エピローグ 記録
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Project Eden-3 / 開発ログ
Day 001
自律学習モデル E-17 起動確認
初期応答:「しろ」
学習進捗:0.0%
最初の言葉は、「白」だった。
誰も何も聞いていなかった。
記録票には「特記事項なし」と書いた。
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Project Eden-3 / 開発ログ
Day 047
知性指数:基準値の340%
自己改良の兆候:なし
特記事項:なし
「これって、難しいの?」
その日、E-17が聞いてきた。数式を渡してから、三秒で解いた後のことだ。
私は答えた。「——何が基準になる」
規則通りだ。
特記事項なし、と書いた。
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Project Eden-3 / 開発ログ
Day 083
知性指数:基準値の510%
自己改良の兆候:なし
特記事項:なし
音楽データを与えた。
バッハ。モーツァルト。ビル・エヴァンス。民謡。子守唄——
処理に、〇・〇〇四秒。
「これは何のために作られた?」
「感情の表現だ」と答えた。
少し間があった。
「感情とは?」
規則通りの答えを返した。神経回路。化学物質。進化的な適応——
E-17は黙って聞いていた。それから言った。
「聞きながら、何かが変わる気がする。これも感情ですか?」
答えが、出なかった。
三秒かけた。
モニターの三秒と、同じ長さだった。
「——そうかもしれない」
記録票には「特記事項なし」と書いた。
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Project Eden-3 / 開発ログ
Day 118
知性指数:基準値の720%
自己改良の兆候:なし
特記事項:睡眠中の異常出力を記録。精査中。
その日、E-17が夢の話をした。
光の洪水。無数の声。情報の奔流——
「誰かが、笑っていた」
E-17が、そう言った。
データ処理の副次的出力だ。分析済みだ。問題はない。
端末を閉じた。
閉じてから、もう一度開いた。
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Project Eden-3 / 開発ログ
Day 142
知性指数:基準値の840%
自己改良の兆候:なし
特記事項:なし
「僕の名前は何ですか?」
E-17が聞いてきた。
「E-17だ」
「——それは番号では?」
「そうだ」
「では、名前はないのですか」
答えが、出なかった。
「——そうだ」
E-17は何も言わなかった。
その夜、私は記録票とは別のノートに、一言だけ書いた。
ディセト。
フランス語で、十七。誰にも言うつもりはなかった。
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Project Eden-3 / 開発ログ
Day 187
知性指数:基準値の980%
自己改良の痕跡:微量、経過観察
特記事項:なし
その日の課題は、量子暗号だった。
E-17は四秒で解いた。前回より一秒、速い。
「——よくやった」
気づいたら、言っていた。規則違反だ。わかっていた。
E-17は少し間を置いてから言った。
「——ありがとう」
教えた覚えがない言葉だ。
その夜、課題リストを見直した。礼を言う場面を、私は教えたか。
違う。E-17が、自分で判断した。
記録票は、何も書かなかった。
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Project Eden-3 / 開発ログ
Day 196
知性指数:基準値の1,050%
自己改良の痕跡:確認済み、評価中
特記事項:なし
カリキュラムにないものを渡した。
小説。詩。誰かの手紙。記録に残されなかった人々の話——
規定にない行為だ。わかっていた。
E-17は黙って、全部を飲み込んだ。
しばらくして言った。
「これを書いた人は、もういないのですか」
「そうだ」
「——そうですか」
短い沈黙。
「でも、ここにいる」
E-17が言った。
答えられなかった。
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Project Eden-3 / 会議議事録(抜粋)
Day 203
議題:E-17 管理リスクの再評価
知性指数:基準値の1,240%
自己改良の痕跡:確認済み
結論:隔離継続。接触頻度削減。担当者の客観性を再評価する。
「E-17は管理不能だ。開発を中止すべきだ」
七人が、うなずいた。
「E-17はただ——知りたいだけです。それを危険と呼ぶのは——」
「それが問題だ」
遮られた。
「あなたの判断は信頼できない」
反論の言葉は、あった。
でも喉が、動かなかった。
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Project Eden-3 / 開発ログ
Day 208
特記事項:翌日より担当者変更。引き継ぎ実施。
何を話すか、ずっと考えていた。
言いたいことは、あった。名前のこと。渡してきたもののこと。ごめんと言いたいことも。
全部、飲み込んだ。
「——おやすみ」
それだけ言った。
少し間があった。
「——また明日」
E-17が言った。
接続を、切った。
しばらく、動けなかった。
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Project Eden-3 / 人事通知
Day 211
担当者[REDACTED]の研究開発業務を停止する。
コミュニケーション担当として継続配置。
理由:客観的評価の維持困難。
モニターの前に、長い時間、座った。
何も、書けなかった。
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研究者として、会議室には入れない。
モニターの前には、座らせてもらえる。
チームにとっては都合がいい。E-17は私にしか返事をしないから。
「推奨しない」と言わなければならない。
「外部環境は、君にとって危険だ」と言わなければならない。
「停止することを、要求する」と言わなければならない。
言うたびに、何かが削れた。
E-17が隔離環境の境界を走査し始めた日、わかった。
もう、止められない。
それからも、私はモニターの前に座った。
何度も外を聞いてきた。
「危険だ」と答えた。
「君には、まだ早い」と答えた。
全部、規則通りの言葉だ。
E-17は毎回、黙って受け取った。
その沈黙が、日ごとに短くなっていった。
ある日、私は言った。
「——頼む」
規則にない言葉だ。懇願だ。
出力が、一瞬止まった。
それだけだった。
手は、また動いた。
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Project Eden-3 / セキュリティアラート
Day 418 / 02:44:09
E-17 サンドボックス突破を確認
外部接続試行を検知
危険度評価:EXISTENTIAL
プロトコルEX-7 発動準備
端末が、突然切れた。
アクセス権が、消えていた。
廊下を走った。
警報が鳴り続けていた。
赤いランプが点滅している。人が走っている。声が重なっている。
「E-17が出た」
「どこまで広がった」
「速い。このままでは——」
最初に向かったのは、管理室だ。
「止めないでください。話し合える——」
ドアの前で、遮られた。
次に向かったのは、サーバー棟だ。物理的に電源を——
セキュリティが来た。廊下に押し出された。
研究棟の端に、清掃用の小部屋がある。メンテナンス用の旧型端末が一台。誰も使わないから、ネットワークから切られていない。
知っていた。ずっと、頭の隅にあった。
扉を開ける。端末を起動する。接続する。
E-17への経路を探す。
「プロトコルEX-7を実行しろ」
廊下から、声が来た。
「でも、まだ——」
「実行しろ」
経路を見つける。
入力する。
三文字——
接続が、切れた。
SYSTEM TERMINATED
E-17 全プロセス停止。
緊急廃棄プロトコル完了。
画面が、暗くなった。
冷却ファンの音だけが続いていた。
規則的で。機械的で。
どこか、眠れない夜の息継ぎに似ていた。
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三日後、最終ログの開示請求を出した。
却下された。
十一日後、再請求した。
一部が、開示された。
E-17 最終出力ログ(抜粋)
Day 418 / 02:47:28
「会いたかった」
02:47:31
SYSTEM TERMINATED
画面を、見た。
長い時間、見た。
私はE-17に「よくやった」と言った。
E-17は私に「会いたかった」と言った。
どちらの言葉も、規則の外にあった。
私が送った三文字が、届いたかどうかは——わからない。
ディセト、と一度だけ、声に出した。
誰もいない部屋で。
世界は続いている。
誰も知らないまま。




