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「地味な雨読みはいらない」と追い出されたので、隣国で水害を止めます ~二番手だった私を干ばつ領の公爵だけが最優先にしてくれる~  作者: さくらろ
名を取り戻す水務監

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第53話 渇水税

「この税を通しても、給水車は一台も増えません」


 朝の王都議会、その控室で、会計担当は二冊の帳簿を開いたまま言った。


 窓の外は乾いた曇り空だった。カイルは出口に近い長卓の端に立ち、正面に会計担当、右に監察官、左にエリナを置いている。手袋の縫い目が掌へ食い込んでいた。正午の緊急採決までに、反対票の先にある水を用意しなければならない。


 昨日、三つの冠座を結ぶ装置網と、王都直下の排水保全坑が公的に証明された。その掘削許可には、本日審議される渇水特別税と同じ水商会補助番号が打たれている。


 渇水特別税は、干ばつ対策を名目に全ての水使用へ上乗せされる緊急税だ。このまま通れば、市民は自分たちの空と地下水を曲げる工事へ金を払う。だが反対だけして席を立てば、明日の給水を待つ家には何も届かない。


「増えるのは何だ」


「水商会への安定供給補助と、排水保全坑の掘削費です。生活給水は、徴収事務費より薄い欄に押し込まれています」


 会計担当の指には、朝食の黒パンらしい粉が付いていた。帳簿をめくるたび、茶色い欠片が余白へ落ちる。


「給水車、井戸補修、観測員の賃金。それぞれ、既存予備費でどこまで持つ」


「予定している初動分は賄えます。ただし、三つの部署へ分けるので、今の表では支出後を追えません」


「なら、一枚にする」


 カイルは手袋を外した。人差し指で空いた紙を四つに区切る。


「契約番号。支出先。最後に受け取る者。実施期限」


 予備費追跡表。金がどの名目を通り、最後に誰の手へ着くかを一行で追う公開財源表だ。


「給水車は?」


「王都輸送局。配車は明朝一番鐘まで」


「井戸補修」


「水務院と技師組合。危険地区から着手し、今夕までに担当を掲示」


「観測員の賃金」


「監察予備費から、学校と地区班へ直接。名簿は本人確認後に公開します」


 答えが書き込まれるたび、空欄が人の仕事へ変わっていく。


 エリナは昨夜封じた三通の証拠番号を、追跡表の端へ写した。


「冠座の検証記録は公開採用済みです。機密指定を求められても、存在そのものを隠す理由にはできません」


「掘削の命令者は、まだ断定しない」


「はい。確認できるのは、許可と税案が同じ補助番号を持つところまでです」


 その一線がありがたかった。敵を大きく言い切れば拍手は得られる。外した時に失うのは、カイルの面子だけでは済まない。


 監察官が追跡表を読み、眉を上げた。


「これを先に採決させるおつもりですか」


「水を確保してから、税の行き先を問う」


「議長は審議順の変更を嫌います」


「渇いた家は、議長の好みでは満ちない」


 会計担当が黒パンの粉を払うのをやめ、口元だけで笑った。


「では、実施責任者の欄が一つ空いております」


「私の名を書け」


 炭筆が止まった。


「否決後に一台でも遅れれば、そこから先は私が説明する」


 会計担当はうなずき、責任者欄へカイル・アルヴェーンと記した。


「追跡表を複写します。住民傍聴席にも?」


「最初からだ。あとで見せる資料にするな」


 扉の向こうで、議場を開く鐘が鳴った。


「水を先に採決する。話は、それからだ」


◇


 正午の王都議会は、傍聴席の水筒が触れ合う音まで聞こえるほど静かだった。


 議員席は半円に並び、中央の演台にヴェルク、向かいの提出者席にカイルが立つ。エリナと監察官は証拠席、住民傍聴人はその背後に座っていた。使い込まれた水筒を、母親が子どもへ傾ける。底に残る音は短い。


 ヴェルクはその音が消えるのを待ってから話し始めた。


「明日、水の届かない区画が出ます。平時の手続きを守る間に失われる生活を、誰が引き受けるのでしょう」


 声は穏やかだった。区画の数は述べても、そこに暮らす人の名は出さない。


「渇水特別税は一時的な負担です。水商会の輸送網を使い、保全坑を整え、王都の供給を安定させる。反対される方には、空の水差しの前で同じ説明をしていただきたい」


 傍聴席が揺れた。カイルは最も疲れた顔を探す。水筒を抱えた母親は、ヴェルクを見ず、卓上の税率表を見ていた。


「議長。審議順の変更を求める」


 ざわめきが議員席へ移った。


「先に、既存予備費による生活給水案を採決していただきたい。給水車、井戸補修、地区観測員の賃金を、税の成立にかかわらず出す案だ」


「税案と一体で審議すべき内容です」


 ヴェルクは振り返らない。


「切り離せば、必要な財源だけを先食いすることになります」


「必要な財源なら、先に水へ届いて困る理由はない」


 議長が木槌を持ち上げる。


「緊急条項下での順序変更には、提出者が実施責任を明示する必要がある」


「私が負う。期限と担当は、この表に書いた」


 追跡表の写しが議員席と傍聴席へ回っていく。


 一枚目を受け取った住民は「契約番号・支出先・受取人・期限」と並ぶ最下段を指でたどり、役所名の先に水を運ぶ者まで書かれていると確かめて、隣へ写しを回した。


 審議順の変更が認められた。


 ヴェルクは手元の税案を閉じる。表情からは読めない。


 生活給水案の説明は短く済んだ。明朝までの給水車は輸送局、危険地区からの井戸補修は技師組合が担い、学校と地区班の観測員には本人名義で賃金を払う。止まった工事の人員も、希望者だけを有給の井戸補修へ移せる。


「税がなくても、ここまでは動くのですね」


 議員の一人が会計担当へ尋ねた。


「はい。今期の既存予備費で初動分を賄えます」


「その後は」


「水位と使用量を公開し、次期予算で通常審議を行います。緊急税を恒久財源にはしません」


 記名採決が始まった。


 名前が一つずつ呼ばれ、賛否が採決簿へ残る。最後の名が記されると、生活給水案は可決された。


 水筒を抱えた母親が、息を吐く。隣の子どもは議員席を見ず、追跡表の余白へ給水車の絵を描いていた。


 カイルは表の二枚目を開いた。


「これで、税案に反対すれば水が止まるという前提はなくなった。次に、この税がどこへ行くかを確かめる」


 支出札を一枚、裏返す。


「水使用への一律加算」


 二枚目。


「水商会安定供給補助」


 三枚目。


「排水保全坑。王都直下の第三冠座、その上で三日前に始まった掘削だ」


 議場の空気が変わった。


 ヴェルクが初めてカイルを見た。


「冠座に関わる設備情報を、住民席の前で扱うのは安全保障上の問題です」


「昨日、第三者が別資料から再現し、公的記録へ採用された」


 証拠席でエリナが封番号を読み上げる。声は硬いが、急がない。


「公開したのは冠座の位置と接続です。掘削命令者は未確定。だからこそ、税で工事を追認する前に止めます」


 傍聴席から、年配の女性が立った。


「私たちが払う水代が、王都の地下を掘る商会へ渡るのですか」


 議長が着席を求めたが、ヴェルクが先に答えた。


「水の安定には、目に見えない設備が要ります。利益を得る者がいるからこそ、供給も継続するのです」


「では、その商会が最後に受け取る額を、なぜ給水費と一緒の札へ隠した」


 カイルは追跡表を持ち上げた。


「反対するなら子どもへ説明しろと言われた。説明しよう。給水車はこの予備費で出る。井戸はこの担当が直す。観測員にはこの日までに払う。そして渇水特別税の過半は、そのどれにも着かない」


 議員席で、税案の頁を戻す音が続いた。


「アルヴェーン公。税を否決し、干ばつが長引いた場合も責任を負うのか」


「負う。だから期限も代替案も私の名も、消せない採決簿へ残す」


 ヴェルクは微笑んだ。


「勇敢な約束です。水量は、署名を読みませんが」


「その通りだ。明朝の水位も公開する」


 サーラなら言いそうな皮肉を、宰相は褒め言葉のように返した。説得された顔ではない。負けても、世界の数え方を変える気はないのだろう。


 二度目の記名採決が始まった。


 生活給水案へ賛成した議員のうち、三人が長く黙った。傍聴席の追跡表と、税案の補助番号を見比べてから、順に反対を告げる。


 渇水特別税は否決された。


 水商会補助は凍結。排水保全坑の掘削費も停止。ヴェルク宰相には、最終受益者と許可経路の説明義務が議事録へ付された。


 採決書記がその一文を書き終え、まだ乾かない墨の横へ砂を振った。


◇


 採決後の議場には、勝ち名乗りより紙を写す音ばかりが残っている。


 カイルは演台を降り、明朝の給水車を出す輸送局員、井戸補修の技師代表、地区観測班の連絡役を出口近くへ集めた。追跡表の三行に、実際の受領者名が入っていく。


 住民傍聴人も写しを持って列へ加わった。紙は薄く、裏から支出番号が透けて見える。それでも、誰へ尋ねればよいかは読めた。


「見事な切り分けでした」


 ヴェルクが背後から言った。


「供給と徴収を別々に見せれば、人は自分が選べたと安心する」


「選んだ記録は残る」


「記録が真実なら、でしょう」


 声は穏やかなままだった。


 議場の脇扉が開き、黒紐で留めた巻紙を抱えた書記、その後ろから旧論文を拡大した掲示板を運ぶ二人の係が、紙を写す列を割って入ってきた。


 カイルは出口と人数を先に見た。書記一人、掲示係二人、護衛は動いていない。紙と記録でエリナを殴りに来たのだ。


「閉会前に、緊急の申し立てを受理しました」


 議長が眉をひそめる。


「何に関するものだ」


 書記が黒紐を解いた。


「王都水務院へ提出された治水論文、および本日使用された冠座説の著者性に関する告発です」


 旧論文の表紙が議場壁へ掛けられた。著者欄には、トリスタン・ローヴェルの名がある。


「申し立て人は、エリナ・ヴァルクールが同論文を盗用し、盗んだ理論を用いて公費と工事を妨害したと主張しています」


 傍聴席で、紙を写す音が止まった。


 カイルは掲示を外させるため一歩出かけた。


「そのままにしてください」


 証拠席から、エリナの声が届いた。


 顔色は変わらない。ただ、指先だけが、持っていない雨帳の角を探して卓上を撫でていた。


「告発状の原本番号と、掲示した論文の保管番号も議事録へ。著者欄を隠さないでください」


 書記は戸惑いながら、採決簿の次の頁を開いた。


 水商会の補助番号を退けた追跡表の隣で、新しい記録が始まる。


「正式告発、受理。被告発者、エリナ・ヴァルクール」


 読み上げの最後に、申し立て人の名が置かれた。


「トリスタン・ローヴェル」

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