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「地味な雨読みはいらない」と追い出されたので、隣国で水害を止めます ~二番手だった私を干ばつ領の公爵だけが最優先にしてくれる~  作者: さくらろ
名を取り戻す水務監

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第62話 首都だけを救わない

「地方の灌漑は、朝二番鐘で止めます」


 王国水務監に就いた翌朝、エリナは王宮補給局の長卓にいて、朝靄さえ薄い窓の外を背に、新しい水務監章の重さを左肩で受けていた。向かいには補給官と王宮書記、地方報告を運んだ三人の役人が並んでいた。


 長期干ばつを王国全体で耐える、その最初の広域案件を任されたはずだったのに、卓上の命令案は首都の飲料水をひと月分囲い、地方の灌漑を一斉に止める。朝二番鐘までに保留しなければ、遠い村から順に水門札が赤へ替わる。


 失敗すれば地方の井戸と畑が死ぬ。荷車が来なくなったあと、首都も水と食べ物の両方を失う。


「現在庫と人口は確認しました」


 補給官の声は丁寧で、手元の皿には硬い朝食パンの欠片が一つ残っている。


「地方の停止後、最初に収穫できなくなる作物は何ですか。家畜用水は何日分ありますか。井戸が底を見せた村を移すには、何台の荷車と何日が要りますか」


「灌漑を止めるのです。作物の計算は、干ばつ後に補償局が」


「首都へ次の荷が着く日を伺っています」


 書記が現在庫表をめくった。欄はなかった。


 乾いた地方報告書から、細かな土が卓へ落ちる。エリナが指の腹で押さえると、粉は紙の端へ逃げた。土を戻しても、畑へは戻らない。


「三十日配分表を作ります。飲料と食料生産、輸送、それに井戸が戻るまでの水を、同じひと月に並べる公開表です」


「作成中も首都の水は減ります」


「一日だけ、命令を保留してください。午後に公開水務評議を招集します」


 補給官は眉を寄せた。


「就任初日に、王宮案を止めると?」


「はい。明日の朝までに代案を示せなければ、私の名で保留を解きます」


 水務監章の裏が肩へ当たっていた。よい役目を失う恐れは、消えていない。それでも罷免には理由と証拠が残る。昨日、自分でそう決めた。


 書記が保留時刻を書き入れる。補給官は皿の欠片を口へ運び、少し考えてから言った。


「そのパンも、地方から届いた小麦です」


「ええ。ですから、最後の日まで表へ載せます」


◇


 午後の公開水務評議では、王と議員、水務院の官吏の前に白い大表が壁いっぱいに広げられた。


 住民席には下町の配給当番が座り、その隣には南部の耕作者と沿岸の井戸番がいる。地方ごとに違っていた桶、樽、畝の単位は、書記たちが一人一日分の水量へ直した。


 直した途端、全員の不足が同じ顔をした。


 困ったのは、その先だった。南部の報告には食用麦と花祭り用の畑が一つに束ねられ、沿岸の井戸回復は雨の多かった前年の日数で書かれている。首都の倉庫も、荷車が来なくなった後まで毎日同じ量が入る計算になっていた。


「申告を削れば、その地域が先に損をする」


 北部代表が言う。


「正直な村から水を失う表なら、誰も正しく書きません」


「ですから、削った量だけで比べません。何を守り、何を止め、その結果がいつ他地域へ届くかを一緒に残します」


 余計に求めた者を叱るだけでは足りず、足りなさを隠さなくても不利にならない欄が要る。書記へ頼み、各地域の不足量を消さずに灰色で残させた。


「麦畑を半分にされたら、次の収穫がありません」


 耕作者が訴える。袖口から痩せた麦粒が二つ、卓へ転がった。


「首都は今日から配給です」


 補給官も譲らない。


「人口の多い場所を先に守る。それが公平でしょう」


「うちの村は井戸が戻るまで二十日かかる。いったん空にしたら、生活水を運ぶ荷車が要る」


「その荷車を出せば、首都への麦が遅れる!」


 声が重なり、表の前で水が増えたように見えた。実際の貯水は、一滴も増えていない。


 エリナはまず全地域の最低生活水へ青い線を引き、飲む・煮る・病人を洗う分に加えて避難が必要な村の移動中の分まで一つずつ載せた。


「ここは減らしません」


「ならば、農地へ回る分がない」


「すべての畑を同じには守れません」


 耕作者の目が険しくなる。


「種麦、次の収穫期までに実る畑、乳を首都へ運ぶ家畜。食料が途切れないために必要な水を、次に置きます。庭園、儀礼用水、収穫後でも戻せる作付けは残余からです」


「地方の取り分を、水務監が選ぶのか」


「地域ごとの担当者が根拠を出します。他地域は異議を記録できます。私の計算も同じです」


 南部から届いた作付け表を重ねる。灌漑を止めた日から、首都市場の棚が空くまでの日数を補給遅延日として赤で書いた。


 四日後、若い麦が戻らなくなる。


 十二日後には乳を出せない家畜の移送が始まり、二十一日後、次便の荷車が半分になる。


 三十日目。首都の現在庫が尽きる欄へ、赤い線が届いた。


 住民席の配給当番が、布に包んだ小さなパンを卓へ置いた。


「これを半分にしてひと月もたせても、三十一日目に粉が来なきゃ終わりだよ」


「地方票を得るための表にも見える」


 列の端の議員が言った。


「王都の民は、地方より後に飲めというのですか」


 エリナは首都欄の青い線を指した。最低生活水は、すでに最初の順番へ入っている。


「地方だけを救う案ではありません。首都だけを三十日遅れて飢えさせない案です」


 議員はなおも表を見た。口は結ばれたまま、その日の赤線を消す数字も出てこなかった。


 王が耕作者へ尋ねる。


「全面灌漑でなければ、何を残す」


 男は麦粒を拾い、掌で転がした。


「種麦と、来月刈る畑です。水が余れば家畜へ。花用の畑は止めます」


「首都は?」


 補給官が答える。


「庭園用水を全停止。富裕区の夜間追加取水も止めます。共同炊事場は生活水に含めてください」


 各地の希望は、そのままぶつかり続けた。沿岸の井戸番が回復日数を二日多く求めると、技師は前年記録を出して一日だけ引く。北部代表は避難用の荷車数を水量へ含めるよう主張し、住民席も歩けない者の名簿を開いて譲らない。


 評議は、どの不足を誰が引き受けるかを表へ残す形でまとまる。


 休憩の鐘が一度鳴っても誰も席を立たず、配給当番は包みを開いて残ったパンを耕作者と井戸番へ割って渡した。乾いていて、噛むたび卓へ細かな屑が落ちた。


「最低生活水を全地域へ先に確保する。次に、王国の食料を途切れさせない生産水。最後に残余水」


 王は三本の線を読み上げた。


「この順序を、基礎配水原則とする。水の多寡にかかわらず、王国法上の配分順序として本日から施行する。根拠と不足量は公開台帳へ載せよ」


 王印が押される前に、住民席と耕作者席へ写しが回った。エリナは最後に自分の計算欄へ名を置く。


 壁の配分表には、青と赤の線が入り交じっていた。首都を囲う命令案は、誰にも都合のよくない王国法の原紙へ姿を変えた。


◇


 法令公布の鐘が止む頃、王国観測室には夕方の冷気が入っていた。


 ニルが王都、沿岸、古堤防の三枚の速報票を机へ並べる。紙の厚さも、インクの色も、観測印も違う。


「三枚とも、減り方がおかしいです」


 エリナは王都の線を指で追うと、浅い坂のように続く干ばつの減水の途中にだけ、針の先ほどの空白を見つけた。


 沿岸にもある。


 古堤防にも。


 同じ鐘刻に、一滴分ずつ。


「写し間違いでは?」


「確認を返しました。三地点とも、原票にも同じ空白があります」


 公布の鐘と同じ時刻だった。


 自然の乾きなら、土も井戸も違う三地点が同じ一滴でそろう理由はない。しかも王都冠座は、二日前に停止している。


 エリナは三枚を重ねず、横一列に離した。


「三冠座の記録を、すべてここへ集めてください。写しだけで結論を出しません。観測者の名、器具、時刻、原票の順で確かめます」


 ニルが三本の伝令筒を抱えた。


「今夜中に手配します」


「お願いします。停止記録も一緒に」


 扉へ走りかけた足が止まる。


「水務監。もし、偶然ではなかったら」


 三枚の空白を見たまま答えた。


「その時は、何が同じ合図を渡したのかを調べます」

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