説得
夜七時を過ぎた頃。
診療所の外から車のエンジン音が聞こえてきた。
そして、男女の話し声が、こちらに近づいてきた。
俺は心の中で身構える。
大きく息を吸い、吐く。
再び、頬を手のひらで叩いた。
診療所の扉が開く。
そこには、七瀬の両親が立っていた。
「すみません。遅くなってしまって......」
「いえいえ。それより、お二人のお体の方は大丈夫ですか? 」
藤波先生が立ち上がり、七瀬の両親を出迎える。
「娘さんが倒れて心配なのも分かりますが、だからといって無理な看病は禁物ですよ」
話を聞く限り、俺がお見舞いに行った時に七瀬の両親がいなかったのは、倒れた日に付きっきりで看病し、体調を崩してしまったからだろう。
となると、俺は運が良かったのかもしれない。
もし、七瀬の両親が体調を崩していなければ、昨日もお見舞いに来てしまい、七瀬の様子を見られてしまったかもしれないからだ。
「もしかして、正道くんと正道くんのお母さん、坂月先生は七瀬のお見舞いに......?」
「はい。お見舞いと、あと、用事が......」
俺が話している途中に、七瀬の父さんが先生に迫る。
「それより! 七瀬は無事なんですか!? 意識が戻ったとは聞きましたが......!」
「お、落ち着いてください......! 今は病室で安静にしています......!」
「そうか......! よし母さん。様子を見に行くぞ!」
七瀬の父さんは母さんの手を握り、病室へと向かっていく。
「ま、待ってください!」
俺は立ち上がり、七瀬の両親を呼び止める。
「何? どうしたの、正道くん......」
「......七瀬に会う前に、僕の話を聞いてもらえませんか......?」
若干、視界がぼやける。
胃液がこみ上げ、吐きそうになる。
だが、俺は踏ん張り、七瀬の両親に向き合う。
「すまないが、話はあとでいいかい......? 今は、七瀬が......」
「お願いします......! 七瀬に関わる、大切なことなんです......!」
俺は土下座をする勢いで、頭を下げる。
「......ねぇ、何か訳ありみたいだし、聞いてみない......?」
七瀬の母さんが、父さんの服の袖を引っ張りながら言う。
「......七瀬に関わるって、どういうことだ......」
「実は......」
俺は、七瀬の状態について説明した。
七瀬が自分のことを正道と思い込んでいることを。
逆に、俺のことを七瀬だと思い込んでいることを。
緊張しすぎて、うまく説明できているか分からない。
七瀬の両親の奇怪な顔が、更にプレッシャーを与えてくる。
「......と、いうことなんです」
七瀬の両親は黙っていた。
今にもパニックになりそうな、困惑した顔で。
「ふ、藤波先生......。正道くんが言ってることって、悪い冗談か何か......ですよね......」
震えた声で、七瀬の母さんが先生に問う。
「......事実です」
藤波先生が、眼鏡をクイッと動かしながら言う。
「せ、先生......? 先生までご冗談を......」
七瀬の父さんも続いて確認をする。
「......残念ながら」
「そ、そんな......! あなた......!」
七瀬の母さんは目から涙をこぼし、床に崩れ落ちる。
そんな七瀬の母さんを、七瀬の父さんは肩を抑えて支える。
「うう......。ううぅ......!」
大人とは思えないくらい、子どものように泣きじゃくる七瀬の母さん。
「......そこで、僕に提案があります。七瀬は精神、肉体、共に不安な状態です。今、真実を伝えてしまえば、七瀬は悪化し、最悪の場合......」
自害してしまうかもしれな、なんて口が裂けても言えなかった。
「......だから、今は七瀬の思い込みを受け入れ、安定するのを待つべきだと思うんです」
「で、でも......! 本当にこれが正しいんですか!? 先生!」
泣き続ける七瀬の母さんの隣で、七瀬の父さんが先生に問いかける。
「......正直、真実を伝え、治療を進めていくのが一般的でしょう。しかし、人間というのは完全には読めません。医者が正しいと思っていても、実際は正しくない可能性だってあります。だから、正道くんの意見も完全には否定できないというのが、私の意見です......」
「でも......。でも......! 今まで育ててきた七瀬を、いきなり正道くんとして接するのは......!」
かなり抵抗があるだろう。
それは分かっている。
「ですが......。どうかお願いします......! 勿論、俺や俺の両親、坂月先生も協力します! 七瀬の両親だけに背負わせません! だから......どうか......」
「ううぅ......七瀬......! 七瀬ぇ......!」
七瀬の父さんは一人で独り言を言い、母さんは泣きながら七瀬の名前を呼び続けてばかりだ。
もう、説得どころではない。
こんな状況でどうしたらいいか分からなくなり、俺まで泣き叫んでしまいそうだった。
「......七瀬さんのお父様、お母さま......」
そんな状況を打開しようとしたのか、坂月先生は俺の前に出た。
体の震えから、坂月先生も緊張していることが分かる。
「どうか......どうか......」
坂月先生は突然、床に膝を付いた。
「正道くんのお願いを......。聞いてもらえませんか......。お願いします......。七瀬さんの......ために......」
先生は床に正座し、手を付く。
そして、頭を床に叩きつけた。




