六章-1
六 章
エリカが連れてこられた場所は、『月』の住居にしてはずいぶん大きな屋敷だった。淡色で統一されているのは相変わらずだ。しかし、中はずいぶんと無駄が窺えた。もっとも、『月』の民家と比べればのことであって、エリカのいた屋敷ほどの無駄さはない。
その無駄さは、花瓶が置いてあったり、必要以上の明かりが設置されてあったり、書物が無数に保存されている部屋があったりという類のものだ。豪奢なつくりではないが、ここが『月』の本拠地であることを踏まえると、ぜいたくではあるのだろう。
人形のワトソンとは離された。ポケットで息をひそめていたコーデリアも、見つかってすぐにどこかへ連れていかれた。
「こちらですよ」
優しく微笑むその青年が、エリカには怖く思えた。差し伸べられた手を取りたくはない。いつまでもおどおどしているエリカに、青年は手を引っ込め肩を抱き寄せる。
「ワトソンとコーデリアにこれ以上ひどいことしたら、ひっぱたくわよ」
「それは怖い。丁重におもてなししますよ、お姫様」
「あなたに、お姫様なんて言われたくはないわ」
「気高く厳しくておられる」
どんな怒りも罵倒も、青年には通用しなかった。彼とは別の幹部が人形二つをつまんでいる。エリカはその二つを心配そうに見つめた。
「お嬢様、ご心配なく。わたくしたちのことよりも、ご自身の身を案じてくださいませ」
「うん……」
「ワトソンは荒事には慣れていますわ。これくらいの傷は何ともありません」
「……ごめんね」
「お話はそこまでにして、あなたはこちらへどうぞ」
青年がやんわりとしかし強引に肩を押し、エリカは人形と離れ離れになった。
エリカだけが特別待遇を受けた。変装用に着ていたものを取り換えられ、体を洗われた。一人でできると言い続けたが、相手は聞く耳を持たなかった。何人かの信徒がエリカの体を洗ったが、信徒たちには性別が存在しなかった。
身を清め、黒髪を乾かし、きれいな着物に着替えさせられた。純白で柔らかな生地で作られた装束は、決して質素な素材ではないだろう。
そのまま、信徒たちに連れられて館の廊下を歩いていく。信徒はみな目がうつろだ。自分をさらい、ワトソンを踏みつけたあの青年が浮いているほどだ。
――なんだか、人形みたい。
エリカは、信徒を間近で見てそう思った。
表情がない。目に生気が宿っていない。言われたことをきちんと遂行するが、それ以上のことをこなさない。性別がないから顔立ちからして男か女かが判別できない。存在しないから、判別のしようもない。
長い廊下を歩いて入れられた部屋は、広い客室だった。形として暖炉は残っているが、暖を保つための道具はその近くに置かれた電気ストーブだけだろう。オレンジ色の明かりは、屋敷にいたころは当たり前だったが、今となっては懐かしい。やわらかそうなソファに机、質素ながらも人間らしい暮らしをするには充足した空間だった。
「ああ、おいでになりましたか」
青年はエリカに近づく。エリカは身の危険を感じて一歩後ずさった。
「そんなに警戒せずともよろしいのに」
「ワトソンとコーデリアはどこ? おじさまは?」
「そう焦らないでください。すぐに連れてきますから」
エリカの精いっぱいの睨み付けもこの青年には通用しない。
「といっても、もう少し時間がかかります。みながそろうまで、昔話でもしましょうか?」
「興味ないわ」
「いや、あるはずです。例えば、あなたの出生とか」
真意を読めず、エリカは眉をひそめた。
「私とエイナル達との関係とか、人形のこととか……」
青年は優雅にソファに腰かけてそう続ける。
「知っている限りのことは、お話しますよ? 退屈しのぎにはなるでしょう」
「……わたしの出生ってどういうことなの。戦場で捨てられてたわたしを、おじさまが拾ってくださったのよ。その出生にいちゃもんつけるつもり?」
「とんでもない。……あなたはそう聞かされてきたのですね」
「違うとでも言いたいの?」
「当たらずとも遠からずです。まあ、突っ立っていないでそこにおかけください。お茶くらい出しますよ」
信徒には水だけで、自分が味のあるお茶とは、恐れ入る。エリカはそう皮肉を吐きたいのをぐっとこらえた。青年と向かい合うように、エリカはちょこんと客用の椅子に腰かけた。
「何から話せばいいのやら……。何から話しても、すべてつながることはつながりますがね」
「だったら好きにしゃべってちょうだい。退屈しのぎに聞き流すわ」
「それは嬉しい」
青年は持ってこさせた紅茶を一口飲み、話し出す。
「十年前、『月』の全滅計画が実行されたことはご存知ですか?」
「ヨハンの研究記録で読んだわ」
現在、ヨハンの案が実行されつつあるのだけれど、と心中で呟く。
「『月』はそのころから圧倒的な信徒数を誇る大規模な信仰教団でした。『月』の外の世界では、我々を危険視して対策を考えていました。そのたびに全滅計画が浮上してきたのもご存知ですね? ヨハンの計画もその一つです。……ですが、人道的な観点からそれは到底許容できない案ですから、持ち上がるたびに全滅計画は却下され続けていました。その中で唯一採用されたのが、エイナルの計画案です」
「幹部だけを殺害し、残りの信徒は再教育するというものよね」
「そうです。採用はされましたが政府からの援助はほとんどありませんでした。この計画案の参加者を募りましたが、誰も手をあげません。殺人と言う行為に進んで手を染めたがる人間はいませんから、当然のこととも言えるでしょう。それでどうにか集まったのは、エイナルの旧知の仲だけでした。それがヨハンとイオリというわけです」
「ワトソンとコーデリアは?」
「二人は、以前は『月』の信徒でした。しかしある罪状から人形に魂を移され、人間の体を放棄させられた。それを救ったのがエイナルです。絶望的だった人間の体を取戻し、あまつさえ元の体に戻れるようにと、時間も資金も費やした。その恩から、二人は彼の従者となり、戦力になるよう訓練を重ねていました」
エリカは紅茶をすすった。
「エイナル本人は体力がほとんどなく、指揮官としての役割を任ぜられました。計画立案者はエイナルですから、集まった参加者の役割を任命する権限は彼にあるんですがね。思いのほかひ弱なので呆れたヨハンが一番安全な役回りにしたそうです」
「……なんというか、妥当な人事ね」
「ですね。さて、彼らは少数でしたが個人の能力は非常に優れていました。ですから大多数の相手でもどうにかなりました。しかし『月』の幹部たちが一枚上手でした。信徒を盾に自分たちの命を助けたのですよ。詳しく言うならば、信徒たちに『我らが敵を討ち取れ』と命じたわけです。信徒たちに痛みや死の恐怖はありませんから、丸腰でエイナルたちに突っ込んでいきました。やむを得ず信徒は殺されたわけです。幹部たちは信徒の命が失われることも想定内でした。圧倒的な数の差で、エイナル達の持つ武器のストックを減少させることが目的だったのです。弾薬も底をつき、救うはずだった信徒はほぼ自分たちの手で殺害した。そこに希望はないように思われました。……そんな状況下で、エイナルが唯一救い出せた信徒がいます」
青年は笑ったままだった。
「その信徒が、あなたなのですよ、エリカ」




