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六章-2

 エリカは動揺していたが、取り乱さぬように心を戒めていた。ここで慌ててはいけない。彼の言葉が嘘か本当かわからない。そもそも、この目の前の青年は信用するに値しない。すべて聞いてから、答えを出さなければ。

「それがどうして、おじさまたちを追い続ける理由になるの」

 エイナル達は、逃げるように隠れるようにして生活していると、あの時言った。

「ああ、それは簡単ですよ。『月』にとってあなたは重要な人間でした。そんな子を奪われたら、なんとしてでも奪還したいと思うのが普通でしょう」

「重要? ただの信徒が? 武器を消耗させるために信徒を犠牲にするほど?」

「ただの信徒じゃありません。あなたは、『月』の教祖の、唯一の血縁なのですから」

「なんですって……?」

 青年は、重い言葉をさらりと述べて見せた。

「『月』では、教祖の血縁をあらたな教祖としてまつり敬うならわしです。そのあなたを奪われた。『月』が血眼になってエイナル達を捜し出すことは無理な話でもありません」

「待って。……全然、記憶がないわ。わたしが、教祖の子孫ってこと?」

「そうですよ。まあ、記憶がないのも責められることではない。その記憶を上書きしたのはほかでもないエイナルなのですから」

 エリカは目を見開いた。

 青年の話が事実だとすると、エリカはエイナル達の敵に位置していることになる。なのになぜ、エイナルはそんなエリカを奪い、今日まで養育したのか。

 青年はソファから立ち上がり、エリカの前にかしずいた。

「あなたはこうお思いになるはずです。教祖の子孫である自分が、『月』の滅亡を望む人間のトップにどうして今まできちんとした教育を受けさせてもらっていたのか。難しいことではない」

 エリカの小さな手をそっと取り、にこやかな顔を向ける。

「あなたを、そちら側の人間として『洗脳』したいからです」

 人畜無害の笑顔からは、到底発せられそうにない、黒々しい事実が告げられた。

 洗脳、といえば、『月』が信徒に対して行っていることを、エリカは思い浮かべる。そこには、『月』への絶対至上主義が含まれていて、無垢な信徒側には自由のない、空恐ろしい行為だと認識できる。

 その洗脳を、今の今まで、自分も違う形で受けてきたと、目の前の青年は言う。信じられない。こんな、ワトソンをいじめた男を信用できない。

 だが、彼の発言に何の矛盾もない。すべてがすべて、事実に見える。

 だとしたら、今まで自分が信じてきたものは何だったというのだろう。自分は敵にうまく言いくるめられて、牙を抜かれていたとでもいうのか。

「混乱するのも無理はありません。洗脳された人間というのはえてしてそうした気持ちになります」

「わたしが……おじさまと慕ってきたひとは……わたしを、利用したというの……?」

「端的に述べればそうなります」

 否定もしない。嘘であってほしかった。

「う、うそよ……そんなの、あなたのほうがまやかしを言ってるんだわ」

「心外ですね。僕は長年、『月』の幹部としてすべてを見てきました。先程の話に何か不備があると? すべては『月』のためだけに、包み隠さず、『月』の実態を話し、平等に相手の実態も暴露した。それだけのことです」

「嘘だわ! おじさまは、わたしの知ってるおじさまは……!」

「それこそ洗脳の成果というものですね。ご存知ですか? 犯罪者と共に過ごした人間は、犯罪者に対して好意的な感情を抱くということがあるのを。あなたは、まさにその人間なのですよ」

 微笑を崩さす、エリカの目をしっかりと見据えて答える。エリカは、この目が怖い。そらしたいのに、そらせない。

 今までの自分のことが、分からなくなってきた。

 自分は『月』の教祖の子孫で、『月』を全滅させんともくろんだ集団によって拉致された。そして教育と言う化けの皮をかぶった洗脳を受け、ここに連れてこられたと。

「さて、お姫様。そろそろ、ご自分のあるべき場所に、行きましょう」

 青年はエリカを立ち上がらせる。頭の中が混乱している状態のエリカには、抗う余裕などすでになかった。エイナルに直接聞けばいい、という単純な解決策すら見つけることができない。部屋を出て、またあの長い廊下を歩く。

 足が軽い気がする。しかし、足取りが比例して軽くなったわけではない。呆然自失の状態で、浮いている感覚がする。エリカは思考をほぼ放棄している。現状では、青年の意のままに操ることのできる人形と化しているのだろう。

 ――何を考えればいい? 何を信じればいい? 今までの自分は、捏造されたにせものなの? わたしは、何がよりどころなの? おじさまは…………敵?

 冷静な判断ができないエリカの頭を、ぐるぐるとまわるのは混乱だった。

 辿り着いた部屋は、また別の広間だった。家具が取っ払われていて、最低限の明かりがともっている。そこには『月』の幹部と思しき人間が数人ほどと、ぼろぼろにされている猫の人形と兎の人形、その傍らに、男女の体が放り投げだされていた。

「あれらは咎人です。『月』を侵略する、不届き者。それを焼却処分し、『月』の平安を奪還するのですよ」

 青年は人形と人間を指し示した。あれらの近くに、暖炉がある。しかも火がついている。あれで焼くつもりなのだろう。

 いまだ上の空のエリカの両肩に、青年の手が置かれた。エリカの耳元で、囁く。

「何も怖いことはありません。あなたの安全は保障されます。……『月』の侵略者たちの命を生贄にすることで」


「そーさな。心惑わす悪い悪い悪い悪~い魔法使いさんをぶっ倒すことでな」


 背後で、声がした。


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