エリカはヨハンもラウリも気にせず、その部屋を飛び出した。ひらひらの着物が、駆けていくたびにはねる。この着物は自分には合わない。きれいにまとめられた黒髪も、エリカの走りに合わせてばさばさと揺れる。
ヨハンのことが不安になる。あの体格では、簡単に投げ飛ばされるだろう。それに、暖炉の傍らに捨て置かれた人形と人間は、明らかにワトソンとコーデリアだった。この地に来る前に、二人の実力は目の当たりにしているが、まだ人形のままだ。人間の体に魂を戻さなければ、あの力も充分に発揮することができない。それに、自分はエイナルがどこにいるのかさえ分かっていないのだ。地の利は相手側にある。戦力差も圧倒的にこちらが負けている。状況は、一方的に不利だ。
この建物は、無駄に広い。エイナルの居場所なんて理性で暴き出せるわけがない。
だが、エリカの足に迷いはなかった。階段を一段飛ばしで駆け上がる。ワトソンが見たら慌てふためき、コーデリアに見つかれば確実にお叱りを受けるだろうが、人の命がかかっているこの際二人の叱責など取るに足らない。
途中、足がもつれて踊り場に顔を打ち付ける。額と鼻に痛みがじんじんとしみたが、すぐに立ち上がって走る。一時の痛みにかまって、家族を失って一生一人でい続けるなんてことにはしたくない。
最上階まで上がりきり、息切れも知らんぷりで走る。廊下つきあたりの大部屋の扉を、勢いよく開いた。
大部屋には、数人の人間が床にごろんと転がっているものに群がっていた。彼らは、大扉を開けたエリカに視線を注ぐ。数人とはいえ多くの人間の注目を浴びる羞恥が、エリカに少しだけ生まれた。が、彼らに取り囲まれたものを視認して、その羞恥を即座にかき消した。
「おじさまあぁぁっ!」
エリカは、そこにいるものに駆け寄った。不意を突いたためなのか、彼らの邪魔が入ることはなかった。
「どいてっ! 下がってったら!」
彼らを小さな手で振り払う。
うつぶせに倒れていた黒装束の痩せ細ったそのものこそ、エリカが再会を望んだ人間だった。反応が全くない。エリカは半狂乱でエイナルを抱き起し、肩をゆすった。
「おじさま? 起きて。目を開けて。眠ってるだけ? 息……は、してるわ」
呼吸とて微弱なものだった。死んではいないだけだ。魂も、まだ人間の体の中にいる。とても弱っている。だけれど、生きていてくれたという事実だけで、エリカは安堵した。
その安堵の余韻を許さないのは、取り囲んだ彼らだった。衣装に色がある。相変わらず単色だが、信徒の装束に比べれば濃い方だ。彼らは、エイナルを抱きかかえたエリカを見下ろしている。武器での威嚇こそなかったが、精神的に追い詰めるには充足していた。
無数の手が、エリカに向かってのびていく。引きはがすつもりなのだろう。エリカは恐怖心と戦いながら、エイナルを強く抱きしめる。
ぜったいに、渡すもんか。ぎゅっと目をつぶって、丸くなる。
手が、いつまでたっても触れてこなかった。変に思ったエリカは、恐る恐る目を開いてみる。
彼らは、一人だけ残して倒れていた。
「……あれ?」
一人だけ立っていた者は、おもむろに装束を脱いだ。隠れて見えなかったその顔は、かりものではあるものの、頼れる仲間の一人だった。
「ごめんね、お待たせ」
「イオリ! 無事だったのね」
「一回、わざと捕まって油断させたんだ。私を監視していた幹部と入れ替わって潜んでたってわけ。この人のことはずっと見ていたけど、助けるタイミングをうかがってる途中、君がいい具合に乱入してくれたよ。助かった」
「そんなことは……」
「いやいや、奔走ご苦労様。ところで、ヨハンたちとは会った?」
「そう、それだわ! 下の階にヨハンがいるの。そこには、ワトソンとコーデリアもいたわ。急がないと!」
エリカはエイナルの腕を自分の肩に回し、うーんと立ち上がろうとする。が、いくらやせ形の人間でも十代の少女には重たい。
「この人は私が持ってくよ。どこの部屋にいるか、案内頼んでいい?」
イオリは何の苦もなくエイナルを片手で担ぎ上げた。
「うん。ついてきて」
エリカは先頭に立ってイオリを誘導する。
――そういえば、どうしてここだとわかったのかしら。
無我夢中ですべてのことがささいなことに感じていた数分前。冷静さをある程度取り戻したエリカは、ふと思い出す。
あの時は、何も考えていなかった。理性のたがなど外れていた。本能が、そこへ行けと告げていた。
その本能がなんなのか、わからない。
よく見れば、この館は見覚えがあった。本で見たというものではない。過去に、ここへ訪れていた記憶が、わずかに残っている。
――この感じは、なに?
走りながらも疑問を解くという器用な真似をやってのけ、エリカはその場所にたどり着いた。
一目ですぐに分かった。ヨハンの方が劣勢だった。放り出して突っ走った自分を叱ってやりたい。
「ヨハン!」
ヨハンは、人形も人間も含めて、ワトソンとコーデリアを後ろに守りつつの態勢だった。
「あ、見つかった? よかったよかった」
状況はいいとは言えないのに、ヨハンは相変わらずへらへらとした口調だった。
「だいじょーぶ。幹部だって人間だ、怖いものがあるのは俺らと同じ。ただちょっと頭が逝っちゃってるだけさ」
「……減らず口はその辺にしましょうか」
敵側のラウリは、銃器を構えているヨハンと違って何も持っていない。丸腰の状態だ。それにもかかわらず、ヨハンを圧倒したというのか。ヨハンが背に守る二人に近づいていた幹部たちの半数は、倒れ伏している。ヨハンにやられたのだろう。
エリカは思わずヨハンに駆け寄りそうになった。しかし、ヨハンが空いている手で制した。その手から、たらんと血が流れている。
「こっち来ちゃだめよ。危ないからね」
「危ないのはあなたでしょう! せめて、ワトソンとコーデリアが戻れば……!」
「あー、それねえ、エイナルかそこにいる坊ちゃんじゃなきゃダメなのよ。エイナルは見ての通りの死にっぷりだし、まさかラウリが気を利かせて戻してくれるわきゃないし?」
「おじさまは生きてるわ」
「かろうじてね。一瞬、イオリが死体でも抱えてんのかと思ってびっくりしちゃったじゃないか、どうしてくれんだ。俺の心配と無駄に上がった心拍数返せ。何にせよ、死んでなくてよかったわ。……まあそんな虫の息の奴に苦労はさせらんない」
せめてエイナルが動いて、二人を人間の体に戻すことができれば、この状況をひっくり返すことができるだろう。自分が、二人を助ける力があれば、ヨハンの足手まといにならない程度には強ければ……自分のふがいなさをかみしめる。
「イオリ、あなたも面倒をかけてくれましたね」
ラウリはイオリに言葉をよこした。エイナルを抱えているイオリは、厳しい表情のラウリに微笑みかける余裕があった。
「私は簡単に捕まってあげるようなお人よしじゃないからね。それに、君のことは嫌いだから、お望みならいくらでも面倒になってあげるよ」
「結構です。再び、ここまで振り回してもらえるとは思いませんでした」
「再び……?」
エリカは口をはさんだ。
「一度目は、全滅計画の時? ……今もその計画を踏まえてるけど」
「そう。察しがよろしいですね、お姫様」
ラウリは答える。
「十年前、エイナルの立てた全滅計画は、ここにいる人間たちの手によって実行されました。人数もたったこれだけですが、その時の被害状況は目に余るものでした。信徒の犠牲者も甚大でしたからね。教祖が殺害されなかったのは不幸中の幸いといえるでしょう」
「自分で話したことをお忘れ? あなたたち幹部が、信徒を盾にしたんじゃない」
「ええ。幹部の命、特に教祖とその親族は何としても守る必要がありました。ですから信徒をやむなく犠牲にした、というわけです」
「教祖を何としても守るというのは、私も分からなくはないよ。……だけど、幹部はそこまでして守ってやる価値があるとは思えないなあ」
イオリがくぎを刺す。
「幹部は、『月』を維持するためには欠かせない存在です。ただの信徒は人形のような人間です。近くで見てきたあなた方ならわかるでしょう。思考能力のない人間が、どれほど愚かであるか。彼らの頭だけで、『月』を残していくことは不可能ですよ」
「そうしたのは、ほかでもないあなたたちじゃない!」
「その通りですよ。あなたに言われるまでもない」
エリカは妙な心地がした。ラウリの言葉から頭にきた部分を拾って、それを指摘する。その部分はたいてい、ラウリにとっては不利なものだ。それなのに、彼は余裕でもって返してきた。
「教祖は『月』の維持を望んだ。それを幹部が実行したに過ぎません」
「…………違う」
かすれた弱い声、だがはっきりと聞こえる声。
エリカはばっと横へ視線を移した。イオリに抱えられているエイナルが、言葉を出したのだ。
「おじさま!」
エイナルはイオリの腕を借りながら、立つ。エリカは思わずエイナルに抱きついた。
「よかった、目を覚まして……」
「うん、ごめん」
エイナルはエリカの背中をぽんぽんとたたく。
「ラウリ、解釈が違うんだよ。教祖は、自分の考えが残ればいいと思った。誰かに対して優しくなれるように、行動できるように。それはある意味で教義だ。幹部の君たちはそれを曲解したんだよ。いや、理解が独り歩きして、『月』という教団の維持、になってしまったともいえるね」
ラウリは答えない。
「教祖は、誰もがすべての人にやさしくなれればいいと思っていただけだ。それがひどく曲がった解釈になり、教団の維持につながった。楽園時代へ帰るという教義も、教祖の言葉じゃない。幹部の明らかに誤った見解により生まれたものだよ。楽園時代の人間は、今の信徒と同じ状態だった。全人類がそうなれば、何かと都合がいいし、歴史に『月』の名が刻まれる。……評価のよしあしはともかくとして」
「さすがですね。長年、この教団を研究してきた人間は、真実がよく見えているのですね」
「お~い、俺を忘れないでちょうだいよ」
ヨハンがのん気に水を差してきた。
「ああ、そうですね。あなたとヨハンが二人で始めた研究でしたね」
エイナルはイオリの肩から離れて、体を引きずりヨハンのもとへ近寄ろうとする。転びそうになるのを、エリカがすんでのところで支えた。
「おじさま!」
「ごめん。まだ、本調子じゃないみたいでさ……」
エリカに微笑みかけるが、それが空元気だとエリカは見抜いている。
「こら、こっちくんな」
「いや、でもさ、二人を戻してあげないと……」
「喧嘩が終わればいつでもどーぞ。今はそれどころじゃねえんだわ」
「あの二人がいれば、百人力だよ」
「一人五十人? 足りないな」
エイナルはのろのろと近づく。それを許すラウリでもない。幹部の一人が、武器をエイナルに向けた。不用意に動けばあれで始末される。
「おーおー、物騒だねえ。教祖が泣いてるぞ、今頃。……いや、関係ないか。今の幹部は、教祖など目もくれない。教祖すら粛清するからな」
「……ヨハン、それ、どういうこと? あなたの記録には書いてなかったわ」
エリカはエイナルを支えつつ、ヨハンに聞いた。
「あ、そうなの? 俺がなくしたか、幹部にとられちゃったかのどっちかだわな。……まあ言葉通りのことだ。君が教祖の子孫、これは間違いない。君の親御さんも教祖の血を引いている。『月』の教祖は、初代の血を引く一族が代々継ぐことになってる。前の教祖は君の父親がついた」
「なんなの? やっぱりわたしは、おじさまやあなたの敵?」
「話は最後まで聞いてちょうだいよ。決めつけはよくないよ~? 君の父親は、『月』の惨状をよく理解していた。だから幹部にこれ以上の洗脳はやめるよう言ったんだ。ついでに、外の世界に潜んでいる信徒たちもこちらで引き取るようにも言った。要するに迷惑かけるなって、当たり前のことを言ったわけさ。だけど幹部はそれを許さなかった。初代の言葉なんて忘れてる幹部のことだ、『月』に疑問を抱くようなことをぬかした若造に殺意が芽生えるのも当然かもね。しかもあくどい」
ヨハンは銃器をいったんおろす。
「何があくどいって、殺し方ですよお兄さん」
お兄さんというのは、ラウリに向けているのだろう。ヨハンの目は、ラウリを見据えて動かなかった。




