取り戻した力
自室の天井を俺は眺めていた。もうずっと目は冴えたままで、自宅に運ばれてから、一睡もできていなかった。
体に力がみなぎる。とても久しい感覚だった。望んでやまなかったはずなのに、どうしてか、心にぽっかりと穴が開いたようだった。何故そんなことを思うのか、俺はそれを考え続けていた。
扉が開いて誰かが入ってきた。いや、誰かなんて考えるまでもなかった。コツコツと、刀の鞘が床を叩く音が聞こえてきた。
「マルスさん、何かありましたか?」
「おや、お目覚めでしたかな?いや、眠ってはおられなかったか」
近くの椅子に腰を下ろしたマルスさんは、俺が眠れていないことを見抜いていたようだった。それもそうか、彼ほどの達人に隠し事はできないよな。隠すことでもないけど。
「あれからどうにも眠れなくて、ただずっと横になっていました」
「…あの墓で、一体何があったのですか?」
俺はまだ、誰にもラオルの墓での一件を話せていなかった。何だか話す気になれなかったというのも理由の一つだが、もう一つのある事実が認められなかった。
いつまで経ってもエリュシルが俺の元に戻ってくることはなかった。どこに隠しても、埋めても、遠ざけても、絶対に戻ってきていたのに、その気配すら、もうない。
「ルネも呼んでくれますか?あの時俺に起こったことを話します」
「そうじゃな。仲間じゃから、一緒に聞いた方がよいじゃろう」
マルスさんに頼むのは少し気が引けたが、口は動くが、体はまだまだ動かない、それに、家族に頼むよりも、仲間に頼む方が、信頼できた。
俺はルネとマルスさんに、あの時あった出来事をすべて話した。覚えている限りのことを、すべて話した。
「勇者ラオルと戦った!?まさか、死人ですよ?」
「ふむ…」
ルネは驚いて目を丸くしていたが、マルスさんは意外にも冷静に話を聞いていた。信じられない話をしたつもりだったので、マルスさんの反応は意外だった。
「マルスさんは、驚かないんですか?」
「いえ、驚いてはいるのじゃ。しかしのう、実際にエリュシルが消えておるからのう、安易に話を否定することができんのじゃ」
「いやいやいや。マルスおじいちゃん、流石にこれは信じられませんよ。きっとエリュシルも、なんか、こう、どっかに置き忘れたとか…」
徐々に歯切れが悪くなるルネ、その可能性がありえないということは、きっと彼女はよく分かっている。だけど、それでも信じられないという表情をしていた。
俺は目が覚めてから気になっていたことを口にした。
「俺が謎の空間に飛ばされている間、二人はどうしていたんですか?」
「実は、わしらにもよく分からないのですじゃ。手を合わせ、目を閉じ、祈りをささげて…」
「目を開いた時には、リオンさんが倒れていたんですよ。その時にはもう、エリュシルは消えていました」
「そんな、嘘だろ」
信じられなかった。ラオルと戦っていたのは、そんな一瞬の出来事ではなかった。あの激戦が、目を閉じて開けた間で終わるはずがない。
あの場所は、時間すら超越していた場所だったのだろうか。ルネの言う通り、ラオルは死者だ。それも、本当に遠い昔の時代の人で、誰にとっても、おとぎ話の登場人物なのだ。
ありえない、その言葉が頭の中に浮かんでは消える。しかし、ありえないということがありえない、だって確かに、俺はラオルと戦って、負けた。あれが夢幻の類であったとは思えなかった。
「…考えても分からないことは、この際置いておきましょう。リオンさん、体の方は大丈夫なんですか?」
「ああ、不思議な感覚だよ。体に力はみなぎっているのに、全然自分の意思で動かせないんだ。でもそろそろ慣れてきたから、明日には起き上がれると思う」
「それは何よりじゃ。体を動かせば、頭も働く。ゆっくりでいい、体を動かしていかれよリオン殿」
「はい。心配かけてすみませんでした。今日はもう、これで…」
本当は、まだまだ話足りない、そう思っていた。だけど俺の中では、もっと別の悩みが頭の中に浮かんできていた。
これから勇者としての旅をどうするのか。二人と一緒に、何を目指すべきなのか。本来であれば、考えるまでもないことなのだが、何故かずるずると、思考の沼へ引きずり込まれていた。
勇者ラオルとの戦い、俺がエリュシルを失ってから、数日が経過していた。体の調子は万全に戻っており、街はずれの森を訪れていた。
体を十分にほぐしてから、剣を手に取る。もう砂になって消えたりはしなかった。重くて持ち上がらないなんてこともない、エリュシルを手に入れる前の状態に戻っている。
いくら素振りをしても疲れ知らずで、木を素早く駆けのぼっても足が止まることはない、装備を身に着けたまま後方へ宙返りしても平気だし、鋼鉄の鎧を着せた木人形は、鎧ごと細切れにした。
「ふッ!!」
目の前にあった大木めがけ剣を構えると、俺は力を込めて剣を振りぬいた。そして幹を蹴り飛ばすと、すっぱりと両断された大木が音を立てて倒れた。そこを住み処にしていた鳥や小動物たちが、慌てて逃げ出していく様を、何の感慨もなく見ていた。
「最後のは、ただの八つ当たりだな。こんなことしても、意味ないのに」
誰に聞かれている訳でもないのに、言い訳するようにそう呟いていた。ため息をつくと、もう一度剣を鞘に納めた。
森に入ってから、ずっと感じていた気配。数は恐らく、50匹前後だろうか、ゴブリンの大群が、俺の様子を窺っている。剣を収めて、気を抜いて脱力して見せた。餌としては十分だろう。
ゴブリンの群れは、間抜けにも一人で縄張りに侵入してきたリオンを標的に定めていた。最初は問答無用に襲い掛かろうとしたが、稽古の様子を見て、群れのリーダーが勇み足を止めさせた。
ゴブリンリーダーは、リオンを取り囲むように群れを配置しなおし、見張りを立てた。息を潜め、一番油断した瞬間を待て、そう指示をした。
そして時はきた。リオンが剣を収めたタイミングを見計らって、見張りがサインを送る、リオンを取り囲んでいたゴブリンたちは、一斉に手に持った石を投げつけた。茂みの中や、高い木の上、全方向からの一斉の投石が、リオンに襲い掛かる。
見張り役のゴブリンの見立ては、決して間違っていなかった。リオンが気を抜いたタイミングを見逃さず、最も有効な状況で指示を出した。それが誘いであると、感づかせなかったリオンの技量が、遥かに上回っていた。
リオンは剣を抜き放つと、飛んでくる石礫に向かって、敢えて突っ込んでいった。狙ったのは、投石の精度が最も高かった場所。つまりゴブリンの群れの中で、長生きをしている歴戦のものに狙いを定めた。
自分に向かってくる礫に自分から突っ込んでいくのだから、当然脅威は増す。しかしリオンは、最小限の動きでそれをすべて避け、茂みの中へ突撃した。周りのゴブリンたちは、リオンの突然の行動であっけにとられ、攻撃を中断した。
一気に静まりを見せた森の広場、そこに湿ったぐしゃりという音が鳴った。茂みから投げ捨てられた13個のゴブリンの首が、胴から切断されて無残な姿を晒していた。
動揺が群れの中に広がった。その中でも、比較的若手のゴブリンたちは、動揺から、潜んでいるという優位を保っていられなかった。がさがさと茂みを揺らし、自分たちの位置をばらしてしまう。
そこをめがけて飛んできたのは、攻撃魔法のアイススパイク、無数の氷の槍が一斉に襲い掛かり、20匹のゴブリンが、それに刺し貫かれて凍り付き、砕け散って絶命した。
一瞬で群れを半壊させられたゴブリンリーダーが下した決断は、即時撤退であった。力量を見誤り、手を出してはいけない相手に手を出した。その代償はとても高くついた。
しかし少しでも群れのゴブリンを生き残らせるために、全力で撤退を指示する。ここで負けても、また個体数は増やせる。そして敗戦の経験を持ちかえれば、次の戦術の質を向上させられる。
ゴブリンリーダーはひたすらに走って逃げた。残った群れの仲間たちと、一緒になって逃げた。しかし、足音はいつの間にか、自分一匹だけのものになっていた。振り返った時目にしたものは、信じられない光景だった。
返り血を浴びて真っ赤に染まったリオンが、撤退するゴブリンたちを皆殺しにしていた。あまりの気迫を前にして、腰を抜かして倒れこむゴブリンリーダーの足元に、べしゃりと何かが投げ込まれた。
それは血に染まった耳や鼻であった。リオンはゴブリンたちを仕留めるだけではなく、それを削ぎ落して持ってきていた。リーダー以外は全滅したのだと、分からせるために。
ゴブリンリーダーは、無念に散った仲間のため立ち上がり、リオンに襲い掛かった。しかし、そんな無鉄砲な攻撃などまったく意に介すことなく、リオンの剣は、ゴブリンリーダーの全身をバラバラに斬り裂いた。
今度こそ本当に静まった森の中で、剣を収める音だけが、静かに響いた。